フジテレビの人気シリーズ『世にも奇妙な物語』が、2025年11月8日(土)に放送35周年を迎えます。
今回の「秋の特別編」では、山田涼介・川口春奈・伊藤淳史らによる新作3本と、役所広司主演の傑作選「ハッピーバースデー・ツー・マイホーム」の全4話構成。
“日常のすぐ隣にある非日常”という原点を守りながら、時代を映すテーマで描かれる珠玉の短編集。この記事では、それぞれのあらすじ・キャスト・見どころ、そして配信・再放送情報までを完全ガイドとして紹介します。
- 『世にも奇妙な物語 35周年SP・2025秋』全4話の内容と見どころ
- 各話のあらすじ・キャスト・演出の魅力とテーマ性
- 放送日・視聴方法・35周年特別編の注目ポイント
『世にも奇妙な物語 35周年SP・2025秋』の放送日と見逃し配信情報
その夜、テレビの前に座る理由ができた。
2025年11月8日(土)夜9時。フジテレビ系「土曜プレミアム」で、『世にも奇妙な物語 35周年SP・2025秋の特別編』が放送される。
35年という節目に立つ今、シリーズの案内人・タモリが再び“奇妙な扉”を開け、山田涼介・川口春奈・伊藤淳史、そして役所広司という豪華キャストが、一夜限りの異世界へと視聴者を誘う。
放送日・時間とチャンネル情報
今回の放送は2025年11月8日(土)21:00~23:10、フジテレビ系列で全国同時オンエアされる。
この時間帯は“奇妙な物語”のために確保された特別な2時間10分枠であり、例年のSP放送よりも長尺。
これは、3本の新作と1本の傑作選をじっくり堪能できる構成に合わせたものだ。
ストーリーテラーを務めるのはもちろんタモリ。
彼の語り口が醸し出す“日常の延長線上に潜む異常”こそ、この番組の核心である。
35年続いた理由のひとつは、タモリの存在そのものが「奇妙」の象徴だからだ。
放送局側も本編に合わせ、番宣を超えた“記念キャンペーン”を展開。
35周年ロゴ入りの特別映像や、過去作を振り返るSNS投稿も話題を集めており、放送前から“奇妙な夜”の空気が全国を包み始めている。
配信・再放送の予定と視聴方法
気になるのは「見逃し配信があるのか?」という点だろう。
しかし現時点では、FOD(フジテレビオンデマンド)など公式サービスでの配信予定はない。
実際、同年春に放送された「35周年春の傑作選」も見逃し配信は行われず、ファンの間では“リアルタイムでしか見られない奇妙”として記憶に残った。
今回も同様に、リアルタイム視聴が唯一のチャンスとなる可能性が高い。
TVerや他の民放系プラットフォームでも配信の発表はなく、録画かライブ視聴が推奨される。
つまり、11月8日の夜は“偶然”ではなく“意図して”テレビの前に座るべき時間なのだ。
再放送やディスク化についても、公式からの発表はなし。
ただし、過去の傑作選が数年単位で再放送された事例はある。
しかし、今回は35周年という“記念回”ゆえに、すぐの再放送は難しいとみられている。
この特別編は、シリーズを愛してきたファンだけでなく、初めて観る人にも響く“原点回帰の夜”。
もし録画するなら、ぜひフル尺で残しておくべきだ。
なぜなら『世にも奇妙な物語』は、再び同じ感覚で観ることができない作品だから。
放送は一度きり、配信も未定。
だからこそ、“この夜限り”というライブ感が生きてくる。
35周年の節目を飾る物語群が、あなたの週末を非日常に塗り替える瞬間を見逃さないでほしい。
新作1「止まらなければ生きられないゲーム」山田涼介が挑む“命懸けのデスゲーム”
「止まらなければ生きられない」。その言葉が、ただの比喩ではなく、命のルールになる夜がある。
『世にも奇妙な物語 35周年SP・2025秋』の1本目は、山田涼介主演のデスゲームサスペンス。
