相棒season17第7話『うさぎとかめ』は、一匹のリクガメとの偶然の出会いから始まりました。
だがその静かな“序章”の奥には、現政権を揺るがす官僚の失踪と談合疑惑という重たい闇が横たわっていたのです。
このエピソードが描いたのは、「出世レース」と「死」を引き換えにする異常な官僚社会の構図。そして、短歌という言葉の芸術に込められた“生存の証明”でした。
この記事では、視聴者の心に爪痕を残すこの回を、感情・構造・思想という3つの視点から深掘りしていきます。
- 短歌に込められた“生存の暗号”の意味と仕組み
- 出世争いに翻弄された官僚たちの心理と構造
- “特命係の亀”に秘められた過去と未来の伏線
『うさぎとかめ』──リクガメが導いたのは、命を懸けた出世争いだった
のそのそと歩くリクガメを、なぜ右京さんは尾行したのか?
それは好奇心の産物ではなく、静かな“予感”だったのかもしれない。
そう思わせるほどに、この物語は、出会いからして静かに異様だった。
官僚が「死」を当然とする異常なレースの現実
亀に導かれた先で右京さんが見つけたのは、テントの中で倒れる男──元エリート官僚、鮫島博文。
2年前に突如として姿を消し、行方不明となっていたこの男の過去には、国土交通省を揺るがす談合疑惑が横たわっていた。
「政権を守るために、官僚は死ぬのが既定路線」。
──その言葉が劇中で当たり前のように交わされたとき、背筋が冷たくなった。
談合に関わった者が、自殺で責任を取るという“慣例”の中に、命の重みはない。
死ぬことが美徳であり、出世競争に敗れた者が「責任の取り方」を選ばされる。
そんな狂ったルールが、実際の日本の行政の中でまことしやかに生きているという空気感。
その構造こそが、この回の“闇”だった。
そしてもうひとつ──この話の怖さは、「その慣例を誰も疑っていない」ことだ。
かつての同僚であり、現在は次官候補の一角である杉原も、総務課長の谷川も、
「鮫島は消えるしかなかった」と、どこか冷めた目で口を閉ざす。
それは冷酷さではなく、“官僚のリアリズム”だ。
“失踪”という選択に隠された希望と絶望
だがその“慣例”に抗う者がいた。
鮫島に向かって「死ぬ必要はない。失踪しろ。あとは俺がなんとかする」と言った谷川。
彼は、制度や正義よりも「人としての命」を優先した数少ない人物だった。
このひとことが、命を絶とうとしていた鮫島を生かし、物語の裏の主軸を支えていた。
ただ、失踪もまた“死”に近い。
すべてを捨て、名を捨て、社会の中から消えるという選択。
それは、名誉も家族も過去もなくすことを意味する。
このドラマでは、そこに短歌という“かすかな灯”が差し込む。
「詠み人知らず」──ホームレス名義で投稿された短歌は、実は鮫島から谷川へのメッセージだった。
官僚という社会的肩書を脱ぎ捨てた鮫島が、それでも“生きている証”を文字にして綴る。
その姿に、哀しみと同時に、人間の尊厳を感じた。
この短歌は暗号だった。五十音の位置で構成された“郵便番号”。
──それは、誰にも気づかれないように、ただひとりにだけ届くよう仕掛けられた生存報告だった。
そしてこの“失踪の詩人”が語る。
「僕が利用したのは、政権の意向を押し返す腹の据わった官僚をトップに据えたかったからです」
つまり彼は命を捨てる代わりに、組織を変えようとした。
出世レースを降りた者が、その舞台を根っこから揺さぶろうとした──
『うさぎとかめ』は、そんな人間ドラマの縮図として、皮肉なレースを描いていたのだ。
短歌に込めた生存のメッセージ──郵便番号の暗号に託された思い
短歌は、誰に向けて詠むのか。
この物語において、その問いはひとつの命綱だった。
新聞に投稿された短歌は、ただの言葉遊びではなく、「生きている」という証であり、誰かに向けて手を振る無言のSOSだった。
「詠み人知らず」は誰に向けて生きていたのか
『うさぎ』と名乗っていた男が、『詠み人知らず』という別の名で再び投稿を始める。
新聞の短歌欄、それは世の中から隔絶された鮫島が唯一触れられる“公共”の場。
そのわずかな窓を通して、自分の存在を谷川に知らせようとする──この構図に、胸が締め付けられた。
普通なら、そんな方法を誰が思いつくだろう?
