WOWOW『怪物』第3話ネタバレ考察|”怪物を捕まえるには、怪物になるしかない”――交錯する罠と過去の因縁

WOWOW『怪物』
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「誰が味方で、誰が敵か」──WOWOWオリジナルドラマ『怪物』第3話は、そんな問いを視聴者に突きつけてくる。

富樫と真人、2人の刑事が互いに罠を仕掛け合いながら、25年前の因縁に引きずられていく姿は、まさに“怪物が怪物を狩る”構図そのもの。

この記事では『怪物』第3話のネタバレと考察を通じて、物語に散りばめられた伏線、登場人物たちの歪んだ信頼関係、そして「本当の怪物は誰か?」という問いに迫る。

この記事を読むとわかること

  • 富樫と真人の対立が事件の核心を浮き彫りにする理由
  • “指”というモチーフが示す過去と現在の繋がり
  • 疑念が人間関係と捜査を狂わせる構造の怖さ

“怪物を捕らえるには怪物になる”──富樫の覚悟が導く物語の転換点

雨粒のように真実が落ちてくるわけじゃない。

それを掴むには、泥だらけの地面に手を突っ込む覚悟がいる。

この第3話、富樫がまさにその“覚悟”を見せた回だった。

🧠 罠を仕掛けるのは“怪物”だけじゃない──第3話を今すぐ観る

仲間か、敵か──幼なじみの信頼が崩れゆく瞬間。
「証拠がなければ、自白させる。それが正義だ」
富樫が語った覚悟と、真人が踏み外した一線。
第3話は、まさに“人間が怪物になる過程”を描いた神回。
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富樫の“指”の意味、あなたは見抜けるか?
▶︎『怪物』の核心、第3話へ潜れ。

富樫が見せた両手の意味と、その指が告げる真相の匂い

ラストシーン、報道陣のフラッシュが雨のように降るなか、富樫は両手を広げ、折れていた指を一本ずつ伸ばす。

その仕草は「俺が捕まえる」という強烈な意思表示であり、同時に「お前を見ているぞ」という無言の警告だ。

あれはただのポーズじゃない。犯人に対しての、視線の銛(もり)だった。

両手を突き出す――その行為は、潔白の主張にも見えるし、裁きを望む覚悟にも見える。

だが、“その指先”がここまで物語の中心にある以上、それは明確なメッセージだ。

指を失った女、指だけが見つかった美緒、そして“指先に触れた”という富樫の証言。

指=真実に触れる証、なのだ。

あの場面、富樫の手はまるで「俺こそが真実を掴む者だ」と言っていた。

25年前、そして今。罪と疑惑が幾重にも重なったこの町で、両手を広げるという行為は“戦闘宣言”に等しい。

「渡す気がないからさ」──遺体を返さぬ者の正体とは誰か?

この回、最も不気味なセリフがあった。

翔子に問われたとき、富樫はこう言い放つ。

「ああ、死んだよ。遺体は見つからない。渡す気がないからさ。あいつには返す気がまったくない」

“遺体を返す気がない”という台詞に潜むのは、「殺しただけでは足りない」という異常性だ。

このセリフには2つの重みがある。

  • 一つは、真犯人に対する富樫の確信
  • もう一つは、琴音のときと同じパターンが繰り返されているという構造的恐怖だ。

琴音の指は10本とも切断され、25年間誰の目にも触れていない。

そんな異常犯罪が、“また起きた”。

偶然では片付かない。明確な意志が、そこにはある。

さらに富樫のこの言葉、「あいつには返す気がまったくない」からは、犯人が単なる快楽殺人者や通り魔ではないことが見えてくる。

被害者の遺体を“返す”“返さない”という言葉遣いは、まるで“人質”や“奪還”を思わせる。

つまり、これは殺人事件ではなく、25年前から続く“交渉の物語”なのだ。

ではその「あいつ」とは誰か?

