『サバ缶、宇宙へ行く』第8話は、ついに宇宙日本食候補に選ばれるという、本来なら一番熱くなるはずの回だった。
けれどネタバレ込みで感想を言うなら、胸が震えるより先に「そこを膨らませるのか」と引っかかった。
サバ缶という素材、宇宙へ行くという夢、普通科との対立、菜那歌と寿々の迷い。材料は全部うまい。それなのに、皿に出されたものは肝心の開発ドラマが薄い。
- サバ缶開発ドラマが薄く見えた理由
- 菜那歌と寿々の離脱未遂が刺さらない惜しさ
- 木島真の迷いに重なる夢の残酷さ
サバ缶、宇宙へ行く第8話は素材が良いのに煮込みが浅い
宇宙日本食候補に選ばれる。
字面だけ見れば、ここで一気に沸騰していい。
商店街も学校も生徒も教師も、ようやく「サバ缶」がただの実習ではなく、空の向こうへ手を伸ばす夢に変わる場所だからだ。
宇宙日本食候補に選ばれた熱が続かない
菜那歌と寿々が「地味だからやめたい」と口にする流れは、かなり正直でいい。
夢という言葉は便利だが、現場にいる人間からすれば、毎日やっているのは缶を開け、味を見て、粘度を確認し、記録を書き、また失敗する作業の繰り返しだ。
そこに派手さなんかない。
宇宙という言葉だけがキラキラしていて、手元にあるのはサバと調味液と研究ノート。
その落差にうんざりする感覚は、むしろ高校生らしくて生々しい。
ただ、問題はそこからだ。
宇宙日本食候補に選ばれたという大きな転機が来たのに、画面の熱がなかなか上がり切らない。
本来なら、視聴者が「ここまで来たか」と腹の底から持っていかれる場面だ。
なのに、喜びの爆発より先に、普通科との揉め事や周辺のゴタゴタへ意識が流れていく。
サバ缶が宇宙へ近づいた瞬間のはずなのに、肝心のサバ缶が画面の中心から少し退いてしまう。
木島と皆川がやって来て、実食する。
粘性に問題なし、味もいい。
この判定は、開発班にとって泣くほど重いはずだ。
最初はまずい、進まない、地味、辞めたい、そんな泥の中から抜け出して、外部のプロに「いい」と言われる。
それなのに、その達成感がやや軽く見えるのは、途中の苦戦が十分に皿へ盛られていないからだ。
料理で言えば、下ごしらえを見せずに完成品だけ出された状態。
うまそうではある。
でも、香りが立つ前に食卓へ置かれた感じが残る。
見たいのは揉め事よりサバ缶が完成する苦しさ
普通科との対立を入れる意味は分かる。
海洋を下に見る空気、実習をバカにする視線、奏仁が抱えている兄への劣等感。
学校の中で「何を学んでいるか」によって人間の価値まで勝手にランク付けされる嫌な感じは、確かにドラマになる。
だが、ここで見たい火種はそこだけではない。
一番えぐれるべき場所は、サバ缶そのものがなかなか完成しない苦しさだ。
もっと見たかった開発の泥臭さ
- 粘性を保つために、葛粉の分量を何度も変える地味な試行錯誤。
- 宇宙で食べる前提だからこそ、味の濃さや食感が地上と同じでは通用しない難しさ。
- 「おいしい」だけでは突破できない検査や認証の壁。
- 卒業までに間に合うか分からない時間の残酷さ。
この素材なら、普通科の悪ガキを出さなくても十分に人間が壊れる。
昨日うまくいった配合が今日ダメになる。
先生に褒められた味が、外部の基準では通らない。
夢を語った本人ほど、記録用紙の前で無言になる。
そういう場面が積み重なれば、候補に選ばれた瞬間の破壊力はもっと跳ねた。
「最低でも1年半かかる」と告げられた場面は良かった。
あれは冷水だ。
高校生の時間感覚で1年半は長すぎる。
卒業、進路、別れ、全部が先に来てしまう。
夢は叶いそうになった瞬間から、急に待つことを要求してくる。
そこにはちゃんと残酷さがある。
けれど、その残酷さにたどり着くまでのサバ缶開発がもっと濃ければ、4人が笑顔を失って歩く帰り道は、ただの沈黙ではなく胃に残る苦味になっていた。
素材はいい。
サバ缶、宇宙、地方の学校、実習、卒業までの時間、届きそうで届かない夢。
こんなにうまい材料が並んでいるのに、煮込みが浅い。
