「相棒 season14 第6話『はつ恋』」は、ただの殺人事件では終わらない。
そこには、幼き日からつながっていた“罪と救いの物語”が隠されていた。
壊れた彫刻、血の滲んだ青い鳥、そして「与える愛」の意味──本作は、恋愛ドラマでもなく、サスペンスでもなく、“初恋が終わる瞬間のための美術展”だった。
- 山本が選んだ「与える愛」の真意とその結末
- 青い鳥に込められた記憶と罪の構造
- “初恋”に潜む孤独と親の不在という静かなテーマ
山本はなぜ自らを壊したのか?──「与える愛」が選んだ最期のかたち
「自己犠牲」という言葉が、こんなにも静かに、こんなにも痛々しく描かれた事件があっただろうか。
『相棒14 第6話 はつ恋』は、殺人事件を起点にして“愛することの終着点”を描いた物語だ。
そしてそれは、山本将人という男が自らを破壊することでしか守れなかった「初恋の記憶」をめぐる、ひとつの静かな結末でもあった。
玲奈にとって山本は“罪を思い出させる存在”になっていた
玲奈にとって、山本は“初恋”の人であり、同時に人生の闇と繋がってしまった唯一の証人でもあった。
子ども時代、玲奈は父親からの虐待を受け、施設に保護された。
そして、そこで出会った「彫刻の子」──それが後に山本将人であることが明らかになる。
彼は彼女の“救い”であり、同時に“加害”の片棒を担いだ存在でもあった。
山本が玲奈の父親を彫刻刀で刺して殺したという疑いは、ほぼ確定的に描かれる。
玲奈を守るための行動だったとしても、それは「殺人」という現実を持ち、そしてその事実は玲奈自身の心に深い影を落とす。
それから数十年後──玲奈は坂上という新しい男性と心を通わせる。
しかしそのとき、彼女の口から出たのは「私は幸せになってはいけない」という言葉だった。
このセリフは強烈だ。
山本と共にある限り、玲奈は“過去の罪”と共に生き続けなければならない。
愛する人との記憶が、自らの“幸せを否定する呪い”に変わっていたのだ。
だから山本は「愛すること=自分を消すこと」を選んだ
玲奈にとって自分が「幸せになってはいけない」と思っている。
その本音を、山本は坂上から知らされる。
この瞬間、山本の中で何かが決壊した。
「自分がいることで、彼女は前に進めない」──その残酷な事実に気づいてしまったのだ。
ここからの彼の行動は、すべてが「玲奈のため」で統一されている。
アトリエに由紀を呼び、口論を演出し、自ら刺され、最終的に屋上から身を投げて“事故死”に見せかける。
彼が暴力的だったのも、坂上という存在に怯えていたからだ。
愛を守りたい、でも自分の存在がそれを壊す──ならば、壊れるのは自分しかない。
右京が推測するように、これは衝動ではない。
完全に「設計された破滅」だった。
由紀を刺したあと、由紀に罪を着せ、自分を消すことで、玲奈の人生から“事件”を切り離そうとした。
それは「与える愛」の究極形であり、歪みきった献身でもあった。
山本が最後に持ち出した「青い鳥」には、二人の初恋の記憶と、過去の罪と、そして願いがすべて詰まっていた。
あの作品は芸術ではなく、“供養”だったのだ。
この物語は、幸せを求めて戦った男の物語ではない。
幸せを他人に譲ることで、自分の存在意義を果たそうとした男の挽歌だ。
山本将人という男が自らを壊すことで残したのは、「忘れられない初恋」ではなく「二度と戻らない初恋」だった。
そしてその喪失こそが、玲奈にとっての“自由”だったのかもしれない。
「初恋」という言葉が偽装だった理由──施設で交わした名前のない記憶
人はなぜ、初恋を「なかったこと」にしようとするのか。
『はつ恋』というサブタイトルに対して、このエピソードは実に残酷だ。
登場人物たちが語る“初恋”という言葉は、あまりにも多くの“偽装”で覆われているからだ。
玲奈が隠した過去は“自分を守るための嘘”だった
玲奈は山本との関係について「21歳のときに出会った」と言う。
一方で、アートディレクターの由紀は「初恋同士」と語る。
この“数値的にありえない矛盾”に、右京が気づかないはずがない。
そこから彼は、玲奈の素性──すなわち施設で育った過去にたどり着く。
