ドラマ『しあわせな結婚』第5話では、15年前の偽装誘拐事件と布施の死に新たな光が差し込みます。
視聴者が最も気になるのは「真犯人は誰なのか?」という一点。物語のカギを握るのは、主人公・ネルラの「記憶」と「自画像」、そして“魔性”と呼ばれるその魅力です。
この記事では、第5話の重要ポイントを整理しつつ、真犯人考察と登場人物の心理戦を“言葉の解剖”で掘り下げます。
- ドラマ第5話の真犯人考察と伏線の回収ポイント
- 登場人物の感情構造と“魔性”の正体
- レオに秘められた物語上の役割と今後の鍵
しあわせな結婚5話の真犯人は誰?ネルラの記憶が導く“男の足”の正体
たった一つの記憶の“断片”が、人の人生を15年も縛ることがある。
『しあわせな結婚』第5話で描かれたのは、父と娘、そして過去に殺された恋人──3つの時間軸が交差する、静かで残酷な“感情の爆発”だった。
そして、視聴者が息を飲んだのは、ネルラが語った「男の足を見た」というひと言。真犯人は誰なのか──答えはまだ霧の中だが、記憶はついに動き出した。
15年越しの疑念──父と娘、それぞれが“殺したと思っていた”真実
「殺したのはお父さんなの?」
ネルラの問いかけに、父・寛は顔を歪め、こう返す──「お前じゃないのか?」
ここにあるのは、“真実”ではなく、“疑い”のキャッチボールだ。
15年のあいだ、父と娘はそれぞれに「自分が殺してしまったのではないか」という重い記憶を抱えて生きていた。
しかもその根拠はどちらも曖昧な“記憶の断片”にすぎない。
警察に本当のことを話せなかったのは、「家族を守るため」だった。いや、もしかしたら「自分を守るため」だったのかもしれない。
ネルラは当時、布施と揉み合いになった末、ある瞬間に「意識を飛ばしていた」。
そして、かすかに覚えていたのは、「男の足があった」という映像。
その足の主が父親だと思い込んだことで、彼女は15年も“沈黙”してきた。
だが今回、父の証言と、自分の記憶が食い違うことを知った瞬間──
ネルラの中で初めて“視界がクリアになる音”が鳴った。
布施の最期に現れた“男の足”とは誰か?記憶の断片が動き出す
この「男の足」は、言ってみれば“幽霊のような記憶”だ。
ネルラはその時、感情の渦に飲み込まれ、理性や記憶の判断能力を完全に失っていた。
そんな状況下で見えた「男の足」──このワンショットが、今や“鍵”になっている。
誰もが思う。「その男の足は、誰のものだったのか?」
そしてこう考える。「そもそも本当に男だったのか?夢ではないのか?映像なのか、記憶なのか?」
でも、ネルラはあの夜、確かに“誰か”の気配を感じた。
その「足」の先にいた人物こそが、布施の命を奪った“真犯人”だ。
重要なのは、この足の描写が「顔ではなかった」という点。
これは視聴者にとっても、“判断を保留させられる演出”となっている。
“顔”を描かず、“足”を描く──それは真犯人がまだ登場していない可能性を残す巧妙な伏線だ。
また、父・寛にもアリバイがあることが明かされた。では、男の足の主は誰なのか?
黒川か?考か?レオの可能性は?
