「元科捜研の主婦」最終回ネタバレ 雑でも嫌いになれない

元科捜研の主婦
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7年前の冤罪、兄の死、科捜研内部の隠蔽。最終回として並んだ札は、もっと重くめくれるはずだった。

ところが実際は、真相が出る速さに感情が置いていかれる。犯人はほぼ見えていたし、隠蔽の深さに対して決着があまりに軽い。

それでも見終わって完全には突き放せない。金曜夜のドラマらしいゆるさと、最後にちゃんと残した人情が、この作品をギリギリで踏みとどまらせた。

この記事を読むとわかること

  • 最終回で明かされた冤罪事件と隠蔽の全体像!
  • 真犯人判明の弱さと、それでも残る感情の芯
  • 家族の支えと人情が最後に勝った着地点!

真相は開いた、でも重みが置いていかれた

最終盤で明かされたのは、ただの真犯人じゃない。

7年前の鑑定の歪み、科捜研内部の沈黙、警察の威信に飲み込まれた無実、そして兄の死まで一本の線でつながる、かなり重たい真相だった。

なのに見終わったあと胸に残るのは「ようやく晴れた」より先に、「いや、そこはそんな速さで片づけていい話じゃないだろ」という引っかかりだった。

再鑑定から逮捕までが早すぎる

いちばん大きかったのは、再鑑定が始まってから真相の雪崩が起きるまでの速度だ。

松井のDNAが犯人のものではなかった。副所長の加藤は過去の隠蔽を認めた。捜査一課長の金田も崩れた。そこまではまだいい。問題は、そのあとだ。7年越しの冤罪事件の再始動、拘置所で死んだ松井の無念、修一が命を落とした理由、真犯人の特定までが、一気に同じレールの上を滑っていく。

視聴者が追いつく前に、作品のほうが「はい次、はい次」と答え合わせを進めてしまう。ここで欲しかったのはテンポじゃない。重さだった。ひとつ判明するたびに誰かが言葉を失い、誰かの人生が壊れていたことを、ちゃんと噛みしめる間だ。

この終盤で本来もっと重く扱うべきだったもの

  • DNA鑑定の捏造が意味する、組織としての崩壊
  • 無実の松井が拘置所で自殺に追い込まれた事実
  • 修一が真実に近づいたせいで殺された可能性

どれも一本でドラマが作れるくらい重いのに、まとめて一気に処理されたせいで、真相の輪郭は見えても痛みの深さが沈みきらなかった。

冤罪と隠蔽の代償が軽く見えてしまう

さらに引っかかったのは、隠蔽の代償の見え方だ。金田が連行される場面はたしかにカタルシスがある。小沢の「ふざけてるのはどっちだよ」は効いていたし、松井の死を思えば怒鳴り返して当然だ。だが、怒鳴っただけで済む話ではない。

無実の人間が犯人にされ、拘置所で命を落としている。しかもその裏には、科捜研の鑑定結果を握りつぶした過去がある。だったら本来は、再審請求だの国家賠償だの遺族の怒りだの、もっと生々しい後始末が噴き出してこなければおかしい。ところが画面はその地獄をほとんど見せず、事件解決の達成感を優先して前へ進む。

ここが、この作品の優しさでもあり、甘さでもある。金曜夜に見るには見やすい。だけど、見やすさのために削った部分こそ、いちばん人の人生を壊していた部分でもある。そのねじれが残る。

.「科学は正直なんで」は決め台詞としては強い。だが本当に怖いのは、その正直な科学が7年間、組織の都合で黙らされていたことだ。そこをもっとえぐってほしかった。.