現時点で、富樫は名前を明かさない。だが、ヒントは残している。

指にまつわる執着、遺体を隠し続ける執念、そして「街で擦れ違えば必ず気づく自信がある」と断言するほどの“観察者”である富樫。

それは同時に、“長い間、犯人を追い続けていた”ということを意味する。

25年前に断ち切られた何かが、いままた繋がろうとしている。

そして、それを繋ごうとしているのが、他でもない富樫なのだ。

このセリフ一つで、物語の軸が「殺人事件」から「奪われたものを取り戻す戦い」へと変化した

まさにターニングポイント。

怪物を捕らえるには、怪物になるしかない。

富樫はすでに、その選択をしてしまった。

このセリフの裏には、自分が“怪物側”であることをも認めている葛藤がある。

つまり、彼もまた「怪物に喰われた人間」なのだ。

罠と罠の応酬──真人と富樫、それぞれの“正義”が衝突する

この街には、真っ直ぐ歩ける人間なんていない。

道は歪み、足元は沈む。

だから人は、誰かを“落とす”ことでしか、前に進めなくなる。

隠しカメラ、偽装された証拠、そして“1”のメッセージの意味

富樫と真人──2人の刑事が繰り広げるのは、捜査ではなく“心理戦”だ。

この回、舞台は警察署でも現場でもない。2人の“頭の中”だ。

スマホの中に刻まれた「1」

それは単なる数字ではなく、“合図”であり、“告発”であり、沈黙を破る刃だった。

ソフィアに送らせた「1」のメッセージ。

あれは真人の過去の罪が、今、彼自身の足をすくいにきた瞬間だった。

しかもそれは、ただの過去の失策ではない。

“彼の中の怪物”が生んだ証拠だ。

一方で、富樫は先手を打っていた。

隠しカメラを自宅中に仕掛け、「真人が違法捜査に踏み込む」ことを見越していたかのように準備万端。

その録画映像は、ただの防衛ではない。

“罠を仕掛けた罠”だ。

これはもう、どちらが犯人かではない。

どちらがより“怪物”に近いか、という戦いなのだ。

監視カメラとメールの数字。

それぞれが相手の背中に仕込んだナイフのようで、今にも刺さりそうな緊張感が画面から漂っていた。

真人の過去の罪と向き合うシーンが示唆する伏線の数々

真人の過去が明らかになるにつれて、視聴者に問いが浮かぶ。

彼は何のために刑事になったのか?

第3話の核心は、実はこの問いの中にある。

ソフィアに「1」を送らせるよう命じたその瞬間、真人はすでに“正義の外側”に立っていた。

罪に近づくための捜査ではなく、自分の成果のために踏み越えた一線

このドラマは一貫して、「正しさ」よりも「境界線」を描いている。

真人も富樫も、その線を踏み越えた人間だ。

そして、もう一つ。

真人の父、正義の存在。

彼のセリフ──「俺を許すな」

この言葉は、真人だけでなく視聴者にも突き刺さる。

何が許されることで、何が許されないのか?

それを考えることが、この物語の“本当の捜査”なのかもしれない。

真人が映像を消した?

資料を隠した?

それが事実かどうかよりも大事なのは、彼が“やりかねない人間”になってしまったという事実。

怪物に立ち向かう者が、いつしか怪物に変わっていく。

“正義の名を借りた罠”が、彼の中で育っている。

だからこのドラマは、推理物でもなければ、警察劇でもない。

“誰がいちばん怪物か”を問う心理スリラーなのだ。

そしてその答えは、いまのところ……

真人の心の奥底に潜んでいる。

25年前の事件は現在進行形──“指の女”の謎が繋がる過去と現在

時間は流れているようで、閉じたままの時計もある。

『怪物』第3話が突きつけたのは、“未解決”という名の開いた地獄だ。

25年前の事件──琴音の失踪は、今なお終わっていない。

🧩「25年前、指を失った女は今も生きている──」

10本の指が消えた女。姿を見た者は、誰もいない。
だが、富樫だけは言う。「すれ違えば必ず気づく」と。
“指”は、このドラマ最大の伏線であり、呪いだ。
琴音事件と美緒の失踪が交差する第3話は、
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琴音事件の“不可視な存在”が今も生き続けている可能性