玲奈が過去を隠していた理由は明白だ。
施設育ち、虐待の被害者、そして父を失った“何か”の加害者。
そのいずれもが、社会的には“語れない履歴”だった。
玲奈は“清廉な恋人”であろうとし、「21歳からの関係」とウソをつくことで、自らの過去を切り捨てようとしたのだ。
だが、初恋というものは“記憶から切り捨てても、身体に残る”ものだ。
玲奈が無意識に背負ってきたのは、罪と愛が混じりあった唯一の記憶だった。
そしてその記憶は、右京の推理と共に、再び表面へと押し上げられていく。
ガラクタの中の「青い鳥」が証明する、かすかな本当
玲奈の証言が崩れたのは、アトリエで見つかった“壊れたガラス片”によるものだった。
山本が手掛けたジャンクアートの中に、唯一“ガラス”が含まれていたのだ。
ガラスという素材は彼の作風とは合致しない。
ではなぜ、それが使われていたのか。
答えは単純だった──それが玲奈に贈った「青い鳥」の欠片だったからだ。
右京は、まるで過去を復元するように、ガラス片から作品を組み上げていく。
完成した“青い鳥”は、玲奈と山本が幼き日に交わした、たった一つの“名前のないやり取り”を証明する証拠となる。
それは恋文でも、写真でもない。
ただ、ジャンクとガラスでできた鳥。
にもかかわらず、それが玲奈の心の奥底に眠っていた“記憶の鍵”だった。
思い出とは、こうして形を変えて甦る。
玲奈が知らないうちに忘れようとした“初恋”は、山本にとっては“すべて”だった。
だからこそ、青い鳥を持ち出した。
だからこそ、自らの最期の場所にそれを置いた。
青い鳥は、山本にとっての「告白」であり、「遺言」であり、「証明」だった。
玲奈がそれを見たとき、ようやく彼女は思い出す。
幼き日に、壊れそうな鳥を抱きしめた記憶を。
それは“初恋”なんて言葉では表せない、もっと原始的で、もっと強い「繋がり」だった。
そしてその繋がりを偽ることでしか、玲奈は今の自分を保てなかった。
だが──壊れた青い鳥は、言葉の外側で真実を告げていた。
その静かな証言に耳を傾けた右京は、こう言う。
「初恋というのは、忘れていたつもりでも、心が覚えているものですよ」と。
玲奈が思い出したとき、すでに山本はいなかった。
けれど、その記憶が真実であったことを、あの青い鳥が証明していた。
“壊されたアート”が語る、愛の形と記憶の断片
アトリエの床に散らばったガラスの破片──それはただの証拠ではない。
それは、壊された記憶の残骸だった。
右京がそれを見たときに感じた違和感は、まさに「言葉にならない真実の破片」だったのだ。
ガラス片は壊された想い出──右京が復元したのは作品ではなく記憶
ジャンクアーティスト・山本将人のアトリエに、ガラスは似合わない。
彼の作品は、廃材や金属、時に機械部品など“硬質で重みのある素材”ばかり。
しかし床に散らばっていた破片は、きらめきと共に、あまりに脆くて美しかった。
右京はそれを「作品の一部ではないか」と直感する。
右京と冠城、さらには角田まで巻き込んで始まった“復元作業”は、まるで過去の記憶をつなぎ直す儀式のようだった。
実際、それは作品であると同時に、玲奈と山本の幼い記憶の立体物でもあった。
完成したその作品は「青い鳥」──小さなガラクタでできた、飛べない願いの象徴だった。
それを見た玲奈の反応が全てを物語っていた。
忘れようとしていた、でも心のどこかで覚えていた。
初恋のかたちとは、こうして無意識に体の中に残るものなのだ。
山本がこの“青い鳥”を破壊した理由は、明確に語られない。
だがそれは、彼自身の想い出を一度壊すことで、玲奈に再び手渡すためだったのかもしれない。
あるいは、自分との記憶ごと消そうとして、思い直し、最後に復元を託したのか。
いずれにしても、右京がそれを甦らせたことで、“事件の本質”が可視化されたのは確かだ。
右京の推理とは「彫刻のように真実を削り出す作業」だった
『相棒』という作品は、しばしば「探偵の知性」と「人間の感情」が交錯する。
しかし今回、右京の推理はいつになく芸術的だった。
