『明日はもっと、いい日になる』第5話ネタバレ|美談じゃない。これは家族の“罪と愛”の話だ

明日はもっと、いい日になる
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蓮が放火をした理由は、母を殺したと思い込んだから。
でも、その感情は本当に“彼のもの”だったのか?
第5話は、美談にすり替えられがちな「親の優しさ」が、子どもの心にどう影を落とすのかを突きつけてくる。
綺麗ごとでは終われない。これは、言葉にならなかった想いが“爆発”した物語だ。

この記事を読むとわかること

  • 少年が放火に至った本当の理由と心の叫び
  • 父と息子が交わす「言葉にならない愛情」
  • 家族の沈黙がもたらすすれ違いのリアル
  1. なぜ火をつけたのか?──母の死に“言葉”がなかった
    1. 母の命日に、父にも祖父にも“母の死”について語ってもらえなかった少年
    2. 「お前が優しい子だから黙ってた」──その言葉が呪いになった
  2. 父親としての正解がわからない蜂村──“会えない理由”は、愛の不器用さ
    1. 「また約束を破った」…思春期の痛みが刺さる瞬間
    2. 写真立ての中の愛情と、言葉にできない父の後悔
  3. “優しさ”が人を壊すことがある──家族という名の棘
    1. 父も祖父も“良かれと思って”決断した。でもそれは蓮にとって「勝手」だった
    2. 「お前のせいじゃない」は時に「お前のせいだ」と同じくらい残酷に響く
  4. 美談にしていいのか?──この物語が投げかける違和感
    1. 「再婚話」「父と息子の和解」「放火の謝罪」…一見、物語は収束している
    2. 「それでも明日は、もっといい日になる」と言えるのか──それがこの回の問い
  5. 演技・演出・主題歌がつくる“余韻”
    1. 風間俊介の「苦い優しさ」が光った
    2. JUJUの「小さな歌」は、過去と未来の“境界線”に立つ曲
  6. 「聞かれなかった声」が、あの夜に燃えた
    1. “語らなかった”のではない──“語る場がなかった”
    2. 大人は“声をかけたつもり” 子どもは“気づいてもらえなかった”
  7. 『明日はもっと、いい日になる』第5話の感想と心に残るシーンまとめ
    1. 放火という行動の裏にあるSOS
    2. 「家族って、なんなんだろう」と考えた夜

なぜ火をつけたのか?──母の死に“言葉”がなかった

「放火をした」──その一言で、少年が加害者に見えてしまうなら、それは大人の視点が偏っている証拠かもしれない。

『明日はもっと、いい日になる』第5話で描かれた放火の真相は、犯罪の動機というよりも“悲しみの出口を見つけられなかった心の叫び”だった。

13歳の少年・糸川蓮が火を放ったのは、母の命日の前日。

彼は決して怒り狂っていたわけでも、誰かに復讐しようとしたわけでもない。

ただ「お母さんに会いたかった」、その一心だった。

けれど、彼の父も祖父も、その気持ちに寄り添うことができなかった。

母の命日に、父にも祖父にも“母の死”について語ってもらえなかった少年

蓮の母は、がん治療を途中でやめた。

理由は、「蓮の将来のためにお金を残したい」という、あまりにも立派すぎる理由だった。

父も祖父も、その“母の決意”を、蓮には語らなかった。

なぜなら「蓮は優しい子だから、自分を責めてしまうかもしれない」という大人なりの配慮があったから。

けれどその沈黙は、蓮にとっては「なぜ誰も何も教えてくれないのか?」という断絶の証にしかならなかった。

母がいなくなった理由がわからない。

母が何を思っていたのか、誰も語ってくれない。

ただ一つわかっていたのは、「母が亡くなった」という事実だけ。

その沈黙の中で、蓮は少しずつ、自分の中に芽生えた“ある答え”を信じてしまう。

「母を死なせたのは自分なんじゃないか」と。

「お前が優しい子だから黙ってた」──その言葉が呪いになった

父が蓮に真相を打ち明けたとき、蓮は静かに、しかし明確に言った。

「じゃあ、俺のせいじゃん」

このセリフは、あまりにも重い。

母の死が、自分の存在によって加速された──その確信が彼を壊した。

この回の最大の悲劇は、「その気持ちが一度も言葉として外に出されなかった」ことだ。

誰かに話せていたなら。

父が早い段階で話してくれていたなら。

祖父がもっと素直に感情を見せてくれていたなら。

蓮の心は、火を灯すまで追い詰められなかったかもしれない。

子どもは、言葉を選べない。

けれど、誰よりも大人たちの言葉を必要としている

今回の放火事件は、蓮が火をつけた話ではない。

「誰も彼の心に火を灯してくれなかった」物語だったのだ。

そしてこれは、現実にも起こり得る物語だ。

感情を言葉にしない親。

“子どもを守る”という名のもとに、沈黙で全てを覆い隠す大人たち。

それは本当に“守っている”のか?