まだ誰にも分からない。だが、“ネルラの記憶が正しかった”という一点が、物語を次のステージへと押し上げた。
「思い出した瞬間、人は変わる」──これがこの回のテーマだ。
そして同時に、こうも言える。
「疑いをやめた瞬間、人は自由になる」
ネルラと父は、15年ぶりにお互いを“疑わなくていい世界”に着地した。
その表情の柔らかさが、何よりの証拠だ。
だが、その安堵の余韻にひたっていられるほど、物語は甘くない。
“真犯人”がまだそこにいる。
第6話で明かされるのか? それともまだ観客は、もう少し疑いの森を彷徨うことになるのか。
“足”しか映さなかった演出に、今もっとも強い“問い”が宿っている。
布施誘拐事件の黒幕は?巧妙に仕組まれた“レオの罠”の全貌
15年前、突然かかってきた非通知の電話。「レオを誘拐した。金を持ってこい」。
誰もいない欅橋のたもとに、父・寛は1000万円を持って向かった。
だがその夜、レオは自宅でゲームをしていた。
これは偽装誘拐だった。
そして、その裏にいたのが、ネルラの婚約者だった布施夕人──。
偽装誘拐の裏にあった動機と金──イタリアンレストラン計画の裏側
布施はアーティストだった。
本来、“魂で描くこと”しかできない男だったはずだ。
だがそんな男が、突如「イタリアンレストランを開きたい」と言い出し、ネルラの父に金を無心する。
──まるで性格が変わったように。
ここに強烈な違和感があった。
このタイミングの金の要求。
誘拐騒動のちょうど1週間前、突然の訪問。
そして、1000万円という額と、犯人が指定した紙袋「カンツルのロゴ入り」──
これはもう、“内情を知る者”しかできない犯行だった。
寛は気づく。「あれは布施の仕業だったのか」と。
だが、ネルラには黙っていた。なぜなら、もし告げたら彼女は“真実”の中で壊れてしまうと分かっていたから。
布施の動機は単純だ。
- 芸術の才能に限界を感じていた
- 生活のために金が必要だった
- ネルラに“利用価値”を感じていた
だが同時に──
布施自身もまた、何かを諦めきれずにもがいていた。
それが“芸術”であり、“愛”だった。
彼にとって「贋作を描け」という寛の言葉は、最大の侮辱であり、最後の引き金だった。
愛されたいのに、求められたいのに、見捨てられた男の末路──
それが、この偽装誘拐事件の始まりだった。
カンツルのマークをめぐる伏線回収と“布施の動揺”
誘拐事件から1週間後、ある食事会で、布施はついに“しくじる”。
それは、「カンツルのマーク変更」の話題が出たときだった。
寛が何気なく話す。「あのロゴ、変えようと思ってるんだよ。専務のアイデアでね」。
この話に、布施が“必要以上に反応”する。
「ロゴ?目立っていいと思いますけどね」──と。
これは、誘拐犯が「ロゴ入り紙袋を指定した」ことと繋がる。
つまり、布施はその紙袋を知っていた。関係者だった。内通者だった。
あの瞬間の“言葉の食い違い”が、寛の中でパズルを完成させた。
それまで「誘拐はイタズラではないか」と思っていた父が、確信を持ったのがこのタイミングだった。
そして、ネルラに布施との別れを告げた。
これが“悲劇の始まり”になるとも知らずに。
愛と金と才能と家族──それぞれが交差した末、布施は崩れ落ちていった。
「俺が受けた侮辱に比べれば、誘拐くらい軽いもんだ」
それは“言い訳”でもあり、“告白”でもあった。
自分のプライドを守るために、他人を脅し、家族を壊し、恋人の心に一生のトラウマを残した。
そして最期には「一緒に死のう」と言った。
──それが“恋”ではないことに、彼は最後まで気づけなかった。
布施は狂気に落ちたのではない。
“正気を失わないまま、孤独に沈んだ男”だった。
ここにきて、ようやく視聴者は彼の輪郭を掴み始める。
単なる犯人ではない。
彼は、“愛し方を間違えた人間”だった。
その結果、彼はネルラからも、人生からも拒絶された。
そして“足”の主──真犯人に命を絶たれた。
それが偶然か、計画かは、まだ分からない。
だが、ここに至るまでの“感情の設計”が、恐ろしく緻密だったことだけは確かだ。
ネルラという“魔性”──男たちを惑わす、罪と愛の狭間
「魔性の女」とは、どんな女か。
それは“美しい女”のことではない。ましてや“小悪魔”でもない。
相手の中に“自分でも知らなかった感情”を目覚めさせてしまう女──それが、ネルラだ。
たった一度、エレベーターで会っただけの男。
15年間、真相に迫り続ける刑事。
そして、人生を預けた夫までも。
ネルラは、男たちの“心の原風景”に入り込んでしまう。
黒川刑事の変化:「私は刑事ですから」に込められた葛藤
「好きなのかと聞かれて驚きました。ありえないです。私は刑事ですから」