現実の絶望と、ゲームの非現実。その境界を超えた先に待つ“奇妙”の正体が、観る者の呼吸を止める。
あらすじ:絶望の中で届く謎の招待状
主人公・徳永正夫(山田涼介)は、友人の会社の保証人になったことがきっかけで人生を踏み外す。
会社の倒産、暴行による入院、そして妻(柳ゆり菜)からの離婚宣告。積み重なる不幸の果てに、彼のもとへ届いたのは差出人不明の招待状だった。
「だるまさんが転んだ──30秒間、止まれ。最後まで残った者に賞金30億円。」
半信半疑のままゲームに参加すると、口座に本当に報酬が振り込まれる。常識が壊れる瞬間、徳永の中で何かが“動き出す”。
やがて、かつての友人・稲垣(渡辺大知)も同じゲームに参加していることを知り、物語は友情・裏切り・生存本能が交錯する濃密な人間ドラマへと変貌していく。
脚本はJU JIN、演出は土方政人。
前半はブラックユーモアを交えた軽妙なテンポで進むが、後半は恐怖が静かに増幅し、“止まることの恐怖”と“止まれない絶望”が視聴者の神経を蝕んでいく。
キャストと見どころ:山田涼介×国際コラボが生む“異色の緊張感”
主演の山田涼介が演じるのは、人生の崩壊と再起を繰り返す男・徳永。
彼の表情は、回を追うごとに「人間」から「生存者」へと変わっていく。感情の振り幅が最大級に試される難役だ。
共演の柳ゆり菜は、愛と嫌悪の狭間で揺れる妻・ユノを繊細に演じ、渡辺大知は“友の裏の顔”を覗かせる不穏な存在感を放つ。
特筆すべきは、韓国制作会社WEMADとの共同開発という点だ。
国際コラボによって、映像のトーンやテンポ、演出の重層感がこれまでの『世にも奇妙な物語』とは一線を画している。
照明や音響も韓国ドラマの手法を取り入れており、視覚的な「止まれ」と心理的な「逃げられない」が重なる緊迫感が異様なリアリティを生む。
山田自身もインタビューで「短編とは思えないほど挑戦的だった」と語っており、ファンにとってもキャリアの中で新境地となる作品だ。
演出の土方政人は「どこでも始まるゲームの恐怖」をテーマに据え、街角・病室・自宅といった日常空間を巧妙に変容させる。
その映像演出が、視聴者に「自分も知らないうちにゲームに巻き込まれているのでは」と錯覚させるほどの没入感を与える。
この作品の最大の魅力は、恐怖の中にある現代性だ。
“止まらなければ生きられない”というルールは、仕事・SNS・競争社会に生きる現代人そのものの縮図でもある。
止まれば置いていかれ、走り続ければ壊れていく。そんな現代のアイロニーを、奇妙なゲームという形で描き出している。
山田涼介が見せる“止まる勇気”と“動く絶望”。
この短編が投げかけるのは、恐怖ではなく問いだ。
「あなたは、いつまで動き続けられますか?」
新作2「あなた博物館」川口春奈が見つめる“記憶と恐怖”の境界線
もし、自分の人生が展示されていたら──。
笑顔の写真も、秘密の日記も、誰にも見せたくなかった記憶さえも。
『あなた博物館』は、そんな“記憶の恐怖”を静かに描く心理ホラーであり、川口春奈が初主演を務める『世にも奇妙な物語』の中でも異色の一編だ。
あらすじ:展示される“自分の人生”の真相
恋人・井東健介(笠松将)とのドライブの途中、道に迷った篠田美咲(川口春奈)は、夜の森の中にぽつんと建つ「あなた博物館」を見つける。
館内には案内人もいない。興味本位で中に入ると、そこには幼少期のアルバム、学生時代の制服、そして見覚えのある手紙やアクセサリーが整然と並べられていた。
展示されているのは、まぎれもなく“自分の人生”。
最初は恋人のサプライズかと笑っていた美咲だが、展示は次第に二人の交際記録へと変わり、やがて不穏な違和感が忍び寄る。