それとも、ただ自分が楽になりたいだけじゃないのか?

火をつけたのは、蓮の手だった。

けれどその火種を作ったのは、「言葉にできなかった大人たち」だったのかもしれない。

父親としての正解がわからない蜂村──“会えない理由”は、愛の不器用さ

「お父さんのこと、大嫌いだけど、かっこいいと思った」

それは、複雑すぎる感情をなんとか繋ぎ止めるための、思春期の息子・功太のギリギリの言葉だった。

『明日はもっと、いい日になる』第5話で描かれたのは、父親になりきれない男の、愛の不器用さだった。

蜂村は、児童相談所で働く職員として、数多くの子どもたちと真摯に向き合ってきた。

でもそのぶん、自分の子どもに向き合う時間は、どんどん削られていた。

子どもを助ける仕事を選んだ結果、自分の子どもを失った男──それが蜂村だ。

「また約束を破った」…思春期の痛みが刺さる瞬間

功太は、再婚しようとしている母との関係をどこかで感じ取り、父に会いたいと願っていた。

だが、蜂村は仕事を理由に面会の約束を破る。

そして功太は、たまらず職場まで来て叫んだ。

「そんなんだからお母さん、再婚しちゃうんだよ!」

「また約束を破った」──この言葉は、子どもの心に深く刺さる。

大人からすれば、たった一回のミスかもしれない。

けれど、子どもにとっての“会えなかった日”は、一生記憶に残る日になる

それは失望ではなく、愛情の裏返しだ。

「期待していたからこそ、傷ついた」

この感情に、大人たちはもっと耳を傾けなければならない。

特に、働きながら子育てをしている全ての親にとって、蜂村の姿は他人事ではない。

「仕事が忙しい」「急な呼び出しだった」「命に関わる現場だった」

どれも正当な理由だ。

けれど、子どもは“理由”より“結果”でしか親を見られない

だからこそ、大人が“言葉”を尽くすしかない。

たとえ間に合わなくても、「どうして会えなかったのか」を、子どもの心に届ける努力をしなくてはならない。

写真立ての中の愛情と、言葉にできない父の後悔

功太とのやりとりの中で、夏井翼がぽつりと語る。

「功太くんの写真、蜂村さんのデスクに飾ってありますよ」

写真立ては、言葉の代わりに父の愛情を語っていた

でもそれは、伝わっていなかった。

なぜなら、“愛してる”という言葉を、直接かけていなかったからだ。

蜂村は後悔していた。

「功太が5歳のとき、熱が出て痙攣した。でも、現場を優先してすぐには行けなかった。保護してから病院に走った」

その結果、妻から離婚届を出された。

彼は、自分を「最低の人間」だと語る。

そして正直すぎる本音がこぼれる。

「離婚して、ほっとした」

家庭か仕事か、選び続ける苦しさから解放された自分に気づいてしまった。

けれど、そんな逃げの一瞬を見抜いていたのが、我が子だった。

だからこそ功太は、「お父さん、俺のこと本当に大切なの?」と問い続けていたのだ。

蜂村の葛藤は、“自分の選択が子どもに与えた影響”を見つめ直す物語だった。

それは今の社会にも通じる。

仕事と育児の両立、親としての後悔、伝えきれない愛情。

どれもが簡単なことではない。

でも、蜂村はようやく言えた。

「功太、お前が一番大切だ。愛してる」

この言葉が届いたのは、たぶん奇跡だ。

思春期の子どもは、素直に受け取れない。

けれど、その瞬間のために、父親は何度でも言葉を尽くすべきだ。

