ラムネモンキー最終話ネタバレ感想 公安より怖いのはキンポーだ

ラムネモンキー
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終わった。ちゃんと終わった。なのに、拍手だけでは閉じられない。

マチルダは生きていた。その一点だけ見れば救いだし、ご褒美みたいなラストでもある。けれどその裏で、人骨を埋めるやつがいて、警察は振り回され、燃え残った悪はきっちり残ったまま。だからこの最終話、ただの大団円では済まない。

笑わせて、泣かせて、最後に薄くぞわつかせる。その手つきがいやにうまい。救済の顔をした物語の奥で、善意と狂気の境目がずっとぬめっていた。

この記事を読むとわかること

  • マチルダ生存エンドが残した救いと苦み!
  • 公安より怖かった人骨トリックの異様さ!
  • 止まっていた青春と約束を回収する結末!

マチルダは生きていた、それでも全部は晴れない

いちばん大きかったのは、真相そのものより「ちゃんと生きていた」の一撃だった。

失踪の謎をほどいていく終盤で、視聴者が本当に欲しかったのは犯人当ての正解だけじゃない。あの人がこの世界のどこかで息をしているのか、その一点だった。

だから白髪の後ろ姿だけを置いて終わるやり方は、もったいぶっているようでいて、実はかなり誠実だ。見せすぎないからこそ、あの再会の温度が勝手に膨らむ。

白髪の背中だけで成立した最高の救い

顔を見せない。説明しすぎない。けれど、もう十分に伝わる。その引き算がうまかった。白髪の女性が立っている、それだけで空気が変わる。しかもエンドロールに戸田恵子の名前まで置かれたら、ああ生きていたんだなで終わらせるしかない。派手に泣かせに来る演出ではないのに、胸の奥を持っていく力だけは異様に強い。長いこと“死”として処理されていた存在が、最後の最後で“人生を続けていた人”に戻る。その反転がえげつないほど効く。

しかも良かったのは、感動を安売りしなかったことだ。抱き合う再会もなければ、事情説明の長台詞もない。ただ、こちらが勝手に補完する余白だけを残す。あれでいい。いや、あれじゃないとダメだ。マチルダは最初から、誰かの都合よく回収される記号じゃなかった。失踪の中心に置かれながら、ずっと人格のあるひとりの人間だった。その人が最後に“後ろ姿”として立ち上がるから、神々しいほどの実在感が出る。

.顔を見せないのに、ここまで「帰ってきた」が伝わるのは反則。安い奇跡じゃなく、長い時間を生き延びた人の重みがちゃんとあった。.

生存エンドなのに胸の底がざらつく理由

ただ、ここを無邪気にハッピーエンドと呼び切れないのも、このドラマの性格だ。マチルダが生きていた。それは救いだ。だが同時に、殺されかけた事実は消えないし、火災で命を落とした人間も戻らない。さらに厄介なのは、悪意の芯にいた側が全部きれいに裁かれたわけでもないことだ。だから視聴後の気分が妙にざらつく。助かった、良かった、で終わるには、置いてきた痛みが多すぎる。

そのざらつきを決定づけたのが、救出劇の中身だ。沼に沈められかけ、蘇生され、新しい身分を与えられて、生き延びるために存在そのものを消す。やっていることは保護でも、手触りはかなり物騒だ。助かったのに怖い。ここがこの作品のいやらしいほど上手いところで、救済と恐怖を同じ場面に同居させている。だからラストの後ろ姿がただのご褒美カットで終わらない。生き延びた時間の長さ、背負わされた沈黙、その全部があの背中に乗って見える。

ここで効いたもの

  • 生存そのものが最大の救いになっていたこと
  • 救われ方が穏やかではなく、ずっと不穏を引きずっていたこと
  • だから最後の後ろ姿が、希望だけでなく時間の重みまで背負って見えたこと

きれいに終わらせるだけなら、もっと簡単な方法はいくらでもあったはずだ。それでも甘く閉じなかったから、この結末は強い。救いはある。だが、傷まで消えた顔はしていない。その半端じゃなさが、むしろ信用できる。

