相棒24 第9話『カフカの手紙』ネタバレ感想 赦せなかった娘と、名乗れなかった父が交わした“最後の物語”

相棒
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『相棒24』第9話「カフカの手紙」は、“父と娘”という最も古典的で、最も痛いテーマを真正面から撃ち抜いてきた回だ。

30年の沈黙、罪、贖罪、そして再生。表面上は一通の手紙の話に見えて、実は“過去を語れなかった者たち”の物語である。

右京と薫が読み上げたのは事件の真相ではなく、「赦し」という人間の限界だった。見終わったあと、胸の奥でひとつだけ残る問い——“それでも、父は救われたのか?”

この記事を読むとわかること

  • 相棒24第9話「カフカの手紙」が描く“赦せない愛”の本質
  • 父と娘、そして右京と薫が紡ぐ“語り継がれる声”の意味
  • 「今さら遅い」と感じる大人たちに突きつける現実と救い
  1. 相棒24第9話「カフカの手紙」――結論:この物語は“赦し”ではなく“残響”だ
    1. 愛情は届かない。けれど、声だけは残る
    2. 父が死んでなお、娘の中で生き続けた“物語”
  2. 「カフカ」と呼ばれた男――大原隆一が選んだ贖罪の形
    1. かつて“バブルの亡霊”と呼ばれた男の終着点
    2. 人を救えなかった男が、少女の心だけを救おうとした理由
  3. 娘・美幸の拒絶――赦しではなく、記憶との決別
    1. 「父は35年前に死んだ」その言葉が意味するもの
    2. 声の記憶が、最も痛い“愛の証拠”になる瞬間
  4. 右京と薫の手紙――“答えを出さない優しさ”という救い
    1. 特命係が見届けた「人間の限界」
    2. カフカの手紙が、少女と世界をつなぐ“残響”になる
  5. 「いい話」に見えない理由――この回が視聴者をざらつかせた本当の理由
    1. 逃げた父、死んだ母、残された娘――誰も正義ではなかった
    2. 相棒が描く“きれいに終われない人生”のリアリズム
  6. この物語が他人事に見えない理由――「名乗れなかった大人」たちの現在地
    1. 「ちゃんとできなかった大人」は、職場にも家庭にも溢れている
    2. 「今さら遅い」と思った瞬間から、人はカフカになる
  7. 相棒24第9話「カフカの手紙」まとめ――物語は誰のために語られるのか
    1. 声だけが遺る世界で、何を残せるのか
    2. “語ること”こそ、人がまだ生きているという証
  8. 右京さんの総括

相棒24第9話「カフカの手紙」――結論:この物語は“赦し”ではなく“残響”だ

「相棒24」第9話「カフカの手紙」は、一見すると穏やかな“救い”の物語のように見える。だが、その奥底にあるのは、赦しきれないまま終わる人間たちの音の残響だ。

ラスト、右京と薫が少女・美香に宛てた“カフカの手紙”を読む場面は、まるで静かな葬送曲のように終わる。だがその静けさは、癒やしではなく、“言葉にできなかった後悔”の静寂である。

本作は、父・大原隆一と娘・美幸の再会を軸にした、家族の再生譚のように構成されている。だが、実際には「再生」は起きない。娘は父を拒絶し、父は名乗れないまま死ぬ。観る者が感じるのは涙よりも、時間の残酷さだ。

愛情は届かない。けれど、声だけは残る

物語の核心は、“声の記憶”にある。美幸は父の顔を覚えていない。だが、寝る前に聞かされた「大人になった私が世界を冒険する物語」の声だけは、35年経っても身体に刻まれていた。人は、忘れたくても忘れられない“声”に縛られて生きる。それは愛であり、呪いでもある。

このエピソードが美しいのは、声という形のない記憶が、血縁を超えて繋がるからだ。右京と薫が読み上げた手紙の声は、まるでカフカ本人の魂が最後に世界へ放った呼吸のように響く。赦しではなく、残響。彼の生きた証は、届かぬ声の余韻として、少女の心に残った。

そしてその“声”は、単なる sentimental な装置ではない。彼女が今も生きるための糸口なのだ。怒りも悲しみも消えないまま、それでも日常を続けていく——その支えが、誰かの声だとしたら、それはもう赦しに等しい。

父が死んでなお、娘の中で生き続けた“物語”

