「ちょうど止めよう思てたとこや」。
相棒シーズン4第13話「最後の着信」で、脇幸太郎が亀山薫にタバコを差し出す冒頭。初見では酔っぱらいの気さくな一言にしか聞こえない。ところが結末まで見たあと、この台詞は不気味なほど意味を変える。
脇幸太郎は、タバコだけをやめようとしていた男ではない。薬物の売人をやめる。警察の情報屋をやめる。東京での暮らしをやめる。そして過去の自分まで脱ぎ捨てようとしていた。
なのに、何ひとつきれいには終われなかった。
桐谷健太演じる脇を殺した人物は確かに存在する。だが「最後の着信」の恐ろしさは、犯人を一人見つけても脇が死んだ理由を全部説明できないところにある。薬物、警察、恋愛、見栄、孤独。いくつもの細い糸が首に巻きつき、最後にほんの小さな力が加わっただけで切れてしまった人生なのだ。
- 桐谷健太演じる脇幸太郎が「やめる」ことで追い詰められた理由
- 白・黒・赤の3台の携帯が映し出す脇の分裂した人間関係
- 真犯人以上に後味を濁らせる菱沼と警察組織の責任の正体
相棒シーズン4第13話、桐谷健太が演じたのは「逃げたかった売人」
脇幸太郎を「薬物の売人が殺された事件」の被害者として見ると、「最後の着信」の半分しか見えない。彼の物語を貫いている動詞は「売る」でも「裏切る」でもない。徹底して「やめる」なのだ。
脇幸太郎は最後までただの悪党では終わらない
冒頭、公園で亀山と偶然出会った脇は、自分のタバコをケースごと渡してしまう。「ちょうど止めよう思てたとこや」という言葉には妙な軽さがある。
ここがうまい。薬物の売人を登場させるなら、普通はもっと危険な顔を最初に見せる。人相の悪さ、取引、暴力、警戒心。ところが「最後の着信」が最初に見せる脇は、知らない男にタバコを差し出す、人懐っこい酔っぱらいだ。
この順番によって、視聴者は「売人」という肩書きを知る前に「亀山と一瞬だけ言葉を交わした人間」として脇を記憶する。
人間を先に見せ、犯罪歴をあとからかぶせる。だから脇が薬物に関わっていたと判明しても、簡単に「悪い奴だった」で処理できない。
もちろん、過去が消えるわけではない。売人として誰かを薬物へ近づけた責任は残る。それでも「犯罪者だから死んでも仕方がない」と言わせないために、脚本は先に体温を渡してくる。
売人をやめる決意が、逆に逃げ道を塞いでいく
脇の悲劇は、悪事を続けたから起きたのではない。むしろ逆だ。悪事から抜けようとした瞬間、今まで何とか均衡していた関係が一斉に牙をむく。
売人を続ける限り、仲買人にとって脇には利用価値がある。情報屋を続ける限り、菱沼にとっても使える駒だ。危険な世界にいるのに、役割を果たしている間だけは居場所がある。
ところが「やめたい」と言った瞬間、脇は双方にとって扱いにくい存在へ変わる。
知っていることが多すぎる。関係者の顔も知っている。警察とのつながりもある。昨日まで便利だった人間が、今日からは秘密を持ったまま自由になろうとする。
抜けることが、裏切りになる。
ここに裏社会だけではない嫌な現実がある。人間関係の中には、「お前のため」と言いながら実際には相手の役割しか愛していない関係がある。脇はその地獄を、売人と警察の両側から同時に味わう。
未来を語る男を冒頭で死体にする残酷さ
脇は結婚を口にし、故郷へ帰る未来まで思い描く。人生を立て直す方向へ気持ちは完全に傾いている。
ところが視聴者がその未来を本格的に知るころには、本人はすでに死体だ。
つまり「最後の着信」は、脇の再生をリアルタイムでは描かない。死んだあとから、彼がどれほど生き直そうとしていたかを一枚ずつ見せてくる。
これは残酷な構成だ。人が生きている間には見えなかった希望を、死んだあとに証拠品として並べるからだ。
タバコをやめる。売人をやめる。情報屋をやめる。東京を離れる。
その全部が「遅すぎた」と片付けられる一方で、やめようとした事実だけは、脇幸太郎という人間を犯罪歴だけで閉じさせない。