いちばん怖かったのは公安じゃない

終盤で「公安」の二文字が出た瞬間、物語の色が一段階変わる。

裏で国家権力が動いていたのか、という広がりはたしかにある。けれど、見終わったあとに本気で背筋が冷えた相手はそこじゃない。

もっと近いところにいる。もっと雑に笑っていて、もっと普通の顔で一線をまたいでいる。だから怖い。権力の闇より先に、人骨を持ち込む男の無邪気さが勝ってしまう。

人骨とボールペンを埋める発想がもう危ない

菊原紀介がやったことは、悪ふざけでは済まない。マチルダの骨と見せかけるために人骨を埋め、ボールペンまで用意して、失踪の輪郭を“死”に寄せる。発想の時点で危ないし、実行している時点でもっと危ない。しかも本人の口ぶりがまた厄介で、「最後にマチルダのことを調べたかった」と来る。そこに罪悪感の震えが薄い。重たいことをしている自覚が、あまりに軽い。だから笑えない。視聴者が一瞬ドン引きして、そのあとじわじわ怖くなるのは、単純に行為が異常だからだけじゃない。異常なことを、妙に素朴な熱量でやってのける人間だからだ。

しかも最悪なのは、これが物語を前進させる側の行動として置かれている点だ。普通なら敵がやる。もしくは露骨な裏切り者がやる。それを、長い時間を共有してきた側の人間が平然とやる。そのねじれが効きすぎている。仲間だから安心、善意だから免罪、そんな単純な整理をまるで許してくれない。善意と執念と独善が、ひとつの顔に同居している。だから見ている側は感動と恐怖を同時に食らう。マチルダを追い続けた熱そのものは本物だろう。だが、本物の熱が必ずしも健全とは限らない。そこを一切ごまかさなかったのが、この着地の強さだ。

「調べたかった」で飲み込める一線はとっくに越えている

本当に怖いのは、本人の中では全部つながっていることだ。病気もした。人生の残り時間も意識した。守れなかった映画もある。だから最後に真相へ触れたかった。その気持ちの線だけ抜き出せば、わからなくもない。むしろ切実だ。だが、切実さは免罪符にならない。人骨を埋める、人を振り回す、捜査まで混線させる。そこまで行った時点で、もう「必死だったんだよね」では通せない。目的が情であっても、手段が壊れていたら十分に怖い。

鶴見巡査が単独で掘り続ける羽目になったのも象徴的だ。あの人骨のせいで、本来見えるはずの景色がぐちゃぐちゃになる。つまり紀介の暴走は、物語の外側で言えば視聴者を驚かせるギミックだが、内側で起きていることとして見ると、れっきとした“迷惑”であり“攪乱”だ。ここを笑いだけで流してしまうと、このドラマの毒を読み落とす。面白い。だが、同時に危険。愛嬌がある。だが、近くにいたくはない。そういう複雑な感情を呼び起こす人物に仕上がっていた。

.国家権力の不気味さより先に、「人骨を埋めてでも真相に近づきたい」と思える個人の執念のほうが生々しい。遠い闇より、近くの狂気のほうがよほど怖い。.

そして厄介なのは、その狂気が物語を壊していないことだ。むしろ妙に馴染んでいる。笑える場面として滑り込ませながら、後味だけはきっちり濁す。そのぬめりが最後まで消えない。だから公安の情報が出ても、印象の中心はそちらに持っていかれない。結局いちばん怖かったのは、肩書きでも組織でもなく、善意の顔で常識を踏み抜ける人間そのものだった。

あの3人は、ようやく青春の続きを撮れた

結末のいちばん美しいところは、事件が解決したことだけじゃない。

あの3人がようやく、途中で止まった時間に自分の手で触れ直せたことだ。恩師を守れなかった悔いも、映画を完成させられなかった無念も、何十年も胸の奥で腐りかけていた。

それを年を取った男たちが、みっともなく、必死に、でもちゃんと拾いにいく。その姿がたまらなく良かった。青春は終わったものじゃなく、止まったまま置いてあっただけだった。

守れなかった約束を今さらでも拾いにいく強さ

若い頃に果たせなかった約束は、たいてい美化されるか、黒歴史として封印される。そのどちらでもなく、あの3人はちゃんと現実の泥の中に手を突っ込んだ。マチルダをめぐる真相を追うことは、単なる謎解きではなく、自分たちが取りこぼした時間の回収だった。だから母の記憶が戻った場面も、情報開示の装置として見たらもったいない。あれは止まっていた人生の歯車が、ようやくギギギと音を立てて動き出す瞬間だった。暴力団に下剤を飲ませる、潜水道具を借りる、サーチライトで合図する、沼に落ちたマチルダを助ける、新しい身分証を渡す。やっていることはかなり無茶だし、笑って受け取るには危なすぎる。それでも、その段取りの一つひとつに“守りたかった”が詰まっていた。

