「どうして泣いてるの?」と聞かれても、うまく言葉にできない涙がある。2025年夏、月9ドラマ『明日はもっと、いい日になる』が描くのは、そんな“理由のわからない痛み”に寄り添う物語。
児童相談所という舞台で輝くのは、大人ではなく、心に傷を抱えたこどもたち。——かれん、ふうが、あおば。彼らの目に映る世界は、私たちが忘れてきた“本当のやさしさ”でできている。
この記事では、そんな3人の子役たちがどんな物語を生き、どんな感情を視聴者に届けようとしているのか。その“心の声”を読み解いていきます。
- 子役たちが見せる“演技を超えた感情”の深さ
- 児童相談所という舞台が描く大人と子どものリアル
- 心にしまった感情と向き合うきっかけになるドラマ
子役たちの“痛み”が、この物語を支えている理由
たとえば「泣いている子ども」がいたとして、その涙の理由をすぐに説明できるだろうか。
『明日はもっと、いい日になる』で描かれる子どもたちは、「言葉にならない感情」と一緒に生きている。
その繊細な“痛み”に触れた瞬間、このドラマの空気は一変する。視聴者の心にも、なにか忘れていた感情が波紋のように広がっていく。
かれん・ふうが・あおばが見せる“言葉にならない演技”
この物語を根底から支えているのは、かれん・ふうが・あおばという3人の子役たちの存在だ。
彼らは大人が簡単には真似できない“無言の演技”で、視聴者の胸に刺さる感情を投げかけてくる。
たとえば、セリフがなくてもふうががうつむくその瞬間、わたしたちは「きっと、さっき何かがあったんだ」と察してしまう。
子どもの演技というより、“その子の人生”をまるごと覗いてしまったような感覚。
かれんが保育士・じょーさんの前で小さくうなずくシーン。
あおばが黙ったまま窓の外を見つめている場面。
言葉がなくても伝わってくるのは、彼らが“悲しい”のではなく、“悲しさを飲み込んでいる”からだ。
それは、子役だからこそ表現できるリアルな心の揺れ。
むしろ、演技ではなく「その子自身が感じている痛み」が滲み出てしまったのでは?と錯覚するほど。
涙の奥にある「本当の感情」と向き合う脚本の妙
この作品の脚本は、子どもたちを“泣かせるための装置”として描いていない。
逆に、子どもたちが涙をこらえる理由を、静かに追いかけていく。
たとえば、初回で描かれた「頬にアザのある男の子」のエピソード。
主人公の翼(福原遥)が“正しさ”で救おうとする一方、蔵田(林遣都)はあえて踏み込まずに見守る。
ここで交わされる「児相の仕事は親の罪を暴くことではない」という言葉。
それは大人同士の会話だけれど、実は“子どもの心に届く救い方”についての物語でもある。
脚本が美しいのは、感情を説明しないところにある。
「この子は悲しい」と語らせるのではなく、視聴者自身が“悲しさ”に気づいてしまう余白が用意されている。
そしてその“気づき”は、いつか自分の中にもあった気持ちを呼び起こす。
「あのとき、わたしも、誰にも言えないことがあった」
このドラマは、子どもの涙を見せることで感動を誘うのではない。
涙の奥にある「言えなかった感情」に、静かに寄り添ってくる。
だからこそ、観終わったあと、なぜか胸が締めつけられるような余韻が残るのだ。
「泣かせようとするドラマ」じゃない。
「いっしょに心をほどいていくドラマ」なんだと思う。
【子役キャスト紹介】涙を演じるのではなく、“感じさせる”3人
このドラマに出てくる子どもたちは、決して「守られる存在」として描かれていない。
むしろ、大人の価値観を静かに揺さぶる存在として、ひとりひとりが確かな輪郭を持っている。
その中心にいるのが、野口風雅、坂西青葉、岩本花蓮という3人の子役たちだ。
野口風雅役・二ノ宮陸登——戦災孤児の記憶を纏った少年
風雅を演じるのは、NHK朝ドラ3作品に出演してきた経験豊富な子役、二ノ宮陸登くん。