記者会見の爽やかさが逆に怖い

記者会見の場面も象徴的だった。小沢が公に鑑定偽造を認め、松井の無実を明かし、手塚の逮捕を伝える。言っている内容だけ見れば大事件だ。警察組織にとっては火だるまでもおかしくない。なのに空気は思ったより明るい。どこか「よかった、真実にたどり着けた」で包まれてしまう。

そこに妙な怖さがあった。冤罪で人が死に、真相を追った人間も殺され、科捜研の鑑定までねじ曲げられた。それだけのものが積み上がっているのに、発表の場は妙にきれいで、妙に整っている。傷口に蓋をするのが早すぎるんだ。

ただ、その軽さを一概に失敗とも言い切れない。この作品は最後まで、重苦しい社会派サスペンスになり切るつもりはなかった。あくまで家庭と仕事のあいだで揺れる詩織を中心に置いた、人肌の残るミステリーとして着地しようとしていた。その姿勢があるから、真相の重みを抱え切れず、でも後味だけは真っ黒にしない。このアンバランスさこそが、最終盤の正体だった。

犯人は隠れていなかった

最終盤で手塚達郎にたどり着く流れは、謎解きの快感というより、ようやく答え合わせに入った感触が強かった。

それが悪いわけじゃない。むしろこの作品は、誰がやったかを隠し抜くタイプのドラマではなく、どこで綻びが表に出るかを見るドラマだった。

ただ、その代わり犯人発覚の瞬間に爆発するはずの驚きは薄くなる。だからこそ、そこを補うには「なぜここまで見えていたのか」「誰が真相に一番近かったのか」を丁寧に積み上げる必要があった。

尾上寛之にたどり着くのは答え合わせに近い

正直、手塚が浮かび上がった瞬間に「そこか!」というより「やっぱりそこか」が先に来た視聴者はかなり多かったはずだ。

松井と共同研究していた人物。松井の死後に一人で論文発表して出世。事件現場の倉庫にも過去の接点がある。動画配信の映像にも影が残っている。ここまで並んだ時点で、疑うなというほうが無理がある。しかも、無実の松井を精神的に追い込める立場にいたとなれば、もう線じゃなく面で怪しい。

この作品は終盤で急に巨大などんでん返しを作るより、怪しい奴を怪しいまま前に出して、その裏づけを科学で固めていくやり方を選んだ。だから手塚の正体そのものはサプライズにならない。サプライズにならない以上、視聴者が見るのは「誰か」ではなく「どう立証するか」へ移る。その意味では、研究室の死角、手袋のDNA、倉庫と液体窒素の導線をつないでいく流れは筋が通っていた。

ただし、筋が通っていることと、震えることは別だ。犯人の顔が見えすぎていたぶん、逮捕の場面で跳ねるはずの感情はどうしても一段落ちる。ここに必要だったのは、真犯人の正体を隠す技術ではなく、見えていた犯人がどれだけ醜くて、どれだけ取り返しのつかないものを壊したかを、もっと嫌な手触りで見せる執拗さだった。

戸次重幸の執念が実は事件を先に進めていた

この最終盤でいちばん効いていたのは、現場にいない修一の存在だ。むしろ生きている面々より、死んだ修一のほうが真相に近かったんじゃないかとすら思う。

松井が犯人ではないと信じ、防犯カメラ映像を見せてくれと食い下がり、独自に掘り続けた。その結果、真犯人に倉庫へ呼び出され、命を奪われた可能性が濃くなる。これ、相当重い。つまり最後に手塚へ手が届いたのは、詩織たちが急に名探偵になったからではなく、修一が7年前にすでに真実の喉元まで指をかけていたからだ。

ここがこの最終盤のうまいところでもあり、もったいないところでもある。兄の執念が時を越えて事件を動かしていた構図は、かなりドラマとして強い。弟の道彦が兄の無念を背負い、詩織が科学でその遺志を拾い上げる。こんなに太い軸があるのに、終盤は逮捕までが早く、修一の存在が「きっかけ」に少し圧縮されてしまう。