しかも良いのは、彼らがもう若くないことだ。若さの勢いで突っ走る話ではない。失敗も後悔も引きずったまま大人になった男たちが、いまさら何になるんだと思いながら、それでも動く。その遅さがいい。時間が経ちすぎているからこそ、そこにある執念が軽く見えない。ユンとチェンが父親のフリをする場面ひとつ取っても、笑える仮装コントのようでいて、実際には“今度こそ守る側に回る”という意志表明になっている。昔は何もできなかった。だが今は違う。その不器用なリベンジが、妙に胸に刺さる。

ラストを“映画の続き”で締めたのがあまりにきれいだ

真相が明かされたあと、普通ならそこで終わる。だがこの物語は、そこで終わらせずに撮影へ戻る。ここが本当にうまい。白馬を交えた4人が映画の続きを撮る。その行為が、事件の後始末以上の意味を持っていた。マチルダを守れなかった過去に対して、もう一度カメラを回す。それは作品づくりであると同時に、人生の編集し直しでもある。失った時間は消えないが、止まった場所からもう一度動かすことはできる。その希望を、説教臭くなく、ちゃんとドラマの動きとして見せ切った。

ここが効いた

  • 真相解明で終わらず、創作へ戻ることで物語が“生き直し”になったこと
  • 守れなかった記憶を、完成できなかった映画に重ねて回収したこと
  • 若さのきらめきではなく、遅れてきた執念として青春を描いたこと

しかも“青春の続き”という言葉が浮かぶのは、彼らが若返ったからではない。むしろ老いも後悔も抱えたまま、なお手を伸ばしたからだ。そこにあるのはキラキラした懐古ではない。もっと重くて、もっと不格好で、だからこそ信用できる再出発だ。ガンダーラにもう集まることはない、そう言いながら、結局いちばん大事なものはそこで取り戻してしまった。終わった場所が、最後にやっと始まりの場所へ戻る。そのねじれた美しさが、この着地をただの感動話で終わらせなかった。

.若い日に取りこぼしたものを、老けた手で拾いにいく。その姿が情けなくて、尊くて、やたら泣ける。青春は眩しさじゃない。諦めなかった執念のほうに宿る。.

八郎、お前ただのアホじゃなかったのか

終盤でいちばん「そこでそれ出すのか」となったのは、犯人の名前でも新しい死体でもない。

八郎がさらっと差し込んだ「公安部って知っているか?」のひと言だ。あれで景色が変わった。いままで泥くさい失踪事件として追っていたものに、急に別の照明が当たる。

しかも厄介なのは、そのカードを切ったのが、こちらがずっと“アホ枠”として見ていた男だということだ。間抜けに見える顔の奥で、別の回路がずっと動いていた。その気配に気づいた瞬間、笑っていた空気が一段冷える。

公安のひと言で景色がひっくり返る

八郎が真犯人として自供した、その流れだけでも十分に怪しい。なのに鶴見巡査が掘ろうとすると横槍が入る。ここまでは、まあ警察組織の中にも面倒な事情があるのだろう、と受け取れる。だが「公安部」という固有名詞が出た瞬間、話の筋肉が変わる。単なる事件のもみ消しや地域のしがらみではなく、もっと見えにくい力が背後にいたかもしれないという想像が一気に立ち上がる。マチルダ失踪は、誰か個人の怨みだけで片づく話ではなかったのかもしれない。あのひと言は、真相を広げる鍵であると同時に、物語の足元をぬるりと不穏にする毒でもあった。

何よりうまいのは、公安ネタを前面に押し出しすぎないことだ。ここで急に巨大陰謀ものへ舵を切ったら、作品全体の体温が変わってしまう。だが実際には、国家権力の気配をちらっと見せるだけで終える。その“全部は言わない”加減がいい。視聴者の頭の中にだけ、うっすらとした闇が残る。見えている範囲の人間ドラマは完結した。それでも、見えていないところでは何か別の論理が動いていたかもしれない。この余り方が、ラストの後味を妙に深くしている。

