「パンダより恋が苦手な私たち」第1話ネタバレ考察|“非効率な恋”に宿る、生きるという矛盾の美しさ

パンダより恋が苦手な私たち
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「パンダより恋が苦手な私たち」第1話は、恋愛を“科学”と“感情”の狭間で見つめる物語だった。上白石萌歌が演じる一葉の「非効率な恋」は、痛みよりも静けさをまとい、視聴者の胸の奥に長い余韻を残す。

ペンギンの求愛行動を通して描かれる「基準」というテーマは、現代の恋愛が抱える歪さを鏡のように映す。人間がなぜ愛に迷うのか――それは、選択肢が多すぎるからではなく、“何を信じるか”を決められないからだ。

この記事では、第1話を感情の軌跡として分解し、恋と理性のあいだにある“静かな狂気”を読み解いていく。

この記事を読むとわかること

  • 「パンダより恋が苦手な私たち」第1話が描く恋と進化の本質
  • ペンギンの求愛行動から見える、人間の“非効率な愛”の意味
  • 恋を通して「基準を失った時代」を生き抜くための視点
  1. 非効率な恋が描く「生きることの美しさ」
    1. 合理では救えない感情の構造
    2. “選ばれない”という痛みの中にある誇り
  2. ペンギンの求愛行動が映す、人間の恋の「不確かさ」
    1. 明確な基準で生きる動物、曖昧な基準で愛する人間
    2. 「非効率な生き物」であることの肯定
  3. 椎堂司(生田斗真)の存在が突きつける“理性の罠”
    1. 感情を観察する人間の孤独
    2. 科学では測れない「好き」という現象
  4. 一葉の言葉が変わる瞬間――“書く”という生存の証明
    1. 言い訳の多さは、生き方の不器用さの裏返し
    2. 「輝ける場所」ではなく「輝く自分」への転換
  5. 灰沢アリアが放つ“魔法の言葉”の意味
    1. 「みんなが共感できるのに、誰もやってこなかったこと」
    2. 生きるとは、誰かの基準を超えて存在すること
  6. 恋と進化論――ペンギンが教える、愛の不完全な進化
    1. 明確さよりも、不確実さを愛する力
    2. 効率では測れない「幸福の体温」
  7. この物語が本当に描いているのは「恋」ではなく「基準を失った時代」だ
    1. 選択肢が多すぎる世界では、人は“自分の感覚”を疑い始める
    2. 書くこと=自分の基準を世界に置く行為
  8. 「パンダより恋が苦手な私たち」第1話の核心とまとめ
    1. 恋は非効率であるほど、人間的になる
    2. 私たちは皆、誰かの基準を探す“ペンギン”なのかもしれない

非効率な恋が描く「生きることの美しさ」

「パンダより恋が苦手な私たち」第1話の核は、タイトルの“苦手”という言葉に隠れている。恋がうまくいかないという単純な話ではない。むしろ、恋という行為の中にある“非効率さ”こそが、人間らしさそのものなのだと静かに語る物語である。

物語の冒頭、上白石萌歌演じる一葉が5年付き合った恋人に別れを告げられる場面。ここで描かれるのは「別れ」よりも、「気づけなかったこと」への後悔だ。彼氏は言う――「俺が落ち込んでいても、全然気づかなかっただろ?」。一葉は答える、「言ってくれれば良かったのに」。このすれ違いに、視聴者は既視感を覚える。だがそれはただのコミュニケーション不足ではない。“相手を理解しようとする速度”が違ってしまった恋の終焉なのだ。

合理では救えない感情の構造

このドラマは、恋愛を「効率」と「非効率」の対比として描いている。ペンギンの求愛行動という科学的モチーフを使いながら、人間が恋においてなぜ不器用で、なぜ複雑なのかを問いかける。生田斗真演じる椎堂司が言う、「人間は非効率的ないきものだよ」。この一言は、まるで哲学の命題のように響く。

動物たちは本能に従ってパートナーを選ぶ。鳴き声や羽の色、石を積み上げるといった単一の基準で愛を成立させる。そこには迷いがない。しかし、人間の恋は違う。経済力、優しさ、見た目、価値観、タイミング――基準が多すぎて、何を選べばいいのか分からなくなる。“選択肢が多いほど、幸福は遠ざかる”。この皮肉が、現代の恋愛を象徴している。

