【WOWOW怪物7話ネタバレ考察】琴音の死因は事故だった?署長殺害の真相と“あの日”の謎を解剖する

WOWOW『怪物』
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7話でついに明かされた琴音の遺体発見。そして署長・秋山の不可解な死。

これは、単なる事件の連鎖ではない。“25年前の業”が、現代に呪いのように襲いかかっている。

琴音の死因は絞殺ではなく、交通事故――その瞬間から物語は急速に軸を変え、「柳は犯人ではなかったのか?」という根幹が揺らぎ始めた。

この記事では、7話の核心シーンをキンタの思考で徹底的に解剖し、読者が抱く「誰が琴音を殺したのか?」「署長はなぜ死んだのか?」という問いに対し、視点を変えながら深く潜っていく。

この記事を読むとわかること

  • 怪物第7話で崩れる「柳=犯人」の構図
  • 事故と口封じが連鎖した25年前の真相
  • “正義”が人を殺すという構造の本質
  1. 琴音の死因は事故だった?柳の「返した」の真意とは
    1. 絞殺ではない解剖結果が意味するもの
    2. 柳は“加害者”ではなく、“証人”だった可能性
    3. 地下室の壁の中にいたという異常な遺体発見シーンの意味
  2. 署長・秋山を殺したのは誰か?“消えた1時間”の真実
    1. カメラを止めたのは誰の指示だったのか
    2. 防犯映像とボイスレコーダーが語る“計画された死”
    3. 秋山の「何を言えばいいんだ?」という無言の告白
  3. 琴音を轢いたのは誰か?“あの日の3人”に向けられる疑惑
    1. 田所の回想と、中橋・加代の動揺
    2. 指を切断された遺体たちが語る“口封じの連鎖”
    3. 25年前の過去が今、連続殺人として蘇った構造
  4. 富樫の“見落とし”と“償い”の物語構造
    1. 「毎日この壁を見ていたのに」自責が意味するもの
    2. 森平の「前を向こう」が重くのしかかる理由
  5. 真人が背負う“父・正義”との対峙と決別
    1. 「あなたの芝居を信じて死んだ人がいる」告発の刃
    2. 真人の“孤独な正義”が浮かび上がるシーン構成
  6. 誰も彼も、“正義”を持ちすぎていた──語られなかった「怪物」の正体
    1. 正義がぶつかるとき、人は“加害者”になる
    2. この物語に「本当の悪人」が出てこない理由
  7. 【怪物7話】真相に触れた回だったからこそ、ここで立ち止まって考えたいこと【まとめ】

琴音の死因は事故だった?柳の「返した」の真意とは

7話最大の衝撃、それは「琴音の死因が絞殺ではなかった」という事実。

視聴者の多くが、“柳が琴音を殺した”と疑わずにここまで物語を追ってきた。

だが、ここで物語はその“常識”を静かに、だが確実に裏切ってくる。

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25年越しに見つかった遺体、明かされる真実は“絞殺”ではなかった。
柳は加害者か、それとも証人か──
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絞殺ではない解剖結果が意味するもの

遺体の解剖結果によって判明したのは、琴音は絞殺された痕がなかったということ。

それどころか、死因は交通事故による打撲だった可能性があるという。

この瞬間、物語の構造そのものが反転したように感じた。

視聴者が6話まで信じ込んできた「柳=殺人犯」という構図が崩れる。

この捜査情報は、ある意味で“物語そのものに対する反証”だ。

そもそも、琴音が失踪した当時の警察は「事件性はない」と片付けた。

それが25年後になって地下室の壁から遺体で見つかり、しかも絞殺ではなく事故死の可能性――

ここに、「真犯人が殺した」ではなく「誰かが死体を隠した」という可能性が生まれてくる。

柳は“加害者”ではなく、“証人”だった可能性

では、柳が最後に放った「琴音は返した」という言葉は、どう読み解けばいいのか?