「この部屋にあるのは、今の私じゃない。」
そんな言葉が心の奥で鳴った瞬間、出口は消え、彼女は“記憶の迷宮”に閉じ込められる。
展示の最後に待つのは、元恋人たちにまつわるクイズコーナー。
軽口を叩く健介に対し、美咲の笑顔は凍りついていく。
愛情と羞恥、懐かしさと恐怖。そのすべてが“展示物”として可視化される異様な空間。
観る者は、美咲と共に「他人の目にさらされる自分」という無防備な恐怖に引きずり込まれていく。
キャストと見どころ:静かな狂気が生む、心を締めつける違和感
川口春奈が演じる篠田美咲は、ごく普通の女性だ。
特別な事件の被害者でもなければ、超常現象を信じるタイプでもない。
だからこそ、彼女の恐怖は現実の延長線上にある。
表情のわずかな変化だけで、観る者の心拍を上げていく。
恋人・健介を演じる笠松将は、“無邪気な残酷さ”を体現するキーマン。
彼の何気ない一言が、美咲の精神を少しずつ削っていく。
さらに、博物館の館長役としてベテラン俳優・螢雪次朗が登場。彼のわずかな笑み一つで、空気が凍る。
演出は植田泰史、脚本は原野吉弘。
監督は、「違和感の演出」を徹底している。
たとえば、展示室の照明はわずかに明滅し、カメラは被写体の後ろから寄ってくる。
観る者の“パーソナルスペース”を侵してくるような映像は、視聴者自身が展示されている感覚を呼び起こす。
この作品の原点には、シリーズ初期の名コピー「いつもの帰り道、違う角を曲がったらそこは奇妙な世界だった」がある。
監督自身もこの言葉を意識して撮ったと語っており、まさに“奇妙の原点回帰”。
何気ない日常が、ほんの一歩で異世界に変わる──その瞬間の“静寂の恐怖”が丁寧に描かれている。
川口春奈の演技の最大の魅力は、“狂気を叫ばない”こと。
恐怖を声に出さず、涙の代わりに瞳で伝える。
その繊細な演技が、視聴者の想像力を刺激し、より深い恐怖を生む。
恋人に知られたくない記憶。忘れたい過去。誤魔化してきた本音。
『あなた博物館』が突きつけるのは、「最も怖いのは、他人ではなく自分自身」という真実だ。
この物語を観終えたあと、あなたはきっとスマホのアルバムを開けなくなる。
記録も記憶も、もう一度、見直したくなる。
それこそが、“奇妙”の力なのだ。
新作3「七階闘争」伊藤淳史主演、“七階”に生きる人々の抵抗と絆
エレベーターの数字が「6」から「8」に飛んでいたら──。
それが単なる故障ではなく、“国家の命令”だったとしたら。
『七階闘争』は、社会の歪みを「階層」という象徴に置き換えた、現代的かつ風刺的な奇妙ドラマだ。
伊藤淳史が主演を務め、平凡な市民が不条理な権力に立ち向かう姿を描く。
あらすじ:国家に奪われる“生活の階層”
物語の舞台は、どこにでもある中層マンション。
会社員・森崎北斗(伊藤淳史)は、いつものように「七階」の自宅に帰る途中、役所職員から突然の退去命令を受ける。
理由は、“全国で七階を撤去する”という政府決定。
全国各地の七階部分で不可解な事故が続発している──それが「七階撤去令」の根拠だという。
だが、住民にとって七階は生活の一部であり、記憶の積層そのもの。
「ここを取り壊すなんて、私たちの人生を削るのと同じだ」
森崎は同じ階の住民たちと共に、“七階死守”を掲げた市民グループを立ち上げる。
その中心には、無口だが情熱的な同僚・並川希(与田祐希)の姿があった。
やがて、彼らの抵抗はSNSで話題になり、全国の“七階市民”が連帯を始める。
しかしその動きは、政府にとって不都合な“奇妙な波紋”を生む。
そしてある日、リーダーの一人(西田幸治)が拘束されたことで、闘争は一変する。
七階に住むという“普通のこと”が、やがて国家を揺るがす抵抗運動に変わっていくのだ。