彼の思考は論理ではなく、“違和感という感性”を起点にしている。
「なぜ、ここにガラスがあるのか?」
「なぜ、作品に使われない素材が割られているのか?」
「なぜ、玲奈は“初恋”を隠すのか?」
この“なぜ”の積み重ねが、まるで彫刻家がノミで削っていくように、事件の輪郭をあらわにしていく。
右京は感情に溺れない。
だが、人の心がどう動くか、その構造を見抜く力を持っている。
それが今回、作品の修復という形で表現された。
修復の先に見えたのは、“犯人”ではなく、“愛の形”だったのだ。
右京が玲奈に語るとき、その声は驚くほどやさしい。
「あなたに青い鳥を手渡したのは、彼の最後の意思だったのかもしれません」
まるで神父のように、罪と赦しの物語を語るその声に、玲奈はただ泣くしかなかった。
壊されたものを甦らせる。
それは、相棒というシリーズにおける“もう一つのテーマ”なのかもしれない。
ただの事件解決ではない。
右京の推理は、過去と心を繋ぎ直す「再構築の技法」なのだ。
青い鳥のかたちを整えたとき、そこには“告白”も“贖罪”も、“まだ終わっていなかった初恋”もすべて詰まっていた。
記憶は壊れる。
でも、思い出そうとする誰かがいれば、再び形を取り戻すことができる。
このエピソードが語ったのは、まさにそんな“記憶の芸術”だった。
由紀という存在──“支援者”の皮をかぶった支配者
支援者とは、アーティストにとって“翼”であるべきだ。
しかし、由紀はその“翼”を折り、金と力で鳥かごを作った。
『はつ恋』における最大の加害者は、刃物を持った人物ではない。
目に見えない“情報”と“コントロール”で才能を縛りつける女──それが白石由紀だった。
アートディレクターの裏顔:「才能を調べ、弱みで縛る」
一見すると、由紀は“理解ある大人の女性”に見える。
彼女は山本の個展を開き、作品に目をかけ、彼の「表現の場」を支援していたように思えた。
しかし、その裏で彼女がしていたのは、「作品を見ること」ではなく、「作家を調べ上げること」だった。
彼女は調査会社を使い、山本だけでなく、彼の同居人である玲奈の過去まで洗い出していた。
「弱みを握り、操る」──由紀の支援は、隷属と引き換えだった。
山本の作品が世に出るにつれて、玲奈の過去──施設育ち、そして父の殺害──が明るみに出るリスクも高まる。
その“不安定な均衡”を揺るがすのが、まさに由紀だった。
そして山本は気づいていた。
尾行されていることに、不審者に監視されていることに。
それは“アーティストとしての自分”ではなく、“人間としての弱さ”を狙われていたことへの恐怖だった。
山本は爆発するように由紀を詰め寄り、そして、死んだ。
しかし右京は見逃さない。
由紀の偽装されたアリバイ、三角形のシーツの下に隠された空の脚立、そして“会場の写真”から、すべてが作られた支配構造だったことを暴いていく。
青い鳥が失われた理由は、由紀が支配したかった“自由”そのもの
由紀の行動の根底にあるのは、「自分の手の中で輝く才能がほしい」という支配欲だった。
自由奔放で、気まぐれで、誰にも飼いならされない山本将人。
だからこそ、由紀は彼を欲した。
だが、本当に彼の中にあった“青い鳥”──つまり心の自由や記憶には、一切興味を持たなかった。
青い鳥のことを尋ねられても、由紀は「知らない」と言う。
知らなかったのではない。
「知ろうとしなかった」のだ。
彼女が欲していたのは、山本というアーティストの「過去」ではなく「成果」だけだった。
アーティストにとって“青い鳥”は自由であり、過去であり、原点である。
その鳥が壊され、忘れられ、蔑ろにされることで、山本の存在は崩れていった。
そして最終的に、彼は自らの手で“青い鳥”をアトリエに持ち込み、記憶を告げ、自らを終わらせた。
由紀はそれを理解できなかった。
「愛」とは何か、「自由」とは何かを知らなかった。
だから彼女は、「支援者」という立場を利用して、山本の心にさえ土足で入り込んだ。
右京が「与える愛」について語るとき、由紀の存在はその対極にあるものとして描かれている。
由紀の“支援”には、愛がない。
ただ、利用する対象としての芸術家しか見ていない。