黒川刑事のこのセリフに、どれほどの“揺れ”があっただろうか。
ネルラが誘拐されたと思い込んだ夜、病院へ彼女の父を運び、車から降りてくる彼女を見た夫・幸太郎の視線。
すべてを見ていた黒川の中で、何かが壊れた。
「刑事でいようとした男が、人としての感情に触れてしまった」
彼は“職務”と“愛情”の狭間で、自分を保ちきれなくなった。
だから言った。
「真犯人は、自分が見つけます。あなたのために」
それは正義の言葉ではなく、個人的な祈りだった。
「あなたの無実を証明したい」ではない。
「あなたを救いたい」──それだけだ。
エレベーターから始まる魅了の連鎖──15年かけて恋に堕ちた男たち
一方、夫・幸太郎も、決して“冷静な観察者”ではない。
彼は第1話からずっと、ネルラの「過去」に嫉妬し、現在の「沈黙」に怯えている。
その奥にあるのは──彼女を理解できないことへの恐怖だ。
理解したい。でもできない。だから信じられない。
そのくせ、愛してしまっている。
ネルラは決して“口が巧い”わけではない。
むしろ、寡黙で、冷たく見える。
だが、彼女の瞳やしぐさ、言葉の「余白」が、男たちの中の“守りたい本能”を目覚めさせてしまう。
その最たる存在が、黒川だ。
15年前、まだ巡査だった黒川は、あの事件に立ち会っていた。
そのとき出会ったネルラの“静かな絶望”に、何かを預けられてしまったのだ。
彼は気づかぬうちに、“感情の預かり人”になっていた。
──まるで、そのときから「彼女の真実を掘り起こす」ことを使命づけられたかのように。
だから彼は、刑事になった。
ネルラは、男を変えてしまう。
正しく言えば、男が“自分の本音に気づく”きっかけを与える。
それが、“魔性”だ。
意図しているわけではない。彼女自身も傷ついている。
だが、彼女の生き方は、いつも“他人の心をざらつかせる”。
愛なのか、執着なのか、それすら分からない感情。
ネルラはその“正体不明の想い”を生む、静かなる引力なのだ。
次回、黒川は「刑事として」ネルラを救うのか。
それとも、「男として」ネルラに堕ちていくのか。
この物語の本当のミステリーは、愛かもしれない。
幸太郎の“検事的覚醒”──愛ゆえに動き出す男の反撃
「その証言、嘘だという証拠ありますか?」
このセリフが、幸太郎の中で何かが切り替わった証だった。
それまで“情報を受け取る側”だった彼が、ついに“戦う側”へ回った瞬間。
彼は、愛する女のために“検事”になった。
「その証言、嘘だという証拠ありますか?」──逆転劇の布石
黒川刑事に対峙した幸太郎は、冷静に、しかし確実に攻めた。
「あなたは妻が怪しいと言う。でもその根拠は?」
そして、逆にこう問い返す。
「それが嘘だと証明する証拠、ありますか?」
この言葉に宿っているのは、ただの“論理”ではない。
“感情で愛を守る”から、“論理で愛を守る”へ。
それが、幸太郎の進化だった。
しかも彼は、裏で動き出していた。
- 元・警察記者の久米に接触
- 警察の動きと捜査線を洗うよう依頼
- 黒川が過去に左遷された事件を突き、駆け引きに使う
この動きはまさに、“弁護士の地頭”を持った男の策。
もはや、ただのTVマンではなかった。
ネルラの“無実”を証明すること。
それは彼にとって、夫としての矜持だった。
しかも彼の中には、まだわだかまりがあった。
病院でネルラが黒川の車から降りてきたとき、嫉妬と不安が同居した。
でも、今回の行動で彼は決めた。
「疑うより、信じる方が強い」
これは、感情ではなく覚悟だった。
検察と刑事、二人の男が交わす“惚れた女のための共闘宣言”
この回で象徴的なのは、幸太郎と黒川が交わした一言。
「これから、惚れた女のために一緒に戦いましょう」
ふたりの間には、緊張と複雑な感情がある。
それでも、“惚れた女の無実を証明したい”という一点で、手を組んだ。
これは“男たちの共闘”であり、同時に“感情の降伏宣言”でもある。
幸太郎は、ネルラを疑っていた。
黒川も、彼女を追っていた。
でも、ふたりとも気づいた。
彼女は“殺してない”。むしろ、傷つけられてきた側だった。
だから今度は、自分たちが“盾になる”番だった。
ここで重要なのは、黒川が「刑事として」ではなく、「男として」動き始めた点。
そして幸太郎が「夫として」ではなく、「市民として」法律を使い始めた点。
このふたりの“立場の逆転”が、事件の本質を暴く伏線になっていく。
そして次回──
ふたりはどんな形で真相に迫っていくのか。
「真犯人の論理を、愛で崩す」ことができるのか。
この物語の“戦い方”が変わり始めた。
それはただの捜査ではなく、感情の再定義だ。
愛を守るとは、どういうことなのか?