一葉はそんな非効率の中に生きている。だが、それを否定することはできない。なぜなら、非効率とは「感情の証」だからだ。理屈ではなく、感じるままに動いた結果が痛みを生む。合理では救えないその構造こそが、恋を恋たらしめている。

“選ばれない”という痛みの中にある誇り

別れた一葉が涙をこぼすシーンは、悲劇ではなく再生の始まりだ。思い出の回想に挿入される彼女のモノローグ、「確かに非効率だった。でも楽しかったな。」この言葉が、ドラマ全体の呼吸を決めている。彼女は恋の失敗を「無駄」としてではなく、「美しい誤差」として受け止めているのだ。

恋は勝ち負けではない。誰かに“選ばれない”という経験は、確かに痛い。しかしその痛みは、自分が本気で誰かを愛した証でもある。“非効率な恋ほど、人は自分の輪郭を知る”。それを描くこの第1話は、ラブコメというよりも、むしろ“進化論的なラブストーリー”だ。

そして、視聴者に残るのは問いだ。なぜ私たちは、分かりきった痛みを何度も選んでしまうのか? その答えを探すために、私たちは今日も恋をする。非効率なままで、懸命に。

ペンギンの求愛行動が映す、人間の恋の「不確かさ」

第1話で最も印象的なモチーフ――それはペンギンの求愛行動だ。椎堂司(生田斗真)が語るその生態は、ただの雑学ではない。恋愛を「科学」と「感情」の間で見つめるこのドラマにおいて、ペンギンは鏡のように“人間の恋の複雑さ”を映している。

アデリーペンギンは石を積み、メスに差し出す。受け取ればカップル成立。リトルペンギンは低い声を持つオスが選ばれる。種ごとに、求愛のルールは明確だ。そこには例外がなく、迷いもない。だからこそ、モテないペンギンは一生モテない――その残酷さを司は淡々と語る。だが一葉は納得できない。「人間の恋には、人間の恋にしかない意味があると思います」と静かに返す。その“わからないけれど信じたい”という姿勢こそ、人間の恋の始まりなのだ。

明確な基準で生きる動物、曖昧な基準で愛する人間

ペンギンの世界では、愛は「基準の一致」で決まる。しかし人間の恋には、その基準が無数にある。好み、タイミング、状況、記憶、過去の傷――すべてが恋の変数になる。だから、同じ人を見ても好きになる人とならない人がいる。理屈では整理できないのが人間の恋の構造だ。

この「曖昧さ」は、時に私たちを傷つけ、同時に救ってもくれる。もし恋がペンギンのように明確な基準で決まってしまうなら、努力も成長も意味を持たない。だが、人間の恋には“変化”がある。相手の表情や言葉の温度で、基準は揺らぎ続ける。その揺らぎが、恋を物語にする。

だからこそ司が言う「人間は非効率的ないきものだよ」は、皮肉であり、祝福でもある。非効率ということは、失敗を前提として生きるということ。だがその失敗の中でしか、人は他人を“知ろうとする”ことができない。

「非効率な生き物」であることの肯定

ドラマの終盤、一葉はペンギンの求愛行動を題材にしたコラムを書き上げる。彼女はそこでこう語る――「もしたった一つしか基準がなかったら、私たちの世界は退屈だと思う。」その一文は、科学への反論ではなく、“人間であることへの賛歌”だ。

ペンギンは確かに美しい。だが、人間の恋はもっと不安定で、もっと面倒で、もっと面白い。相手に選ばれたり、選ばれなかったり。その反復の中で、私たちは「誰かを想う」という行為を更新していく。

非効率であることは恥ではない。むしろ、それは“感情の進化”だ。理屈を超えて、誰かを信じたいと思える瞬間がある。それは科学では説明できない、人間だけの特権である。非効率の中に、美しさは宿る。

椎堂司(生田斗真)の存在が突きつける“理性の罠”

「パンダより恋が苦手な私たち」第1話において、椎堂司というキャラクターは、単なる研究者ではない。彼は“感情を観察する者”であり、“恋を遠ざける者”だ。生田斗真が演じるその静謐な存在は、科学的理性の象徴でありながら、同時に最も孤独な人間でもある。