罪を犯した過去と、人生を変えたい現在。その二つが同居したまま死ぬ。だから後味が悪い。人間は改心した瞬間に白くならないし、過去が重いからといって未来まで没収されていいわけでもない。その厄介な境界線に、脇幸太郎は立っている。
相棒の3台の携帯は、脇幸太郎が使い分けた三つの人生だ
遺体から見つかる白、黒、赤の携帯電話。ミステリーとして見れば、誰と何のために連絡していたかを整理する捜査上の手掛かりだ。だが「最後の着信」は、わざわざ一人の男に3台も持たせている。ここには脇の生き方そのものが見える。
白・黒・赤は単なる捜査の手掛かりじゃない
携帯電話は本来、人と人をつなぐ道具だ。ところが脇の場合、その「つながる道具」を複数に分割しなければ生きられない。
仕入れにつながる電話。客につながる電話。私生活につながる電話。そしてその裏には、警察との秘密の接点まである。
誰とでも同じ番号で話せる普通の生活とは正反対だ。
3台の携帯は人脈の多さを示しているのではなく、脇が一つの人格のままでは生きられなかった証拠と読める。
売人として見せる顔と、友人の前で見せる顔と、警察へ情報を流す顔。それぞれを混ぜた瞬間、命に関わる。
だから端末を分ける。連絡先を分ける。人生を仕切り板で区切る。
だが、どれほど携帯を分けても、持っている身体は一つしかない。
売人、情報屋、ひとりの男――切り分けなければ生きられなかった
脇の面白さは、二重生活どころではない点にある。
犯罪者でありながら警察へ情報を渡す。警察に協力しながら薬物の世界にも居続ける。そして、そのどちらとも関係のない場所では結婚や故郷を語る。
この三つは綺麗に並ばない。
警察から見れば情報源。売人仲間から見れば商売相手。由美から見れば昔の知人。脇本人だけが、その全部を「自分」として抱えている。
ここで怖いのは、周囲の誰も脇幸太郎の全体を必要としていないことだ。
菱沼に必要なのは情報を持ってくる脇。裏社会に必要なのは取引をする脇。由美が知っているのは過去の脇。
脇は大勢とつながっているのに、丸ごとの自分を預けられる相手がいない。
連絡先が多いことと、孤独ではないことは別物だ。「最後の着信」は3台もの携帯を持たせることで、むしろ強烈な孤独を可視化している。
3台の携帯から見える脇の構造
- 関係を分けなければ秘密を守れない生活だった
- 誰も脇のすべてを知らず、それぞれ一部分だけを利用していた
- 端末を分けても、過去そのものまで切り離すことはできなかった
捨てようとした過去だけが最後まで手の中に残った
特に強烈なのが、死亡した脇の手元に携帯電話が残されていることだ。
人生を変えたい男なのに、最期の瞬間まで「過去からつながってくる道具」を握っている。
これほど皮肉な小道具の使い方もない。
携帯を捨てれば過去を断てるほど話は単純ではない。それでも画面上では、人間関係を切り替えるために使っていたはずの端末が、死者の手に残る。
3台を使い分けていた脇は、人生を器用に処理していたようにも見える。しかし本当は逆だろう。混ぜれば壊れる関係ばかり抱え、分け続けるしかなかった。
分けた人生は、最後に全部追いついてくる。
携帯という日常的な物が、ここでは秘密の保管庫になり、同時に逃げられない過去の鎖になる。「最後の着信」という題名が効いてくるのは、電話が単なる証拠品ではなく、脇の人生そのものを鳴らし続けているからだ。
相棒が仕掛けた肩透かし。犯人が“ただの店員”だから怖い
薬物の売人が死んだ。警察の情報屋だった。敏腕刑事との危険な関係まで浮かび上がる。ここまで材料を積まれれば、視聴者は当然「大きな闇が脇を殺した」と考える。ところが真相は、その期待を乱暴なほど小さな場所へ落とす。
薬物組織でも悪徳刑事でもないという裏切り
脇には殺される理由がありすぎる。
情報屋だと知られれば薬物組織から狙われる。菱沼にとっても、裏事情を知り尽くした脇が自由になるのは都合が悪い。売人を辞めると言えば商売上の摩擦も生まれる。
視聴者の頭には立派な「殺人の理由」がいくつも出来上がっていく。