しかも、投稿される短歌に隠されたのは、暗号としての“郵便番号”だった。
五十音の行で数字を置き換える、というロジック。
詩の中に込められた数字が、彼の居場所を示していたのだ。
谷川はそれに気づいていた。
あるいは、気づこうとしていた。
新聞の短歌欄を、毎週水曜日に欠かさず読んでいたという描写が、それを物語っていた。
鮫島が“死”を選ばなかったのは、誰かがこの暗号に気づいてくれるという一縷の希望があったからだ。
その「誰か」は、不特定多数ではない。
かつて命を救ってくれた“あの男”だけを信じていた──そこにこの物語の孤独と絆のすべてが詰まっていた。
短歌が“通信手段”になる世界の切なさ
短歌は本来、自己表現であり、文学だ。
だがこの物語の中では、それが文字通りの“命綱”として機能する。
声を上げることも、顔を出すこともできない状況で、鮫島が使えたのは「詩」だけだった。
詩は叫ばない。だが、届く。
その静かな確信が、鮫島を生かしていた。
そして逆説的に言えば、それほどまでに社会が冷たく、閉じられていたということでもある。
投稿された短歌は、「詠み人知らず」として掲載される。
つまり“誰でもない人”が“どこかにいる誰か”に届ける手紙。
匿名でしか繋がれない、けれどそれでも繋がりたい──その強さと弱さが、紙面の片隅に込められていた。
この通信手段は、当然ながら不確かだ。
いつ掲載されるかわからない。
暗号がちゃんと伝わる保証もない。
それでも鮫島は、毎週水曜の紙面に願いを託し続けた。
その行為の中に、僕は人間の「祈り」と「信頼」の両方を見た。
この短歌が無事に谷川に届き、彼が反応してくれること。
それは、命を捨てずに済む唯一のルートだった。
そして、そのルートはギリギリで機能した。
右京の洞察と、谷川の記憶、そして鮫島の執念。
その全てが重なって、この「詩的な通信」は意味を持った。
この話は、単なるサスペンスではない。
“声を奪われた者が、どうやって生き延びるか”という問いを、我々に突きつけてくる。
その答えが、たまたま「短歌」だっただけだ。
誰にだって、自分だけの詩が必要なのだ。
杉原と谷川──“兎”と“亀”の正体を暴く
この物語において、“うさぎ”と“かめ”は単なる童話のメタファーではない。
それは出世レースという名の戦場に身を置いた二人の官僚、杉原と谷川の内面を象徴する装置だった。
表面的には同じように見える彼らの“立場”と“選択”が、物語の核心を突き破っていく。
政権のアキレス腱・鮫島を巡る“人間の思惑”
鮫島博文──この名前は、現政権にとって「触れてはいけない地雷」だった。
2年前の談合疑惑。自殺者も出た大規模不正の中心にいたが、うやむやにされた。
それを再び表に引き戻そうとしたのが反主流派・杉原。
鮫島を見つけたと知るや否や接触し、その存在を再利用しようと目論んだ。
理由は簡単。自分の出世レースに有利な“カード”にするためだ。
政権にとって不都合な過去を握っている人間は、ある種の“爆弾”だ。
そしてその爆弾を手にすることは、官僚社会のゲームにおいて、致命的な一手になる。
杉原は、まさにその“爆弾”に手を伸ばし、自分の立場を強化しようとしていた。
そのために右京と冠城を使い、鮫島の居場所を炙り出させた。
一方で、もう一人の同期──谷川は違った。
彼は政権に近い「主流派」でありながら、過去に鮫島の命を救った人物でもあった。
「死ぬな、失踪しろ。あとは俺がなんとかする」
その台詞には、出世とは別次元の人としての筋が通っていた。
谷川は“かめ”だった。
ゆっくり、着実に、誰の人生も踏み台にしない。
だがこの“かめ”は、鈍足ではない。戦わないわけでもない。
ただ、人の命を犠牲にしてまでは勝とうとしなかっただけだ。
右京の推理が突き刺す「あなたは自分を守っただけだ」
物語の終盤、右京は杉原に詰め寄る。
「これは想像です。けれど──想像が核心を突くこともあります」
郵便番号の暗号。鮫島の居場所。新聞を毎週水曜に気にしていたこと。
右京はそれらの“痕跡”を結び、杉原が意図的に接触し、口封じを図ったと断じた。
だが杉原は言い逃れようとする。
「想像で決めつけるな」
その態度に、右京の言葉が突き刺さる。
「あなたは誰かを守ったのではない。自分の立場を守っただけです」
これは相棒というシリーズの中でも、屈指の“人間性”に踏み込んだ一撃だった。
官僚の立場、政権のバランス、出世の道筋。
それらを守るために、どれだけの命が消えていったのか。
「亀が首を引っ込めた時に、あなたの指が噛まれていた」
その“証拠”が、全てを締めくくる。
右京は想像で語らない。事実を拾い、構造を解く。
そこにあるのは、“犯人を罰する”ことではなく、“真実を明かす”という意志だった。
この回に登場する“うさぎ”と“かめ”は、善と悪ではない。
「何を背負って、どう進んでいくか」を象徴する二つの在り方だった。
結局、“うさぎ”である杉原は焦り、足元をすくわれる。
そして“かめ”である谷川は、遅くても、誰かの命を守りながらゴールへと近づく。
この物語が伝えたのは、勝つことより、大切なことがあるというメッセージだ。
その価値観を、今この社会でどれだけの人が信じているだろう?