「Erzählung」——美幸の喫茶店の名前は“物語”を意味するドイツ語だった。この演出が、この回のすべてを象徴している。父を憎み、拒絶した娘が営む店が「物語」と名づけられていた。無意識のうちに、彼女は父の残したものの中で生きていたのだ。

右京が言う。「どれほど憎んでいても、大原さんが語っていた物語があなたの支えになっていた」。この言葉は、彼女だけでなく、視聴者にも刺さる。誰もが、赦せない誰かの声を心に抱え、それでも歩いている。

相棒というドラマは、事件を解決しても「人の心」は解決しない。罪も愛も、整理されずに残る。だからこそ、この第9話は特別だ。すべての真相が明らかになっても、何も解決しない。その空白こそが、人間の真実である。

“カフカの手紙”が描いたのは、父と娘の和解ではない。届かなかった愛が、物語としてこの世に残る奇跡だった。右京の声が静かに響いたあとも、観る者の心の中には、まだその残響が続いている。

「カフカ」と呼ばれた男――大原隆一が選んだ贖罪の形

「カフカ」と呼ばれた老人——その本名は大原隆一。かつてバブル期に“仕手集団”を率い、株価操作で巨万の富を得た男だ。だが、その金は家族を不幸にし、自身を“亡霊”へと変えていった。相棒第9話は、この男が人生の終盤に選んだ最も静かな贖罪の物語である。

彼が暮らしていた安アパートには、畳の下に紙袋が隠されていた。中には約3千万円の現金と、古い一万円札——“昭和の残響”。それは、彼が若いころに奪った金ではなく、夜勤のガードマンとして積み上げた現金だった。汚れた過去を消すことはできない。だから彼はせめて、汗で稼いだ金で、誰かを救おうとした。

彼の罪は明白だ。妻を絶望に追い込み、娘を孤独にした。だが彼の人生の最期は、逃亡ではなく“見守り”だった。彼は娘・美幸の喫茶店を毎日訪れ、客としてただそこに座り続けた。名を告げず、謝罪もできず、ただ生きている証を近くで確かめていた。それが、彼にできた唯一の贖いだった。

かつて“バブルの亡霊”と呼ばれた男の終着点

ドラマ内で大原は「バブルの亡霊」と呼ばれていた。その言葉が象徴するのは、金に取り憑かれ、そして金によって壊された日本そのものだ。彼は時代の象徴であり、同時にその犠牲者でもある。

妻が借金取りに追われて自死し、娘が孤児となったあとも、彼は姿を消した。だがその逃避は、自己保身ではなかった。右京は言う——「彼は悟ったのでしょう。自分の死期を」。末期がんを宣告された彼に残されたのは、“どう生きるか”ではなく、“どう死ぬか”という問いだった。

その答えが、「カフカ」という名前に込められている。文学好きだった大原は、フランツ・カフカの逸話を知っていた。恋人の娘のために、“失くした人形”の手紙を書いた作家の話。——彼はその物語を現実で再現しようとしたのだ。つまり、彼の贖罪とは、“誰かの心を癒す”ことだった。

カフカとして子どもたちに絵本を読み聞かせ、失くしたぬいぐるみの代わりに手紙を書いた。彼にとってその行為は、過去に失った“娘”への手紙の延長線だった。

人を救えなかった男が、少女の心だけを救おうとした理由

右京は語る。「文学に造詣があったのでしょう」。だがそれはただの趣味ではない。大原にとって文学は、罪を再構成するための“言語の避難所”だった。彼は言葉にすることでしか、生き延びられなかった。

彼の本当の目的は、美幸に名乗ることでも、謝ることでもない。かつて救えなかった少女(娘)と、今目の前にいる少女(美香)を重ね、やり直すこと。彼が美香に「ぷーちゃんの手紙」を書いたのは、失った親としての時間を少しでも取り戻すためだった。

それは、他人の子どもを通じて、自分の過去を贖うという、あまりにも歪で、そして痛い行為だ。だが、そこにこそ“人間らしさ”がある。正しい償いなど、この世には存在しない。だからこそ彼は、誰かの涙の中で静かに生き直すことを選んだのだ。