だが、実際に直接死へつながるのは、お好み焼き店で生まれたごく小さな揉め事だ。
ここで脚本は、それまで積み上げた巨大な犯罪世界を無駄にしたわけではない。
むしろ逆だ。
脇の過去があまりにも黒いため、誰も「ありふれた口論の延長」を真っ先に疑わない。
犯罪歴そのものが、本当の死因を隠す煙幕になる。
大事件を追わせておいて、死因はあまりにもくだらない
公園で店員と再会した脇は、店内での不満を蒸し返す。店員側にも鬱憤が残っている。言葉がぶつかり、押され、転落する。
こんなことで人が死ぬのか、と言いたくなる。
だが現実の死は、いつも劇的な理由を必要としない。
そこが恐ろしい。
薬物、警察の不正、情報屋という危険な背景を持ちながら、最後に命を奪ったのは壮大な陰謀ではない。日常で起きる程度の苛立ちと、引き返せなかった数秒間だ。
人生を壊す最後の一撃は、それ以前の人生に見合うほど大きいとは限らない。
もし脇が店員を呼び止めなければ。もし店員がそのまま立ち去っていれば。もし二人の距離が一歩遠ければ。
そんな「もし」で簡単に避けられた死だからこそ、胸に刺さる。
脇幸太郎の人生そのものが真犯人を見えなくしていた
ここで最も面白い反転が起きる。
薬物に関わった過去は、直接脇を殺したわけではない。だが捜査する側の目を薬物事件へ向け、警察関係者へ向け、裏社会へ向ける。
つまり脇が歩いてきた人生そのものが、事件の真相から捜査を遠ざける。
普通の会社員が同じ場所で同じ死に方をしていれば、直前に揉めた相手はもっと早く重要人物になったかもしれない。しかし被害者が薬物の売人で情報屋なら、死の理由まで特殊だと思いたくなる。
ここに人間の認知の怖さがある。
人は「悪い人生には悪い人生らしい結末がある」と勝手に物語を作る。
「最後の着信」はそれを壊す。
脇は、売人らしい理由で死んだわけではない。
だが売人として生きた時間は、最後まで彼の死にまとわりつく。真犯人が判明しても薬物の影が消えない理由はここにある。
相棒シーズン4が突きつけるのは「捕まらない悪」の気持ち悪さ
真犯人が逮捕されれば事件は終わる。普通の刑事ドラマなら、そこで視聴者にも出口が用意される。ところが「最後の着信」は出口の前に、もっと嫌な人物を立たせる。菱沼貞夫だ。
菱沼は手を下していない。それでも無関係とは言えない
菱沼は脇を直接突き落とした犯人ではない。
ここを曖昧にしてはいけない。殺人の実行者と、脇を危険な位置に追い込んだ者の責任は別だ。
だが別だからといって、後者が消えるわけでもない。
菱沼は脇を情報源として使い、実績を積み上げる。その関係が捜査上どこまで許されるか、その手続きに問題がなかったかという疑いまで浮かぶ。
さらに脇が関係から抜けようとしたとき、菱沼の関心は「この人間が人生をやり直せるか」ではなく「自分の捜査と秘密がどうなるか」へ傾いているように見える。
菱沼にとって脇は、守るべき市民へ戻る前に、使い続けたい情報源だった。
この視線の冷たさが殺人よりも長く残る。
情報屋を育て、使い、抜けようとすれば切り捨てる
「S」という呼び名も重要だ。
名前ではない。一文字だ。
人間を情報提供機能へ変換する呼称に見える。
もちろん、捜査では情報源を守るための匿名性が必要になる。しかしドラマとして見ると、脇幸太郎という名前を持つ人間が「S」と呼ばれる構造そのものが残酷だ。
名前を消せば、生活も感情も見えにくくなる。
誰と結婚したいのか。故郷へ帰りたいのか。何を怖がっているのか。そんなことは捜査成績には関係ない。
必要なのは情報だけ。
脇が「もうやめる」と言うことは、菱沼からすれば情報網の一部が勝手に離脱することでもある。
人間の再出発と、組織の利益が衝突する。そこでどちらを優先したか。それが菱沼という刑事の本性を剥がしている。
事件が解決しても警察の汚れだけは何ひとつ片付かない
捜査一課と組対側が事件を取り合う構図も、単なるコミカルな部署対立で終わらない。
殺人として挙げたい。薬物事件として挙げたい。自分たちの成果にしたい。