味がしないわけではないが、もっと濃くできたはずだという未練が舌に残る。
そこが一番もったいない。
ネタバレ感想:菜那歌と寿々の離脱未遂が軽い
菜那歌と寿々がサバ缶開発を辞めたいと言い出す。
ここは責める場面ではない。
むしろ、夢の裏側にある地味さにうんざりする高校生の本音としては、かなりまともな反応だ。
「地味だから辞めたい」は悪くない、でも浅い
菜那歌と寿々の「地味だからやめたい」は、言葉だけ拾えば甘えているように聞こえる。
けれど、実習の現場に立っている本人たちからすれば、毎日がキラキラした宇宙への挑戦ではない。
缶詰の味を調整し、粘りを見て、記録を取り、また失敗する。
周囲は「宇宙食候補」だの「夢」だの景気のいい言葉で盛り上がるが、本人たちの手元にあるのは、ひたすら地味な作業だけだ。
夢は遠くから見ると光っているが、近くで触るとだいたい作業着の匂いがする。
だから、菜那歌と寿々が「こんなの思ってたのと違う」となるのは自然だ。
ただ、ドラマとして惜しいのは、その不満の掘り方が薄いところだ。
二人がどの工程に一番うんざりしていたのか。
誰と比べて、自分たちが惨めに見えたのか。
宇宙へ行くサバ缶という大きな看板の下で、自分たちはただの手伝いにしか見えていなかったのか。
そこまで踏み込めば、「地味だから辞めたい」はもっと刺さった。
単なる根性不足ではなく、夢の中にいるのに、自分だけ夢の外側に立たされている感覚として見えたはずだ。
菜那歌と寿々の本音は、たぶんここにある。
- 宇宙という言葉ほど、作業が派手ではない。
- 自分たちが必要とされている実感がまだ弱い。
- 成功した未来より、今日の面倒くささのほうが重い。
- 続けた先に何が残るのか、まだ腹で分かっていない。
この迷いは、ちゃんと描けばかなりおいしい。
夢に向かって一直線の若者ばかりでは嘘くさい。
むしろ、途中で嫌になり、逃げたくなり、他人の熱量がうっとうしく見える瞬間こそ本物だ。
柚希が「夢なんか叶ったときだけ華やかや」と刺す場面も、言葉としてはかなり強い。
叶うまでの夢は、ほとんどが退屈で、しんどくて、誰にも褒められない時間だ。
そこを一度でも知った人間の言葉だから、菜那歌と寿々にも届く。
ただし、届くまでが早い。
痛みが入ったというより、台本に背中を押されて戻ってきたように見えてしまう。
戻ってくる涙までが早すぎて刺さらない
菜那歌と寿々が奏仁の騒動をきっかけに本当のことを話し、朝野に謝って、開発を続けたいと泣く。
流れだけ見れば美しい。
辞めたいと言った二人が、仲間を見捨てず、自分たちの目で見た真実を言いに来る。
そして、サバ缶開発へ戻る。
ここで感動できるだけの材料は揃っている。
なのに、涙の温度が少し足りない。
二人が戻る理由が、サバ缶への執着ではなく、奏仁を助けた流れの延長に見えてしまうからだ。
本当なら、菜那歌と寿々には一度もっと嫌な顔をしてほしかった。
葛粉の店に連れて行かれても、説明を聞いても、すぐには目を輝かせない。
寺尾創亮がどれだけ真面目に話しても、「だから何」と飲み込めない。
そのくらい頑固に冷めていたほうが、後で火がついたときに強い。
サバ缶の味が少しだけ変わった瞬間、自分たちが入れた一手で何かが動いた瞬間、そこで初めて「あれ、もしかしてうちら必要やったんか」と気づく。
そういう腹落ちが欲しかった。
朝野の「無理に実習をやる必要はない」という距離の取り方は悪くない。
大人が熱血で押しつけないのは、この作品の良いところだ。
辞めるなら自分で仲間に言え、という線引きも正しい。
誰かの夢に乗るなら、自分の足で乗れ。
降りるなら、自分の口で降りろ。
朝野はそこをちゃんと生徒に返している。
だからこそ、菜那歌と寿々が自分の言葉で戻ってくる場面には、もっと重さを持たせられた。
泣けばいいわけではない。
謝ればいいわけでもない。
視聴者が見たいのは、二人がなぜもう一度サバ缶の前に立つのか、その理由だ。
