スティンガース第7話ネタバレ 真犯人の正体と“あの一言”に震えた夜。感情と構造が交錯した神回を解剖する

スティンガース
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「あんたが入る穴や!」――そう言って砂をかける沖野の姿に、心がざわついた人は多いはず。

ドラマ『スティンガース』第7話は、真犯人の正体が暴かれる“物語の転換点”だった。

この記事では、小山内の純粋さ、沖野の罪の意識、込山の執着、そして二階堂の一手。その全てを、構造と感情の視点から読み解いていく。

この記事を読むとわかること

  • 第7話の真犯人と事件の構造的背景
  • 登場人物の信頼・共依存・裏切りの関係性
  • “信じるとは何か”を問う独自視点の考察
  1. 第7話の真犯人は誰だったのか?最も重要な“事実”を整理する
    1. 込山の動機と犯行の全貌:12年の逃亡劇の裏にあった愛と罪
    2. 沖野が逃げ続けた理由と、“手を汚していなかった”という事実
  2. 小山内のピュアさが痛々しい…7話で最も心を揺さぶったシーン
    1. 「あんたが入る穴や」――感情の裏にあった“信頼と裏切り”
    2. 乾のポジションが逆転?小山内の感情曲線を追う
  3. “掘り返した穴に遺体を埋める”という構造の妙
    1. 刑事ドラマとしてのリアリティと、構造美の融合
    2. 一度掘った場所を再び…視聴者の予想を裏切る演出意図
  4. 沖野と込山の“男女の関係”は必要だったのか?視点を変えた再考察
    1. DV夫の殺害と「恩」の記憶が彼女を縛った
    2. 愛か、逃避か、それとも共依存か――“人間ドラマ”の真骨頂
  5. 二階堂の指揮官としての手腕と、今後の展開への伏線
    1. 込山の動きを読み切った一人にさせる作戦とは
    2. スティンガースルームの資料破棄シーンに残る“もう一つの謎”
  6. 「信じる」って誰のため?――スティンガースが描いた“自己投影の罠”
    1. 信頼じゃない、“理想”という幻想
    2. 「裏切られた」って言葉に逃げるな
  7. 【まとめ】スティンガース第7話は感情と構造が交差した“神回”だった
    1. 真犯人の正体だけでなく、“なぜこの構造なのか”まで語りたくなる回
    2. ピュアすぎる小山内、揺れる沖野、冷静な二階堂――人間の業が見えた

第7話の真犯人は誰だったのか?最も重要な“事実”を整理する

「警察官が真犯人だった」――その一文だけで、この回がどれほど衝撃に満ちていたかがわかる。

第7話は、登場人物すべてが抱えていた“信頼”という仮面が剥がれ落ち、真実という名の毒が静かに広がっていくエピソードだった。

今回はその中でも、込山と沖野、そしてスティンガースの仲間たちが辿り着いた“真実”の骨格を、改めて見直していく。

込山の動機と犯行の全貌:12年の逃亡劇の裏にあった愛と罪

込山(近藤芳正)は、元・岡山県警の刑事だった。

彼が追っていたのは、DV夫を手にかけ、逃亡していた沖野知鶴(黒谷友香)