キャストと見どころ:不条理に抗う“市民たちの奇妙な連帯”
主演の伊藤淳史が演じる森崎は、どこにでもいるサラリーマン。
特別な勇気も力もない男が、愛着のある自宅と生活を守るために立ち上がる。
その姿は、“常識の中で非常識を選ぶ勇気”を象徴している。
並川希を演じる与田祐希は、静かな中に強さを秘めた存在感を発揮。
彼女が放つ「誰かが残らなきゃ、全部なくなるんだよ」というセリフは、物語の核心そのものだ。
また、笑い飯の西田幸治が市民運動のリーダーを怪演。
理性と狂気の境目を行き来する演技が、ドラマ全体に“奇妙な熱”を注ぐ。
原作は三崎亜記の小説『廃墟建築士』所収の短編。
社会構造と人間の記憶を結びつけた独特の世界観を、脚本・相馬光が現代的に再構築している。
演出はアベラヒデノブ(BABEL LABEL)。
彼の映像はドキュメンタリーのようにリアルで、“存在が消されていく恐怖”を淡々と映し出す。
特筆すべきは、舞台設定の巧みさだ。
七階という数字には、人間の社会的階層や精神的段階を暗示する寓話性がある。
政府が「七階」を撤去するという設定は、権力が個人の生活領域を奪う現代社会の皮肉でもある。
この作品では、廊下の蛍光灯が一本ずつ消えるシーンが象徴的だ。
照明が消えるたびに、“一人の存在が消えていく”ように感じられ、視覚的な恐怖と社会的メッセージが重なる。
伊藤淳史は、「森崎は普通の人間。でも、普通の人間が声を上げるとき、物語は始まる」とコメント。
その言葉の通り、本作はヒーローの物語ではない。
“普通の生活を守るための闘い”が、いかに尊く、いかに奇妙かを描いている。
クライマックスでは、撤去寸前の七階で、住民たちがろうそくの光を囲み歌を歌う。
それは抗議でも叫びでもなく、ただの生活の証。
その静けさの中に、彼らの強さが宿っている。
『七階闘争』は、“奇妙”を通して“現実”を見せる。
私たちの暮らす社会もまた、どこかで誰かの「七階」を壊しているのかもしれない。
見終えたあと、あなたは階段を上るたびに考えるだろう。
自分の足元にある“階層”は、本当に安全だろうか。
傑作選「ハッピーバースデー・ツー・マイホーム」役所広司が演じる“父と子の再生”
“奇妙”の中にある“やさしさ”。
それがこの物語の根底に流れるテーマだ。
『世にも奇妙な物語 35周年SP・2025秋』のラストを飾るのは、1991年放送の名作「ハッピーバースデー・ツー・マイホーム」。
34年の時を経て蘇る本作は、恐怖ではなく“赦し”を描く異色の奇妙譚である。
あらすじ:34年ぶりに蘇る“静かな奇跡”
主人公・坂口(役所広司)は、郊外に新築の一軒家を購入し、妻(岩崎良美)と娘と共に新生活を始めたばかり。
平凡だが穏やかな時間──その中で、彼はふと父親(河原崎建三)の遺品のスケッチブックに目を留める。
そこには、購入したばかりの新居の外観が描かれていた。
まだ誰も知らないはずの家が、なぜ父の手で描かれていたのか。
さらに、姉夫婦から届いた古いテーブルをリビングに置いた夜、坂口は違和感を覚える。
そのテーブルの“あの席”には、かつて父がいつも座っていた。
家族の笑い声が響く中で、坂口の心は徐々に揺れ始める。
やがて迎える新築祝いの夜。招待客は誰も来なかった。
静かな食卓にひとり座る坂口の前に現れたのは──死んだはずの父だった。
それは恐怖ではなく、再会の瞬間。
言葉を交わすうちに、長年心に刺さっていた“あの日の後悔”が溶けていく。
奇妙な夜の中で、坂口はようやく“父を許し、父に許される”瞬間を迎えるのだ。
キャストと見どころ:奇妙の中に宿る“家族愛のぬくもり”
主演の役所広司が見せるのは、声を荒げることのない静かな演技。