一葉に対して「人間は非効率的ないきものだよ」と言い放つ彼の口調は、冷たくもなく、どこか諦めを含んでいる。まるで、自分自身にも言い聞かせているように。理性に頼りすぎる人間は、感情の熱でしか溶けない部分を見失っていく。司はまさにその矛盾の上に立つ存在だ。

感情を観察する人間の孤独

彼が恋愛相談を拒む理由――「人間の恋愛には関わらない」。それは研究者としての一線を守るためではなく、“観察者であり続けることでしか、自分を保てない”という防衛反応のように感じられる。

彼は恋を「現象」として理解しようとする。だが、その分析の裏には、過去に誰かを失った記憶や、自らの感情を封印した痕跡が見え隠れする。科学は曖昧さを排除する学問だが、恋はその曖昧さにこそ意味が宿る。司はそれを理解していながら、なお理性を選ぶ。その選択の中に、彼自身の“壊れ方”が透けて見える。

研究室という閉じた空間は、彼の心そのものだ。外界の喧騒から距離を置き、動物たちの求愛行動を解析する。その姿は穏やかに見えて、実は“感情を感じないように生きる訓練”でもある。理性は彼を守り、同時に孤独へと閉じ込めている。

科学では測れない「好き」という現象

一葉が語る「人間の恋には人間にしかない意味がある」という言葉に、司は静かに反応する。「答えが出たら教えてくれ。私もそれを知りたいと思っている。」このやり取りが示すのは、彼の理性の奥底に、感情への“渇き”が眠っているということだ。

科学者として、彼は恋をデータ化したい。しかし、感情は決して数値化できない。どんな実験を繰り返しても、「好き」という感情の起点は測定不能だ。理性で制御できないからこそ、人は恋に溺れ、苦しみ、また惹かれる。

椎堂司という存在は、ドラマにおける“問い”そのものだ。恋とは何か、理性と感情の境界はどこにあるのか。彼の冷たい瞳の奥には、いつか熱が戻るかもしれない“予感”がある。その瞬間を観たいと思わせるほど、彼の沈黙は深い。

恋は科学では測れない。けれど、理性で拒むほど、その存在は濃くなる。司が再び「恋の現象」に触れたとき、この物語はようやく本当の温度を帯びるのだろう。

一葉の言葉が変わる瞬間――“書く”という生存の証明

このドラマで最も繊細で、そして最も美しい変化は、柴田一葉(上白石萌歌)が「書く」という行為を通して自分を取り戻していく過程だ。恋を失った彼女は、同時に“自分の言葉”も失っていた。だが、再びペンを握ることで、彼女はもう一度生き始める

職場での失望、恋人との別れ、そして人生の行き詰まり。それらすべてが、一葉の中で「書けない理由」として積み重なっていた。上司・灰沢アリア(シシド・カフカ)に「言い訳ばっかだな」と言われた瞬間、彼女の中の“怠けた自尊心”が崩れ落ちる。その崩壊こそが、再生の第一歩だった。

言い訳の多さは、生き方の不器用さの裏返し

「本当はファッション誌がやりたかった」「モデルになりたかった」――彼女の言葉はどれも正直だが、どこか逃げている。夢を語るとき、人はいつも“過去形”を使ってしまう。なぜなら、それは現在の努力を映す鏡になってしまうからだ。

アリアが放つセリフ、「今いる場所のせいにして頑張れないやつは、どこに行っても頑張れない」は、ただの叱責ではない。彼女の中にも、かつて同じ迷いがあったという告白の裏返しだ。一葉はその言葉を受け取ったとき、ようやく“自分が止まっていた時間”に気づく。

彼女がノートに向かうシーンは静かだが、胸の奥で確かに音がする。心がもう一度、動き始める音だ。言い訳をやめた瞬間、人はようやく言葉を手に入れる。

「輝ける場所」ではなく「輝く自分」への転換

一葉が変わるきっかけとなったのは、アリアの“魔法の言葉”だった。「みんなが共感できるのに、これまで誰もやってこなかったことをしたい」。このフレーズは、彼女の過去と現在を一本の線でつなぐ。幼い頃、憧れていたライターの言葉が、今、自分を動かしている――その瞬間、彼女は“書く人”として再び生まれ変わる

「恋は野生に学べ」というコラムを書き上げた彼女の文体は、最初の一葉とは別人のようだ。そこには理屈も装飾もない。あるのは、痛みを通過した後の素直な言葉だけ。ペンギンの求愛行動を例に、人間の恋の“不確かさ”を肯定するその文章は、まるで祈りのように静かだ。