仕事がある日々のなかでも。

家族と向き合う余裕がなくても。

その一言が、子どもにとって“一生ものの救い”になるかもしれないから。

“優しさ”が人を壊すことがある──家族という名の棘

「優しさ」は、いつでも救いになるとは限らない。

それは時に、本人の気持ちを無視した“勝手な決断”にすり替わることがある。

第5話で描かれたのは、まさにその瞬間だった。

母を亡くした13歳の少年・蓮に対し、父と祖父はそれぞれの思いで「言わない優しさ」を貫いた。

母の死の理由、がん治療をやめた経緯、その最後の願い。

それらをすべて、「蓮には重すぎる」と判断し、伝えなかった。

だがその選択は、「何も教えてもらえない世界」に彼を閉じ込めることになった

父も祖父も“良かれと思って”決断した。でもそれは蓮にとって「勝手」だった

祖父・木田茂は言った。「あの子は優しいから、知れば自分を責めてしまう」

父・吾郎は言った。「お母さんは、蓮の将来のためにお金を残したかった」

その言葉たちは、まるで正義のように見える。

けれど、それは本当に蓮のための選択だったのか?

「話すのが怖かった」「自分たちが向き合いたくなかった」そんな理由も、実は混ざっていたのではないか。

大人は時に、“自分のための優しさ”を「子どものため」と言い換えてしまう

でも、子どもは鋭い。

蓮は気づいていた。「自分だけが、何も知らされていない」と。

そして想像を膨らませた末、たどり着いたのが──

「お母さんを殺したのは、俺だ」という最悪の答えだった。

「お前のせいじゃない」は時に「お前のせいだ」と同じくらい残酷に響く

この回の中で、最も強く心を抉ったのは、蜂村の言葉だ。

「そんな言葉を聞くために、お母さんはその選択をしたのかな?」

母は、自分の死を通して“息子の未来を守りたかった”。

けれど、蓮が抱いた「罪悪感」は、その選択を“呪い”に変えてしまった。

「優しさ」が人を壊すことがある。

「守るために黙っていた」という行為は、結果的に蓮の“心の火薬庫”になった。

特に家族の間では、「言葉を尽くさないこと」が“暗黙の愛情”として許されがちだ。

だがそれは、時に愛情の不在と誤解される

「言わなくても伝わるだろう」──その油断が、子どもの心を追い詰める。

蓮は叫んだ。

「どうしたらよかったんだよ!」

彼は怒っているのではない。

答えがなかったことに、絶望していたのだ。

言葉が与えられていれば、心の中で「俺が悪い」と結論づける必要はなかった。

「お前のせいじゃない」という言葉は、優しいようでいて、蓮の“問い”に何一つ応えていない。

本当に必要だったのは、過程の説明と感情の共有だったのだ。

大人たちは、子どもに“結果”だけを渡す。

でも子どもは、その“過程”こそを知りたいのだ。

「なぜ母は死んだのか」「なぜ僕に言ってくれなかったのか」

それが明らかになったとき、ようやく蓮は涙をこぼす。

「会いたいよ、お母さんに会いたいよ…」

その涙は、ようやく“人としての感情”を取り戻した瞬間だった。

家族という名の棘は、時に美しく見える。

けれど、それが刺さったまま放置されると、人は言葉を失ってしまう。

本当の優しさとは、“黙ること”ではなく、“伝えること”かもしれない。

美談にしていいのか?──この物語が投げかける違和感

この第5話、見終わって「いい話だった」とすぐに言えるだろうか?