「地味だけど続けたい」では弱い。
「地味だからこそ、自分たちがやらなきゃ誰も気づかない」と言えるところまで行けば、菜那歌と寿々は一気に化けた。
地味さを嫌った人間が、地味さの価値に気づく。
そこまで描けたら、サバ缶はただの缶詰ではなく、二人の成長を閉じ込めた小さな宇宙になっていた。
普通科との対立がサバ缶開発の味を薄める
普通科が海洋を見下す構図は、分かりやすい。
偏差値、進路、校内での空気、教師の態度。
学校という狭い世界では、そういうくだらない序列がときどき人間の顔をして歩き出す。
三好たちの嫌がらせが雑な悪役に見える
奏仁が普通科の生徒に絡まれる流れは、見ていて腹が立つ。
海洋を下に見て、実習をバカにして、兄を持ち出して、弟の立場まで踏みにじる。
三好たちのやっていることは幼稚で、汚くて、何より弱い。
自分の言葉だけでは相手を殴れないから、「普通科」とか「兄」とか「偏差値」みたいな借り物の棒で叩いているだけだ。
本当に強い人間は、自分が選んだ道を他人の道を踏みつける道具にしない。
ただ、ドラマとしては三好たちの描き方が少し雑だ。
悪さをするために置かれた悪役に見えてしまう。
普通科側にも、海洋を見下すだけの嫌な空気があるのは分かる。
でも、三好たちが何に焦っているのか、何が怖くて海洋をバカにするのか、そこがほとんど見えない。
だから、奏仁への嫌がらせが「学校内のねじれ」ではなく、単なるイベント消化に近くなる。
視聴者が腹を立てるための装置としては機能している。
だが、作品全体の味を濃くするスパイスにはなり切れていない。
普通科との対立で惜しかったところ
- 普通科側の教師まで露骨に高圧的で、現実味より記号感が前に出る。
- 三好たちが海洋を嫌う理由が薄く、ただの嫌な生徒に見える。
- 奏仁の怒りより、サバ缶開発とのつながりが弱く見える。
- 校内の分断を描くなら、もう少し双方の生活感が欲しかった。
普通科の教師の態度も、なかなかひどい。
生徒の言い分をろくに疑わず、海洋側に非があるような空気を出す。
教師がそれをやると、もう生徒の小競り合いでは済まない。
学校という場所が、学科によって生徒の価値を勝手に決めているように見えるからだ。
だからこそ、菜那歌と寿々が「見てました」と本当のことを言いに来る場面は効く。
辞めたいと言っていた二人が、仲間のために一歩前に出る。
ここにはちゃんと熱がある。
ただし、その熱がサバ缶の鍋ではなく、校内トラブルのフライパンで燃えている。
燃える場所が悪いとは言わないが、主役の火元から少し離れている。
大檎の一言は気持ちいいが都合のよさも残る
普通科が実習を見学する流れは、朝野らしい解決策だ。
口で言い返すのではなく、現場を見せる。
研究ノートを見せ、作業を見せ、手間を見せる。
「バカにするなら、まず見てからにしろ」というやり方だ。
これは正しい。
どれだけ立派な言葉を並べても、見ていない人間の偏見はなかなか剥がれない。
実際に手元の作業、積み重なった記録、失敗の痕跡を見せることで、ようやく相手の中に沈黙が生まれる。
奏仁の兄・大檎が研究ノートを見て「本気なんだな」と感じるのも、筋は通っている。
そして帰り道、まだ海洋をバカにする三好に対して「俺がバカにする要素は一つもなかった」と言い切る。
この一言は気持ちいい。
兄が弟を初めて真正面から見た瞬間でもある。
しかも、ただ弟をかばっただけではない。
海洋の実習そのものを認めた言葉になっている。
大檎の言葉で、奏仁の背中に貼られていた「普通科の弟」という札が少し剥がれる。
大檎が奏仁に謝る場面も悪くない。
「宇宙に飛ばせるとエエな!」という言葉は、兄弟の距離を一歩だけ縮める。
ただ、ここでも少し早い。
兄が弟を認めるには、もっと積み残した痛みがあっていい。
奏仁がどれだけ兄と比べられてきたのか。
海洋にいる自分をどれだけ小さく感じていたのか。
そこをもっと見せていれば、大檎の謝罪は単なる和解ではなく、奏仁の中に刺さっていた棘が抜ける場面になった。