疑いではなく、行動で示すとはどういうことなのか?
幸太郎のこの覚醒は、物語の“新たな起爆剤”になるだろう。
「五守を殺したのは私」──ネルラの告白が意味するもの
「私は布施を殺してはいない。でも、五守を殺した」
この言葉を、どれだけの視聴者が“意味”でなく“痛み”として受け取っただろうか。
しあわせな結婚第5話は、ここで物語の“感情の核”を明かした。
ネルラの心の奥底には、ずっと言葉にならない“罪の感覚”が沈んでいた。
それは刑法では裁けない。
けれど、彼女にとっては「殺人」と変わらぬ痛みだった。
“家族の中の墓場”としての記憶──五守という名の犠牲
五守──名前だけで、その存在はずっと語られてこなかった。
だが第5話、ネルラの口からその名が出たとき、視聴者は初めて気づく。
“レオの兄として存在した命”が、静かに消えていたことを。
五守は、穏やかで、優しい子だった。
レオが神経質であるのとは対照的な性質を持っていた。
だからこそ、家族は五守を“跡取り”にしようとしていた。
そして、何かが起きた。
詳細は語られない。だが、その“何か”により五守は命を落とした。
ネルラは、それが自分のせいだとずっと思っていた。
罪悪感は、いつしか“自己否定”と“愛情恐怖”に変わる。
その結果、ネルラは「誰かに愛されること」を許せなくなっていた。
自分を愛する人も、自分が愛する人も、どこかで拒絶してしまう。
それが、“魔性”の裏にある心の構造だ。
つまり、ネルラの中で五守の死は、“家族の中の墓場”となっていた。
誰にも墓標は建てられていない。
でも、家の中にはずっとその死が、匂いのように残っていた。
ネルラの中で“母”になるということ──レオと五守の対比
「レオは弟だけど、五守は息子みたいだった」
このセリフにすべてが詰まっている。
ネルラは実の母ではない。
だが、ネルラの中で“母”になってしまった瞬間があった。
レオを守りたい。
でも五守のように失いたくない。
その不安と恐怖が、彼女を“秘密の牢屋”に閉じ込めた。
布施の死、レオの誘拐、父との確執──すべての根底には「五守の死」がある。
レオがゲームをしている日常の中に、五守の死が沈んでいる。
何も言わないけれど、その“沈黙の記憶”がネルラの表情を曇らせている。
彼女が絵を描くとき、自画像に“悲しみの線”が宿るのはそのせいだ。
そして今回、初めてネルラは語った。
「私が五守を殺した」と。
それは事実かどうかではない。
自分が背負ってきた“物語”を口に出すことが、罪の解放なのだ。
五守という名前に“命”を返すことで、ネルラはようやく“生きていい”と自分に言えるようになる。
だから幸太郎は言う。
「そんなこと言ったら五守くんが悲しむよ」
それは、赦しでもあり、共犯でもある。
彼はネルラの“罪の重さ”を一緒に抱える覚悟を決めた。
愛とは、罪を赦すことではない。
罪を“共有”することだ。
だからこの回のラスト、ネルラはこう言う。
「記憶が戻ったこと、警察に言う」
彼女はもう、隠さない。
五守の死、布施の死、そして自分の中の“母性のトラウマ”──
それを言葉にできたとき、彼女はようやく“自由”になる。
しあわせな結婚とは、“誰かの痛みを一緒に背負う覚悟”なのかもしれない。
しあわせな結婚5話の伏線まとめと今後の考察
物語が“動き出す回”には、必ず「伏線の答え合わせ」がある。
だが、しあわせな結婚第5話はその一歩先──“伏線の再配布”まで仕掛けてきた。
真犯人の姿は見えない。けれど、空気が変わった。
ネルラの記憶、幸太郎の覚醒、黒川の揺れ──
あらゆるキャラクターが「感情の転換点」に立たされた今、物語は一気に加速する。
怪しいのは誰?考が犯人説の可能性と否定理由
第5話以降、視聴者の間で急浮上しているのが「鈴木考=真犯人説」だ。
レオの伯父であり、寛の弟。ネルラや五守とも密接な距離にいた男。
たしかに状況証拠はいくつか揃っている。
- 布施の死に関して、誰よりも冷静すぎる