だからこそ、ラストシーンで由紀が座り込む姿は“敗北”ではなく“空洞”そのものだ。
支配したはずの相手に、最後まで理解されなかった女──それが由紀だった。
『はつ恋』というエピソードの中で、由紀が果たす役割は明確だ。
それは、「奪う愛」の象徴である。
奪う者の手では、青い鳥は触れられない。
だから彼女は、何も得られずに終わったのだ。
坂上の「包帯」が語る、玲奈の“今”と向き合う男性像
人は誰かの傷を抱えることができるのか。
そして、「幸せになっちゃいけない」と言う人を、それでも抱きしめられるのか。
『はつ恋』において、坂上という男は、玲奈の“過去”ではなく“今”に向き合おうとした唯一の存在だった。
「私は幸せになっちゃいけない」──玲奈が語った封印された想い
この一言に、本作の悲劇が凝縮されている。
玲奈がこの言葉を坂上に告げた背景には、幼少期からの積み重なった自己否定がある。
父親からの虐待、施設での生活、そして何より、父を“死に追いやった”という罪の記憶。
誰かと笑うこと、恋をすること、未来を描くこと──そのどれもが「許されない」と感じていた。
坂上が玲奈に恋をしても、彼女はそれを受け止められない。
「自分のような人間が愛される資格はない」──そう思い込んでいるからだ。
それは言葉の問題ではなく、“感情の癖”であり、“心の傷跡”である。
玲奈にとって、恋愛は罪悪感と隣り合わせの行為だった。
彼女が坂上に「幸せになってはいけない」と告げたとき、坂上はそれを拒絶しなかった。
ただ静かに受け止め、自分の気持ちを曲げることなく、彼女の横に立ち続けようとした。
それは、山本とは全く異なる愛のあり方だった。
坂上の手の傷は、玲奈の罪を受け止める覚悟の象徴だった
坂上が手に巻いていた包帯。
それは物語上では「山本に襲われたときの傷」として扱われる。
だが、その包帯はただの負傷の証ではない。
玲奈の過去と、向き合う覚悟を背負った男の“覚悟の可視化”だった。
坂上は玲奈のすべてを知ったわけではない。
彼女が過去にどんな出来事を経験し、何を抱えて生きているのか。
だが、それでも彼は“逃げなかった”。
玲奈が「私は幸せになってはいけない」と言ったその時点で、多くの人なら身を引くだろう。
しかし坂上は、その言葉の裏側にある「それでも幸せになりたい」という微かな願いを感じ取った。
山本の暴力にも怯まず、彼と正面から向き合い、そして玲奈の言葉を山本に伝えた。
それが引き金となり、山本の心が崩壊した。
だからこそ、坂上の手の傷は「物語を動かした代償」でもあった。
彼は無力だったかもしれない。
玲奈の過去を救うこともできなかった。
だが、玲奈の“これから”を信じた。
それは、山本の愛とは違う。
「過去ごと抱きしめて共に生きる」のではなく、「未来を見て歩いていこうとする関係」だった。
山本が“過去の愛”の象徴ならば、坂上は“現在の支え”として機能する。
玲奈にとって、過去と向き合うのは苦しみでしかなかった。
だが、坂上の存在があったからこそ、青い鳥を受け取ることができたのではないか。
包帯は、坂上の未熟さを示していると同時に、「それでも関わりたい」と願った証だ。
人を愛するとは、こうして誰かの痛みに無防備に触れることかもしれない。
そして、その手を差し伸べることを恐れなかった彼は、確かに“今”を生きる男だった。
“初恋”は実ったのか──右京・冠城・幸子が語る「与える愛」の行方
愛が報われるとは、どういうことだろう。
それは、想いが通じ合うことか。
それとも、隣にい続けられることか。
『はつ恋』は、“実らなかった愛”を語ることで、愛の本質に迫っている。
右京の一言「与える方が幸せ」は、山本の愛を象徴する結論
物語の終盤、花の里で交わされる右京と冠城、そして幸子のやり取り。
日常の中で何気なく語られるその会話こそ、このエピソードの“答え”になっている。
右京は静かにこう言う。
「与えられるより与える方が幸せである」
これは山本将人の愛の形、そのものだ。
彼は見返りを求めず、愛を押しつけることもせず、最終的には自らを消すことで、愛する人の未来を守ろうとした。