その競争の中心にあるのは、本来なら一人の人間の死だ。
ところが組織に入ると、「誰が死んだか」より「どの部署の事件か」が前へ出る瞬間がある。
これは菱沼個人だけを悪者にすると見えなくなる部分だ。
「最後の着信」が描くのは悪徳刑事一人の腐敗ではなく、結果を出す人間ほど危うい手段まで正当化されやすい組織の誘惑だ。
殺人犯を逮捕すれば法的な決着はつく。だが、脇を情報屋として使い続けた関係、危うい捜査を成果の陰に隠す体質まで手錠をかけることはできない。
だから事件が解決しても爽快感が足りない。
むしろその足りなさが正しい。すべて片付いた顔をして終わらないところに、「相棒」らしい毒がある。
相棒「最後の着信」でいちばん残酷なのは結婚話だった
脇の人生を最も痛くしているのは薬物でも、情報屋でもないかもしれない。彼が未来を変えられると信じたきっかけが、本人の中で膨らみすぎた「結婚」だったことだ。
脇幸太郎だけが本気で未来を信じていた
脇は由美との再会から、故郷へ帰る未来を一気に現実のものとして受け取る。
普通なら、ここで「勘違いした男」と笑うこともできる。
だが、脇の置かれた環境を考えると笑えない。
彼の周囲にある関係は、ほとんどが取引だ。
薬物を売れば金が動く。情報を渡せば刑事との関係が続く。客との電話も、仕入れ先との電話も、何かを提供することでつながっている。
そんな男の前に、昔から自分を知る女性が現れ、故郷や一緒に生きる未来を連想させる言葉を投げる。
脇にとって、それは恋愛以上の意味を持ったのではないか。
「何者かにならなくても受け入れてもらえる場所がある」と思えた瞬間だった。
だから一気に飛びついた。
売人をやめる理由まで一人相撲だったという地獄
ここが残酷だ。
脇が未来を本気にした強さと、相手がその未来を同じ強度では受け取っていない温度差がある。
つまり脇は、自分の人生を根本から変える決意を、相手にとってはそこまで重大ではない言葉の上へ載せてしまった可能性がある。
売人をやめる。情報屋をやめる。故郷へ帰る。
人生の大改造だ。
ところが、その土台にある恋愛の確信が揺らげば、脇は急に宙に浮く。
だからといって由美だけを責めるのも違う。恋愛感情の強さは契約ではない。相手が勝手に大きな未来を描いたからといって、その未来を背負う義務までは生まれない。
ここには悪人がいない。
だから余計に痛い。
期待は、裏切られなくても人を壊す。
相手が約束していない未来まで自分の救命ボートにしてしまえば、沈んだときに掴むものがなくなる。
それでも「やり直したかった」という気持ちまで嘘にはならない
しかし、結婚への期待が脇の思い込みを含んでいたとしても、人生を変えたかった気持ちまで偽物になるわけではない。
ここは切り分ける必要がある。
人間は、立派な理由だけで改心するわけではない。
恋をしたから。誰かに好かれた気がしたから。故郷が急に恋しくなったから。そんな不安定な動機でも、犯罪から離れようとする一歩は一歩だ。
「動機が浅いから改心も浅い」と切るのは簡単だが、人間はそんなに整っていない。
むしろ脇の再出発が危ういほど感情的だからこそ、生々しい。
もし由美との未来が確かなものだったら、脇は本当に抜けられたのか。
それは分からない。
薬物の世界も警察との関係も、簡単には手放してくれなかっただろう。
それでも、脇幸太郎が最後に欲しがったものが金でも薬物でもなく「普通の暮らし」だったことに、この人物の救われなさが凝縮されている。
相棒の右京は、なぜ脇幸太郎にあれほど冷たかったのか
脇の死を巡る右京と亀山の温度差は、「最後の着信」をただの被害者同情物語にさせない。亀山は人を見る。右京は行為を見る。この二つの視線がぶつかるから、脇を簡単に善人へ塗り替えられない。
死んだから善人になるわけじゃない
人は死者に甘くなる。
とりわけ「人生をやり直そうとしていた矢先に死んだ」と聞けば、過去まで洗い流したくなる。
だが右京はそこに乗らない。