これは、自分が殺したのではなく、何らかの“事故現場に遭遇し、死体を遺棄した”人物であることを暗に示唆しているのではないか。

事故だったとすれば、「返した」はつまり――“本来あるべき場所に戻した”という、歪な罪悪感の表明ではないか。

柳が本当に琴音を殺していたのなら、なぜ25年間も黙っていたのか。

なぜ今、突然「返した」などと語るのか。

そして――なぜあの家の地下に遺体が“ある”ことを知っていたのか。

彼は琴音が事故死した瞬間を「見てしまった」証人だった。

そして誰かが死体を運び、壁の中に埋めたのを、ただ“見ていた”のではないか。

「返した」という言葉の重みは、殺意の表明ではなく、“罪の共有”のように響く。

地下室の壁の中にいたという異常な遺体発見シーンの意味

そして何より不気味なのが、琴音の遺体の“発見状況”だ。

地下室の壁の中に死体を埋める――これは、明確な“証拠隠滅”の意思を感じさせる。

普通、事故死であれば警察に通報する。だが、この隠蔽方法は明らかに異常だ。

つまり、“事故を知った第三者”が、その事実を永遠に隠すために行動した

ここにきて、物語の焦点は「柳が殺したか」ではなく、「誰が琴音の死を隠したのか」に完全にシフトした。

そしてその相手は、25年前、琴音の周囲にいた“あの日の3人”――

中橋、加代、田所。

今後明かされるであろう“あの日”の真実が、単なる殺人事件ではなく、“事故・隠蔽・沈黙の連鎖”だったとしたら。

柳は犯人ではなく、“この物語の最初の犠牲者”だったのかもしれない。

署長・秋山を殺したのは誰か?“消えた1時間”の真実

7話はもうひとつ、決定的な転換点を迎えた。

署長・秋山が自宅の階段下で死亡しているという報が飛び込んでくる。

これがただの事故ではなく、“誰かの手によって仕組まれた殺人”である可能性が濃厚になった瞬間、物語は再び加速する。

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階段下の死体、停止された防犯カメラ、そして遺されたレコーダー。
秋山は、何から逃げ、何を残そうとしたのか。
語られなかった“署長の正義”がここにある。
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カメラを止めたのは誰の指示だったのか

警察署内の防犯カメラの映像が、ある1時間だけ“録画されていない”。

通常あり得ないこの状況を聞いた真人の「誰が止めたんだ?」という問いは、視聴者全員の疑問でもある。

しかもカメラの停止は秋山が署に戻った直後から開始されている。

これは偶然ではない。明らかに、“秋山を殺すための計画”が動いていた証だ。

防犯カメラを止めるには署内権限が必要。つまり、犯人は“警察内部の人間”である可能性が高い。

ここで、視線は一気に“あの人物”に向かう。

――森平

現場に最初に駆けつけ、カメラの情報に触れたのも彼だった。

だがここではまだ断定はできない。むしろ、重要なのは“証拠”ではなく、“意図”の方なのだ。

防犯映像とボイスレコーダーが語る“計画された死”

真人は秋山の部屋からボイスレコーダーを発見する。

再生されたその音声は、秋山が明らかに“死を恐れている”ことを物語っていた。

「あの時、何を言えばよかったんだ……?」

その声は、過去の選択を悔い、何かを守ろうとした者の叫びに聞こえた。

ここで注目すべきは、この言葉が琴音の死を知っていた者の懺悔に聞こえるということ。

秋山は何かを“知っていた”。それは、柳の無実か、事故の真相か、あるいは――

“自分自身が関わっていたこと”かもしれない。

ボイスレコーダーという“遺言”の形をとってまで秋山が残したかったもの、それは単なる情報ではなく、「償いの準備」だった。

このレコーダーを発見したのが真人だったことも重要だ。

父親が過去にどこまで闇に足を踏み入れていたか。

真人が知るには、まだ早すぎる真実がそこにあったのではないか。

秋山の「何を言えばいいんだ?」という無言の告白

このセリフは、告白であり、沈黙であり、最期の“逃亡”だった。

秋山は何かを知っていた。だが言葉にするには、あまりにも重すぎた。

言えば、すべてが崩れる。言わなければ、誰かがまた死ぬ。

そんな板挟みに、彼はもう一度飲み込まれたのだ。

7話の終盤、真人の前に現れた署長の遺体は、もはや事件ではない。

過去の罪が、自らの命をもって回収された象徴だった。

署長・秋山の死は、25年前から始まっていた“沈黙の連鎖”のひとつ。

誰もが罪を抱え、誰もが語らないこの世界で、彼は“語れなかった者”として去った。

だが、その沈黙は真人に“父親の仮面”を剥がすきっかけを与えた。

それがどんな結末を導くか――それは、もう“怪物”の正体に迫る次の回に委ねられる。

琴音を轢いたのは誰か?“あの日の3人”に向けられる疑惑

7話で初めて明かされた琴音の死因は、絞殺ではなく“事故死”の可能性。

では、その事故は誰の手によるものだったのか?