わずかな沈黙と視線の動きだけで、父への葛藤と愛情を表現する。
その演技は、“感情を言葉でなく空気で伝える”という俳優としての真骨頂だ。
妻役の岩崎良美が見せる柔らかな包容力、父役の河原崎建三の温かい存在感。
全員が“静かな芝居”で支え合うことで、作品全体がひとつの音楽のようなリズムを奏でている。
脚本は『踊る大捜査線』シリーズで知られる君塚良一、演出は番組初期から携わる落合正幸。
この黄金コンビが再びタッグを組み、34年越しの再生劇を紡ぐ。
落合監督は、「親になった今だからこそ描ける父の想いがある」と語る。
奇妙な設定の裏側に流れるのは、“家族の時間は二度と戻らない”という現実の痛みだ。
だが、その痛みの中にこそ、赦しと再会の希望がある。
本作が再放送されるたびに、SNSでは「涙が止まらない」「これだけは何度観ても泣ける」という声があふれる。
『世にも奇妙な物語』における「恐怖」の定義を広げた作品として、ファンの間でも特別な位置を占めている。
エンディングでは、父と息子がグラスを交わす。
照明は落ち、音楽も止む。
残るのは、ふたりの間に流れる“無音の対話”だけだ。
その沈黙こそが、“奇妙”という言葉の本当の意味を教えてくれる。
それは不気味でも恐怖でもない。理解できないほど深い「愛」のかたちだ。
『ハッピーバースデー・ツー・マイホーム』は、時を超えて語り継がれる“優しさの奇妙”。
再会も赦しも、説明できないほどの奇跡でできている。
そしてこの夜、35年の時を超えて、私たちは再び“家”という原点に帰る。
35周年を迎えた『世にも奇妙な物語』が映す“今”の時代性
“奇妙”という言葉が、これほど現実に近づいた時代はない。
スマホが記憶を記録し、AIが感情を再現し、SNSが人の運命を左右する──。
2025年の『世にも奇妙な物語』が描く恐怖や感動は、もはや空想ではなく“現実のすぐ隣”にある。
35周年という節目に放送される今作は、時代の変化をまるごと映し出す“鏡”のような特別編だ。
35年で変わった“奇妙”の形──社会とテクノロジーの影響
1990年代初期、『世にも奇妙な物語』は「日常に潜む非日常」を描くことで話題を呼んだ。
しかし2020年代の今、私たちは“奇妙”そのものの中で生きている。
誰もがスマホを通じて他人の生活を覗き、AIが創作し、現実と虚構の境界が曖昧になる世界。
シリーズが追いかけてきたテーマが、時代の進化と共に“現実化”したのだ。
今回のSPでは、「止まらなければ生きられないゲーム」が競争社会の象徴として描かれ、
「あなた博物館」がデジタル記憶社会の自己暴露を投影し、
「七階闘争」がシステムに支配される社会構造の風刺を突きつける。
そして、「ハッピーバースデー・ツー・マイホーム」が、喧騒の時代に失われた“家族の温度”を取り戻す。
つまり4作すべてが、「現代社会が抱える不安」をそれぞれ異なる角度で照らしている。
これは単なるエンタメではなく、35年の歩みを通じて“奇妙”という概念が社会の変化を記録してきた証だ。
演出や映像技術の進化も顕著だ。
AI生成映像や国際共同制作など、制作手法そのものが新しい“奇妙”を生んでいる。
たとえば山田涼介主演作では韓国の映像チームが参加し、海外ドラマのような緊張感が漂う。
一方で、川口春奈主演作のように“静”を主軸にした演出も復活。
この新旧の融合こそが、35周年を象徴している。
“非日常”がリアルに近づく現代におけるシリーズの意義
今、“奇妙”はもう他人事ではない。
むしろ私たちは、常に自分の周囲にある“違和感”を感じながら生きている。
日々の仕事、SNS、ニュース──そのどれもが、どこか現実離れしているのだ。
そんな時代に『世にも奇妙な物語』が存在する意味は、「自分の現実を見つめ直すための物語」として機能することにある。