『らんまん』『虎に翼』そして『あんぱん』——そのすべてで、“失われた家族との記憶”を背負うような役柄を演じてきた。
このドラマでの風雅も、静かに怒りを抱えている少年だ。
泣き叫ぶのではなく、一言も発さずに、背中で訴える。
それが、見る者の胸を締めつける。
「何があったの?」と聞かれたときの、ちいさく震えるまつ毛。
その一瞬で、風雅がどれほどの“ことばにできない記憶”を背負ってきたのかが伝わってしまう。
“演技”を超えて、“証言”になっているのだ。
坂西青葉役・市野叶——図書館で静かに問いかける瞳の力
図書館のシーンで、一冊の絵本を手に取った男の子がいた。
彼の名前は坂西青葉。そして演じているのは、市野叶くん。
『silent』第7話や『ファーストペンギン!』など、多くの話題作に出演してきた。
彼のすごさは、「沈黙の中で心を叫ばせる力」にある。
青葉の視線に込められた「言えない問いかけ」は、大人たちに対してもどこか試すようなニュアンスを帯びている。
「ほんとうに、ボクの話を聞く気ありますか?」——そんなふうに、視線だけで語りかけてくる。
その存在感は、決して声を張り上げたりしない。
ただ、目の奥にある“期待と諦めのあいだ”のようなものが、わたしたちの心に刺さるのだ。
岩本花蓮役・吉田萌果——“わたしも、ここにいる”と叫ぶまなざし
最後に紹介するのは、岩本花蓮役の吉田萌果ちゃん。
『なつぞら』『二十四の瞳』『モンスター』など、主役の幼少期を数多く演じてきた子役だ。
花蓮は、表面的には明るく元気。でも、その笑顔にはどこか“置いていかれたような孤独”がにじんでいる。
たとえば、みんなでご飯を食べているのに、彼女のスプーンだけが止まっているシーン。
誰も気づかないふりをしているなか、じっと視線を動かさずにいるその姿が、なによりも雄弁だ。
「わたしも、ここにいるよ」
——その叫びは、声にならない。
でも、それこそが吉田萌果ちゃんの“感情を伝える力”だ。
演技ではなく、感情の居場所そのものを見せてくれている。
3人の子役たちは、それぞれ違う“痛み”と“希望”を抱えている。
けれども共通しているのは、その存在だけで、わたしたち大人の感情を揺さぶってくること。
それが、“涙を演じる”のではなく、“涙を感じさせる”ということなのだと思う。
児童相談所という“静かな戦場”で、大人たちは何を選ぶか
児童相談所——この言葉に、あなたはどんなイメージを持つだろう。
暗い場所?泣き声が響く部屋?それとも、救いの手が差しのべられる場所?
『明日はもっと、いい日になる』の世界では、児童相談所が“ただの職場”ではなく、“日常の戦場”として描かれている。
“いい人ですか?”と問われる意味——福原遥×林遣都の対立
主人公・夏井翼(福原遥)は、もともと刑事として人を助けることを信じていた女性だ。
そんな彼女が突然、児童相談所への出向を命じられた。
そこで出会ったのが、児童福祉司・蔵田総介(林遣都)。
蔵田は、翼に対していきなりこう問いかける——「あなた、もしやいい人ですか?」
このセリフ、冗談のように聞こえるかもしれない。
でも、その裏には“正しさだけでは救えない現場の現実”がある。
翼は、目の前にいる子どもを見て、「すぐに助けなきゃ」と感情を突き動かされる。
一方、蔵田は、そこに“親子の関係”や“法律の限界”を見ている。
「そのような対応の遅さが手遅れになる原因ではないか」
翼のこの言葉には、たしかに正義がある。
でも蔵田は、怒りも悲しみも表に出さず、「児相の仕事は親の罪を暴くことではない」と答える。
その瞬間、このドラマが単なる勧善懲悪ではないことが、はっきりとわかる。
子どもを救うとは、親を責めることではない——ドラマの信念
児童相談所の仕事には、「正解」がない。
その日救えた子どもが、次の日には戻されてしまうこともある。
だからこそ、翼と蔵田のやりとりは、わたしたち自身に問いかけてくる。
「あなたなら、どう動く?」
目の前で泣いている子を見て、何ができる?