だが、彼は「追う側」から「守る側」に変わる。

そしてその“守り”は、正義ではなく、歪んだ愛と私情によって塗り替えられていった。

12年前、込山は沖野のDV夫の死体を一緒に遺棄した。

逃亡を手助けし、事件の証拠を隠し、すべてを自らの手で覆い隠した。

沖野が警察から逃げ続けることができたのは、彼が“内通者”だったからだ。

そして5年前、二人の過去を知った木田を殺害したのも、他ならぬ込山。

その事実が明かされた瞬間、12年間積み上げてきた“正義”というフィルターは、音もなく崩れ去る。

込山は、正義の名を借りた共犯者。

それは同時に、「彼が刑事でなくなってからも沖野を守り続けていた」狂気と執念の証明でもある。

この第7話の最大の恐怖は、“人の正義”が“人の欲望”にすり替わる瞬間を、視聴者が目の当たりにするところにある。

「正義は、最も巧妙な仮面だ」という脚本のメッセージが、込山の行動すべてに滲んでいた。

沖野が逃げ続けた理由と、“手を汚していなかった”という事実

では、沖野知鶴はどうだったのか。

当初、視聴者の多くは彼女を「狡猾な逃亡犯」「殺人の共犯者」として見ていたはずだ。

だが、その見方は、二階堂(森川葵)が仕掛けた罠によって、静かに、そして決定的に覆される。

彼女は、自らの手で人を殺していなかった。

木田の殺害にも関与していなかった。

すべての「罪」は、込山が背負っていた。

それでも逃げ続けていたのは、込山という存在に対する“恩”と“負い目”があったからだ。

つまり彼女は、「真犯人」ではなかったが、「完全な被害者」でもなかった。

このグレーな立場が、視聴者に深い余韻を残す。

そして忘れてはいけないのが、彼女の「逃げ方」そのものだ。

警察の捜査を常に一歩リードし、決して尻尾を出さない。

その卓越した逃亡術の裏には、込山による情報リークがあった。

つまり沖野の逃亡は、「罪からの逃亡」ではなく、「愛からの逃亡」だったのかもしれない。

彼女が一瞬見せた微笑みの奥にあるのは、罪悪感ではなく、自分を呪うような感情だった。

そしてその感情が、視聴者の胸を締めつける。

二階堂が語った言葉がすべてを象徴していた。

「一度掘った穴を掘り返す者はいない。それが刑事の思考よ。」

視聴者の多くは、「掘られた穴」に目を奪われていた。

だが真実は、「誰が、何を、なぜ埋めたのか」にある。

掘った穴の中に眠っていたのは、遺体ではなく、“人の良心と欺瞞”だった。

第7話が名作たり得たのは、謎解きとしての完成度ではなく、人間の弱さと執着がむき出しになった瞬間を描いたからだ。

真犯人は、たしかに込山だった。

でも、“込山をそうさせた何か”を観る者が感じ取れたとき、物語はただの事件から、人間の物語へと変わる。

小山内のピュアさが痛々しい…7話で最も心を揺さぶったシーン

第7話の終盤、山奥で穴を掘る小山内と沖野。

緊張が張り詰める中、沖野は静かに言い放つ――

「あんたが入る穴や」

この一言は、ドラマ全体の中でも群を抜いて“心に刺さるセリフ”だった。

小山内のピュアさが踏みにじられた瞬間、それは彼の信頼が壊れた音でもあった。

そして同時に、視聴者自身が「裏切られる痛み」を共に味わう構造になっていた。

「あんたが入る穴や」――感情の裏にあった“信頼と裏切り”