家族が向き合い、涙を流し、ようやく届いた言葉がある。

でも、そのすべてが“解決”とは言い切れない空気のまま、そっと幕が下ろされた。

再婚話は保留になり、父と息子は和解し、蓮も涙を流して父に抱きしめられる。

この流れだけ見れば、「良かったね」と言いたくなる構成だ。

けれどその裏に、ずっと残り続ける“違和感”がある。

それは──「この感情は、美談にしてはいけないのでは?」という問いだ。

「再婚話」「父と息子の和解」「放火の謝罪」…一見、物語は収束している

功太は、父親の仕事を「嫌いだけどかっこいい」と認めた。

蓮は「会いたいよ、お母さん」と涙をこぼし、自責の念から少し解放されたように見える。

祖父と父も、ようやく家族として向き合う姿勢を取り始める。

物語は“正しい終わり方”をしているように思える。

だが、果たしてそれでいいのだろうか。

蓮は火をつけた。

理由が明らかになっても、その行為が消えるわけではない。

父が愛を伝えても、13年間積もった“言葉の欠片”はすぐに埋まらない。

視聴者の心にも、どこかに引っかかる棘が残っていたはずだ。

それは「ここまで追い込まれる子どもを、なぜ大人は放っておいたのか?」という根本的な問いである。

「それでも明日は、もっといい日になる」と言えるのか──それがこの回の問い

このドラマのタイトルは『明日はもっと、いい日になる』だ。

だけど、第5話を見て、「じゃあ明日は本当にいい日になるのか?」と問われると、胸を張って答えられない。

たしかに、光は差した。

でも、差した光の下には、濃い影が残っている

「子どものために」と言いながら大人が選んだ“沈黙”は、本当に正しかったのか。

「仕事と家庭の両立」は、言い訳ではなかったのか。

「会いたい」と願った心を、“手遅れになるまで無視した”責任は、誰が負うのか。

それらの問いに明確な答えはない

けれど、答えがないからこそ、このドラマはリアルだった。

そして、リアルだったからこそ、「美談」にしてはいけないと感じた

これは、家族が「少しだけ分かり合えた日」の物語だ。

だがそれは、“全てがうまくいった日”ではない。

むしろ、“ここから始めるしかない日”なのだ。

誰もが痛みを抱えたまま、それでも前に進もうとする。

そんな1日が、「明日はもっと、いい日になる」のだとすれば──

この物語の価値は、希望ではなく“誠実な絶望”にある

ドラマのラストで微かに残る“モヤモヤ”は、決して演出ミスではない。

それはむしろ、「まだ話しきれていないことがある」という証だ。

そしてその続きを、私たちが考え、語り合うことで、このドラマは“本当に終わる”。

物語は一旦、終わったように見える。

だがそのあとに残った「モヤモヤ」こそが、本当のメッセージなのかもしれない。

演技・演出・主題歌がつくる“余韻”

この第5話を見終わったあと、すぐにテレビを消せる人は少ないだろう。

それは、物語そのものが「余韻を前提にした構造」で作られていたからだ。

言葉にならなかった想い、届いたけど遅すぎた告白──それらが胸に引っかかり続ける。

そしてその感情の余波を、演技と演出、そして音楽が静かに包み込んでいた。

とくに今回、最も印象に残ったのは風間俊介の「苦い優しさ」だ。

そしてエンディングで流れるJUJUの「小さな歌」が、この物語に“締め”ではなく、“余白”を与えていた。

風間俊介の「苦い優しさ」が光った

蜂村太一を演じる風間俊介は、決して“理想的な父親”ではない。

けれど、その中途半端さがリアルだった。

仕事を言い訳にしながらも、どこかで「子どものことを想っている」。

でもそれをどう言えばいいのか分からず、ただ立ち尽くしてしまう男

彼の演技には、そういう“感情のにじみ”があった。

たとえば、功太に向かって「愛してる」と伝える場面。

ただ台詞を言っただけなのに、言葉の重さが肌に刺さるようだった。

それはたぶん、彼自身も、その言葉を初めて自分に向けて言ったからだ。

俳優としての風間俊介の真骨頂は、「言葉にならない感情」を目で、間で、声の震えで表現できることにある。

「父親失格」と自分を責めながら、それでも「子どもを守りたい」と願う、その葛藤が滲み出ていた。

それは演技というより、ひとつの“生き様”だった

JUJUの「小さな歌」は、過去と未来の“境界線”に立つ曲

そして忘れてはならないのが、エンディングの主題歌「小さな歌」だ。

物語のラスト、蓮が「会いたい」と泣き出したあとに、そっと流れ始める。

その瞬間、視聴者の感情と楽曲が完全にリンクする。

「小さな歌」は、派手なサビも、大きなメッセージもない。

だけど、だからこそ良い。

それはこのドラマの世界観と呼応している。

傷ついた人たちが、少しだけ心を寄せ合い、「でもそれでも生きていこう」とそっと息をつく。

そんな静かで、小さな決意を後押しする歌なのだ。

この曲が鳴ることで、物語は終わらない。

むしろ、視聴者の中で“続き”が始まる

自分の家族のことを考える。

言えなかった言葉を思い出す。

そして、誰かに会いたくなる。

この余韻を作るために、ドラマは“あえて語り過ぎない”演出をしている。

蓮が涙をこぼす場面も、抱きしめる動作だけでセリフを抑えていた。

沈黙の中に、感情の洪水が流れている。

そしてその沈黙の余白に、「小さな歌」が差し込んでくる。

それはまるで、傷跡に優しく貼る絆創膏のようだった。

演技、演出、そして音楽。

この3つが、物語の最後を「締めくくり」ではなく、「考えさせる時間」に変えてくれた。

だからこそ、このドラマは“見終わってからが本番”なのだ。

「聞かれなかった声」が、あの夜に燃えた

蓮の放火をただの「問題行動」と片付けるには、あまりに無音の時間が長すぎた。

誰にも責められず、誰にも気づかれず、誰にも問われないまま蓄積していった孤独。

燃えたのは物じゃない。あれは「誰にも拾われなかった心の叫び」が、とうとう行き場を失って爆ぜた瞬間だった。

子どもが言葉をなくすとき、それは沈黙じゃなく、サインなんだと思う。

“語らなかった”のではない──“語る場がなかった”