視線は自然と、25年前、あの夜に“同じ場所にいた3人”へと向かう。

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事故か、それとも──事件か。
中橋、加代、田所に向けられる視線と“指のない遺体”の意味。
25年の沈黙が、今また人を殺している。
秘密は、3人の嘘の中にある。
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田所の回想と、中橋・加代の動揺

田所が森平に語った回想。

それは、自分たちが「柳を犯人に仕立てた」という事実を、仄めかすものだった。

口調はあくまで冗談めかしていたが、そこには不自然な余裕があった。

25年前の“あの日”、柳が琴音を追いかけていたという証言。

それが3人の共通認識として警察に伝わっていたのなら、柳は「真犯人を庇った」可能性すらある。

中橋は7話で一気に表情を変える。

特に、真人が「地下から遺体が出てきた」と言った瞬間、あからさまな動揺を見せた。

そして加代。彼女は息子と家を出たまま行方をくらませている。

この3人の中に、“事故に関わった者”と“隠蔽を指示した者”が混ざっている

もう事故の加害者は“柳”ではなく、彼ら3人の誰かだったと考えるのが自然だ。

指を切断された遺体たちが語る“口封じの連鎖”

本作で一貫して描かれているのが、指を切断された死体の存在だ。

これは単なる猟奇性ではなく、“語るな”というメッセージなのだと思う。

言い換えれば、“口封じ”の象徴。

これまで死亡してきた関係者たちは、いずれも25年前の“事故”を知っていた、または関与していた可能性がある。

署長・秋山も、琴音の遺体を知っていた“何か”を残そうとして死んだ。

柳が「返した」と語った瞬間、命を狙われた。

これらの共通点はすべて、“真相を語る者が殺されている”という一点に集約される。

もしこれが“誰か”による連続殺人なら、その動機はただ一つ。

「25年前の真実を、今も闇に葬るため」

だとすれば、琴音を轢いた“あの事故”は、単なる過失ではなく、物語の発火点だったのだ。

25年前の過去が今、連続殺人として蘇った構造

このドラマが仕掛けているのは、単なる過去の“清算”ではない。

25年前の罪が、現在進行形で人を殺しているという“地続きの恐怖”だ。

しかもそれは事故だったかもしれない。

しかし、隠したことによって“事件”に変わり、そして口封じが“殺人”に変化した。

加代、中橋、田所の3人があの日どこにいたか。

誰が運転していたのか。誰が「隠そう」と言ったのか。

そこに加担した人物が、今も“何か”を守るために動いている。

そして、その“何か”とは――

25年間、守り通した「自分たちの生活」なのかもしれない。

それがどれほど醜くても、崩れてはいけないもの。

だから、語る者は殺される。

そして、黙る者もまた、自分の中の“怪物”と向き合わされていくのだ。

富樫の“見落とし”と“償い”の物語構造

7話の終盤――琴音の遺体が発見された直後、富樫が発したひとこと。

毎日この壁を見ていたのに、なんで気づかなかったんだろう

それは、ただの驚きではなく、自らへの“痛烈な後悔”として響いた。

🧱 壁の向こうにあったのは、罪か、見逃しの代償か──第7話を今すぐ観る

「毎日見ていたのに、気づかなかった」
富樫の台詞は、すべての“大人”たちの罪を代弁する。
償いとは何か──その問いに、このドラマは逃げない。
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「毎日この壁を見ていたのに」自責が意味するもの