まず押さえておきたいのは、小山内誠(井内悠陽)の立ち位置だ。

スティンガースというクセ者揃いの集団の中で、彼は常に「まっすぐすぎるほどまっすぐ」なキャラクターとして描かれてきた。

視聴者も、沖野に対してどこか“恋心にも似た信頼”を寄せる彼を微笑ましく見ていた。

しかし、その信頼の矢印が逆手に取られる瞬間が訪れる。

沖野は、あえて小山内を利用し、彼の“純粋さ”を武器にしていた。

コスプレで彼を引き込み、あえて部屋に泊めさせ、髪の毛を採取されても動じない。

その全てが計算され尽くしていたと知ったとき、視聴者は“ただの逃亡犯”ではなく、「知能犯の顔」を持つ沖野を初めて見せつけられる。

そして山でのシーン――

沖野は、穴を掘るふりをして、小山内を突き飛ばす。

「あんたが入る穴や」

信頼していた人から放たれた刃のような言葉。

この瞬間、小山内の純粋さは、“ただの武器になりうる”ということを突きつけられる。

それは、視聴者にとってもショックだった。

なぜなら、我々もまた、「小山内の視点」でこの物語を見ていたからだ。

裏切られたのは彼だけではない。視聴者も同じ穴に落ちたのである。

乾のポジションが逆転?小山内の感情曲線を追う

『スティンガース』における“ピュア枠”といえば、これまでは乾(藤井流星)だった。

感情をむき出しにする乾、裏切られてもなお人を信じる乾。

だが、今回ばかりは小山内がその座を完全に奪った

感情に振り回され、警戒心を解き、目の前の女を信じた結果、命の危機にさらされる。

この“愚直さ”が、逆に彼の魅力を際立たせていく。

一方で、乾の登場はラストの数分だけ。

穴の前で沖野に対して、「木田の遺体の場所なんて知らないだろ」と冷静に語る姿には、かつてのピュアさの名残はなく、完全に“策士”としての顔が現れていた。

視聴者はそこで気づく。

今作で最も変化したのは、乾ではなく小山内だったのだ。

そして、変化が生まれたのは「裏切られた経験」によるものだった。

第7話は、単なる事件解決の話ではない。

信頼が裏切りに変わるとき、人はどう変わるかを描いたエピソードだった。

裏切られた人間は、ただ傷つくだけじゃない。

そこから“もう一人の自分”が生まれてくる。

小山内の涙は、悲しみではなく、「変化の産声」だったのかもしれない。

今後、彼がどんな行動を見せるのか。

その鍵は、“ピュアだった男が、何を選ぶか”にある。

そしてそれは、我々視聴者にとっても、「人を信じることの意味」を問いかけてくる。

信じるとは何か。信じすぎたら、損なのか。

第7話のラストシーンは、その問いに対するひとつの“答え”だった。

“掘り返した穴に遺体を埋める”という構造の妙

スティンガース第7話には、感情を突き刺すようなセリフや衝撃の告白が連続する中、ひとつだけ“何も語らないのに、すべてを語っているシーン”がある。

それが、“掘り返した穴に再び遺体を埋める”という込山の行動だ。

この描写は、一見地味で何気ない。

だがそこには、緻密に設計された構造的な演出意図と、心理戦の裏打ちが見え隠れしていた。

今回はこの“穴”というモチーフに焦点を当て、刑事ドラマとしてのリアリティ、そして物語全体を貫く構造の妙を読み解いていく。

刑事ドラマとしてのリアリティと、構造美の融合

二階堂(森川葵)は、込山を逮捕する決定打として「掘り返した穴に遺体を再び埋めるはず」という仮説を立てる。

一見大胆な推理だが、これは刑事という職業を知り尽くした彼女だからこそ思いつく“リアリズム”の極みだった。

遺体を隠す者の心理は、常に「人目につかない場所」を探す。

しかし、それは逆に「過去に既に隠した場所=安全だった場所」に回帰するという本能を孕んでいる。

つまり“一度バレなかった場所は、再び使いたくなる”という心理的な盲点。

込山が「掘り返した跡地」に戻ると予測し、実際にそれが的中した時、ドラマは“ご都合主義”ではなく“構造の美しさ”へと昇華された

二階堂の読みは、ただの推理ではない。

人間の罪と本能に基づいた、“計算された心理構造”だったのだ。

そしてこの構造は、視聴者の知性と感情を同時に揺さぶる。

「ああ、そういうことか」と納得すると同時に、「まさか、そんな場所に…」とぞっとさせられる。

これこそが、優れた刑事ドラマが持つべき“論理と情緒の両立”だ。

一度掘った場所を再び…視聴者の予想を裏切る演出意図

演出的に見ても、この「再び埋める」という行為には重要な意味が込められている。

まず、掘り返した穴というのは、視覚的にも非常にインパクトがある。

土が乱れ、スコップの跡が生々しく残っている。

そこに遺体を再び埋めるという行動は、“犯人の焦りと追い詰められた心理”を象徴している。