脇が薬物に関わったこと。その世界で売人として動いたこと。警察の情報屋として危険な均衡の中に身を置いたこと。
それらの選択が生んだ結果を、死んだからという理由で無かったことにはしない。
この冷たさは、脇を嫌っているからではない。
右京は「被害者であること」と「過去の行為に責任があること」を同時に成立させる。
ここが重要だ。
殺された人間を完璧な善人にしないと同情できない社会は、実はかなり危うい。
人は間違える。間違ったまま、それでも不当に殺されていいわけではない。
右京の視線はその線引きを崩さない。
亀山が拾う人情と、右京が切り離す責任
一方の亀山には、捜査資料ではない脇の記憶がある。
タバコをくれた男。
酔っていて、気さくで、どこか調子のいい男。
ほんの短い接触だが、その短さが逆に効く。
亀山にとって脇は「覚醒剤絡みの前科者」という情報から始まっていない。先に顔と声がある。
だから死者が捜査上の属性へ変換されていくほど、亀山の中には最初に会った人間臭い脇が残る。
右京が責任を忘れない人なら、亀山は人間を忘れない人だ。
どちらか一方だけなら危うい。
亀山だけなら脇を美化しかねない。右京だけなら、脇が抱えていた再出発への切実さがこぼれ落ちる。
二人が並ぶことで、罪と尊厳を同時に見る。
この二人の温度差が脇幸太郎を単純な被害者にさせない
「相棒」が強いのは、視聴者に一つの感情を強要しないところだ。
脇をかわいそうだと思っていい。
同時に、彼が他人へ与えた害を忘れてはいけない。
菱沼のやり方に怒っていい。
それでも菱沼が直接殺したわけではないという事実は動かせない。
店員の暴力は許されない。
だが脇自身が執拗に揉め事を続けたことまで消す必要はない。
この矛盾を矛盾のまま置く。
「誰が悪いか」ではなく、「それぞれがどの地点で引き返せたか」を見せるのが「最後の着信」の倫理だ。
もし脇が薬物から早く離れていたら。もし菱沼が情報源としてではなく人間として手放していたら。もし店員が歩き去っていたら。
死は一人の悪意だけで完成していない。
何人もの人間が少しずつ選択を誤り、その末端に転落死がある。右京と亀山の温度差は、その複雑さを安い美談へ逃がさないために必要なのだ。
桐谷健太の若さが、脇幸太郎の「根拠のない明るさ」にハマっている
相棒シーズン4第13話を今見返すと、桐谷健太の出演そのものに目が行く。しかし面白いのは「若い桐谷健太が出ている」という懐かしさだけではない。脇幸太郎という人物に、あの身体から漏れる妙な陽性が必要なのだ。
危ない世界にいるのに妙に人懐っこい男
脇は秘密を抱えて生きる男なのに、画面に現れた印象は閉じていない。
亀山にタバコを渡す距離の近さ。酒が入っていることを差し引いても、他人との間へすっと入っていく。
この軽さが大事だ。
最初から陰気で警戒心の強い男として演じれば、薬物の売人だったという真相には納得しやすい。だが、それでは脇の「普通の人生へ戻れると思っている感覚」が弱くなる。
桐谷健太の脇には、危険な世界に慣れているくせに、自分だけは最後には何とかなると思っているような明るさがある。
この根拠のない楽観こそ、脇の最大の弱点だ。
周囲がどれほど危険かを知りながら、どこかで人を信じすぎる。
未来を疑っていない表情が結末を余計に痛くする
脇が故郷や結婚を語るとき、重要なのは内容だけではない。
彼自身がその未来をほとんど疑っていないことだ。
犯罪の世界から抜ける難しさも、情報屋をやめる危険も、本来ならもっと深刻に構えるべき状況にある。
それなのに脇には「今度こそ変われる」という勢いがある。
この人物を成立させているのは、計画性より先に感情が走る感じだ。
結婚できると思えば大阪へ帰る。人生をやり直せると思えば売人も情報屋もまとめてやめる。
理屈が整ってから踏み出す人間ではない。
先に信じて、あとから人生を合わせようとする男だ。
だから、その信じた未来が脆いと分かったときの落差が大きい。
悲劇を演じるために暗い顔をするのではなく、明るい顔のまま悲劇へ向かわせる。この逆算が効いている。