このセリフの重みは、単なる職務怠慢の反省ではない。

それは、“知らないふり”をしていた自分への、罪の告白だった。

富樫はあの家で25年間暮らし続けていた。

地下の壁に、少女の遺体が埋まっていたというのに。

それを知っていたのか、知らなかったのか。

おそらく、彼自身もわからない。

だが、重要なのはここだ。

「もしかしたら何かあるかも」と思いながらも、見ようとしなかったということ。

それこそが、富樫の“罪”なのだ。

そしてこの台詞は、私たち視聴者への問いでもある。

「見たくないものから目をそらしてないか?」

「気づこうとすれば、気づける痛みに、あえて鈍感でいようとしてないか?」

――そう、このドラマはいつだって、“人間の視線の逃げ場”をあぶり出してくる。

森平の「前を向こう」が重くのしかかる理由

そんな富樫に寄り添ったのが、森平だった。

彼が静かに言ったのは、「前を向こう」という言葉。

だがそれは、慰めでも励ましでもない。

これは、“一緒に罪を抱えよう”という共犯の宣言に聞こえた。

富樫と森平、ふたりはともに「あの事件」に関わっていた可能性がある。

直接ではないにせよ、“知っていて止めなかった”者たちだ。

その罪が、今になって富樫の胸に重く沈んでいく。

そしてこの展開には、物語としての強烈な皮肉がある。

富樫は“見落とした者”として描かれながら、それを最も悔いている者でもある。

まるで、「知る者の方が苦しみは深い」と語りかけてくるようだ。

森平の「前を向こう」は、忘れよう、じゃない

それは「償いながら生きていこう」という、呪いのような言葉だ。

この作品に出てくる“大人たち”は、みな似たような業を背負っている。

見逃した者、黙った者、加担した者――

そして、“いまも何も言えない者”として存在し続けている。

だからこそ、富樫のこの一言は胸に残る。

「毎日この壁を見ていたのに、気づけなかった」

それは、見て見ぬふりをしてきた全視聴者が、心のどこかで呟いた言葉でもあるのだ。

真人が背負う“父・正義”との対峙と決別

7話の終盤、真人の前に立ち上がるのは、25年前の真相でも、殺人犯でもない。

それは、父・秋山という“正義の仮面をかぶった怪物”だった。

正義の名のもとに、何が隠され、誰が傷ついてきたのか。

真人はそれに、ついに刃を向ける。

🩸 「あなたの芝居を信じて死んだ人がいる」──第7話で崩れる“正義”

真人が父・秋山に放った一言がすべてを変える。
正義を演じた父と、真実を選んだ息子。
これは、“血”の断絶を描いた回だ。
孤独な正義は、ここから始まる。
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▶︎『怪物』第7話で、正義の裏側へ。

「あなたの芝居を信じて死んだ人がいる」告発の刃

真人のセリフの中で、最も鋭かったのがこれだ。

「あなたの芝居を信じて死んだ人がいる」

これは、単なる糾弾ではない。

父・秋山が“正義を演じる”ことで、どれほど多くの嘘が積み上がってきたかを突きつける一撃だ。

そしてその“芝居”が、柳を殺しかけ、署長を追い詰め、琴音の死を覆い隠した。

つまり秋山の正義とは、“守るために真実を潰す力”だった。

真人のこの言葉には、「正義は、時に最も恐ろしい暴力になる」というテーマが込められている。

この瞬間、父と子は完全に決裂する。

「あなたの正義は間違っていた」と、真人は明確に拒絶した。

だがその拒絶の奥にあるのは、憎しみではない。

それは、“父を信じていた過去の自分”との決別なのだ。

真人の“孤独な正義”が浮かび上がるシーン構成

この回で印象的だったのは、真人が終始“ひとりで動いている”ことだ。

誰にも相談せず、父の部屋に入り、証拠を集め、真実に迫っていく。

その姿は、かつて父・秋山が正義の名のもとに独断で動いていた背中と重なるようで、対照的だ。

秋山は仲間や部下を盾にしながら、表向きの正義を演じた。

だが真人は、誰にも守られず、孤独に真実を追う

そこにあるのは、「正しいことをしたい」という純粋さ。

しかしそれは、“父が正義を使って人を殺した”という事実を、誰よりも知っている者の覚悟でもある。

真人の姿は、私たち視聴者に「本当の正義とは何か?」という問いを突きつけてくる。

正義は、名乗った者の都合によって形を変える。

そして時に、それは人を守る盾ではなく、人を斬る刃となる。

7話にしてようやく、真人の輪郭がはっきりと浮かび上がった。

それは、“誰の正義にも染まらない、孤独な戦士”としての姿だ。

父の正義を否定することで、真人は初めて自分自身の正義を手に入れた

それはまだ未熟で、痛々しくて、誰も守れていないかもしれない。

だが、偽りの正義を継承しなかったという意味で、この物語で最も“強い選択”だったと、私は思っている。

誰も彼も、“正義”を持ちすぎていた──語られなかった「怪物」の正体

7話まで見て、ふと思った。

この物語、やけに“怪物”がいない。

誰かが明確な殺意で手を下したシーンもない。

それでも、遺体は積み重なっていく。

じゃあ誰が殺した? 何が人を殺してる?

――その答えが、「正義」なんじゃないかって思った。

👤 怪物は誰か? それとも──自分の中にいるのか?