“特命係の亀”再び──過去と未来をつなぐ小さな命
一匹のリクガメが、物語の扉を開けた。
右京がオフィス街で出会ったその小さな命は、まるで導かれるように、彼をひとつの事件へと誘っていく。
だけどこの亀が連れてきたのは、単なる事件の“きっかけ”ではなく、「特命係の過去」と「未来の予感」だったのかもしれない。
右京が亀に託した、もう一つの“再会”の予感
事件の合間、右京はそのリクガメを、特命係の部屋へと持ち帰る。
机の上には飼育書、床を歩くリクガメ、そして傍らに立つ右京。
その光景は、事件の緊張感とは対照的に、どこか穏やかで牧歌的だった。
しかし、ここでキンタの心がざわついた。
特命係に亀──それは、かつてそこにいた「もう一人の相棒」を思い出させるからだ。
そう、亀山薫。
彼のあだ名は“亀”だった。
右京が愛情を込めて「亀」と呼んでいたあの男が、再びこの空間に“象徴として”戻ってきたような、そんな錯覚を覚えた。
右京はあの頃を覚えているだろうか?
いや、覚えているに決まってる。
この亀を部屋に迎えたとき、彼の中にはあの時間と記憶が、ふと蘇ったに違いない。
誰にも言わず、語らず、でも“ちゃんとそこにある”もの。
それが、今回の亀に託された静かなテーマだった。
伊丹の「特命係の亀」に込められた伏線と願い
そして、このエピソードでもうひとつ印象的だったのは、伊丹刑事のある一言。
特命の部屋に迷い込んだリクガメを見て、ぽつりとつぶやいた。
「特命係の亀か……」
この短い台詞には、強烈な“におい”がある。
かつて伊丹が「特命係の亀」と呼び、どこか苛立ちを向けていたあの亀山への、懐かしさと、照れ隠しが混ざっていた。
そして同時に、それは一種の「伏線」にも感じられる。
──いつか、あの“本物の亀”が、再びこの部屋に帰ってくるのではないか。
そんな期待を、伊丹という男が代弁してくれたような、そんな気がした。
その後、リクガメは動物園に引き取られた。
特命係の部屋からは静かに去っていった。
だけどその姿を見送るとき、右京も冠城も青木も、どこか寂しそうだった。
この小さな命が、部屋にいたわずかな時間。
それは、単なる“癒し”ではなかった。
それぞれの胸の奥にしまっていた「誰か」を、ふと思い出させてくれる時間だった。
特命係の部屋は、事件の最前線だ。
けれどそこは、記憶と想いが静かに交差する、特別な場所でもある。
“特命係の亀”は、ただのリクガメじゃない。
彼は、物語の過去と未来をつなぐ、名もなきメッセンジャーだった。
だからきっと、またいつか、別の形で戻ってくる。
特命係には、そういう「時間の流れ方」があるから。
見えない“上司部下”関係──谷川と鮫島、言葉にしない信頼の距離感
この物語でひそかに心を打ったのは、谷川と鮫島の関係。
同期という設定ではあるけれど、あの二人の間には、明確な“上下関係”があったように思う。
それは立場じゃない、精神的な上下だ。
出世のスピードでは、谷川が勝った。
でも、かつての鮫島のほうが、きっと人としての“芯”が強かったんじゃないか。
そうじゃなきゃ、あんなにも周囲に煙たがられない。
正論を曲げない、政権にも忖度しない、結果として孤立する。
それでも鮫島が変わらなかったのは、信念の人だったから。
谷川は、そんな鮫島の強さを、きっと羨ましがっていた。
だからだ。あのとき「死ぬな、失踪しろ」と言えたのは。
それは命を守ったというよりも、“敬意”を払った行為に近かった。
言葉で感謝も、謝罪も、友情も語らない。
でも、新聞の短歌欄を毎週確認してたことが、谷川の答えだった。
彼は「信じてた」なんて言わない。言えないタイプだ。
でも、確認せずにはいられなかった。
それは「信じてる」と「信じたい」の間にある、男の距離感。
出世していくにつれて、たぶん谷川は誰かを信じるのが怖くなった。
でも鮫島だけは別だった。
あの短歌の暗号を、彼が解けたかどうかは描かれない。
でも“見ていた”という事実が、すべてだった。