この事件を本当に前へ押したのは誰か

  • 松井の無実を信じて独自に掘った修一
  • 再鑑定で7年前の歪みを開いた詩織
  • 兄の死の理由を追い切った道彦

事件を解いたのは一人の天才ではない。だが、最初に地面を割っていたのは明らかに修一だった。この事実があるから、ラストの道彦の感情はただの逮捕劇では終わらない。

驚きよりも「やっぱりな」が勝つ最終回だった

犯人判明の瞬間に必要なのは、必ずしも大どんでん返しじゃない。だが、驚きが弱いなら、その代わりに納得の深さが要る。この最終盤はそこを半分つかみ、半分こぼした印象だ。

手塚が吐く動機は、松井への嫉妬と劣等感。評価されるのはあいつばかり。辞めたはずなのに子どもができて戻ってきた。だから邪魔だった。現実にもありそうな、器の小さい憎悪だ。だからリアルではある。だが同時に、人を複数殺し、冤罪を着せ、拘置所の人間を自殺へ追い込むところまで突っ走った悪意としては、もう一段の底がほしかった。

結局、見ている側に残るのは「そんな理由でここまでやったのか」という戦慄より、「やっぱりこいつだったか」という確認の手触りだ。そのぶん、道彦が胸ぐらをつかむ場面だけが妙に生々しく見える。あそこだけは推理の終着点ではなく、奪われた時間への怒りがむき出しになっていたからだ。

.犯人当てとして見ると先は読める。だが、兄の執念と弟の怒りが重なる話として見ると、見え方はかなり変わる。だからこの最終盤は、ミステリーの勝負というより感情の回収で評価したほうがしっくり来る。.

いちばん痛いのは松井の人生だ

真犯人が捕まった、隠蔽も暴かれた、兄の無念にも決着がついた。

表向きの着地だけ見れば、ちゃんと終わった最終盤に見える。

でも、この物語のど真ん中に最後まで刺さったまま抜けなかった棘は、松井直也の人生だ。犯人当ての正解が出たところで、その男が失った時間も、奪われた未来も、戻ってはこない。その残酷さが、いちばん重い。

妻が犯人だと信じ込まされた絶望の重さ

手塚のいちばん汚いところは、罪を着せたことだけじゃない。松井の心を壊すために、いちばん触れてはいけない場所を狙ったことだ。

「妻が犯人だと言ったら信じた」「奥さんを守りたかったら墓場まで持っていくしかない」。この言葉、軽く流していいわけがない。これは取り調べでも誘導でもない。人が生きるために最後まで握っているはずの希望を、素手でへし折るやり方だ。しかも相手は、もうすぐ子どもが生まれることを楽しみにしていた男だ。出所した先に待っている未来を支えにしていた人間に対して、「お前が黙って死ねば家族を守れる」という形で追い込む。最低にもほどがある。

ここでぞっとするのは、松井が弱かったから騙された、で片づけられないことだ。むしろ逆だ。家族を守りたいという気持ちが強かったからこそ、あの嘘は効いてしまった。強さが裏返って、命取りになる。そこがきつい。視聴者としては「なんでそんな話を信じた」と言いたくもなる。だが、拘置所の中で、無実を叫んでも外に届かず、子どもにも会えず、唯一守りたい人の名前を出されたら、人は案外あっけなく壊れる。その現実の嫌さが、この設定にはある。

子どもの誕生を待っていた男の死がきつい

松井の話が重いのは、冤罪だからだけじゃない。死んだ人間の背景として置かれた「父親になるはずだった」という事実が、あまりにも残酷だからだ。

永田の語る日誌のくだりが効いていた。ここから出るんだ、子どもに会うんだ、そういう当たり前の未来を支えにしていた男が、ある日を境に全部を諦めてしまう。この落差は、派手な演出なんかなくても十分に痛い。しかもクリスマスの夜という情報まで乗るから、余計に嫌な想像が広がる。世の中が家族やぬくもりを連想する日に、一人の男が孤独の底へ落ちていった。その対比がえげつない。