死の直前、彼は3千万円を手にして娘の元へ向かおうとした。その金で娘を救おうとしたのかもしれない。だが、心筋梗塞で倒れ、道半ばで息絶える。その最期の姿は、過去を抱えたまま地面に倒れた“生き仏”のようだった。彼の死は、罰ではなく、祈りだった。

カフカの物語は、赦しを描かない。だが、人が他人を思い続ける限り、罪の終わり方はひとつではないと教えてくれる。彼の人生は、贖罪ではなく“語り”として終わった。沈黙の中に残ったのは、誰かを愛そうとした痕跡——それだけで、十分だったのかもしれない。

娘・美幸の拒絶――赦しではなく、記憶との決別

この回で最も胸を抉るのは、娘・美幸が父を拒絶する瞬間だ。再会も抱擁もない。彼女は冷たく言い放つ。「父は35年前に死んだんです」。この一言に、あらゆる時間の重みが詰まっている。

彼女の中で父親はすでに“記憶の墓標”となっていた。母を自殺に追いやり、自分を孤独にした張本人。その男が今さら目の前に現れても、彼女はもう少女ではない。赦すための感情の居場所が、とうに失われている。

この冷たさは、愛情の反転だ。一度でも愛された記憶があるからこそ、人は深く憎める。そして憎しみの底には、どうしようもない“会いたさ”が眠っている。相棒の脚本はその心理を正確に突いてくる。

「父は35年前に死んだ」その言葉が意味するもの

この台詞を聞いた右京は、静かに彼女へ問いかける。「それでも、なぜ彼がこの店に来た時、父だと思ったのですか?」。そして彼女は答える。「声です」。——この瞬間、すべてが崩れる。

人は理屈ではなく、音で愛を覚えている。寝る前に語られた物語の声。あの柔らかな響きだけが、彼女にとっての“父”だった。顔も姿も覚えていないのに、声だけが心の奥に生きている。それは彼女がどれほど父を憎みながらも、忘れられなかった証拠だ。

つまり彼女の「拒絶」は、憎悪の表現ではない。愛した記憶から逃げるための自己防衛だ。もし認めてしまえば、今まで築いてきた“父なしの人生”が崩れてしまう。だから彼女は拒んだ。彼女にとって赦しは、再び傷つくことと同義だったのだ。

声の記憶が、最も痛い“愛の証拠”になる瞬間

右京は、娘に向けて静かに語る。「あなたの店の名前『Erzählung』は、“物語”という意味です」。この言葉が放たれた瞬間、物語が一気に収束する。彼女が築いた“自分の城”は、知らぬうちに父の残した言葉の延長線上にあった。つまり彼女は、父の物語の続きを生きていたのだ。

この構図が、相棒というシリーズの真骨頂である。事件はいつも“表”にあるが、物語の本質は“心の裏側”にある。赦しや再会といった分かりやすいカタルシスを拒み、感情の不協和音で終わらせる。それがこの回の美しさであり、恐ろしさでもある。

彼女は最終的に、遺骨を引き取り、遺産を放棄する。その選択は冷酷に見えるが、実はそれこそが彼女なりの“供養”だった。金ではなく、沈黙で別れを告げたのだ。

その後、右京と薫が少女・美香に読み聞かせる“カフカの手紙”の声が、まるで彼女の心にも届いているかのように響く。赦しはなかった。だが、言葉は確かに届いた。

それは、声の連鎖。カフカが語った声を、美香が受け取り、美幸が思い出す。過去と現在が、赦しではなく“記憶”で繋がる。そこに救いはない。だが、人は語ることでしか、終われない。

美幸の拒絶は、父の愛を拒んだのではない。終わりのない痛みと共に、“記憶として父を生かし続ける”という選択だった。それは赦しよりも強い。なぜなら、忘れないという行為そのものが、愛の最終形だからだ。

右京と薫の手紙――“答えを出さない優しさ”という救い

この回のラストシーン、右京と薫が少女・美香に宛てた“カフカの手紙”を読む場面。それは、事件の幕引きではなく、人間の痛みを包み込む“祈り”だった。

「美香ちゃん、もしどうしてもカフカさんに会いたくなったら、目を閉じてください——」。右京の声が静かに響く。まるで風が止まり、時間そのものが立ち止まったかのようだった。その言葉には、理屈も説明もない。ただ、誰かを想うという行為そのものの優しさが宿っている。