親の手を引き離すことが、ほんとうの救いなのか?
蔵田の言葉は、冷たくも感じる。
でも、その背景には“制度に従うこと”と“心に従うこと”の間で揺れる揺らぎと葛藤がある。
そして、その複雑さを知っているからこそ、彼は簡単には動かない。
一方の翼は、感情を信じて動こうとする。
二人の“ぶつかり”が生む火花は、どちらも間違っていないからこそ、美しい。
この物語は、子どもを描いているけれど、同時に“大人が大人としてどうあるべきか”も描いている。
それは、逃げることも、立ち止まることも、間違えることも含めた“選択”の物語。
児童相談所という現場で、大人たちは日々選んでいる。
感情に流されず、でも冷たくもならず。
子どもを信じて、でも現実を知っている。
そんなギリギリのバランスを保ちながら、彼らは今日もまた「いい人ですか?」と問われ続けている。
今後登場するかもしれない、もうひとつの子役たちの物語
物語が進むにつれて、このドラマにはまだ名前のついていない“感情の主役たち”が登場してくる。
それは、風雅・青葉・花蓮とは別の、新しい子どもたちの声だ。
一話一話のなかで、異なる傷を抱えた子どもが登場し、それぞれの“物語”を生きていく。
毎話変わるゲストキャスト?未来の名子役との出会いに期待
『明日はもっと、いい日になる』は、“連続する感情のオムニバス”としての顔も持っている。
そのため、毎話ごとに登場するゲスト子役たちが物語を動かす存在になる可能性が高い。
演技経験の少ない子でも、その“まっすぐさ”が逆に視聴者の胸を打つ瞬間がある。
言葉にできない、でも消せない傷。
その傷の跡を、表情だけで見せる子どもたちが出てくるかもしれない。
これから登場する名もなき子どもたちが、“記憶に残る名子役”になる瞬間を、私たちは目撃することになる。
そしてそれは、「演技が上手い」では終わらない。
“この子、見たことある気がする”という既視感を、感情として残していく。
“一時保護所”という舞台が開く、まだ語られていないストーリー
ドラマの舞台は「児童相談所」の中でも、“一時保護所”という特別な場所。
そこは、名前も住所も伏せられた、子どもたちの“待機場所”。
いつか迎えが来るかもしれない。
でも、その“いつか”がわからない。
だからこそ、子どもたちの時間は、止まっているようで少しずつ壊れていく。
そんな場所に、一日だけやってくる子もいれば、何ヶ月も過ごす子もいる。
誰とも打ち解けない子。
黙ってぬいぐるみを抱きしめている子。
強がって「別に平気」と言い張る子。
- 愛されたかった子
- 忘れられたかった子
- ただ、“ここにいていい”と言ってほしかった子
この一時保護所という舞台は、それぞれの“見えない物語”を浮かび上がらせていく場所だ。
その空気を感じ取れる子役たちが登場したとき、ドラマはさらに深く、やわらかく、視聴者の心に染み込んでいく。
語られなかった記憶に、そっと名前をつける。
それが、このドラマが持つ“もうひとつの使命”なのかもしれない。
子どもたちの演技が教えてくれた、“わたしの感情”のしまい方
ドラマを見ていて、不意に胸を突かれる瞬間がある。
それは決してセリフでも展開でもなく、ふとした子どものしぐさや視線だったりする。
そんなとき、「あれ?いま、自分の感情を見せられた気がした」とハッとする。
子どもが見せる“本当の気持ち”に触れたとき、大人のわたしたちも、自分の心の奥にしまい込んでいたものを思い出してしまう。
「平気なふり」って、いつから上手になったんだろう