- 誘拐騒動にも関与の形跡が薄い
- どこかで「家族の綻びを知っている」言い方をする
だが──だからこそ“犯人にはなってほしくない”という感情が強い。
考は、ネルラとレオの“影の保護者”的ポジションだった。
彼が犯人であるなら、それは“家族という物語”そのものへの裏切りになる。
しあわせな結婚が描いているのは、「信じたいけど疑ってしまう」人間の葛藤だ。
だから、あえて考は“怪しく見えるように配置されている”。
それは制作側の“ミスリード”としての演出だろう。
むしろ、考は最後に“家族を守る人間”として、真実を明かす側に立つはずだ。
“味方に見える人が敵”ではなく、“敵に見える人が味方”──
この逆転こそが、本作の美しさでもある。
「事故死ではない」ことを確信させる演出と言葉の伏線
もうひとつ、物語が加速した要因は「事故死ではなかった」と断言できるようになった点だ。
視聴者の中でも、それを確信に変えたセリフや演出があった。
代表的なのは、黒川の言葉。
「当時の元麻布署は“事故死”で処理した。でも、自分は“殺し”だと思っている」
このセリフは、ただの憶測ではない。
黒川が当時現場にいたこと、その後もずっと事件を追いかけていたこと──
これらの“背景の厚み”が、視聴者に「信じる理由」を与えた。
さらに、ネルラの記憶の断片「男の足」が、映像として提示された点。
これまで“言葉でしか存在しなかった記憶”が、視覚的に描かれた。
それは、“記憶が信憑性を持ち始めた”というメッセージだ。
また、布施のセリフの端々にある「開き直り」や「哀れな正当化」も、彼が犯人ではなかった可能性を匂わせている。
犯人なら、あんなに感情的に追い詰められるだろうか?
布施は、あくまで“トリガーを引いた人間”ではあっても、“引き金を作った人間”ではなかった。
だからこそ、真犯人はまだ“どこかでこちらを見ている”。
登場しているのか、それともまだ姿を現していないのか。
──それは、次回以降の“言葉の中にある空白”を読むことでしか掴めない。
第5話は、事件の解決ではなく、“感情の再設計”に焦点を当てた回だった。
でもそれこそが、次の“論理”へ繋がる通路になる。
「記憶が真実になるとき、言葉は証拠になる」
この法則をもとに、第6話ではついに“動かぬ証拠”が出てくるのかもしれない。
無傷に見えるレオという“不在の主役”──家族の記憶が守ったもの、奪ったもの
レオは、この物語の中で最も“事件の中心”にいながら、最も語られていないキャラクターだ。
誘拐されたのも、守られたのも、気づかぬうちだった。
五守の死も、布施の死も、家族の会話の中では“彼のため”に語られていた。
なのに──レオは、それらを“知らない”まま育ってきた。
まるで、ガラスのドームの中に閉じ込められた温室植物のように。
「赤いスニーカーが好きだった五守」
「100点取ったら何でも買ってもらえると信じているレオ」
どちらの描写にも、“家族にとっての理想”が反映されている。
でも、それはレオ自身の感情ではない。
レオの“本音”が、一度も描かれていない。
記憶の外に置かれた存在──家族の“優しさ”という名のフィルター
ネルラも、寛も、孝も。
誰もが「レオは知らなくていい」と言ってきた。
それは優しさだった。守るためだった。
でも──それって本当に“守る”だったのか?
知らないまま大人になるって、何かを“奪われた”のと同じじゃないか?
家族は、「レオの未来を守った」つもりでいた。
でも、「レオの選択肢」を、いつの間にか奪っていたかもしれない。
誘拐も、死も、罪も、記憶も。
家族の中で語られる全ては“レオの外側”で起きてきた。
そうやって、家族全体が“フィルター”になって、彼の世界を整えてきた。
だとしたら──レオが自分の人生を生き始めるには、そのフィルターを一度、破らなきゃいけない。
“誰もが疑われた物語”の中で、唯一疑われなかった少年
考えたことがあるだろうか?
