2025年3月にNetflixで配信された全4話の英国ドラマ『アドレセンス(Adolescence)』は、13歳の少年が少女を殺害したという衝撃的な事件を軸に、加害者の視点から現代社会が抱える闇に鋭く切り込みます。
本作は全編ワンテイクで撮影され、リアルで生々しい臨場感と圧倒的な緊張感に満ちた作品として話題に。
少年犯罪・家庭・SNS・思想の過激化など、思春期の危うさと現代社会の危機を同時に突きつける、2025年屈指の問題提起ドラマです。
- Netflixドラマ『アドレセンス』のあらすじと構成
- 少年が加害者になるまでの心理と背景
- 社会全体に突きつけられる“責任”というテーマ
“普通の少年”が殺人犯に——何が彼を変えたのか?
Netflixオリジナルドラマ『アドレセンス』は、13歳の少年ジェイミーが少女を殺害するという事件の全容を、加害者の視点から描く異色の作品です。
観る者に「なぜ?どうして?」という問いを突きつけ、“誰にでも起こりうる変化”としての加害性を浮き彫りにしていきます。
ジェイミーは一見、ごく普通の少年でした。学校では特に問題を起こさず、家庭も貧困でも虐待でもなかった。
ジェイミーはなぜ犯行に及んだのか?加害者視点のリアルな描写
『アドレセンス』の最大の特徴は、事件の“前”と“最中”をすべてジェイミーの視点で描いている点です。
被害者の描写はほとんどなく、あえて“加害者が何を考え、どう変化していったのか”にフォーカスする構成。
観る側に不快感や戸惑いを与える構成ながら、「加害者の人間性」を完全に否定するのではなく、理解しようとする視点が貫かれています。
家庭環境も学校も“普通”だった少年の裏の顔
ジェイミーの家は中流層。両親はやや距離があるが、暴力や放置はない。
学校でも特筆すべき問題行動はなく、周囲も彼を“危険な存在”とは見ていませんでした。
しかし、第2話あたりから見えてくるのは、孤独・承認欲求・優越感への渇望といった思春期特有の揺らぎです。
この“見えづらい不安定さ”が、ある思想や情報と結びついたとき、取り返しのつかない行動へと突き進んでしまったのです。
マノスフィアが少年に与えた影響|ネットと思想の暴走
『アドレセンス』の中盤で明らかになっていくのが、ジェイミーが“マノスフィア”と呼ばれるネット思想に強く影響を受けていたという事実です。
マノスフィアとは、男性至上主義や反フェミニズム的な過激思想が集まるネット空間の総称。
思春期の不安や怒りが、歪んだ言説と結びつくことで爆発的に過激化していくプロセスがリアルに描かれます。
第3話の心理士との対話に映し出されたジェイミーの変化
第3話では、ジェイミーが心理士と一対一で対話するシーンが長回しで展開されます。
ここで初めて、彼の内面が明確な言葉として浮かび上がり、「女は男の人生を破壊する存在だ」といった思想が口をついて出る場面が登場します。
その思想は、ネットの“匿名の声”を自分の真実として受け入れてしまった結果であり、誰にも相談できなかった孤独さがにじみ出ていました。
ネットの偏った思想が10代の脳をどう支配するのか
ジェイミーはYouTubeや掲示板、匿名SNSなどで“自分と同じ怒り”を抱えるコミュニティにのめり込んでいきます。
それらは表面的には理屈が通っているように見え、孤独な少年にとって“正義”のように響いてしまう。
脳が未成熟な10代が、一度信じた世界観を疑うのは難しい——この現実に、本作は警鐘を鳴らしています。
『アドレセンス』は、SNSとアルゴリズムが育ててしまう“思想の暴走”を、驚くほど緻密かつ恐ろしく描いています。
全編ワンテイク撮影が生む“逃げ場のない現実”
『アドレセンス』の最大の演出的特徴は、全4話すべてがワンテイク(長回し)で撮影されているという点です。
この手法により、観る側はジェイミーの時間と空間から“逃げられない”という没入感と緊張感を強いられます。
視覚的なカットの切り替えがないことで、息苦しさすら覚えるほどの“リアル”が迫ってくるのです。
『ボイリング・ポイント』監督が描く緊迫の4話構成
本作を手掛けたのは、同じくワンショット演出が話題となった映画『ボイリング・ポイント』のフィリップ・バランティーニ監督。