書くことは、自己表現ではなく、“存在の証明”だ。言葉にすることでしか、自分の輪郭を確認できない瞬間がある。一葉にとってそれは、恋に破れたからこそ見つけられた再出発のかたちだった。

そして、彼女の書いたコラムが評価され、SNSで反響を呼ぶ場面。これは成功物語ではなく、「他者に届いた」という奇跡の瞬間だ。人は誰かに理解されたいと願うが、それは恋でも仕事でも同じ。書くという行為の中で、一葉はようやく「誰かとつながる方法」を見つけたのだ。

恋を失っても、言葉が残る。言葉が残る限り、彼女はもう“苦手”ではない。彼女は恋を語りながら、実は“生きること”を語っていた。

灰沢アリアが放つ“魔法の言葉”の意味

灰沢アリア(シシド・カフカ)は、この物語の中で“導き手”のような存在だ。彼女が放つ一言一言は、励ましではなく「現実を直視させる刃」のように鋭い。それでも、一葉はその刃を受け入れる。なぜなら、彼女の言葉には“冷たさ”の奥に“希望の温度”があるからだ。

アリアはこう言う――「輝ける場所を探すんじゃなくて、自分が輝くの」。この言葉は、夢を諦めきれない者への叱咤に聞こえるが、実際はもっと深い意味を持つ。場所とは環境であり、他者の目線であり、条件の象徴。だが、輝くという行為は自分の中から始まる。彼女はそれを、一葉に突きつけている。

「みんなが共感できるのに、誰もやってこなかったこと」

アリアの“魔法の言葉”がこのドラマの核心だ。「みんなが共感できるのに、これまで誰もやってこなかったことをしたい」。このフレーズは、創作における挑戦であり、同時に生き方の指針でもある。

この言葉を初めて聞いたとき、一葉はその意味を理解できなかった。だが、物語の後半で彼女が再びこのフレーズを口にするとき、その響きはまるで違う。それは「他人の基準で生きるのをやめる」という宣言なのだ。

誰もが共感できることは、誰もが感じていること。しかし「誰もやってこなかったこと」は、恐怖を伴う行為でもある。アリアがその両立を願うのは、彼女自身が“理想と現実のあいだ”でもがいた経験を持つからだ。彼女の言葉は、成功者の説教ではなく、敗北を知る者の祈りに近い。

だからこそ、一葉はその言葉を“魔法”として受け取る。魔法とは、現実を変える呪文ではない。現実の痛みを抱えたまま、前に進むための言葉のことだ。

生きるとは、誰かの基準を超えて存在すること

アリアの思想は、仕事論でもあり、恋愛論でもある。彼女が一葉に伝えたのは、「基準に縛られるな」ということ。ペンギンが一つの基準で生きるなら、人間はその不確かさを引き受ける覚悟を持て――そう言っているのだ。

恋愛も、仕事も、人生も、“選ばれる側”でいるうちは苦しい。だが、“自分の基準で立ち上がる”瞬間、人はようやく自由になる。アリアの冷たい言葉の裏には、「誰もが誰かの物差しに疲れている」という優しさが流れている。

「自分が輝く」という言葉には、痛みがある。なぜなら、それは“誰かより上”を目指すことではなく、“昨日までの自分を越える”ことだからだ。アリアが見ているのは、成功した一葉ではなく、痛みを引き受けながらも言葉を書き続ける一葉の姿だ。

魔法の言葉とは、結局のところ「誰かの正しさを、超えて生きるための勇気」だ。アリアが一葉に授けたのは希望ではなく、“視点”だった。その視点さえあれば、人は何度でも書き直せる。人生も、恋も。

恋と進化論――ペンギンが教える、愛の不完全な進化

「パンダより恋が苦手な私たち」の第1話は、恋愛をただの感情の物語としてではなく、“進化の途中にある人間の姿”として描いている。ペンギンの求愛行動が繰り返し登場するのは、恋を「本能」ではなく「思考」として扱うためだ。けれど、その本能を完全に捨てきれないところにこそ、人間の美しさと弱さが同居している。

椎堂司が言う「明確な基準がある動物はシンプルだ」という台詞は、まるで生物学的真理のように響く。だが、その“シンプルさ”は同時に“退屈さ”でもある。明確な基準は安心を与えるが、そこには意外性も物語もない。人間の恋が非効率であるのは、理屈ではなく“偶然”や“選択の迷い”が混じるからだ。