普通科との対立は、話を動かすためには便利だ。
だが便利すぎる道具は危ない。
サバ缶開発という本筋があるのに、分かりやすい揉め事が前に出ると、視聴者の目はそちらへ奪われる。
結果、サバ缶の味が薄まる。
海洋がバカにされて悔しい、奏仁が認められてよかった、それは確かにある。
それでも一番見たいのは、あの小さな缶詰がどうやって宇宙へ近づいていくのかだ。
人間関係で泣かせる前に、サバ缶で泣かせてほしい。
朝野の提案は正しい、でもドラマの火種が外へ逃げた
朝野が普通科に実習見学を提案する流れは、教師としてかなりまともだ。
怒鳴って終わらせるのではなく、見せて黙らせる。
海洋をバカにしている相手に、海洋の手元を見せるという返し方は、静かだが一番強い。
実習見学で偏見を崩す流れは悪くない
朝野は、生徒同士の揉め事をただの喧嘩で処理しない。
奏仁が殴った、三好が嘘をついた、普通科の教師が高圧的だった。
そこだけを裁けば、その場は片づく。
けれど、片づくだけだ。
海洋を下に見る空気は残るし、普通科の生徒たちはまた陰で笑う。
だから朝野は、実習を見せる方向へ持っていく。
偏見は説教で溶けない。現場を見せて、相手の中に言葉を失わせるしかない。
研究ノートを見せるのも効いている。
あれはただのノートではない。
失敗の墓場であり、悔しさの履歴であり、何度も同じ壁にぶつかった証拠だ。
普通科の生徒たちが見下していた「実習」は、遊びでも暇つぶしでもない。
温度、粘度、味、配合、保存、認証。
言葉にすると地味だが、そこに人間の時間が詰まっている。
大檎がそれを見て「本気なんだな」と受け取るのは自然だ。
本気というものは、声の大きさではなく、手元の汚れと記録の厚みに出る。
朝野の提案が効いている理由
- 普通科を言葉でねじ伏せず、実際の作業を見せて黙らせた。
- 海洋の価値を「かわいそうな側」としてではなく、技術と積み重ねで示した。
- 奏仁個人の喧嘩を、学校全体の偏見へつなげた。
- 大檎が弟を見る目を変えるきっかけを作った。
この解決の仕方は、安い熱血教師ものよりずっと良い。
朝野が「お前ら謝れ」と叫ぶだけなら、ただの場面処理になる。
でも、実習見学なら、普通科側は自分の目で見るしかない。
バカにしていた相手が、自分たちの知らない基準で本気を出している。
その事実を突きつけられる。
三好がまだ悪態をついても、周囲の生徒がしらけた目で見るのは当然だ。
一度見てしまった人間は、見ていないふりをし続けるのが難しくなる。
朝野は喧嘩を止めたのではなく、見下す側の足場を崩した。
本当に掘るべきは缶詰の中の失敗だった
ただ、朝野の提案が正しいからこそ、余計に惜しくなる。
この物語で一番燃えるべき火種は、普通科の偏見ではなく、缶詰の中にあるはずだからだ。
サバ缶を宇宙へ持っていくという発想は、そもそも異常なくらい面白い。
魚の缶詰を作るだけなら家庭科の延長に見えるかもしれない。
でも、宇宙日本食候補となれば話が違う。
液が飛び散らない粘性、長期保存、食べやすさ、味の安定、検査、認証。
ただ「おいしい」で終わらない世界がある。
そこにこそ、視聴者が知らないドラマの鉱脈が眠っている。
例えば、葛粉を使うなら、なぜその粘りが必要なのかをもっと画で見たかった。
少し固いと食べにくい。
少しゆるいと宇宙では危ない。
温めたときと冷めたときで食感が変わる。
サバの脂と混ざったときに味がぼやける。
そういう具体的な壁が一つずつ出てくれば、見ている側も一緒に開発している気分になる。
「粘性に問題なし」と言われた瞬間も、ただの合格ではなく、ようやく越えた山になる。
人間関係のトラブルは分かりやすい。
悪い奴がいて、嘘をついて、正しい側が証言して、最後に見返す。
見やすいし、感情も動く。
でも、その分だけ味は既製品になる。
この作品が持っている本当の強みは、誰も知らないサバ缶開発の地味な苦しさだ。
そこを逃がすと、せっかくの題材が普通の青春ドラマの型に押し込まれる。