このシーンが深く心に残るのは、右京が「正義」ではなく「慰め」を選んだからだ。彼はいつも真実を暴き、論理で世界を整える。しかしこの瞬間だけは、言葉を“物語”として使った。そこにあるのは、解決ではなく、人の感情に寄り添うための言葉だった。

特命係が見届けた「人間の限界」

この第9話は、右京と薫のコンビが“探偵”ではなく“語り手”になる珍しい回だ。彼らが追っているのは事件の真相ではなく、生きてきた人間たちの感情の終着点。その構図が、シリーズ全体の中でも異質であり、そして美しい。

右京はすべてを知りながら、何も断罪しない。薫もまた、怒ることも泣くこともせず、ただ静かに手紙を読む。彼らの沈黙が、どんな台詞よりも雄弁だ。「赦し」という言葉を押しつけない優しさが、画面の空気を柔らかくしていく。

本来ならば“正義”の側にいる特命係が、この回では“人間の弱さ”の側に立っている。その構図の反転が、相棒という作品の成熟を示している。右京が最後に見せた微笑は、勝利でも、安堵でもない。「それでも人は物語を語り続ける」という、わずかな希望だった。

カフカの手紙が、少女と世界をつなぐ“残響”になる

手紙というモチーフは、この回全体の“心臓”だ。人形を失った少女、美香に宛てて書かれた手紙。それはただの慰めではなく、生と死の境界を超えて、人と人をつなぐメッセージだった。

右京の声を通して読まれたカフカの手紙は、まるで大原隆一の魂が再び息を吹き返したように響く。「君のおかげで忘れていた大切な時間を思い出すことができました」。この一文は、娘・美幸への遺言でもあり、彼自身への赦しでもある。

右京たちが“代筆者”になったことには深い意味がある。大原が伝えられなかった想いを、彼らが代わりに語ることで、物語は完成する。彼の贖罪は、誰かの声を借りてようやく届いた。

その手紙を受け取る少女・美香は、父を失った美幸の“過去の写し鏡”である。だからこそ、この手紙は、世代を超えた継承のように感じられる。過去の痛みを物語として次に渡す——それが“生きる”ということなのだ。

カフカはもういない。だが、彼の声は右京に受け継がれ、右京の声は少女に届く。人は死んでも、言葉は残る。その残響がある限り、誰かは救われる。このラストは、「赦し」とは何かを問うのではなく、“語ること自体が救いである”という答えを描いていた。

そして、右京と薫が見上げた空に、誰もいない公園が映る。風だけが通り抜け、カフカの幻が一礼して消える。その瞬間、視聴者の胸には静かな熱が宿る。悲しみではない。“誰かを思うという痛み”が、美しく変わる瞬間だった。

「いい話」に見えない理由――この回が視聴者をざらつかせた本当の理由

「カフカの手紙」は、明らかに“いい話”として描かれている。だが、多くの視聴者が感じたのは涙ではなく、喉の奥に小骨が刺さるような違和感だった。
なぜこの物語は、心を温めるどころか、痛みを残すのか。それは、この回が“赦し”を描くふりをして、実は“赦せない現実”そのものを突きつけているからだ。

大原隆一は反省していた。真面目に働き、子どもたちに優しく接し、娘を遠くから見守っていた。けれど、彼がどれだけ変わっても、彼が奪った過去は変えられない。 妻は死に、娘は孤独に耐え、生涯その記憶を抱えて生きた。その“取り返しのつかない時間”こそ、この物語の核心なのだ。

逃げた父、死んだ母、残された娘――誰も正義ではなかった

この回の登場人物には、ひとりとして正義の人間がいない。
大原は逃げ、母は絶望し、娘は拒絶した。誰も間違っていない。だが誰も正しくもない。
だからこそこのドラマは「いい話」にならない。すべての行動が、生きるための言い訳であり、誰かを守るための嘘だった。

美幸が遺骨を引き取ったのは、赦しではなく“終わらせるため”。
大原が金を貯め続けたのは、罪悪感を形に変えたかったから。
右京と薫が手紙を読むのは、誰かが悲しみを引き受けなければならなかったから。
このドラマには救いがあるように見えて、実際には誰も救われていない。
ただ、人間の尊厳だけが、ギリギリの線で踏みとどまっている。