リアルタイムで物語が進行することで、ジェイミーの小さな違和感や不穏な空気を、視聴者も一緒に体感する構造になっています。
時間の経過とともに蓄積していく“見えない爆弾”が、いつ爆発するのかという恐怖が、じわじわと精神を追い詰めていきます。
カットなしの長回しが視聴者に突きつける“共犯感覚”
ワンテイクであるがゆえに、観る側には「なぜ誰も止めなかったのか」「自分も同じ場所にいたら…」という共犯意識が芽生えてきます。
ジェイミーの目線や息づかいを感じながら、“その瞬間”に立ち会ってしまったという実感を持たされるのです。
この演出によって、『アドレセンス』は単なる社会派ドラマではなく、観る者の倫理や感情を丸ごと巻き込む“体験型ドラマ”として昇華されています。
加害者の家族は“被害者”か?問い直される責任の在り方
『アドレセンス』が静かに、しかし鋭く問いかけてくるのが、“加害者の家族”はどこまで責任を負うべきかというテーマです。
事件を起こしたのは13歳の少年ジェイミーですが、その周囲にいた大人たち——特に両親が抱える葛藤や無力感が深く描かれています。
「どうして気づかなかったのか」「もっと関われたはずだ」という自己責任の重みが、静かに胸を突きます。
父母の苦悩と孤立|家庭は本当に無関係なのか
父は不在がちで、母は仕事と家事に追われ、ジェイミーとの会話はすれ違いがち。
特別な虐待やネグレクトはなくても、“気づけなかった”という事実が、彼らを深く傷つけていきます。
息子が加害者になったことで、突然社会的制裁の対象になり、誰にも相談できない孤立感に苛まれていく姿が、非常にリアルです。
“適切な大人”に指名された父が直面する絶望と無力感
物語の後半で、警察や心理士から「適切な保護者」としての対応を求められる父。
しかし、彼自身も「自分の子どもを理解していなかった」という事実に打ちのめされ、言葉を失います。
家庭が安全地帯ではなかったことの責任を、一方的に背負わされる現実が、観ている側にも重くのしかかってきます。
“悪者”にならないために沈黙する親の苦しみ
世間からは「親の責任」「育て方が悪い」と言われ、マスコミにも追い詰められる中、両親はあくまで冷静を装おうとします。
その姿は決して冷たいのではなく、自分たちまで“加害者”として崩れないための防衛本能のようにも見えます。
『アドレセンス』は、家族もまた、見えない被害を受ける存在であることを静かに浮かび上がらせていきます。
『アドレセンス』が突きつけるのは、私たち全員の“社会の責任”
『アドレセンス』が本当に描きたかったのは、単なる“少年犯罪の背景”ではありません。
無関心や見過ごし、小さな違和感の積み重ねが、どれほど大きな悲劇を生むかという現代社会への警告です。
ジェイミーという存在は、“特別な誰か”ではなく、“どこにでもいる誰か”として描かれています。
「少年犯罪」の奥にある見えない加害者の存在
作品では直接的に描かれませんが、ジェイミーに影響を与えたマノスフィアやネット社会は、匿名性に守られた“見えない加害者”として機能しています。
そしてそれらを規制できず、教育も届かないまま放置してきた社会そのものが、加害の一端を担っているのではないかという視点を投げかけます。
「なぜ気づけなかったのか」ではなく、「なぜ気づかせられなかったのか」という問いを、私たちは突きつけられているのです。
子どもを加害者にも被害者にもさせないために
ドラマの終盤、ジェイミーの父が静かに語る「俺たち大人は、何をしていたんだろうな……」というセリフが胸に残ります。
教育、家庭、ネット、行政、そして社会全体——誰もが“当事者”であることを、ドラマは強く訴えています。
加害者も被害者も生まない社会のために、何ができるのか。『アドレセンス』は、その問いを観る者に投げかけ、終わります。
- Netflixドラマ『アドレセンス』の核心は加害者視点の描写
- 13歳の少年が思想に飲み込まれる過程を丁寧に追う
- 全編ワンテイクの演出が臨場感と共犯意識を強化
- 家族の苦悩と“加害者家族”の立場が深く描かれる
- 加害と無関心を生む社会構造そのものへの問題提起
- 「私たち全員が社会の一員である」という重いメッセージ
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