大河ドラマべらぼう「マブ」とは何者か?遊女たちの“真実の恋”

べらぼう
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NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』で幾度も登場する言葉「マブ」。

この言葉は単なるスラングではなく、江戸時代の遊郭文化に根差した、深い意味と背景を持つ特別な存在です。

この記事では、「べらぼう」で描かれる“マブ”の真意、遊女との密やかな関係、そしてその言葉に込められた哀しくも美しい恋愛の形を、史料やドラマの描写をもとに徹底解説します。

この記事を読むとわかること

  • 「マブ」とは遊女が心を寄せた真実の恋人のこと
  • 密会でしか許されなかった恋とその背景
  • 『べらぼう』が描く江戸時代の愛と人間らしさ

マブとは何か?──遊女が本当に心を許した“真の恋人”の意味

大河ドラマ『べらぼう』にたびたび登場する「マブ」という言葉。

現代では「マブダチ」など、親友を意味する形で使われていますが、その語源には、江戸時代の遊郭に生きた遊女たちの“本当の恋”が深く関わっています。

マブとは、金銭関係や契約ではなく、遊女が心から想い、密かに結ばれた“真の夫”のことなのです。

「マブ=真夫(まぶ)」と書かれるようになった理由

「マブ」という言葉は、漢字で「間夫」や「真夫」と書かれました。

これは、表向きの夫(=客)ではなく、心から愛した密通の相手を指すもので、遊女にとっての精神的な支えを意味します。

多くの遊女は、どんなに心が離れていても揚代を支払う客と“形式上の夫婦”関係を持たねばなりませんでした。

その一方で、心だけは誰にも縛られない自由な愛を求め、こっそりと心を通わせた相手、それがマブなのです。

「知音」との違いから読み解くマブの特別さ

遊郭の世界には、「知音(ちいん)」という言葉もありました。

これは文字通り「音を知る者」、つまり相手のことを深く理解する存在であり、時に商売上の“良い客”を表すこともありました

しかしマブは違います。

知音は仕事の一部であるのに対し、マブは利害を超えた純粋な恋愛の対象でした。

たとえ金にならなくても、逢いたいと思える相手。

『色道大鏡』には「マブとは、女郎の楽しみで逢うもので、真実に好まずしては逢うことなし」と明記されており、感情こそが唯一の基準であったことがわかります。

こうしてマブは、遊女にとって“唯一心を許せる存在”として、深い意味を持つ言葉となっていったのです。

なぜマブは“密会”でしか会えなかったのか?

「マブがいなけりゃ女郎は地獄」──このセリフに象徴されるように、遊女にとってマブは精神的な支えでした。

しかし、そのマブと堂々と会うことは許されず、密会という“隠された恋”に甘んじるしかなかったのです。

江戸の遊郭には、恋愛にまつわる厳しい掟と監視の目が常に存在していました。

マブとの逢瀬が許されなかった江戸の遊郭の掟

遊郭では、遊女が客以外の男性と親密な関係になることはご法度でした。

特にマブが「吉原者(遊郭関係者)」であれば、表立った交際は厳しく禁じられ、発覚すれば遊女は折檻を受け、出入り禁止になることもありました

『吉原大雑書』には、マブの存在が発覚して顔を腫らすまで叩かれた遊女の記録も残っており、そのリスクは非常に高いものでした。

それでも遊女たちは、心から想う人とつながる手段として、“密会”という形を選ばざるを得なかったのです。

裏茶屋や物陰での密会が意味した遊女の“自由”