それは、いびつで、正しいとは言い難い。
でも、そこには確かに「本物の愛」があった。
山本にとって、玲奈に贈った“青い鳥”は、再会ではなく“さよなら”の代わりだったのだ。
右京がこの言葉を選んだのは、“感情”よりも“意志”を重視する彼らしい視点だ。
人を守るとはどういうことか。
愛とは何を差し出すことか。
その答えを、右京は事件の真相の中に見出していた。
冠城の苦味:「初恋は実らない方がいいのかもしれない」の意味
一方で、冠城はこう語る。
「初恋は実らない方が幸せなのかもしれない」
それは、単なる感傷ではない。
彼が見届けた“愛の末路”に対する、苦くて、静かな総括だった。
山本と玲奈の愛は、特別だった。
他の誰にも真似できない、過去の罪によってつながった記憶。
しかし、それは幸福ではなかった。
愛した分だけ、山本は縛り、玲奈は逃げた。
初恋が重荷になる──そんな現実も、この物語はきちんと描いている。
だからこそ、冠城の言葉には“優しさ”がある。
それは、「初恋は美しいままで終わらせた方がいい」という願いであり、「記憶は現実にしない方が幸せだったかもしれない」という後悔でもある。
恋愛において、過去を美化することはよくある。
しかし、その過去が「人の命」と「消せない罪」に結びついていたならば、どうだろう。
冠城はその矛盾に向き合いながら、山本の愛を尊重し、玲奈の未来に目を向けていた。
そして、幸子が静かに微笑む。
「初恋、忘れてました」
それはどこか、観る者の心にも届く一言だ。
初恋は、時に呪いであり、時に救いでもある。
思い出すことで、ようやく過去を手放せることもある。
この三人の会話は、事件の余韻を温かく包む。
そしてこう語りかける。
「与える愛も、報われない愛も、それでも誰かを想うことは尊い」と。
語られなかった“親”の影──空白が形づくる「愛の不在」
この回に直接的な“親子の対話”はない。だけど、親という存在の“欠落”が、全員の感情の土台を揺らがせていた。
玲奈の心に刺さっていたのは「父に殺されかけた過去」だけじゃない。“守ってくれる親がいなかったこと”という欠如だった。
山本が抱えていたのは、「作品を認めてほしい」という承認欲求じゃなく、「自分という存在を肯定してほしい」という叫びだったんじゃないか。
親が“いなかった”ことが、ふたりを近づけてしまった
玲奈が山本に惹かれた理由、それはきっと「初恋」なんかよりもっと深い次元にある。
誰にも守られなかった子ども同士が、互いを“親のように”思ってしまった。
小さな彫刻をくれたあの少年は、玲奈にとって“初めて与えてくれた存在”。
そして山本にとって玲奈は、「自分が誰かを守れた」という唯一の証明だった。
それがどれだけ歪であっても、ふたりにとっては心の支えだった。
親からもらえなかった愛情を、互いに投影してしまっていた。
“青い鳥”は、親の不在を埋めようとした形見だったのかもしれない
壊されたガラスの青い鳥。
あれは初恋の象徴なんかじゃない。
あれこそが、ふたりの「親の不在」を埋めるための擬似的な記憶装置だった。
「自分には、こんなふうに大切にしてくれた人がいたんだ」と思い込ませるためのアイテム。
だから玲奈は手放せなかったし、山本も壊せなかった。
それを右京が再構築したとき、ただの芸術作品が、ふたりの“孤独の遺影”になった。
このエピソードが切ないのは、恋が終わったからじゃない。
誰も、「親」という役割を担ってくれる存在に出会えなかったことだ。
そしてその欠落を、恋愛やアートや自己犠牲で埋めようとしてしまったこと。
“親のいない世界”で、誰かを守ろうとする人間は、いつか自分を壊してしまう。
この物語の悲しみの正体は、そこにある。
『相棒14 第6話 はつ恋』の愛と罪の構図を総括するまとめ
“初恋”という響きは甘く、懐かしく、どこか眩しい。
だが、『相棒14 第6話 はつ恋』が描いたのは、その裏側に潜む痛みと罪だった。
幼い頃に出会ったふたりが、互いを守るためについた嘘、重ねた沈黙、そして最後に選んだ別れ。
この物語は、「愛とは何か」という問いに、静かで残酷な答えを差し出している。