鶴見巡査にだけ次の物語が残された

このパートで地味に効いていたのは、鶴見巡査の立ち位置だ。人骨の件で振り回され、単独で掘り続け、ようやく何かの尻尾をつかみかけたところで、上から押し返される。あまりにも“末端の正義”の顔をしている。大物でもなければ、超有能な切れ者として描かれているわけでもない。だが、だからこそいい。現場でおかしいものをおかしいと感じてしまった人間だけが背負うしんどさが、あの巡査にはあった。事件の中心にいた3人が青春と約束を回収していく一方で、鶴見だけはまだ回収できていない。むしろ、これから先も引きずる側に置かれている。

この配置がうまい

  • 3人は過去の清算へ向かう
  • 白馬は今を受け止めて前へ進む
  • 鶴見だけは「何かがおかしい」を抱えたまま取り残される

つまり、希望と救済が強いラストの中で、鶴見巡査だけが未解決の温度を持ち続けている。これがすごく大事だ。全員が納得して終わったら、物語はきれいすぎる。だが実際には、世の中の事件も真相も、そんなふうに全員の手元で均等に片づいたりしない。誰かは救われ、誰かは腑に落ちず、誰かはその後も調べ続ける。その偏りがあるから、この結末は妙に生っぽい。

.八郎の正体に驚いたというより、鶴見巡査だけがまだ“物語の外側の現実”を背負わされた感じが刺さる。きれいに終わったようで、ひとりだけ終われていない。そこが妙に本物っぽい。.

アホだと思っていた男が、別の顔を持っていた。その驚きだけで終わらず、真面目に掘った人間だけが置き去りにされる。その苦さまで含めて、この一連のくだりはかなり効いていた。

大団円と呼ぶには、火の粉がまだ落ちている

たしかに救いはあった。マチルダは生きていたし、3人は止まっていた時間に触り直せた。

けれど、そのぬくもりだけで包んでしまうには、置き去りになったものが多すぎる。拍手したくなる気持ちはあるのに、手のひらのどこかが熱くならない。

この結末が妙に信用できるのは、幸福のふりをしながら、ちゃんと燃え残りを見せているからだ。火は消えていない。見えにくいだけで、まだそこにある。

何の罪もない死が置き去りのまま終わっていないか

いちばん見過ごせないのは、前田美波里が演じた大富豪の死だ。物語の終盤はどうしてもマチルダの生存と、3人の再生に視線が集まる。だが、その陰で火災によって命を落とした人間がいる。この一点は、きれいな感動の流れに乗せて薄めてはいけない。マチルダが助かったから全部よし、にはならない。助からなかった命がある以上、結末の色は必ず少し濁る。その濁りを視聴者がちゃんと感じ取れる作りになっていたのが、このドラマの良心でもある。

しかも厄介なのは、その死が単なる“悲劇の添え物”として処理されていないことだ。誰かの人生の都合で、別の誰かの人生が燃えて終わる。その不条理は、ミステリーの駒としては重すぎる。だから本来なら、もっと裁かれなければならないものがあるはずだ、とこちらは思ってしまう。ハッピーエンドと呼びたい気持ちが湧けば湧くほど、亡くなった人間の不在が大きく見えてくる。この構造がえぐい。救われた人の光が強いほど、救われなかった側の影も濃くなる。そこから目を逸らさせなかったのは立派だった。

計画した側が捕まっていない苦さはちゃんと苦い

もうひとつの引っかかりは、マチルダ殺害を計画し、実行に移した側が、全部まとめて断罪されたわけではないことだ。ここが実にいやらしい。ドラマとしては真相が見えた。感情としても一定の決着はついた。なのに、法と報いのレベルではすっきりしていない。つまり、視聴後の満足感と、倫理的な納得が少しずれている。そのずれが後味としてずっと残る。気持ちは前へ進んでいるのに、現実の汚れだけはそこに残ったまま。これがあるから、この結末は甘口にならない。

大団円と言い切れない理由

  • 助かった人がいる一方で、戻らない死が残っている
  • 悪意の中心にいた側が、きれいに裁かれたわけではない
  • 感情の決着と現実の決着が、同じ場所に着地していない

この“全部は回収しない”終わり方は、人によってはもやもやするはずだ。だが、そのもやもやこそが価値だったとも言える。現実の事件だって、被害と加害と責任が、視聴者にとって気持ちいい形で一直線に並ぶことは少ない。誰かが救われても、別の誰かの痛みは消えない。誰かが前を向いても、裁かれないまま逃げ切るものがある。その不均衡を、この物語は最後にちゃんと残した。

.泣けたし、救われた感じもある。なのに「よかったね」で締めると何かを踏みつける気がする。この居心地の悪さを残したのは逃げじゃない。むしろ誠実だ。.

