【緊急取調室 第3話 キャスト紹介】“山の神”の沈黙が告げる真実——完璧な男の“ひび割れ”を見逃すな

緊急取調室
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2025年10月30日放送の『緊急取調室(キントリ)シーズン5』第3話。舞台は、山と取調室。対峙するのは、数々の命を救ってきた“山の神”と呼ばれる男・布施正義(戸次重幸)。

遭難事故に見えた事件の裏に、静かな狂気が潜んでいる。完璧な供述、揺るがない態度、誰もが信じた英雄。その“無垢な沈黙”が、やがて有希子(天海祐希)の直感に火をつける。

「神を崩せるのは、人の嘘だけ」。今回は、緊急取調室が挑む最後の“信仰と疑念”の物語。その核心を、キャストと物語の輪郭から解き明かしていこう。

この記事を読むとわかること

  • 緊急取調室第3話の核心と“山の神”の正体
  • 布施正義と有希子の取調室に宿る沈黙の意味
  • 信じることと疑うこと、その狭間で揺れる人間の真実

第3話の核心:完璧な男・布施正義の「沈黙」が告げる嘘

「完璧な人間ほど、嘘をつくのがうまい」。

第3話の中心にいるのは、山岳救助隊の隊長・布施正義。人々から“山の神”と呼ばれ、数々の命を救い、勲章までも授与された英雄だ。彼の登場シーンは静かで、無駄がなく、どこまでも誠実に見える。

だが、その誠実さこそが、この物語の最大の嘘だとしたら?

“山の神”と呼ばれた男が抱える人間の影

事故現場で亡くなったのは、隊員の土門翔。遭難者を救うために命を懸けたはずの若者が、なぜ殴打痕を残して倒れていたのか。布施は静かに答える。「全ては不幸な事故でした」。その声音に、取り調べ室の空気が凍る。

彼の供述は、あまりに整いすぎていた。まるで“神”が台本を読んでいるように、淀みのない言葉。その一語一句が、逆に異様な違和感を生む。

人は完璧を装うとき、心のどこかを削っている。布施にとって、その削られた部分こそ“人間らしさ”だったのだろう。彼が信仰のように守ってきた正義。それは、自分を人間として保つための鎧であり、同時に他者との距離を作る檻でもあった。

キントリの面々が見抜いたのは、その鎧の綻びだ。天海祐希演じる有希子の視線が、彼の沈黙を射抜く。言葉を重ねない彼の中に、確かに“痛み”があると感じ取った瞬間、取り調べ室は戦場になる。

沈黙は無罪を装う最強の武器であり、同時に罪を隠す最も脆い壁でもある。有希子が口を開く——「あなたは、人を救うために、誰かを見捨てたんじゃないですか?」。

その一言で、神は人に戻る。

キントリが挑むのは「神ではなく、人としての布施」

本作のテーマは、「信じるとは何か」にある。誰もが布施を信じていた。仲間も、上司も、視聴者さえも。しかし、信じるという行為は、同時に“疑うことを放棄する”ことでもある。だからこそ有希子は、神を疑う勇気を選ぶ。

彼女の取り調べは、決して攻撃的ではない。言葉の刃を振り回すのではなく、沈黙の中に落とされた一滴の疑問を、布施の心に染み込ませるような問いかけだ。「なぜ、彼の携帯だけが消えたんです?」。その声は静かで、しかし山よりも重い。

布施の目線がわずかに泳ぐ。その一瞬が、神話を崩壊させる。完璧な供述の中に“人の呼吸”が戻る瞬間、それはキントリの勝利であり、同時に悲劇の始まりでもある。

彼が犯した罪が何であれ、その動機の根底には「救いたかった」という衝動があるのだろう。だが、救いはときに狂気に似る。山で命を救うことと、取調室で真実を救うことは、同じように重い。