さらにこのシーンは、「すでに調査済みの場所」という前提があるため、視聴者の注意を完全に外している。

我々は、「もうこの場所には何もない」と思っていた。

しかしそこに遺体がある。

“予想外の場所に真実が眠っていた”というこの逆転は、まさに脚本家のトリックであり、美学だ。

この“予想を裏切る気持ち良さ”があるからこそ、視聴後に脳がじんわりと痺れる。

そして忘れてはいけないのが、込山自身がその“穴”に戻ってしまうという流れだ。

二階堂はそれすら計算していた。

「一人にしてくれ」と願う込山。それは、彼の罪の重さを“物理的に掘り返しにいく”というラストの演出に直結する。

この一連の流れには、もはや説明は要らない。

動機の説明も、回想も不要。

掘り返されたのは穴ではなく、過去そのものだった。

第7話のラスト、「穴に戻る」という描写だけで、犯人の心情、事件の結末、そして物語全体の構造がすべてリンクする。

それは、優れた映像作品が見せる“言葉を超えた演出”の境地だった。

語らずして伝わる。

第7話の“掘り返された穴”は、ドラマ『スティンガース』という作品そのものの象徴だった。

沖野と込山の“男女の関係”は必要だったのか?視点を変えた再考察

込山と沖野――刑事と逃亡者、追う者と逃げる者。

その関係がいつしか“男女の関係”にまで踏み込んでいたと明かされたとき、多くの視聴者が感じたのは「そこまで必要だったのか?」という戸惑いだった。

だが、表層だけで判断すれば、物語の奥行きは見えてこない。

この二人の関係性は、ドラマ『スティンガース』第7話において、感情と罪、支配と恩義が複雑に絡み合った“人間の縮図”として描かれている。

今回は、込み上げる違和感の正体を解剖し、「なぜ男女の関係である必要があったのか」を問い直す。

DV夫の殺害と「恩」の記憶が彼女を縛った

物語の発端は、沖野がDV夫を殺害してしまったことにある。

そこに現れたのが、当時の刑事・込山だった。

通常であれば、彼女は逮捕され、法の裁きを受けるはずだった。

だが込山はそうしなかった。

むしろ、沖野の罪を隠し、遺体遺棄を手伝い、逃亡の手助けをした

それは正義ではなく、感情だった。

この瞬間から、沖野は“罪”だけでなく、“恩”を背負うことになる。

「あの人がいなければ、私は今、ここにいなかった」

その感情は、彼女の中で強烈な“しがらみ”として残る。

自分の罪を帳消しにしてくれた人間。

そして、その代償として「人生を預けるしかない」と思わせた存在。

だから沖野は、込山の命令には逆らえなかった。

たとえそれが、自分の意思に反していたとしても。

“逃げる”という選択肢さえ、彼女自身のものではなかったのかもしれない。

つまり、沖野にとって込山は「愛する男」ではなく、「逃れられない過去」だった。

愛か、逃避か、それとも共依存か――“人間ドラマ”の真骨頂

では、この関係は「愛」と呼べるのか。

それとも「逃避」だったのか。

答えは、おそらくどちらでもあり、どちらでもない

この二人の関係は、“共依存”という言葉が最も近い。

込山は沖野を助けることで、自らの正義を保とうとした。

沖野は込山に従うことで、自分の罪を「許されたこと」に変換しようとした。

つまり、お互いが“自分を肯定するための装置”として、相手を使っていた。

愛というには、あまりに歪で、救いがなかった。

だが、この関係があったからこそ、7話のラストシーン――

「一人にすれば、きっとあの場所に戻る」

という二階堂の読みが成立する。

込山は、愛した女を守るために殺人を重ね、その女に裏切られたことにも気づかぬふりをした。

そして、最終的に戻ったのは「掘り返した穴」。

それは、彼自身が埋めた過去と感情の“墓場”だった。

沖野との男女の関係は、この“墓場”に至るまでの道筋を描くための、必然だったのだ。

「恋愛関係がなくても話は成立する」と感じた視聴者も多いだろう。

しかし、「人が罪を隠し通すほどの理由」として、“共犯関係”だけでは足りない

そこに情が混ざることで、視聴者の心を揺さぶる。

それが、このドラマの“人間ドラマ”としての強度を底上げしていた。

第7話は、ただの「事件解決」ではない。

人が人に縛られ、そして壊れていく様を描いた心理劇だった。

沖野と込山の関係は、その核心に位置している。

だからこそ、最後に彼が遺体を埋める場所として「もう一度掘った穴」が選ばれたこと。

それは、「彼が戻りたかったのは過去ではなく、沖野との関係そのもの」だったという、言葉にならない叫びだったのかもしれない。

二階堂の指揮官としての手腕と、今後の展開への伏線

第7話の終盤、物語が“静かな終焉”へと向かうそのとき。

決定打となったのは、暴力でも、怒声でもない。