このドラマは全体として重さを引きずりすぎない作りだが、松井の件だけは別だ。ここだけは、事件のピースではなく、一人の人生が潰れた事実として見なければいけない。無実だった、気の毒だった、では足りない。研究者としても、夫としても、父親としても、生き直すはずだった時間が丸ごと消された。そのうえ、死んだあともしばらく犯人のまま扱われていた。この二重の地獄があるから、終盤の逮捕劇がいくら整っても、完全な爽快感にはならない。

松井の何がここまで痛いのか

  • 無実なのに犯人として拘置所に入れられた
  • 子どもの誕生を待ちながら未来を奪われた
  • 家族を守りたい気持ちを利用されて死へ追い込まれた

犯人が捕まっただけでは埋まらない穴がある。その穴の形をいちばんはっきり見せたのが松井だった。

未亡人に向き合う場面はもっと静かでよかった

だからこそ、美里に報告しに行く場面には、もう少し慎重さがほしかった。

ここは本来、事件解決の報告ではなく、ようやく冤罪が解けたことを遺族へ返しに行く場面だ。もっと言えば、遅すぎた謝罪に近い。なのに空気が少し柔らかすぎる。もちろん、作品として暗く沈み込みすぎたくないのはわかる。詩織と道彦の夫婦らしさを残したい気持ちも見える。だが、夫を冤罪で失い、その夫が自殺にまで追い込まれた女性の前では、少しの軽さすらノイズになる。

美里が穏やかに受け止めるほど、逆にこっちが苦しくなるんだ。もっと怒ってもいい。もっと泣き崩れてもいい。もっと「遅い」と言ってもいい。その感情を飲み込んで、靄が晴れたと語るからこそ、この人はどれだけ長い時間を耐えてきたんだと想像してしまう。優しい場面に見えて、実はかなりしんどい。

.この最終盤でほんとうに報われていないのは、松井本人と、その時間を喪失した家族だ。事件が解けた瞬間より、そこを思ったときのほうが胸に来る。だからこの物語は、解決編というより弔いの色が強い。.

これは科学ドラマというより家族の話だった

事件の決着だけを見れば、最終盤の見どころは再鑑定でも逮捕でも隠蔽の露見でもある。

でも見終わったあとに残る輪郭は、そこだけじゃない。むしろこの作品が最後まで守りたかったのは、真実を暴く爽快感より、家族がどう支え合うかという手触りのほうだった。

だから最終着地も「犯人を倒して終わり」ではなく、「この家はこれからどう生きるか」に重心が移る。その切り替えこそ、このドラマらしさだった。

詩織の復帰は事件解決より大きな着地点

詩織が科捜研に戻るかどうか。この結論は、真犯人逮捕よりずっとこの作品の本丸に近い。なぜなら最初からこの物語は、優秀な人間が家庭に入ったあと、その才能をもう一度仕事へ返していいのかという問いを抱えていたからだ。

しかも面白いのは、復帰が「家庭を捨てて仕事を選ぶ」形になっていないことだ。そこを単純な二択にしなかったのは大きい。詩織は家に入って幸せだったと認める。そのうえで、科捜研の仕事も大好きだと言い切る。ここがいい。どちらかが偽物だったわけじゃない。家庭にいた時間も本物で、仕事への熱も本物。その両方を抱えたまま、もう一度答えを探しに行く。かなり欲張りだし、かなり現実的だ。

「どちらも選んでそれでも幸せになれる仮説を証明してみたい」という着地は、この作品の言葉としてかなり強い。綺麗事に見えそうでいて、実際には面倒ごとの宣言でもあるからだ。朝の支度も、お迎えも、仕事の緊急呼び出しも、全部きれいには回らない。それでもやると決める。その前向きさが、薄いポジティブではなく、生活に踏み込んだ覚悟として響いていた。