風雅や青葉や花蓮を見ていて、ふと感じたことがある。
――この子たちはまだ、「平気なふり」が下手なんだなって。
でもそれって、本当はとても正直で、まっすぐな反応なんだと思う。
わたしたち大人は、どこかで「泣かないほうがいい」「黙っていたほうが楽」と覚えてしまった。
だから、子どもたちが感情をむき出しにする姿を見て、
「あぁ、自分にもこんな時期があったな」って、心の奥がチクっとする。
感情に“名前”をつけてあげるだけで、少し楽になれる
このドラマを観ていて、あらためて思うのは、
「感情って、置き場を失うと苦しくなる」ということ。
でも、言葉にできなくてもいい。
「これは悲しい」「これは悔しい」「ちょっと寂しかった」
――そんなふうに、感情にそっと名前をつけてあげるだけで、少し楽になる気がする。
子どもたちの目に映る世界は、とても不器用で、でも真実に近い。
その不器用さが、大人のわたしたちの感情を解凍してくれる。
ドラマを見ながら涙が出るのは、ストーリーに感動したからじゃなくて、
「わたしの中にあった気持ちが、やっと顔を出したから」なのかもしれない。
『明日はもっと、いい日になる』子役キャストが残す“記憶”のまとめ
このドラマを語るとき、「ストーリーがいい」や「テーマが重い」といった言葉では足りない。
もっと静かで、もっと深いところで、“なにかが心に残ってしまう”のだ。
それは、たぶん子どもたちの存在によるものだと思う。
心に刻まれるのは演技ではなく、“感情の気配”
風雅の沈黙、青葉の視線、花蓮の小さな声。
どれもが、「わかってほしいけど、うまく言えない」という、子どもたちの心の断片だった。
それを受け取れるかどうかは、大人側の感受性に委ねられている。
演技を「見せる」のではなく、感情を“にじませる”。
そんな不完全で、でもだからこそリアルな演技が、記憶に深く刺さってくる。
感動させられた、というよりも、「あの子のあの表情、忘れられないんだよね」って。
そうやって、心の片隅にずっと残り続ける。
ドラマを見終わったあと、ふと誰かを思い出す——そんな余韻を
このドラマの余韻は、エンドロールが流れても終わらない。
むしろ、見終わったあとの静けさの中で、ふと、思い出してしまうのだ。
「あの子、今ごろどうしてるかな」
それは架空の登場人物に向けられた感情じゃなくて、もしかしたら、かつての自分だったり。
あるいは、ちゃんと話を聞いてあげられなかった誰かだったり。
『明日はもっと、いい日になる』というタイトルは、子どもたちの明日だけでなく、わたしたち大人の明日にも語りかけている。
この物語が教えてくれるのは、正しさではない。
答えでもない。
「寄り添うことの難しさと、美しさ」だ。
だからきっと、また来週も観てしまう。
そして、また少しだけ、誰かの気持ちに優しくなれるような気がする。
そう思えた夜があるなら、それだけでこのドラマには意味がある。
- ドラマ『明日はもっと、いい日になる』の子役3人に注目
- 二ノ宮陸登・市野叶・吉田萌果が“演技を超えた感情”を表現
- 児童相談所を舞台に、子どもと大人の“痛み”と“選択”を描く
- 「いい人ですか?」の問いに込められた大人の葛藤
- 一時保護所で生まれる、まだ語られていない感情の物語
- 毎話登場する子役たちが“記憶に残る存在”になる期待
- 子どもたちの姿が、大人の心を映す“鏡”になる
- 感情に名前をつけてあげることで救われることもある
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