「一人にしてあげてください」

この一言に込められた、冷徹な読みと人間理解の深さこそが、指揮官・二階堂民子(森川葵)の真の強さだった。

感情的な対決が描かれる中で、彼女だけが一貫して“合理性”と“心理戦”を駆使していた。

ここでは、込山の動きを読み切ったその戦略、そして今後への伏線として描かれた“あるシーン”に焦点を当てていく。

込山の動きを読み切った一人にさせる作戦とは

スティンガースのメンバーたちは、込み山が逮捕直前に「穴を掘った場所に戻るだろう」と予測していたわけではない。

あの場所を再び掘り返す、という発想は、どこか非合理にさえ見える。

だが、人間は合理性だけでは動かない

そこに込山の「情」があったからこそ、二階堂は“逆算の読み”を可能にした。

「一人にさせてください」――その願いを、彼女は拒まなかった。

むしろその“孤独”の中でこそ、人は真実に触れると理解していたからだ。

この場面での彼女の動きは、一切の“感情の揺らぎ”を見せない。

常に淡々と、冷静に、だが確実に相手の心理を追い詰めていく。

二階堂の指揮官としての手腕は、「答えを言わない」という選択に集約されている。

部下たちは「大丈夫なのか?」という不安を抱えつつも、その指示に従う。

そして、結果は彼女の“勝利”だった。

込山は穴に戻り、木田の遺体と対面する。

これは単なる“トリック”ではない。

「人は最期、誰に対しても嘘をつけない」という心理を見抜いた二階堂の、人間理解の深さが生んだ結末だった。

スティンガースというクセ者集団を率いるには、圧倒的な“言語化されない信頼”が必要だ。

彼女はそれを、この第7話で証明してみせた。

スティンガースルームの資料破棄シーンに残る“もう一つの謎”

だが、もうひとつ忘れてはいけないシーンがある。

それが、込山がスティンガースルームで捜査資料を破棄しようとした場面だ。

このシーンは、表向きは「証拠隠滅のための行動」として描かれていた。

だが、本当にそれだけだったのか?

込山はすでに“疑われている”と感じていたはずだ。

それなのに、なぜ堂々とスティンガースルームに入り、資料を処分しようとしたのか。

ここにあるのは、「自分が追い詰められていることを認めたくない」という心理だ。

込山にとって、あの部屋は「かつて自分が正義の側だった証」でもあった。

その象徴である資料を、自らの手で破棄するという行動には、「終わり」を自分の手で締めくくりたいという無言の抵抗がある。

だが、そこに現れたのが二階堂だった。

彼女は怒りも、叱責もせず、ただ事実を突きつける。

「木田の遺体は見つかりました。…あなたは、終わったんです」

この瞬間、正義の象徴である“資料”と、“犯人”である自分が、同じ場所にいるという強烈な皮肉が描かれる。

ここにも、二階堂の“見せない手腕”が光る。

資料を燃やすシーンには、「一つの事件の終わり」だけではなく、“誰もが抱える過去”を焼却するメタファーが込められていた。

そしてその過去を燃やすことが、次なる事件へと進む“心の準備”にもなっている。

二階堂というキャラクターは、感情ではなく“構造”で物語を動かすタイプだ。

だからこそ、今後の物語において、彼女の行動そのものが伏線となっていく可能性が高い。

彼女はまだ、すべてを語っていない。

そしてきっと、その“語らない部分”こそが、次のエピソードの鍵になる。

「信じる」って誰のため?――スティンガースが描いた“自己投影の罠”

第7話を見終わったあと、ふと思った。

「小山内って、沖野の何を信じてたんだろう?」

殺人犯の可能性がある女。逃亡を続ける女。どこか影のある女。

それでも彼は、彼女に惹かれていた。

信じていた、というより…“信じたい自分”を投影していたように見えた。

信頼じゃない、“理想”という幻想

小山内は、おそらくずっと「正しい人間でいたかった」やつだ。

その純粋さが、逆に彼の弱さでもある。

沖野に向けた信頼は、情報や事実を積み重ねた結果じゃない。

「この人は、そんなことする人じゃないと思いたい」っていう、思い込みに近い。

でもそれって、結局は“自分の理想の中の沖野”を信じてたってことで。

本当の沖野じゃなくて、「そうであってほしい」沖野

これって現実でもよくある。

好きな人に失望したくないから、勝手に理想化して、勝手に傷つく。

相手が変わったわけじゃない。

勝手に“自分の中の信頼像”が崩れただけ。

信じてたんじゃなく、信じてる自分が好きだった、ってことに気づけたとき、人って成長する。

「裏切られた」って言葉に逃げるな

小山内は、沖野に突き飛ばされたあと、たぶん頭の中でこう叫んでた。

「裏切られた」

でも、ほんとうに裏切られたのか?