道彦の涙がようやく最終盤の感情を引き受けた

この最終盤で遅れてやってきた本物の感情は、道彦が泣き崩れる場面に集約されていた。兄の無念、7年間ぶら下がっていた疑念、手塚への怒り、何も知らずに過ごしてしまった時間。その全部が、逮捕の瞬間ではなく、終わったあとに一気に落ちてくる。あそこでようやく、この事件は推理じゃなく喪失の話だったとわかる。

道彦はずっと、夫としても弟としても踏ん張る役だった。詩織の背中を押し、亮介を迎えに行き、兄の死の真相にも食らいつく。動いているあいだは倒れない。でも、人間って本当に苦しいときほど、動いている最中には泣けない。全部が片付いた瞬間に崩れる。あの涙には、その生々しさがあった。

道彦の涙が効いた理由

  • 兄を失った弟としての感情がようやく表に出た
  • 逮捕の達成感ではなく、失われた時間の重さが先に来た
  • 詩織の前で崩れたことで、夫婦の物語として着地した

事件を解いた瞬間より、泣けた瞬間のほうがこの作品の核心に近い。ここでようやく、家族の物語として血が通った。

しかも、その涙を受け止めるのが詩織なのがいい。逆でもよかったはずなのに、最後はちゃんと夫婦で支え合う絵になっている。事件を追う側と支える側が固定されず、場面ごとに入れ替わる。その柔らかさが、この夫婦の強さだった。

亮介の存在がこのドラマの空気を最後まで守った

そして忘れたくないのが亮介だ。この子がいたから、この作品はどれだけ重いネタを抱えても、完全に冷え切らなかった。ぶり大根の一言も、タッチの仕草も、「僕もやってみる」という参加の仕方も、全部が家庭の温度を戻していた。

子どもって、こういうドラマではときどき「癒やし担当」の便利な記号になりがちだ。だが亮介はもう少し踏み込んでいる。詩織が復帰を考えるときの未来そのものとして置かれているからだ。母が働くことを理解しようとし、自分も協力すると口にする。その背伸びがいじらしいし、同時に、この家がちゃんと会話できる家族なんだとわかる。ここが大きい。

.結局このドラマが守っていたのは、科学の正しさそのものじゃない。正しさを抱えた人間が、家に帰ったあと誰と食卓を囲むかだ。その温度が最後まで消えなかったから、多少雑でも見捨てにくかった。.

最後に効いたのはモッズコートだった

こんなに重たい材料を並べた最終盤なのに、見終わったあと妙に記憶に残るのが、液体窒素でもDNAでもなく、モッズコートだったりする。

普通ならおかしい。冤罪、自殺、隠蔽、殺人、兄の無念。そんなものを抱えた話の締めで、笑いの小ネタが残るなんて、構成だけ見れば危ういにもほどがある。

でも、この作品はそこが妙にうまかった。というより、うまいというより、半ば強引にでも自分の空気へ引き戻す図々しさがあった。その図々しさが、最後にちゃんと効いた。

パロディのしつこさが一周して笑いに変わる

序盤からずっとあった「踊る大捜査線」まわりの遊びは、正直しつこいと思っていた人も多かったはずだ。こっちは事件を追いたいのに、なぜそこをなぞる。なぜそのテンションを差し込む。そういう引っかかりは何度もあった。とくにシリアスな場面が続いたあとほど、パロディの混ざり方が浮いて見えることもあった。

だが不思議なもので、ここまで続けられると話が変わってくる。単発の悪ふざけではなく、もう作品の癖として定着するんだ。視聴者の側も「またそれか」と思いながら、その“また”を待つ身体になっていく。ドラマって、整った完成度だけで記憶に残るわけじゃない。ちょっと鬱陶しい癖、ちょっとズレたお約束、そういうものが積み重なって、いつの間にか作品固有の匂いになる。この最終盤では、その匂いがちゃんと帰ってきた。