富樫が言った。「琴音は死んだ」と。

そして、「街で擦れ違えば必ず気づく」とも。

このセリフの裏にあるのは、記憶じゃない。執念だ。

彼は25年間、ずっと“あの日”のまま立ち止まっている。

警察官としてではなく、失った者として

つまり、“被害者”の側にいる。

その富樫が断言する。「10本すべての指先を失った女を、この町では誰も見ていない」。

見ていない=いない、ではない。

“見せないようにされている”のかもしれない。

この一文が、ゾッとするほど恐ろしい。

なぜなら、この町には“不可視な存在”を維持するための仕組みがあるということだからだ。

それは、協力者。共犯者。あるいは、犯人すらも保護されている町。

「犯罪のない町」という幻想を守るために。

だから、怪物は姿を見せない。

でも、“いる”。

いまも、この町に。

10本の指先が示す、異常性と共犯の匂い

指だけがない。

琴音も、美緒も、指を切り取られていた

これは偶然じゃない。強いメッセージだ。

“触れさせない”という意思

誰にも助けを求めさせない。

記録にも、証言にも、残させない。

指を失わせることで、存在そのものを消す──それがこの“怪物”のやり口だ。

だが問題は、それを25年も続けるには、“一人の力では不可能”だということだ。

共犯者がいる。

隠す者がいる。

富樫が資料室で気づいたこと──資料が戻っていた。

まるで、何もなかったかのように。

これこそが共犯の証だ。

誰かが“記録を操作”し、“事件を風化させる”手伝いをしている。

そしてその協力者は、警察内部にも、外にも、いる。

なぜなら、怪物の行動には“安心感”があるからだ。

「見つかるわけがない」と信じている者の動きだ。

それを支えるのは、組織か、家族か、町ぐるみか。

どれにせよ、この事件の異常性は“孤独な猟奇犯”では説明できない

10本の指。

それは、犠牲の数でも、証拠の数でもない。

封印されてきた“沈黙の年月”の象徴だ。

そしてその沈黙を破ろうとしているのが、富樫だ。

いや、もしかしたら……

真人も、翔子も、知らぬ間にその「指先」に触れ始めている。

事件は、まだ終わっていない。

むしろ、ようやく本当の“怪物”が目を覚ましたのかもしれない。

誰が真の黒幕か?翔子・田所・柳…登場人物に仕掛けられた疑念

この物語に“真実”はまだ現れていない。

だが、“嘘”だけは確実に浮かび上がっている。

それは、言葉の端に、視線の揺れに、そして“記憶の曖昧さ”に。

翔子の「25年分のモヤモヤ」は誰に向いているのか?

翔子というキャラクターは、“冷静で有能な女性刑事”という顔をしながら、心の底に“モヤモヤ”を抱えている

第3話でそのモヤがはっきりと現れたのは、富樫とのやりとりだった。

「あなた、25年前と同じで、また隠してるんじゃないの?」という目。

そして、「なぜ、あのとき、警察にすぐ行かなかったのか?」という問い。

翔子は富樫を疑いながら、どこかで信じていた。

あるいは、信じたかった。

けれど信じることは、同時に“自分の過去の選択”を肯定することになる。

それが、彼女にとって最も重い罰だった。

翔子の25年は、富樫の25年とはまるで違う。

富樫は失った者として“怒り”を抱えてきた。

翔子は見過ごした者として“後悔”を抱えてきた。

その違いが、今の行動に滲み出ている。

翔子の追及は、犯人を捕まえるためじゃない。

「あのとき自分が見逃したもの」を、取り戻すためだ。

だからこそ、翔子は“怪物”を追っているふりをして、自分自身と戦っている

この構造が、『怪物』という物語をただの刑事ドラマでは終わらせていない。

田所の曖昧な記憶と、柳の不自然な証言

「覚えていない」──この言葉ほど、便利で残酷な言い訳はない。

田所は言った。「あのとき体調が悪くて、記憶が曖昧だった」と。

だが、翔子の目は笑っていない。

“思い出せない”ことより、“思い出さない”態度が問題なのだ。

曖昧な記憶は、故意か偶然か。

そして、それがどちらであれ、25年前の事件を闇に沈めた一因になっている。

この「ぼんやりした証人」田所という存在は、実は物語の要だ。

はっきりと何かを語らないことで、視聴者の想像力をかき乱す役割を担っている。

一方、柳。

美緒の父であり、25年前も“何か”を知っていた可能性がある男。

今回、彼の口から出たのは「娘が帰宅したのは19時。その後、配達に出て、帰ったらもういなかった」という証言。

この証言、どこか出来すぎていないか?

ピンポイントな時間、都合の良い不在、そして娘の行動に無関心。

翔子は「娘が殺されたと思っていない?」と問いかけるが、柳の反応は曖昧だった。

ここにも“記憶の抜け落ち”がある。

だが、それは本当に抜けているのか?

それとも──最初から“語るつもりがない”だけなのか。

田所と柳、この2人の曖昧さは、物語の“ノイズ”のように見えて、実は精密な伏線だ。

視聴者の目を濁らせるための演出であり、そこにこそ“黒幕の影”がある。

このドラマでは、言葉よりも“語られなかったもの”の方が雄弁だ。

そう考えたとき──最も危険なのは、沈黙しているあの人なのかもしれない。

言葉がない関係の怖さ──“わかってる”つもりが壊れていく

この第3話、怪物らしい不気味さとは別に、「親しい人を疑うことの居心地の悪さ」がじわじわと染みてくる。

特に、富樫と真人。幼なじみで、同じ町で、同じ警察という環境にいながら、“全然わかりあえていない”