だからこそ、この結末は記憶に残る。全部救ってしまう物語より、救いの輪郭の外にある痛みまで見せた物語のほうが、長く刺さる。大団円の顔はしている。だが、足元にはまだ火の粉が落ちている。その熱まで含めて、かなりいい終わり方だった。

この最終話、泣けるのに妙に物騒だ

感動した。そこは間違いない。けれど、しみじみ泣けたと言い切るには、混ざっている成分がどうにも危ない。

再会の気配があり、約束の回収があり、長年の悔いにひとつの答えが出る。その並びだけ見れば、きれいな終幕だ。なのに視聴後の胃のあたりに、少しざらついたものが残る。

なぜか。理由は単純で、この物語は最後まで善意だけで世界を塗らなかったからだ。助けるための嘘、守るための暴走、救済の顔をした無茶。その全部が混ざっている。だから泣けるのに、妙に物騒だ。

感動の直後に不穏を差し込むバランスがうますぎる

この着地がうまいのは、感動の純度をわざと下げているところだ。普通なら、マチルダ生存の余韻をもっと気持ちよく引っぱる。3人の再生をもっと明るく見せる。だが、そうしない。人骨騒ぎの不気味さも、公安の気配も、沼に沈められる恐怖も、全部きっちり残したままラストへ行く。つまり視聴者は、泣きながら同時に「ちょっと待て、やってること相当ヤバいぞ」と思わされる。その二重底が強い。感情の上澄みだけをすくわせず、底に沈んだ毒まで一緒に飲ませる。だから見終わったあと、単なる感動作として整頓できない。

とくに効いていたのは、救出の過程にある生々しさだ。マチルダを守るためとはいえ、暴力団に下剤を飲ませる、潜水道具を借りる、サーチライトで合図する、沼から引き上げて蘇生する、新しい身分を与えて存在を消す。文字で並べると、やっていることがだいぶ危ない。保護と言えば聞こえはいいが、本人の恐怖を想像すると全然ロマンチックではない。助かったから美談、にはならない荒さがある。その荒さを消さないまま、最後の後ろ姿を希望として成立させたのだから、かなり高度な綱渡りだ。

しかもその不穏は、嫌なノイズとして浮いていない。ちゃんと作品の体温になっている。笑いながら見ていた場面が、あとから思い返すと少し怖い。泣けた場面を反芻すると、その背後に雑味が見えてくる。この“感情の遅効性”があるから、視聴後もしばらく頭から離れない。ただ泣いた、ただ驚いた、では終わらない。感動のあとに遅れてくる不穏が、作品全体を一段深くしていた。

やさしさと悪趣味が同居した終わり方にしびれた

この物語の面白さは、やさしい話になろうとしているのに、そのやさしさが少し歪んでいることだ。誰かを守りたい気持ちは本物だ。約束を果たしたい気持ちも本物だ。だが、その本物の情熱が必ずしも清潔ではない。人骨を埋める男がいて、捜査はかき回され、真相には国家の影までちらつく。にもかかわらず、最後には映画を撮る場所へ戻っていく。この並びは普通なら破綻する。だが破綻しない。なぜかといえば、この作品は最初から“善人だけの世界”ではなかったからだ。みんな少しずつ変で、少しずつ危なっかしくて、それでも誰かを思っている。その歪さが最後に全部出た。

刺さった理由

  • 救済の場面に、恐怖や後味の悪さをわざと残していたこと
  • 優しさだけで終わらず、人間の危うさを最後まで消さなかったこと
  • その歪な成分ごと抱えてなお、希望に見える結末へ着地したこと

つまり、この終わり方は上品ではない。少し悪趣味だし、少し乱暴だし、感動の混ぜ物としては危険な成分が多い。だが、そこがいい。整いすぎた最終回は、その場で拍手されても案外すぐに忘れられる。けれど、泣けるのに気持ち悪い、救われたのに引っかかる、そういう終わり方は長く残る。人の心に残るのは、きれいな正解より、感情の中でまだ揺れているものだ。

.優しい話を見せられたはずなのに、指先に少しだけ泥がつく。この感触がたまらない。清潔な感動じゃなく、人間の匂いがする終わり方だった。.