彼女は最初から一言も「信じて」とは言ってない。

そもそも敵か味方かすら明かしてなかった。

それでも小山内は、勝手に信じ、勝手に近づき、勝手に打ちのめされた。

これって、たぶん恋愛とか、職場の人間関係でもよく起きてる。

相手が「裏切った」のか。

それとも、自分が勝手に「期待を作った」だけなのか。

この第7話は、小山内というキャラを通して、“信頼とはなにか”っていう根源的な問いを投げてきた。

信じるって、思ってる以上にエゴだ。

だってその信頼は、相手のためじゃなくて、自分が安心するためのものだったりするから。

小山内は、自分の“理想の正義”を信じ続けて、最後に穴に落とされた。

でもそこから出てくるとき、彼はきっと変わってる。

他人を信じるより前に、「自分の目で人を見て、判断する」っていう力を、やっと手に入れたんじゃないか。

第7話は、派手な展開の裏で、「信頼とは何か」「それは誰のためか」を静かに問うてきた。

そして、それを観ていた俺たちにも、同じ問いを残していった。

信じるって、ほんとうに優しさか?

それとも、自分が見たいものしか見てないだけなのか?

答えは、誰の中にもある。

この回は、それを掘り起こす“感情のスコップ”みたいな回だった。

【まとめ】スティンガース第7話は感情と構造が交差した“神回”だった

物語の真ん中に「穴」がある。

そこには遺体が埋まっていて、罪が埋まっていて、過去が埋まっていた。

だが本当に埋まっていたのは、人間の「どうしようもなさ」だったのかもしれない。

スティンガース第7話は、構造と感情、事実と心理、正義と欲望。

そのすべてが重なり合って、“感情で震え、構造で唸る”という、稀に見る神回となった。

真犯人の正体だけでなく、“なぜこの構造なのか”まで語りたくなる回

込山が真犯人だった。

それは驚きであり、納得でもあった。

だがこの回が凄いのは、ただ「誰が犯人か」を暴いたことではない。

「なぜこういう構造になっていたのか」まで計算されていた点にある。

12年前のDV殺害。

その証拠隠滅と逃亡の手助け。

共犯関係の中で生まれた歪な信頼。

そこから5年後の木田殺害。

そして、今。

全てが時系列的に破綻なく繋がっているという構成力。

しかも、重要な情報は一気に明かさず、小出しにしていた。

そのため、視聴者は感情と同時に“推理”という知的快楽も味わえた。

この“感情×構造”の両立こそ、刑事ドラマの理想型だ。

その意味で第7話は、物語としてだけでなく、脚本という技術の極致でもあった。

ピュアすぎる小山内、揺れる沖野、冷静な二階堂――人間の業が見えた

小山内は純粋だった。

だからこそ、傷ついた。

信じるという行為が、裏切られることでしか終われないと知ったとき、彼の中に何かが崩れた。

その姿は、視聴者自身の“かつての自分”を重ねさせる装置だった。

沖野は、罪に縛られ、恩に囚われていた。

手は汚していなくても、心はもうとっくに傷だらけだった。

「殺してないのに逃げ続ける女」――その矛盾に、彼女の人間らしさが滲む。

そして、二階堂。

彼女は一切の感情を見せずに、人間を“構造”として見抜く力を持っていた。

優しさも、哀れみも、正義感さえも口にせず、ただ静かに“真実を掘り返す”。

その姿は、まるで“神”ではなく、“人間の業を観察する者”のようだった。

第7話は、ただの事件ではない。

そこにいた人間たちの選べなかった過去と、逃れられなかった関係が浮かび上がる。

それを我々は、“穴”というメタファーの中で目撃した。

次回、彼らはまた別の事件に向き合うかもしれない。

だが、この第7話だけはきっと、視聴者の心に「掘り返したくなる感情」として残り続ける

だからこれは、“ただの良い回”ではない。

構造で震え、感情で泣ける――“神回”だった。

この記事のまとめ

  • 第7話は真犯人・込山の告白が核心
  • 「掘り返した穴」が物語構造の象徴
  • 沖野は罪を犯さず恩に縛られ続けた
  • 小山内のピュアさが裏切りに変わる瞬間
  • 信頼と共依存が生んだ男女の歪な関係
  • 二階堂の読みと静かな決着が光る回
  • 資料破棄シーンに残された伏線
  • “信じるとは何か”を問い直す視点
  • 構造と感情が高密度に絡み合った神回

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