しかも重い真相が一気に出たあとだからこそ、少しズレた笑いが余計に効く。ずっと張りつめたままでは、人は感情を受け止めきれない。どこかで一回、息を逃がす場所が要る。その役目をこの作品は、気の利いた名台詞ではなく、半ば意地みたいに続けてきたパロディでやった。洗練ではない。けれど、こういう泥くさいやり方のほうが作品の体温は残る。

「脱げ」の一言が最終盤のいちばん自然な抜けだった

八嶋智人の「モッズコート脱げ!」が刺さったのは、台詞そのものが爆笑級だったからじゃない。あの瞬間だけ、画面の全員が“ちゃんとこの世界で生きている人”に戻ったからだ。

事件が大きくなればなるほど、登場人物は説明装置になりやすい。真相を言う人、怒る人、証拠を出す人、泣く人。役割が先に立つ。でも、あの一言には役割を超えた雑味があった。長く一緒に働いてきたからこそ出るツッコミ、鬱陶しいけど放っておけない相手への反応、職場特有の空気。その全部が乗っていた。

ここが大事だ。最終盤では大きな事件の決着に目が向きがちだが、視聴者がほんとうに作品へ親しみを持つのは、案外こういうどうでもいいやり取りだったりする。科学捜査の精度でも、犯人逮捕の鮮やかさでもなく、「この人たちの職場、なんだかんだで馴染んできたな」と感じる瞬間。それがあると、ドラマは単なる事件簿ではなく、毎週帰ってきたくなる場所になる。

なぜモッズコートが残ったのか

  • 重たい真相のあとに感情を逃がす隙になった
  • 職場の関係性が一言で見える場面だった
  • 作品の癖が最後に「味」へ変わった

事件の核心じゃないのに記憶に残る。こういう場面を持っているドラマは、理屈以上に愛嬌で勝つ。

重たい事件でも金曜夜の軽さは捨てなかった

結局、この作品は最後まで深夜の社会派にはならなかったし、骨太ミステリー一本にもならなかった。冤罪の重さを正面から全部抱え切る覚悟までは見せず、かといって軽いホームドラマへ逃げることもなかった。その中途半端さは、見方によっては弱点だ。でも、金曜夜に流れる連ドラとして見たとき、この半端さはむしろ武器でもある。

仕事帰りに見る人もいれば、家事の手を止めながら見る人もいる。そんな時間帯に、胸ぐらをつかまれるような重苦しさだけを置いて終わる作品は、たしかに強いが、同時に疲れる。その点、このドラマは最後の最後で少し笑わせ、少し肩の力を抜かせ、「まあいろいろ雑だけど嫌いじゃない」で帰してくる。ここが絶妙だった。

もちろん、重い題材を扱った以上、軽さに逃げたと言われても仕方ない部分はある。それでも、軽さをただの逃避で終わらせなかったのは、そこに積み重ねた人間関係があったからだ。小沢の不器用さも、太田のうるささも、岡部の空回りも、全部ひっくるめて、最後にはこの現場の空気として受け入れられている。モッズコートへのツッコミは、その象徴みたいなものだった。

.冤罪の傷は重い。真犯人の悪意も軽くない。それでも最後に記憶へ刺さるのが「脱げ」だった。このバランスの悪さこそ、このドラマの正体だ。整ってはいない。だが、妙に人懐っこい。だから見終わっても、完全には突き放せない。.