お互いのことを「わかってるはず」と思ってるからこそ、疑い始めた瞬間に壊れる。

幼なじみなのに、冷たい──その距離感が逆にリアル

真人が富樫に「幼なじみなのに冷たすぎる」と言った場面、あれが今話でいちばん人間くさくて、いちばん苦しかった。

なぜなら、“家族ほど近い関係のひずみ”って、外野には伝わらない。

親しさを言葉にしない関係ほど、壊れたときに修復できない。

あの冷たさの中に、「昔は仲良かった」なんてノスタルジーは一切出てこない。

むしろ、過去の絆があるからこそ、“信じない選択”をとるのが怖い

でも、信じきれなかった。

それって、裏切りとか正義とかじゃない。

ただ、「あのとき言葉にしなかった何か」が、じわじわ二人を分けていった結果だ。

“信じる理由”より“疑わない努力”がしんどい時代

今って、何かを信じるよりも「疑わないでいる」ことの方がずっとむずかしい。

SNS、監視、噂──どこかで誰かが見ていて、記録してて、証明できちゃう。

そうなると、“信じる”ってすごく危うい。

第3話の富樫と真人は、その「疑わない努力」に耐えきれなくなってる。

信じたいけど、信じたら負ける気がする。

それが2人の心理に流れるリアルな温度だ。

怪物を探してるつもりが、いつの間にか相手の心に「怪物がいるかもしれない」と思ってしまう。

そういう視線で見るようになった瞬間、その関係はもう“元には戻らない”。

第3話は、「怪物が誰か」じゃなくて、「自分が怪物にならないためにどう疑うか」を突きつけてくる。

そしてそれは、ドラマだけじゃなく、現実の人間関係にも、確実にある。

『怪物』第3話の深掘り考察まとめ|“疑うな、信じるな、考えろ”

このドラマは、視聴者を“刑事”にしようとしていない。

もっと危険なものに変えてくる。

──「怪物を見つけようとする者」に。

視聴者が“怪物”にされるドラマ──その中毒性と構造美

『怪物』第3話を見終えたとき、私たちはある種の“異常な快感”を覚える。

誰かを疑い、真犯人を推測し、伏線を照らし合わせて頭の中で糸を結び始めている。

そう、このドラマの中毒性は、「考える快楽」だ。

だがその快楽には罠がある。

誰かを疑うとき、“加害者の視点”に立ってしまっている自分に気づくだろうか。

第3話で描かれた罠と罠の応酬は、登場人物だけでなく視聴者にも仕掛けられている。

「この人、怪しい」と感じた瞬間、もうあなたも怪物のゲームに参加している。

そしてこの構造がまた見事だ。

伏線と人物の関係性が「事件」ではなく「人間」に結びついていく。

疑念が人を動かし、人がまた事件を歪める。

この繰り返しが、“怪物という存在が実体を持たなくても恐ろしい”ことを示している。

第3話のキーワードは明らかだ。

  • 指=触れられなかった真実
  • 記憶=自分で曇らせた過去
  • 監視=犯人と視聴者の視点の一致

こうして見ると、このドラマが何を視聴者に問いかけているかが見えてくる。

それは──「お前も怪物になる覚悟はあるか?」だ。

次回予告:富樫の逆襲か、真人の転落か?

ラストの富樫の姿は、まさに“反撃の狼煙”だった。

両手を広げ、折れた指を伸ばすその動きは、「黙っていた俺はもういない」という宣言だ。

彼の逆襲が始まる。

だが一方で、真人の足場は完全に崩れた。

ソフィアのメッセージ、「1」

消された映像、戻された資料、そして父・正義の冷酷な叱責。

真人は正義の名を背負いながら、誰よりも“不正義な選択”を繰り返している

この矛盾がついに破裂するのが、次回ではないだろうか。

そして、気になるのが翔子の立ち位置。

彼女は今、最も真実に近い場所にいながら、“自分自身の過去”という迷路に入り込んでいる。

信じたい、でも疑いたい。

この葛藤こそ、ドラマの最深部だ。

では次回、誰が怪物になり、誰が怪物を指さすのか?

この問いが、あなたの中に爪を立てているはずだ。

そして願わくば、

その怪物の正体を暴くのは、あなた自身であってほしい。

この記事のまとめ

  • 富樫と真人が互いに罠を仕掛け合う心理戦
  • 「怪物を捕らえるには怪物になる」の意味を描く回
  • “指”が象徴するのは沈黙と真実の断絶
  • 25年前の琴音事件と現在が密接に交差し始める
  • 翔子・田所・柳に潜む“語られない疑惑”
  • 記憶の曖昧さが真相解明の妨げになる構造
  • 視聴者自身も“怪物探し”に巻き込まれる演出
  • 親しい関係ほど壊れやすい、人間の距離感を描写
  • 信じることより「疑わない努力」の苦しさが核にある

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