奇妙な世界を通して見えてくるのは、恐怖や不条理だけではない。
そこには、現代人が抱える孤独・疲労・愛の欠乏といった“生の感情”が息づいている。
だからこそ、観終えたあとに感じるのは「怖い」よりも「考えさせられる」だ。
ストーリーテラー・タモリの存在もまた重要だ。
彼は視聴者と作品世界の“境界”を守る門番のような存在であり、
混乱する時代の中で「奇妙と現実の間に立つ案内人」として機能している。
タモリが画面越しに語りかける一言で、私たちは「これはまだ物語だ」と安心し、同時に「これが現実かもしれない」と背筋が冷たくなる。
35年続いた理由は、その“曖昧さ”にある。
現実と幻想の境界が薄れていく現代において、『世にも奇妙な物語』は常にその狭間を描き続けてきた。
それは単なるホラーではなく、社会のドキュメントであり、感情のアーカイブでもある。
35年目の奇妙は、恐怖の進化ではなく“意味の深化”。
そして、この節目の特別編は、視聴者一人ひとりにこう問いかける。
「あなたの現実は、本当に現実ですか?」
『世にも奇妙な物語 35周年SP・2025秋』を見逃さないためのポイント
この特別編は、録画すればいい──そう思う人もいるだろう。
けれど『世にも奇妙な物語』は、リアルタイムで“体験する”ことに意味がある。
タモリの一言が放たれた瞬間、SNSがざわつき、視聴者のタイムラインに「奇妙」が感染していく。
それはドラマではなく、まさに“生きた物語”の共有体験だ。
録画・リアルタイム視聴のすすめ
今回の放送は、2025年11月8日(土)21:00〜23:10。
前述の通り、FODなどの見逃し配信は予定されておらず、TVerなど他サービスでも配信情報は出ていない。
つまり、この夜が“唯一のチャンス”。
録画も有効だが、できる限りリアルタイムで視聴することをおすすめする。
理由は二つある。
- ① SNS上でリアルタイムの反応を共有できる
- ② タモリの語りやCM前後の演出が“生のリズム”で機能する
シリーズファンなら分かるだろう。
タモリの一言が流れるタイミング、BGMの切り替え方、CM明けの“間”──それらが絶妙なテンポで緊張と緩和を織り成している。
録画では再現しづらいその“間の妙”こそ、『世にも奇妙な物語』の隠れた芸術だ。
また、リアルタイム視聴をすると、過去作を知るファン同士がSNS上で“伏線回収大会”を始める。
「あの小道具、昔のエピソードと同じじゃない?」「タモリのセリフ、1995年版のオマージュだよね」──。
そんな瞬間に立ち会うことこそ、35周年という記念放送を共有する最大の醍醐味だ。
シリーズファンが注目すべき細部の演出と伏線
今回の特別編には、シリーズ初期へのオマージュが随所に散りばめられている。
たとえばオープニング映像の色調は、1990年代版のフィルムトーンを意識したもの。
また、ストーリーテラー登場前の「奇妙な街角」シーンでは、過去作に登場した建物や小道具がちらりと映る。
制作陣が仕掛けた“記憶のトリガー”だ。
演出面では、音と静寂の対比にも注目したい。
最新作では、サウンドデザインにASMR的な質感を導入しており、足音や呼吸、衣擦れまでもが恐怖を増幅させる。
特に「あなた博物館」の展示室シーンでは、無音と微音が交互に現れることで、観る者の想像を刺激する設計になっている。
また、35周年SPならではの“メタ構造”も見逃せない。
タモリがナレーションで語る「あなたの物語かもしれませんね」という一言。
これは単なる決め台詞ではなく、今回の4編すべてに通底するテーマ──“奇妙さはすでに私たちの中にある”──を提示している。