それが視聴者をざらつかせた理由だ。人は“正しい人間”を見たいのではない。
“どうしようもない人間”が、それでも誰かを想う瞬間に心を動かされる。
この第9話は、その泥臭い美しさを、徹底的に描き切った。

相棒が描く“きれいに終われない人生”のリアリズム

相棒というシリーズは、長年“理屈のドラマ”として愛されてきた。
だが、この回では理屈が何の役にも立たない。真実を突き止めても、誰も報われない。
右京がいつもなら断罪する場面で、今回はただ「見届ける」だけなのが、その象徴だ。

そこには、“正義”の疲弊がある。事件を解決しても、人は変わらない。
どれほど論理的に真相を暴いても、過去の痛みは消えない。
だから右京は、今回は「答え」を出さない。“語り続けること”を選んだ。
それはつまり、人間の限界を認めた優しさでもある。

「相棒」はここで、ひとつ成熟の段階に入った。
視聴者に“納得”を与える代わりに、“考え続けさせる”。
感動ではなく、反芻。
涙ではなく、思索。
このドラマが“ざらつく”のは、我々が自分の中の痛みを、
物語という鏡の中に見てしまうからだ。

そして、ラストに残る静寂。
カフカの声は消え、誰もいない公園に風だけが吹く。
その風が、まるで“まだ赦せない誰か”の背中を撫でているようだった。
——「いい話」に見えないのは当然だ。
この物語は、綺麗に終われない人生を、
それでも生き続ける人間たちへの、静かな賛歌なのだから。

この物語が他人事に見えない理由――「名乗れなかった大人」たちの現在地

「カフカの手紙」がここまで胸に残るのは、父と娘の物語だからではない。
もっと厄介で、もっと身近な理由がある。
それはこの回が、“ちゃんと大人になれなかった人間”の物語だからだ。

大原隆一は、父親として失格だった。
だが同時に、社会の中で、家庭の中で、「正しい役割」を果たせなかった大人でもあった。
失敗し、逃げ、取り返しがつかなくなってから、ようやく「どう生きるか」を考え始めた男。
その姿は、決して極端な犯罪者の話ではない。

「ちゃんとできなかった大人」は、職場にも家庭にも溢れている

このドラマを見ながら、多くの人が無意識に自分を重ねたはずだ。
仕事に追われ、余裕をなくし、
気づけば誰かに大事な言葉を伝えそびれていた——そんな経験はないだろうか。

子どもに対して、部下に対して、家族に対して、
「今は無理」「落ち着いたら」「そのうち」と先送りにしたまま、
気づけば距離だけが広がっていた。
名乗れなかったのは、大原だけじゃない。

父親として、上司として、パートナーとして、
“ちゃんとした顔”をするタイミングを逃し続けた大人は、現実にも山ほどいる。
だからこそ、この物語は痛い。
これは過去の失敗談ではなく、今この瞬間も進行中の現実だからだ。

「今さら遅い」と思った瞬間から、人はカフカになる

大原が娘に名乗らなかった理由は、勇気がなかったからではない。
「今さら父親なんて名乗れない」という感情が、彼を縛っていた。
この感覚は、驚くほど多くの人が知っている。

謝りたいけど、今さら蒸し返せない。
感謝を伝えたいけど、照れくさい。
本音を言いたいけど、関係が壊れそうで怖い。
——その“今さら”を積み重ねた先に、取り返しのつかない距離が生まれる。

大原は、言葉を間違え続けた大人の末路だ。
だが同時に、「それでも誰かを想い続けた」姿でもある。
だからこの物語は、説教をしない。
「こうすべきだった」とも言わない。
ただ静かに問いかけてくる。

——あなたは、まだ名乗れるか?

声は、思っているより遠くまで届く。
言葉は、遅すぎるように見えて、案外そうでもない。
この回を見終えたあと、
誰かの顔がふっと浮かんだなら——
それこそが、「カフカの手紙」が視聴者に残した、本当の宿題だ。

相棒24第9話「カフカの手紙」まとめ――物語は誰のために語られるのか

“カフカの手紙”が描いたのは、父と娘の再会でも、贖罪の成就でもない。
それは、語ることによって、ようやく人が生き直すという真理だった。

父・大原隆一は、自らの過去を償うために誰かへ言葉を贈った。
右京と薫は、その言葉を引き継ぎ、少女に届けた。
そして視聴者は、その連鎖の“最後の受け手”になる。
この物語は、どこかで誰かが聞いてくれることを信じる——そんな希望の形をしている。