マブとの逢瀬は、裏茶屋や使われていない物置など、人目につかない場所でこっそりと行われました。

それは、束の間であっても“売られる女”ではなく、“一人の女”として生きる時間だったのです。

遊女たちは、自らの揚代を立て替えてまでマブに会いに行く「身揚がり」という手段を取ることもありましたが、それもまた多大な借金を背負うリスクを伴いました。

密会という行為の裏には、自由への希求と、人間としての尊厳を守ろうとする強い想いが込められていたのです。

マブと遊女の恋は、まさに“社会が許さぬ愛”。

だからこそ、その切なさが今なおドラマの中で、人々の心を打ち続けているのです。

「マブがいなけりゃ女郎は地獄」──遊女たちが心を寄せた真実の支え

『べらぼう』で瀬川が口にした「マブがいなけりゃ女郎は地獄」という言葉。

それは単なる感傷ではなく、遊郭という閉ざされた世界で生きる女性たちの切実な心の叫びでした。

愛が許されない場所で、心だけは誰かと繋がっていたい──マブはそんな生きる理由をくれる“救い”だったのです。

蔦重と瀬川の関係に映る“叶わぬ恋”の典型

ドラマ『べらぼう』で描かれる蔦屋重三郎と瀬川の関係は、まさに遊女とマブの典型的な関係です。

瀬川は吉原の花魁として、多くの客と接する日々の中で、蔦重に心を寄せていきます。

しかし、吉原の男である蔦重との恋は、表沙汰になれば罰せられる関係でした。

それでも、瀬川は蔦重との再会を夢見て吉原を抜け、心からの恋に人生を賭けたのです。

蔦重にとっても、瀬川は単なる遊女ではありませんでした。

彼女の心に触れ、痛みと希望を知ることで、蔦重自身の人間性もまた大きく動かされていきます

吉原者との関係が禁じられた理由とそのリスク

なぜ、マブとの関係がここまで厳しく制限されていたのでしょうか。

理由のひとつは、遊郭が経済の仕組みとして機能していたからです。

遊女がひとりの男と深い関係を結ぶことで、売上や営業に影響が出ることを妓楼(ぎろう)は恐れていました。

特に蔦重のような吉原者が相手となると、身請けもできず、商売上の信用も失う恐れがあるため、事態はさらに深刻になります。

しかし、どれほど厳しいルールがあっても、人の心までは縛ることができません

だからこそ、遊女たちは折檻や破門のリスクを冒してでも、マブとの時間にすがり、そこでしか得られない“人間としての感情”を求めたのです。

遊女が揚代を払ってでも会いたかった男──“身揚がり”という選択

遊女とマブの関係は、決して表立って許されるものではありませんでした。

しかし、それでも逢いたい──そう強く願った遊女たちは、自らの揚代(あげだい)を支払い、密かにマブを呼ぶという手段に出ることがありました。

これが「身揚がり(みあがり)」と呼ばれる行為です。

間夫のために借金を背負ってでも会う強い想い

本来、客が支払うべき揚代を自ら立て替えるというのは、相手に金銭的負担をかけたくないという優しさと、

「どうしても会いたい」という抑えきれない想いの現れでした。

とはいえ、妓楼にとっては厄介な制度でもあり、遊女が身揚がりを重ねることで莫大な借金を背負い、年季明けが遠のいてしまうことも珍しくありませんでした。

それでも、ほんの一刻でも心通う時間を得るため、命を削るようにして会いに行く──そこに、マブという存在の重さが表れています。

恋がバレれば折檻、破門も──それでも止められなかった感情

遊女がマブに心を寄せ、関係を持つことは、しばしば厳罰の対象となりました。

『吉原大雑書』には、マブの存在が露見し、遊女が顔が腫れ上がるほど折檻を受けた記録も残されています。

また、吉原者が相手であれば、遊郭全体の規律違反として見なされ、破門や晒し者になる危険もありました。

それでも遊女たちは、その感情を抑えきれなかった。

それほどまでに、マブという存在が“人間らしさ”を取り戻させてくれる相手だったのです。

遊郭という非日常の中で、マブだけが唯一、現実の温度を与えてくれる存在だったと言っても過言ではありません。

ドラマ『べらぼう』が描く“マブ”の真実とは?

NHK大河ドラマ『べらぼう』は、江戸文化や出版の世界だけでなく、人と人との絆や恋のかたちにも深く踏み込んだ作品です。

その中で、遊女とマブの関係──つまり“許されぬ恋”が、物語の中核の一つとして繊細に描かれています

とりわけ、蔦屋重三郎と瀬川の関係は、現代にも通じる“本当の愛とは何か”を問いかけてきます。

蔦重と瀬川の恋が視聴者を惹きつける理由

蔦重は、瀬川に惹かれながらも吉原の人間という立場ゆえ、簡単には関係を築けない存在でした。

一方、瀬川も花魁として、自由な恋愛など許されない世界に生きていた。

そんな2人が密やかに心を通わせ、「五十間道で一緒に本屋をやる」という未来を夢見る──

それは視聴者にとっても、“叶わぬからこそ切なく、美しい恋”として映るのです。

愛が障害を乗り越えられないと知りながら、それでも信じてしまう。

その感情こそが、『べらぼう』という物語を人間味あふれるものにしているのです。

現代語「マブダチ」にもつながる“心からのつながり”の原点

現代の若者言葉で使われる「マブダチ(マブいダチ=親友)」も、実はこの「マブ=真夫」から派生したという説があります

つまり、「マブ」とは単に恋人という意味ではなく、心から信頼し合い、情を交わす存在を意味していたのです。

『べらぼう』が描くマブは、時代や立場を超えて通じ合う“心の深い結びつき”。

それは恋だけでなく、友情や信頼関係の原点として、今を生きる私たちにも何かを教えてくれるのではないでしょうか。

「べらぼう」「マブとは」──江戸の恋と絆を伝える言葉のまとめ

『べらぼう』に描かれる「マブ」という言葉は、単なる古語ではなく、遊女たちの生き様と愛の形を映す鏡のような存在でした。

華やかな衣装と艶やかな舞台の裏で、誰にも言えない恋を抱え、密かに逢瀬を重ねた遊女たちの“真実の感情”が、そこに宿っていたのです。

この言葉を知ることは、江戸という時代の人間模様に触れることでもあります。

マブとは金や制度を超えた“心の結び”だった

マブは、揚代でも肩書きでもなく、心から愛し合う人とのつながりを意味する言葉でした。

遊女が自らの借金を増やしてまで会いに行くほどの相手。

折檻や破門のリスクを背負っても、一緒にいたいと願う存在。

それがマブであり、この言葉には、制度では縛れない“魂の自由”が込められていたのです。

「マブ」という言葉に隠された、遊女の願いと人間らしさ

どれほど商売に徹しても、人は心を捨てきれない──その当たり前の感情を、マブという言葉は映し出してくれます。

遊郭という閉ざされた世界にあっても、遊女たちは恋をし、涙を流し、未来を夢見た。

そんな人間らしさが、江戸の町に確かに生きていたのです。

『べらぼう』が描いたのは、色街のきらびやかさではなく、人が人を想うことの強さと切なさ

「マブ」とは、その象徴であり、今を生きる私たちにも響く“心の物語”なのです。

この記事のまとめ

  • 「マブ」は遊女が真に愛した“心の夫”を意味する言葉
  • マブとの関係は公にできず、密会でしか成り立たなかった
  • 蔦重と瀬川の関係は“マブ”の典型的な描写
  • 遊女は自ら揚代を払ってでもマブに会おうとした
  • 発覚すれば折檻や破門もある中、それでも想いは止められなかった
  • 「マブダチ」にも通じる“心の結び”の起源がここにある
  • 『べらぼう』は江戸の恋と絆の深さを現代に伝える作品

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