祖父も父も、「話すのは酷だ」と信じていた。

でもそれは、「語る責任から逃げていた」だけだった。

蓮は“優しい子だから”と何も教えず、何も聞かず、ただ時間だけが過ぎた。

本人にとっては、「何も知らされない」ことそのものが暴力だった

気づいてもらえなかったことよりも、「最初から聞かれることを期待してなかった自分」に気づく方がつらい

それは、心の消火栓が錆びついていたってことだ。

大人は“声をかけたつもり” 子どもは“気づいてもらえなかった”

大人はよく言う。「あの子が何も言わなかった」と。

でも子どもは思ってる。「聞いてくれなかった」と。

同じ空間にいても、視線を向けていても、心が触れていないことなんてざらにある。

「元気?」と聞いて「うん」と答えた裏に、どれだけの“助けて”が眠っていたか

蓮の放火は、言ってしまえば「わかってほしかった」ただそれだけだったのかもしれない。

言葉を交わせる関係がなかったぶん、火をつけるしかなかった。

燃えたのは家じゃない。「俺はここにいる」という存在証明だった。

それがやっと、誰かの目に映っただけ。

『明日はもっと、いい日になる』第5話の感想と心に残るシーンまとめ

第5話は、物語の中で起きた“放火”という事件を起点に、「家族」「愛」「許し」という言葉を、私たちの心の深い場所にまで沈めてきた。

派手な展開があったわけではない。

けれど、静かに、確かに──感情の地殻変動が起こっていた。

それは、登場人物たちの心だけでなく、視聴者の中でも起こっていたと思う。

放火という行動の裏にあるSOS

蓮が火をつけたのは、明確な悪意からではない。

それは言葉にできない“孤独と自己否定”が、暴発した瞬間だった。

「お母さんが死んだのは、自分のせいかもしれない」

その感情を抱いたとき、人はどこにも逃げ場がなくなる。

誰かに話すこともできず、自分を守る術もない。

だからこそ、火をつけるという極端な手段でしか、自分の存在を証明できなかった。

このドラマが鋭いのは、その行為の“奥底にある感情”を丁寧に描いたことだ。

そして同時に、「なぜそこまで誰も彼に気づけなかったのか?」という問いも残す。

この問いは、現実の社会にも通じている。

家庭内で、学校で、あるいは職場で。

誰かが黙って苦しんでいるかもしれない。

沈黙の奥にあるSOSに、私たちはどこまで気づけるのだろうか。

「家族って、なんなんだろう」と考えた夜

この回を見終えたあと、最も強く残るのは、「家族って、なんなんだろう」という問いだった。

愛していても、すれ違う。

想っていても、伝わらない。

守ろうとしても、逆に傷つけてしまう。

それでも家族であることをやめられない。

蓮と父、祖父の関係も。

蜂村と功太の関係も。

“正解のない選択”の中で、必死にもがいていた。

だからこそ、一つの言葉が、涙よりも重かった。

「愛してる」

それを真正面から言えたとき、この物語は少しだけ光を差した。

そして、それを受け取った子どもたちは、少しだけ未来を信じることができた。

『明日はもっと、いい日になる』というタイトルは、ただの希望の言葉ではない。

今日という“どうしようもない日”を、正面から受け止めた人にだけ与えられる言葉だ。

そのことを、この第5話は教えてくれた。

そして今、この記事を読み終えるあなたにも、そっと問いかけてくる。

──今日、誰かに「伝えられなかった言葉」は、なかっただろうか?

この記事のまとめ

  • 放火の裏にある少年の“罪悪感”と孤独
  • 仕事か家庭かで揺れる父の苦い選択
  • 「優しさ」が子どもを壊す現実
  • 問題は解決でなく、“問いかけ”として残る
  • 風間俊介の繊細な演技が感情を支える
  • 主題歌が物語に余白と静けさを添える
  • 声をかけられなかった子どもの“存在証明”
  • 「明日はもっと、いい日になる」の意味を再考

読んでいただきありがとうございます!
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