布施の沈黙は、正義を守るための祈りだったのか、それとも罪を抱えた懺悔だったのか。どちらにせよ、その沈黙が破られた瞬間、人は神をやめ、真実に触れる。

この第3話で描かれるのは、英雄が崩れる物語ではなく、人間が赦される物語だ。完璧であることを求め続けた男が、ようやく“弱さ”を見せられるようになる。そこにこそ、キントリという作品の美学がある。

有希子の最後の表情がそれを物語る。「あなたが罪を認めたのなら、それもまた勇気です」。その一言に、彼女自身の過去と、数多の取り調べで見た“人の涙”が滲んでいた。

沈黙の奥で、かすかに息をする布施。その姿に、視聴者は問いを突きつけられる——「あなたは、誰を信じますか?」。

キャストの息づかいがつくる「取調室の呼吸」

この物語を貫く緊張は、脚本の妙だけでは生まれない。取調室という密室に、俳優たちの“呼吸”が流れ込む瞬間、そこにドラマが宿る。第3話では、戸次重幸と天海祐希——二人の間に生まれる無音の対話が、観る者の心拍を支配していく。

机一つを隔てた距離の中で、視線、沈黙、息遣い。すべてが武器になる。派手なアクションやセリフよりも、ほんの数秒の“間”が真実を語る。その静寂を成立させているのが、俳優たちの緻密な演技設計だ。

戸次重幸——沈黙の中に生きる狂気

戸次重幸が演じる布施正義は、一見すれば模範的な人間だ。背筋はまっすぐ、言葉は穏やか、視線は真っすぐ相手を見つめる。しかし、その完璧な姿勢の中にある“硬さ”が、見る者に異質さを覚えさせる。

取調室での彼の存在は、まるで一枚の氷のようだ。融けることのない冷たさと、割れた瞬間に溢れ出す痛み。セリフを発するたびに、その氷がきしむ音が聞こえるようだ。

特筆すべきは、彼の“間”の取り方である。有希子に問い詰められた後、ほんの1秒の沈黙。その沈黙が、100行のセリフ以上に雄弁だ。戸次は、感情を爆発させる代わりに、抑制という演技で観客の想像を支配する。視線の揺れ、呼吸の乱れ——そのわずかな変化が「神が人になる瞬間」を描き出していく。

布施という人物は、善と悪の境界ではなく、“誠実と偽りの狭間”に立つ男だ。戸次の演技は、まさにその揺らぎを可視化している。言葉に頼らず、存在で語る。彼の沈黙こそが、この物語のもう一人のセリフなのだ。

天海祐希——真実を暴く者の孤独

対峙する天海祐希の演技は、まるで刀のように研ぎ澄まされている。真壁有希子というキャラクターは、数々の嘘と向き合ってきた女だ。しかし第3話では、彼女自身もまた“信じたい”という感情に揺さぶられる。

布施を見つめるその瞳には、怒りでも疑いでもなく、「信じることの痛み」が宿っている。真実を暴くことは、誰かを傷つけることでもある。それを理解した上で、有希子は問いを投げる。「あなたは、本当に人を救ったのですか?」。

天海祐希の演技は、言葉よりも“空気”で語る。眉のわずかな動き、手の置き方、息を吸う音。その全てが感情の波として観客の心に触れる。彼女は取り調べの場で、相手を追い詰めるのではなく、自分の心を賭けて真実を掴みにいく

布施の沈黙に、有希子のまっすぐな言葉が落ちていく。二人の間に生まれる沈黙は、対立ではなく共鳴だ。その瞬間、取調室という小さな空間が、まるで人間の内側を映す鏡のように変わる。

そして、視聴者は気づく。真実とは、誰かを責めるものではなく、誰かを赦すためのものなのだと。第3話の取調室は、“暴く”場所ではなく、“救う”場所に変わっていた。

二人の俳優が作り上げたこの空気は、脚本を超えた奇跡だ。呼吸の一拍、沈黙の数秒が、人の罪と赦しを描き出している。それはまるで、山の静寂に響く風の音のように、観る者の胸に長く残る。