泣ける。それでも物騒だ。この矛盾を矛盾のまま成立させたから、凡庸な感動ドラマに落ちなかった。最後の最後まで、ちゃんと変で、ちゃんと危なくて、ちゃんと忘れがたい。

ラムネモンキー最終話の答えは、救い切らない優しさだった

結局、この物語が最後に置いた答えは、全部きれいにしてやるという乱暴な救済じゃない。

助かった人もいる。間に合わなかったものもある。罪が見えたのに、全部が裁かれるわけでもない。それでも人は前へ進くしかない。その不揃いさを、不揃いなまま抱えた終わり方だった。

だから強い。涙をくれるのに、都合のいい夢には逃がさない。やさしいのに甘くない。このドラマが最後まで信用できたのは、その中途半端の扱いがうまかったからだ。

全員を完全には助けないからこそ残る余韻

視聴後に残るものを一言で言うなら、回収の快感ではなく、救いの輪郭だと思う。マチルダは生きていた。3人は守れなかった約束に触り直せた。映画の続きを撮る場所まで戻れた。ここだけ抜き出せば十分に美しい。だが、その美しさは無傷じゃない。前田美波里が演じた大富豪の死は消えないし、マチルダを殺そうとした側の全部に落とし前がついたわけでもない。鶴見巡査だけはまだ腑に落ちていない顔のままだし、八郎の“公安”も、世界の奥にまだ別の闇があることだけを匂わせて去っていく。

つまり、このラストは誰かひとりの願いだけを完璧に満たしていない。そこがいい。現実の痛みは、ドラマの都合で均等に整理されたりしない。救われる人間と、救われない人間が同じ場にいる。前に進める人間と、まだ立ち尽くす人間がいる。その偏りを消さないから、余韻が安くならない。“よかった”で閉じることもできるのに、“それだけじゃない”を残した。この踏ん張りが最後の品格になっていた。

しかも、この“不完全な救い”は冷たさではない。むしろ逆だ。全部を救ったふりをしないことが、本当の優しさに近い。誰かの痛みを感動の背景に押しやって、主人公たちだけを晴れやかに送り出すほうが、よほど残酷だ。この物語はそうしなかった。救われた側の光を見せながら、取りこぼされた影もちゃんと画面の外に残している。その不親切さが、結果的にいちばん誠実だった。

それでも最後の後ろ姿を希望と呼びたくなる

こんなに燃え残りを抱えた結末なのに、それでも最後の印象が絶望にならないのは、やはりあの後ろ姿が強すぎたからだ。マチルダは死んでいなかった。生き延びて、時間を重ね、どこかで人生を続けていた。その事実は、過去のすべてを帳消しにはしない。だが、帳消しにしないまま、人はまだ救われうるのだと示した。その力は大きい。若いころの約束は破れた。守れなかったものもあった。けれど、全部が無意味だったわけではない。ずっと遅れてでも、ようやく届くものがある。その確認として、白髪の背中ほど強い絵はなかった。

この結末が刺さる理由

  • 生存という最大の救いを置きながら、痛みを消さなかった
  • 感情の決着と現実の未解決を、無理に一致させなかった
  • それでも最後に、人は生き直せるかもしれないと信じさせた

そして何より効いたのは、希望の見せ方が派手ではなかったことだ。大声で未来を叫ばない。説明台詞でまとめない。ただ、映画の続きを撮る人たちがいて、その少し先に、もう会えないと思っていた人の気配がある。この距離感がいい。幸福を押し売りしないから、こちらの胸の中で勝手に育つ。押しつけられた感動はすぐ冷めるが、自分で見つけた希望は長く残る。

.全部は救われない。それでも救いがある。きれいごとに見えて、実はいちばん現実的で、いちばん残酷で、だからこそいちばん優しい終わり方だった。.

大団円と言い切るには少し苦い。バッドエンドと呼ぶには、最後の背中があまりにもあたたかい。だからこの結末は、そのどちらでもない。傷を抱えたまま、それでも生きていく人間たちの終わり方として、かなり見事だった。

この記事のまとめ

  • マチルダ生存の結末は、救いであり衝撃でもある!
  • 人骨を埋めた行動が、物語に不穏な毒を残した
  • 3人は恩師との約束と、止まった青春を回収した
  • 八郎の公安示唆が、事件の奥に別の闇を匂わせる
  • 大団円の顔をしながら、裁かれない悪も残された
  • 泣けるのに物騒という後味こそ、この最終話の真骨頂!
  • 全部は救わないからこそ、ラストの希望が強く光った

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