後年の桐谷健太を知っているからこそ目を奪われる出演回
2006年放送の「最後の着信」は、後年の桐谷健太の活躍を知る側から見ると不思議な感覚がある。
しかし「有名になる前の出演」という珍しさだけで消費するには惜しい。
むしろ後年の桐谷健太にも通じる、声を出した瞬間に空間の温度を少し上げるような存在感が、脇幸太郎にとって決定的な意味を持つ。
脇は死体として物語の中心に置かれる人物だ。
つまり出番の量だけで押すことができない。
生前のわずかな時間で「あの男が本当は何を考えていたのか」と捜査する側にも視聴者にも追わせなければならない。
そのためには、最初の接触で記憶に残る必要がある。
桐谷健太の脇は、死んでから存在感が増していく役だ。
後半になるほど本人の姿より、他人が語る脇の断片が増えていく。それでも冒頭の声や表情が頭に残っているから、証言の向こう側に生身の男を想像できる。
そこに配役の強さがある。
相棒「最後の着信」というタイトルは、電話の相手だけを指していない
タイトルを「死ぬ直前にかかってきた電話の謎」とだけ受け取ると、少しもったいない。「最後の電話」ではなく、なぜ「最後の着信」なのか。ここを考えると、脇幸太郎という男の受け身の人生が浮かび上がる。
切ろうとしていた過去から届いた最後の声
「着信」という言葉は、自分から電話をかける行為ではない。
外側から届くものだ。
相手が鳴らし、自分の手元へ侵入してくる。
この受動性が脇の人生によく似ている。
脇は最後になって自分から人生を変えようとする。売人をやめる。情報屋をやめる。東京を離れる。
だが過去の関係は、本人の決意とは関係なく連絡してくる。
スマートフォンの電源を切るように、人間関係の電源は切れない。
脇が「もう終わり」と決めても、過去の側には終わる義務がない。
これが「最後の着信」という言葉の怖さだ。
人生をやり直す直前で止まった脇幸太郎の時間
電話は未来へ進む道具でもある。
約束をする。仕事を決める。会う時間を決める。
ところが脇の携帯は、未来より過去と強く結びついている。
仕入れ先、客、警察との秘密。それまでの人生を維持するための連絡網だ。
一方で本人は、そのネットワークを畳んで別の生活へ行こうとしている。
ここで携帯電話が奇妙な矛盾を抱える。
つながるための道具なのに、脇にとっては切らなければ先へ進めない関係ばかりを保存している。
だから死亡した脇と携帯の組み合わせが強烈に見える。
新しい人生へ行こうとした男の手に、古い人生の端末だけが残る。
時間がそこで止まったように見える。
着信は終わっても、人を利用した側の責任は切れない
事件が終われば、携帯はもう鳴らない。
犯人も明らかになる。
だが人間関係の責任まで通話終了にはならない。
菱沼が脇を使ってきた事実。薬物の世界で脇自身が他者へ与えた影響。由美との温度差。店員との小さな衝突。
どれも一つだけなら脇の死を説明しきれない。
だからタイトルの「最後」は、事件の終わりを意味しているようでいて、実は全然終わっていない。
「最後の着信」は電話を巡る事件ではなく、切ったつもりの関係が最後まで人間を追いかけてくる物語だ。
だから見終わったあと、犯人よりも脇が握っていた携帯のほうが妙に記憶へ残る。
相棒シーズン4第13話と桐谷健太演じる脇幸太郎のまとめ
「最後の着信」は、真犯人を当てた瞬間に意味が完成するタイプのエピソードではない。むしろ犯人が判明したあと、「では脇幸太郎はなぜここまで追い詰められたのか」という第二の事件が頭の中で始まる。
殺人犯を捕まえてもスッキリしない。それが「最後の着信」の正体
直接脇を死なせた人物は特定できる。
法的にはそこで一本の因果関係を引ける。
だが感情の因果関係は一本ではない。
薬物の世界へ入った脇自身の選択がある。情報屋として利用し続けた菱沼との関係がある。裏切りを許さない売人側の論理がある。人生を変えられると恋愛へ飛びついた脇の孤独がある。そして最後には、日常レベルの口論がある。