この物語、登場人物のほとんどが“一度は疑われてきた”。
ネルラは殺人犯かもしれない。
寛も、布施も、孝も、黒川でさえも──。
だけど、レオだけは、一度も疑われたことがない。
なぜか? 彼が“無垢だから”?
それとも──“語られなかったから”?
“疑われない”って、“存在してない”と同じじゃないか?
彼は無関係じゃなかった。中心にいた。
でも、みんなが「レオは無事だった」「何も知らない」と言い続けた。
それは、レオが“ただの象徴”になった瞬間だった。
そして怖いのは──そうやって育った人間が、いつか何かを爆発させることだ。
レオは、まだ静かに微笑んでいる。
けれど、“彼自身の感情”が芽を出すとき、物語はもう一段、深みに落ちる。
そのとき初めて、「しあわせな結婚」の本当の意味が問われるはずだ。
それは──“語られなかった者の声”まで届く家族かどうか、という問いになる。
しあわせな結婚5話の真犯人と“魔性”の本質を読み解くまとめ
愛することと、信じることは、同じではない。
『しあわせな結婚』第5話は、この不等式の狭間を彷徨う人々の姿を、丁寧に描き切った。
“疑い”が残酷だったのは、それが“信じたい”という裏返しだったから。
父と娘が15年間もお互いを疑っていた。
夫は、妻の沈黙に不安を覚えた。
刑事は、容疑者に惹かれてしまった。
そして、亡き恋人は最後の最後で「一緒に死のう」と言った。
この物語の中心にあるのは、“愛”ではない。
「感情がぶつかり合ったとき、どう生き直すか」という問いだ。
「疑うこと」と「信じること」のあいだにある本当の家族の姿とは
ネルラはずっと“記憶”に縛られていた。
それは、布施を殺したかもしれない記憶。
五守を守れなかった記憶。
父を疑ってきた15年間の記憶。
その記憶が、言葉になった。
「私じゃなかったんだね」
「お前じゃなくてよかった」
このやりとりは、“赦し”ではなく、“再確認”だった。
自分たちは信じたいと思っていた。けれど、それができなかった。
でも今なら言える。「もう、信じてもいい」と。
それが“家族”のかたちだ。
常に完璧じゃない。
でも、もう一度、信じようとする意思がある。
「しあわせな結婚」とは、ただ楽しく生きることではなく、“罪と記憶”を抱えてでも、共に生きていく覚悟のことだ。
次回、第6話でついに真相に迫るのか?注目ポイントを予習しよう
物語はいよいよ、“真犯人”の実像へと歩みを進める。
ネルラの記憶が回復した今、証言の信憑性が生まれる。
また、幸太郎と黒川という“異色のバディ”が動き出したことで、捜査は新しい局面を迎える。
第6話の注目ポイントは以下の通り。
- ネルラの記憶が“決定的証拠”になるかどうか
- 布施の死の真相に、新たな“第三者”が登場するか
- 考(孝)が何を知っているのか
- 黒川が“刑事”ではなく“男”としてどこまで踏み込むか
加えて、“あの足”の主──つまり、現場にいた“もう一人の存在”がついに判明する可能性が高い。
伏線は揃った。
証言も動き出した。
次に必要なのは、“動かぬ証拠”と、“揺るがぬ意志”だ。
この物語は、今まさに「感情の物語」から「真実の物語」へと変わろうとしている。
その一歩を、私たちは第6話で目撃することになるだろう。
“しあわせな結婚”が成立するには、まず“過去を終わらせる”必要がある。
その終止符が、いよいよ打たれようとしている。
- 15年前の偽装誘拐事件と布施の死が交差する第5話
- 父と娘、互いに“殺した”と疑い続けた真実の告白
- 記憶の中の「男の足」が真犯人の手がかりに
- 布施の動機は芸術家としての誇りと愛の歪み
- ネルラに惹かれる男たちが抱える“感情の揺らぎ”
- 幸太郎が“検事の視点”で愛を守る覚醒回
- 「五守の死」が語られ、ネルラの罪悪感が言語化される
- レオという“語られなかった存在”が今後の鍵に
- 怪しく見える考の存在が物語に深い余白を残す
- 第6話は真犯人と家族の赦しが交差する転換点に
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