雑でも嫌いになれない、それがこの最終回だ

結局、最終盤をどう見るかは、完成度で切るか、体温で拾うかに尽きる。

冤罪の重さは本来もっと深く沈むべきだったし、隠蔽の代償も、真犯人の醜さも、まだまだえぐれた。詰めの甘さもある。展開の速さに置いていかれる場面もある。

それでも見終わったあとに残るのは、欠点の一覧じゃない。「ああ、なんだかんだ最後まで見てしまったな」という、あの妙に人懐っこい感触だ。そこがこの作品の強さだった。

完成度より愛嬌が勝った

このドラマ、冷静に分解するとかなり危うい。7年越しの冤罪に踏み込みながら、その後処理はかなり軽い。犯人の正体も早い段階で透ける。事件の重みを真正面から抱え切ったかと言われたら、首は縦に振れない。普通ならその粗さが命取りになる。

なのに、不思議とそこだけで見切れない。理由ははっきりしていて、人物の空気が最後まで死ななかったからだ。詩織と道彦の夫婦の温度、小沢の不器用な義理、太田や岡部のちょっと騒がしい職場感、亮介がいることで保たれる家庭の明るさ。事件が雑でも、人が雑に消費されていない。そこが大きい。

ドラマって、精密な伏線回収だけが正義じゃない。粗くても、「この人たちをもう少し見ていたい」と思わせたら勝つ。最終盤はまさにそれだった。完璧な傑作ではない。だが、見捨てるには惜しい顔をしている。その愛嬌が、欠点の上にしぶとく乗っていた。

粗さは残ったが後味まで悪くはしなかった

後味が完全に苦くならなかったのも、この作品の妙なバランス感覚だ。松井の人生を思えば、本来はもっと苦く終わってもおかしくない。修一の無念も、遺族の時間も、そんな簡単に癒えるわけがない。それでも最終盤は、そこへ真っ黒な幕を下ろさなかった。

ここを甘いと見ることもできる。だが、全部を絶望で閉じなかったからこそ、詩織の復帰も、家族で支え合う未来も、ただの取ってつけた希望にならずに済んだとも言える。真相が暴かれて終わりではなく、傷を抱えたまま、それでも生活は続くという形で地面に降ろした。この着地は、派手ではないが悪くない。

この最終盤が嫌われ切らなかった理由

  • 事件の決着だけでなく、家族の着地点まで描いた
  • 職場の関係性が最後までちゃんと生きていた
  • 重さを残しつつ、見終わったあとに少しだけ呼吸ができた

雑さはある。だが、雑さだけで終わらない。だから「ひどかった」で切るには、少し惜しい。

続編があればまた見てしまう、その程度にはちゃんと愛された

たぶんいちばん正直な感想はここだ。細かい不満はある。いや、細かくない不満もある。それでも、もしこの先また詩織たちが動き出すなら、たぶん普通に見る。なんなら始まる前に文句を言いながら、始まったらちゃんと見る。そういうドラマだった。

それは中毒性のある名作という意味じゃない。もっと生活に近い。毎週きっちり心を撃ち抜かれたわけではないのに、気づけば食卓の近くにいたような作品だ。事件が起きて、少し笑って、少し腹が立って、最後は家族のところへ戻る。そのリズムが視聴者の身体に入った。だから終わると少し淋しい。

最終盤は、その作品の癖も、粗さも、愛嬌も、全部まとめて出た締めだった。整い切ってはいない。名作と断言するにはためらう。だが、ちゃんと人の記憶には残る。冤罪の重さも、兄の執念も、松井の痛みも、モッズコートの脱げも、全部ごちゃついたまま残る。そのごちゃつきごと抱えて、「まあ嫌いじゃない」と言わせたなら、もうそれは立派に勝っている。

.完璧じゃない。むしろかなり不格好だ。だが、不格好なくせに最後は少しだけ情が移っている。そういうドラマは強い。理屈で勝つんじゃない。帰り際に、ちょっとだけ名残を置いていく。.

この記事のまとめ

  • 7年前の冤罪と隠蔽がつながる最終盤の真相!
  • 真犯人判明は早いが、重みの処理はかなり軽め!
  • いちばん痛いのは松井の人生そのものだった
  • 兄・修一の執念が、真相解明を動かした核
  • 科学捜査より家族の支え合いが主軸の着地
  • モッズコートのツッコミが最後の抜け道に!
  • 粗さは残っても、妙に嫌いになれない最終回

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