どれか一つを消せば、あの夜は違っていたかもしれない。
しかし誰か一人を「すべての元凶」にすると、作品が描いた嫌な複雑さが消える。
殺人事件の真犯人は一人でも、人生が壊れる原因は一人とは限らない。
これが「最後の着信」の後味を決めている。
悪党の死ではなく、やり直せなかった一人の男の話として残る
脇幸太郎は善人ではない。
だからこそ、この物語は強い。
最初から清廉な被害者なら、視聴者は安心して同情できる。だが脇には薬物の売人だった過去がある。周囲へ迷惑も害も与えている。店員との揉め事でも、本人の未熟さが見える。
それでも人生をやり直したいと思う。
ここに人間の厄介さがある。
改心とは、悪い過去を消した人間だけに与えられる資格ではない。過去を消せないからこそ、次の一歩に意味がある。
脇の悲劇は「悪いことをした報い」だけでは片付かない。やめようとした人間に、過去がやめさせてくれなかった悲劇だ。
冒頭でタバコを手放した男は、最後まで何かを手放そうとしていた。
だが皮肉にも、タバコだけが一番簡単だった。
薬物の世界も、警察との関係も、自分が犯した過去も、他人の期待も、自分が勝手に膨らませた未来も、箱ごと誰かへ渡して終われるものではない。
人間は過去を捨てられても、過去の側が人間を捨ててくれるとは限らない。
だから「最後の着信」は、桐谷健太の若き出演作というだけでは終わらない。脇幸太郎という一人の男が、人生をやり直そうとした瞬間に初めて、自分がどれほど多くの関係に縛られていたかを突きつけられる物語として残る。
右京さんのコメント
おやおや……実に後味の悪い事件ですねぇ。
一つ、宜しいでしょうか?
脇幸太郎さんを殺した人物は、確かに一人です。ですが、彼を死の直前まで追い詰めたものまで一つだったとは、僕には到底思えません。
薬物の売人として生きた過去。警察の情報提供者として利用され続けた現在。そして、それらをすべて捨てて人生をやり直せると信じた未来。
彼は三つの人生を抱えたまま、そのどれからも完全には逃げられなかった。
なるほど。だからこそ、三台の携帯電話というのは実に象徴的ですねぇ。それぞれ別の相手とつながるための道具でありながら、同時に彼を過去へ縛りつける鎖でもあった。
そして何より皮肉なのは、彼の命を直接奪った原因が、薬物組織の巨大な陰謀でも、警察内部の策略でもなかったことです。
ほんの小さな怒り。ほんの数秒の衝動。
人間というものは、大きな罪によってのみ人生を失うわけではありません。積み重なった過去の最後に、取るに足らない感情が一押しするだけで、すべてが崩れてしまうこともある。
しかし――だからといって、菱沼刑事の行いまで不問にしてよい理由にはなりません。
人を「情報源」としてしか見ず、必要な間だけ使い、人生を取り戻そうとすれば都合が悪いと考える。
いい加減にしなさい!
警察が守るべきなのは情報ではありません。人間です。
脇さんにも罪はある。過去も消えない。ですが、罪を犯した人間にやり直す権利がないなどという理屈は、正義でも何でもありません。
紅茶を一口いただきながら考えていましたが……「最後の着信」とは、死の直前に鳴った電話だけを意味しているのではないのでしょう。
切ったはずの過去から届き続ける呼び出し。それこそが、脇幸太郎さんが最後まで切ることのできなかった“着信”だったのではないでしょうかねぇ。
- 脇幸太郎を貫くモチーフは「売る」よりも「やめる」という選択
- 3台の携帯は、脇が人生を分割しなければ生きられなかった証拠
- 真犯人の平凡さが、人生の結末と死因は比例しない怖さを生む
- 菱沼の問題は殺人ではなく、人間を情報源として扱い続けたこと
- 結婚への期待には、取引ではない関係を求めた脇の孤独がにじむ
- 右京と亀山の温度差が、脇を善人にも悪人にも固定させない
- 「最後の着信」は、切った過去が最後まで追ってくる物語だった





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