壊れた青い鳥が残したのは、“幸せを拒んだ愛”の記憶
山本が遺した“青い鳥”は、作品であり、記憶であり、そして叶わなかった願いの形だった。
彼にとって玲奈は、守りたい存在であり続けた。
しかし、その守り方は常に間違っていた。
過去の罪を背負い、玲奈の未来の障害になると気づいたとき、彼は「消えること」を選んだ。
彼が暴力的になったのも、玲奈の心が離れていくのを感じたから。
坂上という存在が見えたとき、自分の居場所がないことを悟った。
しかしそれでも、彼は最後に“青い鳥”を残した。
それは「俺を忘れてくれ」という祈りだったのかもしれない。
けれど、本当に記憶を消せるだろうか。
幼い日、名前も知らない彫刻の子からもらったあの青い鳥。
玲奈にとって、それは「愛されていた記憶」の証拠であり、「自分を許せなかった証人」でもあった。
壊れていたのは鳥ではない。
記憶そのものだった。
でも、それを右京が復元し、再び玲奈の前に差し出したことで、彼女はようやく涙を流すことができた。
それがこの物語の救いだった。
山本が伝えたかったのは、「幸せは、誰かの犠牲の上にあってはいけない」
山本は、自分が存在する限り、玲奈は幸せになれないと信じていた。
だからこそ、彼は自分を犠牲にして、玲奈に未来を託した。
それは究極の愛か、それともただのエゴか。
視聴者の解釈によって変わるだろう。
しかし、確かなのはこのことだ。
誰かが幸せになるために、他者が消えなければならない社会は、どこかで狂っている。
山本の行動は、“優しさ”の皮をかぶった“自己否定”でもあった。
そしてその歪さが、このエピソードを一層リアルにしている。
『相棒』というシリーズは、犯罪の裏にある人間ドラマを描くことに長けている。
だがこの回は特に、“感情の継ぎ目”が丁寧だった。
ひとつの事件が、ふたりの過去と未来を引き裂き、再構築する。
「初恋は終わった。でも、それで終わりじゃない」
玲奈のこれからは、山本の想いと、坂上の支えと、そして自分自身の決断によって形づくられていくだろう。
愛するとは、そばにいることではなく、「その人の幸せを願うこと」だ。
それを体現した山本将人という存在は、最後まで“与える側”であり続けた。
彼の名が記録に残らなくても──
青い鳥を手にした彼女の記憶の中で、初恋は、そっと羽ばたいた。
右京さんのコメント
おやおや…まるで愛情と罪が絡まり合った彫刻作品のような事件ですねぇ。
一つ、宜しいでしょうか?
今回の事件で特に注目すべきは、“初恋”という言葉の裏に隠された過去の重さです。
玲奈さんにとっての山本将人さんは、単なる恋人ではなく、自らの人生を歪ませた“始点”のような存在でした。
そして山本さんは、自分がその原因であると気づいたとき、自らを“終わらせる”ことで彼女に未来を託した。
なるほど。そういうことでしたか。
青い鳥は、ただのオブジェではありません。
それは二人の記憶、赦し、そして“与える愛”の象徴です。
ですが、愛するという行為が、相手から自由を奪うものになっては本末転倒ですねぇ。
いい加減にしなさい!
愛という名のもとに、他者の人生を縛り、自分の存在を正当化するなど、決して許されるべきではありません。
では、最後に。
——この事件が示したのは、「誰かの幸せのために消える」ことが本当の愛かどうかという問いです。
紅茶を一杯淹れて考えましたが……
本当の愛とは、きっと“傍にいながらも、相手を自由にさせる”ことなのではないでしょうか。
- 『はつ恋』は“与える愛”の極限を描いた物語
- 青い鳥は初恋と罪の記憶を象徴する装置
- 山本は玲奈を守るため自らを消した
- 玲奈の「幸せを拒む心」は過去の傷によるもの
- 坂上の手の傷は“今の愛”を支える覚悟の証
- 由紀は支援者を装った“支配者”として機能
- 右京の推理は「記憶の彫刻」そのもの
- 親という不在の影が登場人物を形作っていた
- “初恋は実らない方がいい”という冠城の苦味
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