型が悪いわけではない。
ただ、この素材にはもっと変な匂いがある。
もっと生臭くて、もっとしつこくて、もっと缶のフチで指を切るような痛みが似合う。
朝野は間違っていない。
むしろ、教師としてはかなり良い手を打っている。
だからこそ、脚本の火種が外へ逃げたことが目立つ。
偏見を崩す話もいい。
兄弟の和解もいい。
でも、まずはサバ缶で殴ってほしい。
この作品にしかできない殴り方は、校内の揉め事ではなく、缶詰の中にある。
木島真の迷いだけが静かに効いている
木島真が宇宙飛行士に応募するか迷っている。
ここは派手な衝突も大きな事件もない。
それなのに、サバ缶開発の騒がしさより、静かに胸へ残る重さがある。
宇宙飛行士への応募がサバ缶の夢と重なる
木島真の迷いは、かなり大人の迷いだ。
高校生たちは「宇宙に飛ばしたい」と前を向ける。
だが木島は、宇宙という言葉のまぶしさだけでは動けない。
応募するということは、夢に近づくことでもあり、現実に自分を差し出すことでもある。
落ちるかもしれない。
届かないかもしれない。
挑戦したせいで、自分の限界をはっきり見せつけられるかもしれない。
夢に応募するのは、希望を出すことではなく、自分の弱さまで提出することだ。
だから木島が迷う姿は、サバ缶開発とちゃんと重なる。
生徒たちは缶詰を宇宙へ送ろうとしている。
木島は自分自身を宇宙へ近づけるかどうかで立ち止まっている。
対象は違う。
片方はサバ缶、片方は人間。
だが、どちらも「やってみたい」だけでは済まない。
検査があり、選抜があり、時間があり、落とされる可能性がある。
夢という言葉の下に、冷たい判定がずらっと並んでいる。
木島の迷いが効いている理由
- 宇宙を夢としてではなく、選ばれるかどうかの現実として背負っている。
- 高校生たちのまっすぐさと違い、大人の怖さがにじんでいる。
- サバ缶の認証と宇宙飛行士選抜が、どちらも「待つしかない挑戦」として響く。
- 成功より先に、落ちるかもしれない未来を見てしまう弱さがある。
木島は、ただの案内役や助言役では終わっていない。
生徒たちが宇宙へ夢を投げる横で、本人もまた宇宙へ行きたい人間として揺れている。
ここがいい。
大人が完成した顔で若者を導く構図だけなら、かなり退屈になる。
でも木島には、導く側でありながら、自分の足元もぐらついている感じがある。
生徒に偉そうなことを言えるほど、夢を簡単に信じ切れていない。
だからこそ、木島の沈黙には説教より濃い味がある。
夢は叶う瞬間より待つ時間のほうが残酷
サバ缶が実食で評価される。
粘性に問題なし。
味もいい。
そこだけ聞けば、全員で飛び跳ねていい場面だ。
だが直後に「最低でも1年半」という現実が落ちてくる。
この冷たさがいい。
夢に近づいた瞬間、ゴールテープではなく待合室へ通される。
しかも高校生たちにとっての1年半は、ただの期間ではない。
卒業があり、進路があり、クラスの空気も、人間関係も、自分の立場も変わっていく。
夢は叶わないことより、叶うかもしれないまま待たされることのほうが残酷なときがある。
木島の宇宙飛行士への応募も同じだ。
応募すればすぐ宇宙へ行けるわけではない。
書類、試験、訓練、選抜、結果待ち。
一つ通ってもまた次がある。
落ちたら終わり。
通ってもまだ終わらない。
夢の世界は、意外と役所の窓口みたいに冷たい。
書類を出し、番号を呼ばれるのを待ち、いつ来るか分からない結果に生活を握られる。
その間も、飯は食うし、仕事はあるし、周囲は何もなかった顔で日常を続ける。
4人が笑顔を失って歩く帰り道も、木島の迷いと同じ場所にいる。
評価された。
前には進んだ。
なのに、すぐには報われない。
この宙ぶらりんが一番きつい。
失敗なら泣ける。
成功なら喜べる。
でも「可能性はある。結果はまだ先」と言われると、感情の置き場所がなくなる。
サバ缶は宇宙へ近づいたのに、生徒たちの日常は地上へ縛られたままだ。