つまり、“相棒24第9話”が問うているのは、事件の真相ではなく、「言葉は誰のために語られるのか?」という問いだ。
その答えは、きっとこうだ。
語りは常に、まだ誰にも届いていない誰かのためにある。

声だけが遺る世界で、何を残せるのか

人は死ねば消える。だが、“声”は残る。
右京の声に宿ったカフカの想いが、少女の心を揺らしたように。
私たちもまた、誰かの声を聞きながら生きている。
それは、亡くなった家族の声かもしれないし、もう会えない誰かの言葉かもしれない。
けれど、その声がある限り、人は過去と共に生きることができる。

“カフカの手紙”が響くのは、私たちが「忘れたいのに忘れられない声」を抱えているからだ。
この物語は、その痛みを否定しない。むしろ、「それでもいい」と言ってくれる。
右京の静かな声が、まるで視聴者自身への手紙のように響く。
生きるとは、語り続けること。
それがこの回の核心である。

“語ること”こそ、人がまだ生きているという証

このドラマの終わり方には、“完結”がない。
父の罪も、娘の憎しみも、何ひとつ解消されていない。
だが、それでいい。
物語は、終わらせるためではなく、続けるためにある。

右京と薫が手紙を読むことで、世界はほんの少しだけ前に進む。
それは、罪をなかったことにする魔法ではなく、「まだ誰かを想える」という事実の確認だ。
そして、そこにこそ“救い”がある。
赦すでもなく、忘れるでもなく、ただ想う。
それだけで、人は生きていける。

エピソードの最後に残るのは、風の音と、空の静けさ。
誰もいない公園に、見えない声が漂う。
それは大原隆一の声でもあり、娘の記憶でもあり、そして——
この物語を見届けた私たち自身の“声”でもある。

「カフカの手紙」は終わらない。
誰かが語り継ぐ限り、彼の声は生き続ける。
そしてその声は、こう囁くだろう。
「君のおかげで、私はまだここにいる。」

右京さんの総括

おやおや……実に、静かで、しかし重たい事件でしたねぇ。

一つ、宜しいでしょうか?
この事件には、いわゆる「犯人」と呼べる存在がいません。
法の裁きに委ねるべき悪意も、明確な殺意も、そこには見当たらなかった。

では何が、人をここまで追い詰めたのか。
答えは単純です。向き合うべき時に、向き合わなかった
ただ、それだけのことだったのです。

大原隆一は、過去から逃げました。
しかし逃げ続けた結果、残された時間のすべてを、
誰にも名乗れないまま、誰かを想うことに費やす人生を選びました。

なるほど……そういうことでしたか。
彼の贖罪は、謝罪でも告白でもなく、物語を語り続けることだった。
それは決して、正しい償いではありません。
ですが、人間が取り得る、最後の誠実さだったのかもしれませんねぇ。

娘が父を赦さなかったことも、間違いではありません。
赦しとは、強制されるものではなく、
時には赦さないという選択こそが、
その人自身を守る唯一の手段になることもある。

いい加減にしなさい!
……と、誰かを叱責できる事件ではありませんでした。
この事件が突きつけたのは、
「今さら」と言った瞬間から始まる、取り返しのつかない時間です。

ですが、結局のところ、真実は我々の目の前に初めから転がっていました。
人は、完全には償えない。
それでも、語ることはできる。
想い続けることは、できる。

紅茶を飲みながら考えましたが……
声は消えても、言葉は残る。
そしてその言葉が、誰かの人生を支えることもある。

この事件は解決しました。
しかし、人の心の事件は、
これからも、静かに続いていくのでしょうねぇ。

この記事のまとめ

  • 第9話「カフカの手紙」は“赦し”ではなく“残響”の物語
  • 名乗れなかった父・大原隆一が選んだ贖罪の形
  • 娘・美幸の拒絶は愛の裏返しであり、記憶との決別
  • 右京と薫は“答えを出さない優しさ”で語りを継ぐ
  • 誰も正義ではない現実が、見る者に痛みを残す
  • 「今さら遅い」と思った瞬間から人はカフカになる
  • 物語は、誰かに届くことを信じて語り続ける行為
  • 声は消えても、言葉は残り、誰かを生かし続ける

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