この物語は、「不完全であること」を悲劇ではなく祝福として描いている。恋愛も進化も、完璧になった瞬間に終わる。揺らぎや失敗こそが、生きるという営みの原動力なのだ。

明確さよりも、不確実さを愛する力

一葉はペンギンの世界を通して、「非効率=不完全」という構図をひっくり返してみせる。彼女はコラムの中でこう書く――「たった一つの基準で決める動物のほうがシンプル。でも、人間はその“不確実さ”を楽しめるいきものだと思う。」

この一文にこそ、ドラマの思想が凝縮されている。愛とは、相手の基準を見つけようとする時間そのものであり、その試行錯誤を“非効率”と呼ぶのは、あまりに浅い。むしろ、不確実さの中でこそ人は相手を深く知ろうとする。曖昧だからこそ、信じる意味が生まれる。

科学的な視点では、人間は進化の頂点にいる存在とされる。だが感情の領域では、私たちはまだ進化の途中だ。恋に迷い、傷つき、答えを求めて言葉を探す。進化論で言えば、まだ“適応の途中”にいる。だがその未完成さこそが、人間の誇りでもある。

効率では測れない「幸福の体温」

効率という言葉は、現代社会の象徴だ。恋愛も仕事も、短時間で成果を出すことが正義とされる。だが、一葉の描く世界はその逆だ。時間をかけて、手探りで、ようやく触れられる幸福を描いている。

ペンギンが一つの石を選び抜くように、人間も誰かを選ぶまでに膨大な時間をかける。だがその過程でこそ、愛は形を持ち始める。効率では測れない幸福には、“体温”がある。それは計算ではなく、経験からしか得られないぬくもりだ。

この物語は、恋を「進化」ではなく「共進化」として描いている。誰かを好きになることで、自分も少しずつ変わっていく。愛は競争ではなく、共に変わること。ペンギンの一途さと、人間の迷い。そのあいだで揺れる物語が問いかけるのは――“不完全なまま、あなたは誰を選びたいか”ということだ。

そして、一葉の最後の独白。「私はちょっとだけ愛おしいペンギンを見習って、相手の大切な基準を見つけることを頑張りな。」――この“頑張りな”という優しい響きがすべてを物語る。恋は不完全でいい。進化の途中でいい。そこにこそ、私たちが人間である理由がある。

この物語が本当に描いているのは「恋」ではなく「基準を失った時代」だ

ここまで読み解いてきて、違和感を覚えた人もいるはずだ。このドラマ、恋愛の話をしているようで、実は恋そのものにはあまり興味がない。代わりに描いているのは、「何を基準に生きていいのか分からなくなった時代の人間」だ。

ペンギンには基準がある。石を差し出す、声が低い、縄張りが広い。残酷なほど単純だ。でも人間は違う。基準が多すぎて、逆に“選べなくなった”。恋人に何を求めるのか、仕事で何を目指すのか、自分は何者なのか。そのどれもが曖昧なまま、時間だけが進んでいく。

一葉が抱えていた息苦しさの正体は、失恋ではない。「正解が存在しない世界で、何を信じていいのか分からない不安」だ。恋人と別れたのは結果であって、原因ではない。

選択肢が多すぎる世界では、人は“自分の感覚”を疑い始める

現代の恋愛は自由だ。自由すぎるほど自由だ。付き合う意味も、結婚する理由も、別れるタイミングも、すべて自己決定。だが自由には代償がある。「それ、本当に自分が選んだ?」という疑念が常につきまとう。

一葉の元恋人が言った「気づいてくれなかった」という言葉も、突き詰めれば“基準の共有不足”だ。何を大事にしていたのか、どこで傷ついていたのか、それを言語化しないまま関係を続けた結果、恋は静かに壊れた。

ここで重要なのは、どちらが悪いかではない。基準を言葉にしなければ、誰とも本当には繋がれないという事実だ。ペンギンは生まれながらにそれを知っているが、人間は違う。だからこそ、人間は“書く”。