だからこそ、視聴中は一瞬の静寂や背景の違和感を見逃してはいけない。
カットの中に潜む仕掛け、照明の色、登場人物の“視線の動き”。
それらすべてが“奇妙”の一部であり、制作者たちのメッセージなのだ。
録画をするなら、ぜひ二度見てほしい。
一度目は感情で、二度目は構造で。
その瞬間、あなたもこの“奇妙な世界”の一員になる。
11月8日(土)21時──テレビの前に座る準備はできたか。
“この夜限り”の奇妙を、見逃す理由はどこにもない。
『世にも奇妙な物語 35周年SP・2025秋』まとめ|“この夜限り”の奇妙な体験を
35年という月日を経ても、このシリーズが終わらない理由。
それは“奇妙”が、時代と共に姿を変えながらも、人間そのものを描き続けているからだ。
2025年秋、この特別編は再びその原点に立ち返り、「今の時代に必要な奇妙」を静かに提示する。
豪華キャストと進化する物語世界の融合
今回のSPは、新作3本+傑作選1本という構成。
山田涼介、川口春奈、伊藤淳史、役所広司──。
日本ドラマ界を代表する俳優たちが一夜に集結すること自体が“奇跡”だ。
彼らが演じるのは、モンスターでも英雄でもない。
どこにでもいる人間たちだ。
借金に追われる男。愛を見失う恋人。不条理に抗う市民。そして、父を思う息子。
その誰もが、「自分もこうなるかもしれない」というリアルさを持っている。
作品群を貫くテーマは「境界の崩壊」。
現実と虚構、生と死、愛と憎しみ──それらの境界が溶けていく瞬間、物語は“奇妙”に変わる。
この35周年SPは、まさにその境界線を再定義するために作られたといっていい。
技術的にも進化している。
映像には最新のHDR演出が取り入れられ、闇の深さと光の柔らかさが共存。
過去作の懐かしい質感と、現代の精密な映像表現が共鳴する。
“奇妙”の進化は、物語だけでなく映像そのものの体験にまで及んでいる。
リアルタイムで味わう、“奇妙な扉”が開く瞬間
『世にも奇妙な物語』の真価は、視聴者一人ひとりの中にある。
怖いと感じるか、泣くか、考えるか──それは見る人の“現実”によって変わる。
だからこそ、このシリーズは常に「参加型のドラマ」だ。
タモリの「ようこそ、奇妙な世界へ」という一言で、リビングは物語の入口に変わる。
その瞬間、視聴者は“見ている側”ではなく“体験している側”になる。
SNSでの実況、家族との会話、独りの沈黙──どんな形であっても、それは共有された“奇妙”の一部だ。
35年の時を経て、番組は進化した。
だが、根底にあるのは変わらない。
「人間とは何か」を問うその姿勢こそが、すべての奇妙を貫く軸なのだ。
そして、この夜の物語たちは問いかける。
あなたの生きる世界に“奇妙”はないか?
当たり前に思える一日が、ほんの少しズレた瞬間、そこに物語が始まる。
11月8日(土)21時。
あなたの目の前にも、“奇妙な扉”が静かに開く。
それはテレビではなく、あなた自身の現実の中に。
どうか、その瞬間を逃さないでほしい。
それこそが、“この夜限り”の奇妙な体験なのだから。
- 『世にも奇妙な物語 35周年SP・2025秋』は11月8日(土)夜9時放送!
- 新作3本+傑作選1本の豪華構成で届ける特別編!
- 山田涼介・川口春奈・伊藤淳史・役所広司らが主演!
- 「止まらなければ生きられないゲーム」など4話を詳細解説!
- 現代社会の不安や愛を映す“今の奇妙”がテーマ!
- 見逃し配信は予定なし、リアルタイム視聴が必須!
- 過去作へのオマージュや細部の演出にも注目!
- 35年の進化と原点が交わる“一夜限り”の奇妙体験!




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