言葉にしない信頼関係──それがこの物語における、もうひとつの“うさぎとかめ”だったんだと思う。
『うさぎとかめ』が照らした「命と引き換えに守るもの」とは──感情で読む第7話のまとめ
この回の物語は、たった一匹のリクガメから始まった。
だがそこには、命を懸けて“沈黙”しようとした官僚と、それを利用しようとする者、守ろうとする者、見守る者、それぞれの矛盾と選択が重なっていた。
それは、“沈黙”という名の抵抗、“短歌”という名の通信、“出世”という名の孤独を描いた物語だった。
官僚の使命感は本当に“死”を前提にすべきなのか
「なぜ彼は自殺ではなく、失踪を選んだのか」
──その問いが、このエピソードの根っこにある。
誰もが当然のように「不祥事の責任は“命”で取る」と信じている狂った世界で、
“死ななかった男”が静かに問いかける。
自殺は責任でも、潔さでもない。
それは、構造に押し潰された声のない敗北だ。
失踪という選択肢が、どれほど社会的に孤独で過酷であっても、彼は生き延びた。
その姿に、「生きることの意味」があった。
この物語は、死を選ばなかった人間を肯定した。
それだけでも、ひとつの正義だと思う。
私たちは、誰のために“正義”を守ろうとするのか
右京は、誰かを罰したいわけじゃない。
「真実の形」が歪められたとき、それを元に戻したいだけ。
その姿勢が、今回の“推理”にも表れていた。
杉原の嘘、谷川の沈黙、鮫島の暗号。
それぞれの“言わないこと”を、右京は言葉に変えた。
正義とは、誰のために存在するのか。
政権のため? 組織のため? 社会の安定のため?
この回は、そう問いながら、最後にそっとこう答えていた。
「その人自身の命のため」でなければ、それは正義とは呼ばないと。
相棒というドラマが、時に政治よりも人間を描こうとするのは、こういう回だ。
たとえスキャンダルの核心には踏み込まなくても、
人が何に怯え、何を選び、何にしがみついて生きているか──
そこにしっかり焦点を当てていた。
この『うさぎとかめ』は、そういう物語だった。
正義を掲げる者たちの中に、ほんとうに“守るべき命”があったのか?
僕ら視聴者こそが、その問いを受け取らなければならない。
右京さんのコメント
おやおや…まさか、一匹のリクガメが、国家の闇を暴く導火線になるとは。
一つ、宜しいでしょうか?
今回の事件で最も看過できないのは、“命より組織”という発想が未だにまかり通っている点です。
鮫島氏は、自らの死によって責任を取ることを求められた。しかし、それは本当に“正義”なのでしょうか?
彼は、生き延びるという困難な道を選びました。暗号化された短歌に思いを託し、たった一人に向けて発信し続けた。
つまりこれは、“静かな抵抗”であり、“生きるための詩”だったのです。
なるほど。そういうことでしたか。
谷川課長の沈黙は、裏切りではなく、信頼ゆえの見守りだった。
対して杉原課長は、その命を政治的な駒として利用しようとした。
同じ“同期”であっても、その心根の差は歴然でしたねぇ。
いい加減にしなさい!
命を取引材料にするような発想──それこそが、本事件の根源的な異常です。
人の命は、政局や出世のための“条件”ではありません。
それでは最後に。
今朝もアールグレイを淹れてから、短歌の一首を読み直しました。
命の価値とは、他人に認められることではなく、自らの手で守り抜く覚悟にこそ宿るのではないでしょうか。
- リクガメの尾行が導く、元官僚失踪事件
- 短歌に隠された郵便番号の暗号が鍵
- “死”ではなく“失踪”を選んだ男の信念
- 同期・谷川の沈黙と信頼の裏側
- 杉原の野心と右京の推理が交差する構図
- 「特命係の亀」に込められた過去への眼差し
- 官僚社会における“命の価値”を問う展開
- 短歌が“通信手段”となる静かな抵抗の物語
- 命と正義、どちらを守るべきかを突きつける内容
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