書くこと=自分の基準を世界に置く行為

一葉がコラムを書く意味は、仕事の成果ではない。評価でもない。「私はこう感じた」と世界に向けて基準を提示する行為だ。

誰かに選ばれるための言葉ではない。誰かを説得するための理屈でもない。ただ、自分がどこで立ち止まり、何に引っかかり、どこで心が動いたのかを記す。その行為自体が、「私はここにいる」という宣言になる。

だからこのドラマは、恋愛成就に向かわない。むしろ、恋が壊れたあとに始まる。基準を失った人間が、もう一度“自分の基準”を作り直す物語だからだ。

ペンギンの世界は完成している。だが、人間の世界は未完成だ。未完成だから、迷う。迷うから、書く。書くから、誰かと繋がる可能性が生まれる。

この第1話が静かに突きつけているのは、その事実だ。恋が苦手なのではない。私たちは、基準を作る途中なだけだ。

「パンダより恋が苦手な私たち」第1話の核心とまとめ

第1話を観終えたあと、胸に残るのはストーリーではなく「余韻」だ。この物語は恋愛ドラマという枠を超えて、“人がどう生きるか”を恋という形で描いている。上白石萌歌が演じる柴田一葉は、失恋から再生へ向かう途中で、自分の中に眠っていた「言葉」と再び出会う。恋を失ったことが、彼女を“観察者”から“表現者”へと変えたのだ。

一葉の成長は静かだ。しかし、その静けさの中に確かな変化がある。恋の終わりを通して、彼女は「愛される」ことよりも「感じる」ことを選び取る。誰かに選ばれるための努力ではなく、自分の感情を受け止める勇気。その一歩が、彼女を新しい人生へと押し出していく。

そして、ペンギンというモチーフはその変化の象徴だ。椎堂司(生田斗真)が語るように、ペンギンには一つの明確な基準しかない。だが人間は違う。基準が多すぎるからこそ、迷うし、悩むし、間違える。だが、その迷いこそが「恋をする」ということの本質なのだ。

恋は非効率であるほど、人間的になる

このドラマの中で繰り返される「非効率」という言葉は、否定ではなく肯定だ。恋は非効率だからこそ美しい。すぐに答えが出る関係よりも、誤解や沈黙、すれ違いを重ねた先に生まれる一瞬の理解――そこにこそ、“人間らしさの証”がある。

効率的な恋は、きっと壊れにくい。でも、心に残るのはいつだって、不器用で、遠回りで、壊れてしまった恋だ。一葉の涙は失敗ではない。むしろ、感情を“最後まで感じ切った”証だ。理性では到達できない深さに触れたとき、人は初めて“誰かを想う”という行為の重さを知る。

恋がうまくいかないとき、人は自分を責める。けれど、「苦手」という言葉の中には、“それでも向き合おうとする意思”が潜んでいる。一葉が示したのは、恋が上手くなることではなく、“感じる力”を取り戻すことだった。

私たちは皆、誰かの基準を探す“ペンギン”なのかもしれない

最終的にこの第1話は、「恋とは何か」という問いに明確な答えを出さない。だが、その曖昧さこそが美しい。人間の恋は、ペンギンのように生まれつき決まったルールで動かない。むしろ、出会いのたびに、愛の定義を更新していく生きものなのだ。

恋を失っても、人はまた恋をする。それは本能ではなく“希望”だ。効率の悪い行為だと知っていても、また誰かに心を預けてしまう。その矛盾を笑いながら受け入れるのが、人間といういきものの愛おしさだ。

一葉の「頑張りな」という言葉は、ペンギンたちの求愛の鳴き声のように響く。静かで、短くて、でも確かに届く。恋に不器用な私たちは、きっとその声に呼ばれて生きている。

そして、このドラマはそっと教えてくれる。恋が苦手であることは、恥ではない。それはまだ「誰かを本気で信じたい」と思っている証なのだ。

この記事のまとめ

  • 恋の“非効率さ”を人間らしさとして描く物語
  • ペンギンの求愛行動が恋の「基準」を問う象徴となる
  • 椎堂司の理性と孤独が、感情の重みを際立たせる
  • 一葉が「書く」ことで自分の言葉と生き方を再発見する
  • 灰沢アリアの“魔法の言葉”が人生の軸を変える鍵となる
  • 恋は進化ではなく“共進化”――不完全さを肯定する思想
  • 物語の核心は恋ではなく「基準を失った時代」にある
  • 恋が苦手なのではなく、私たちは基準を作る途中にいる

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