木島真の迷いは、もっと大きく扱ってもいいくらいだった。
彼の揺れがあることで、宇宙がただのゴールではなくなる。
宇宙は、選ばれなければ届かない場所であり、選ばれるまで自分を疑い続ける場所でもある。
サバ缶の認証待ちと木島の応募迷いは、どちらも「夢の手前で止められた人間」の顔をしている。
そこだけは、静かなのに妙に生々しい。
サバ缶、宇宙へ行く第8話の感想まとめ:夢は熱いのに皿が薄い
サバ缶が宇宙日本食候補になる。
こんなに強い展開なのに、見終わったあとに残るのは高揚よりも惜しさだった。
題材は抜群、役者も悪くない、なのに一番おいしいはずの開発の苦味が足りない。
良い素材を持っているからこそ惜しさが目立つ
この作品の一番の武器は、サバ缶という庶民的な食べ物が宇宙へ向かうところにある。
そこには、地方の高校、実習、研究ノート、卒業までの時間、認証を待つ長い道のりが全部詰まっている。
派手な才能を持った天才が世界を変える話ではない。
手を洗い、缶を開け、味を見て、また失敗する高校生たちが、気づけば宇宙という途方もない場所に手を伸ばしている。
本来なら、そこだけで十分に胸を殴れる。
サバ缶が宇宙へ行くという発想自体が、もう勝っている。
だからこそ、普通科との対立や三好たちの嫌がらせが前に出ると、どうしても味が薄くなる。
奏仁がバカにされる悔しさ、大檎が弟を認める気持ちよさ、菜那歌と寿々が戻ってくる涙。
それぞれの場面に意味はある。
しかし、視聴者が本当に見たいのは、誰が誰を見下したかではない。
サバ缶がなぜ失敗し、なぜうまくなり、なぜ宇宙日本食候補に近づけたのかだ。
人間関係の揉め事で熱を作るより、缶詰の中で熱を作ってほしかった。
ここが惜しい
- 候補に選ばれた達成感より、校内トラブルの処理が印象に残る。
- 菜那歌と寿々の復帰が早く、サバ缶への執着としては弱い。
- 粘性や味の改善が、結果報告に近く見えてしまう。
- 「最低でも1年半」という残酷な現実は良いのに、そこへ至る積み上げがもっと欲しい。
それでも、完全にダメとは言い切れない。
「最低でも1年半かかる」と告げられた瞬間だけは、かなり良かった。
喜びの直後に落ちてくる現実。
卒業までに間に合うのか分からない不安。
宇宙に近づいたのに、すぐには届かないもどかしさ。
あの帰り道の沈黙には、この作品が本来持っている苦さがちゃんと出ていた。
次回はサバ缶開発の手触りを取り戻せるか
ここから本当に欲しいのは、サバ缶開発の手触りだ。
誰かが泣くとか、誰かが怒るとか、それだけでは足りない。
何を変えたから味が良くなったのか。
どんな検査に引っかかる可能性があるのか。
高校生たちは、認証までの長い時間をどう受け止めるのか。
そこを具体的に見せてくれたら、物語はまだ一気に濃くなる。
サバ缶は完成品より、完成しない時間のほうがドラマになる。
木島真の迷いも、もっとサバ缶と響かせていい。
宇宙飛行士に応募するか迷う大人と、宇宙日本食候補の認証を待つ高校生たち。
どちらも、夢の入口に立ったまま結果を待つ人間だ。
叶うか分からない。
でも、もう見なかったことにはできない。
その怖さをちゃんと描ければ、作品はただの青春ドラマでは終わらない。
素材は本当にいい。
サバ缶、宇宙、地方の学校、若者の迷い、大人の未練。
これだけ並んでいれば、あとは火加減だけだ。
良い素材を持っている作品ほど、料理できていない部分が残酷に見える。
だから不満が出る。
期待していなければ、ここまで惜しいとは思わない。
もっと濃くなるはずだ。
もっと臭くて、もっと苦くて、もっと胸に残るサバ缶になるはずだ。
- サバ缶が宇宙日本食候補に選出
- 菜那歌と寿々の離脱未遂と復帰
- 普通科との対立で薄まった開発ドラマ
- 朝野の実習見学提案は正しい一手
- 木島真の迷いが夢の残酷さを映す
- 素材は抜群なのに煮込み不足な惜しさ




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