この物語には、明確な“悪人”が出てこない。
それでも人が死んでいくのは、なぜか。
答えは、“正義”に染まりきった普通の人間たち。
怪物の正体、それは「自分の正しさ」かもしれない。
WOWOWオンデマンドで、あなた自身と対峙してほしい。
怪物は、画面の向こうじゃない。こちら側にいる。
▶︎『怪物』第7話、正しさの闇へ。

正義がぶつかるとき、人は“加害者”になる

柳は「琴音を返した」と言った。

秋山は「何を言えばよかったんだ」と嘆いた。

富樫は「毎日この壁を見てたのに」とうなだれた。

このセリフたち、全部に共通してるのは、“正しさを信じた結果、誰かが死んだ”ってこと。

柳は、自分が黙ることで何かを守った。

秋山は、真実をねじ曲げてでも正義の物語を完成させた。

富樫は、見て見ぬふりをしたことで日常を守った。

みんな、自分の中に“これが正しい”を持ってた。

でも、その正しさは、他人の人生を壊すほどには強かった。

本当は、誰かひとりでも「おかしい」と言えてたら、琴音は死ななかったのかもしれない。

でも言えなかった。だって、言えば自分の正義が壊れるから。

この作品の怖さって、そこにある。

銃もナイフも出てこないのに、人が死んでいく

それは、“誰かの正しさ”が、誰かの命より大事だったからだ。

この物語に「本当の悪人」が出てこない理由

7話まで見て、“わかりやすい悪人”って出てこない。

たしかに怪しい人はいるし、誰かはウソをついてる。

でも、「この人が全部悪い」って断言できる人間はいない。

中橋も、田所も、加代も。

本当は、誰かを守るために黙ってたのかもしれない。

森平だって、何かを背負ってる目をしてる。

じゃあ、「怪物」って誰だ?

答えは、こうかもしれない。

「“自分の正義”を疑わなくなった瞬間、人は怪物になる」

だからこそ、このドラマのタイトルは“怪物”なんだと思う。

誰か特定の犯人を指す言葉じゃない。

登場人物それぞれの中にいる、小さな怪物。

それは、「これが正しい」と信じ込んでしまったときに、そっと目を覚ます。

だからこの物語、ずっと不穏で、ずっと静かで、でも心臓を握られるように怖い。

誰もが善人の顔をして、ちょっとずつ間違っていく。

その小さな選択の積み重ねが、琴音を殺し、柳を壊し、真人を孤独にした。

このドラマが本当に怖いのは、「自分もいつか、怪物になるかもしれない」って思わせてくるところ。

だから、7話を見終えたあと、頭に残るのは犯人の顔じゃない。

――自分の中の、怪物の気配だ。

【怪物7話】真相に触れた回だったからこそ、ここで立ち止まって考えたいこと【まとめ】

7話は、明らかに物語全体の“軸”が切り替わる回だった。

琴音の死因が「事故」だったという事実。

署長の死が「他殺」の可能性を含んでいること。

そして、25年前の“沈黙の連鎖”が今なお続いているという構造。

ここまで引っ張ってきた「柳=犯人」という印象は、この7話で完全に崩壊した

代わりに浮上してきたのは、“真相を知りながら語らなかった大人たち”の罪。

隠した者・黙った者・信じた者・演じた者

誰が悪くて、誰が悪くなかったのか――

そんな単純な話では、もはやなくなっている。

この回を経て、物語はようやく“人間の複雑さ”と真っ向から向き合い始めた。

事件の構図よりも、感情の構造が主題に浮上してきたのだ。

「見て見ぬふりをした罪」

「語ることの怖さ」

「正義という仮面の内側にある怪物」

――それらはすべて、私たち視聴者のすぐそばにある問題でもある。

7話を見終えた後の静けさは、“謎が解けた爽快感”ではなく、「これは、自分の物語かもしれない」という不安だ。

私は思う。

この作品はサスペンスの皮をかぶった、“沈黙の代償”を描いた群像劇だと。

誰かの嘘が、誰かを守る。

でもその嘘が、別の誰かを殺す。

だからこそ、今このタイミングで立ち止まって考えたい。

「真実を語ること」と「沈黙を選ぶこと」

その間に横たわる、裂け目のような“人間の弱さ”を。

8話では、さらに真相に踏み込んでいくだろう。

でも、私は今、7話という“迷いの中にいる物語”をしっかり見届けておきたいと思った。

この記事のまとめ

  • 琴音の死因は絞殺ではなく事故の可能性
  • 柳は犯人ではなく“証人”だった疑い
  • 署長・秋山の死には警察内部の関与が浮上
  • 25年前の“あの日の3人”に事故の疑惑
  • 語る者が殺される“口封じの構造”
  • 富樫の見落としは「沈黙の罪」への気づき
  • 真人が父の正義を否定し、自分の正義を選ぶ
  • 「怪物」とは正義に溺れた“普通の人間”たち

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