遭難から始まる歪んだ救助劇——結花と春斗の真実

第3話の物語を動かすきっかけは、一組の若いカップルによる“登山配信”。

軽装のまま山に入った動画配信者・樋口結花(清水くるみ)と恋人の近藤春斗(永田崇人)。彼らの遭難事故が、やがて「殺人事件」へと形を変える。この一見ありふれた遭難劇こそ、現代社会が抱える“承認欲求の罠”を象徴している

彼らは人に見られることで、生きていると実感する。しかし、その“視聴の光”は、時に現実を照らす灯りではなく、足元を見失わせる閃光になる。

清水くるみ演じる樋口結花:生き延びた者の罪悪感

清水くるみが演じる結花は、カメラの前では明るく、無邪気で、視聴者のコメントに一喜一憂する普通の若者だ。だが、山で恋人を失い、奇跡的に助かった瞬間から、彼女の存在は“生還者”ではなく、“証人”へと変わる。

取調べ室に座る彼女は、震える手で水を飲む。その動作だけで、「生き残ってしまった罪」の重さが伝わる。誰かを失った痛みよりも、自分だけが助かったという事実が、彼女の中で静かに蝕んでいく。

清水の演技は感情を大きく揺らさない。むしろ、感情を“抑える”ことで、視聴者に彼女の内側のノイズを感じさせる。救われたという事実が、同時に呪いになる。まるで、山に取り残されたのは彼女の心そのもののようだ。

布施への疑念が深まる中で、彼女の証言が鍵を握る。だが、結花の言葉は一貫して曖昧だ。真実を語ることが、誰かを傷つけると知っているからだ。彼女の沈黙もまた、もう一つの“嘘”の形なのだ。

永田崇人演じる近藤春斗:愛と承認欲求の交錯

一方で、春斗という存在は、この物語における“欲望の鏡”だ。動画配信という現代的な文脈の中で、彼は数字に取り憑かれた若者として描かれる。フォロワー数、再生回数、コメント——それらは彼にとって生きる証であり、愛の尺度でもあった。

永田崇人は、その“危うい明るさ”を巧みに表現している。笑顔の奥にある焦燥。優しさの中にある支配。彼は結花を守るために山へ入ったのか、それとも彼女を“配信のネタ”として見ていたのか。視聴者はその境界を見失う。

春斗の存在が消えることで、結花の生存と布施の沈黙が一本の線で繋がる。つまり、誰かの欲望が、誰かの正義を壊す構造。キントリの取り調べは、単なる事件解明ではなく、人間の「欲」の構造を暴いていく。

永田の演技は、憎まれ役でも悲劇の青年でもない。その中間にある“生のリアル”を描いている。だからこそ、彼の存在は死後も物語に息づく。彼が残したスマホ、映像、コメントの断片が、取調室の中で幽霊のように漂い続ける。

このセクションの本質は、「山で起きた遭難」ではなく、「心の中で起きた迷走」にある。清水くるみと永田崇人という若い俳優たちが、SNS時代の孤独と承認の地図を描き出す。

彼らの関係は“愛”というより“依存”に近い。しかし、その依存の中に、誰もが共感できる弱さがある。だからこそ、有希子が結花にかける「あなたは、もう十分苦しんだ」という一言が、視聴者の胸にも深く刺さる。

山の冷気、途切れた電波、そして残された映像。そのすべてが、“現代の孤独”を象徴する。第3話は、救助という名のもとに、誰も救えなかった人々の物語なのだ。

山岳救助隊という“信頼の共同体”が崩れる瞬間

山は、命を試す場所であり、信頼の絆でしか生き残れない場所でもある。そんな山で、仲間を救うはずの山岳救助隊が一人の死をめぐって崩れ落ちる——。第3話が描くのは、“正義を共有してきた者たちの信頼が壊れる瞬間”だ。

彼らは日々、極限の状況で命を預け合う。その絆の中で「疑う」という行為は、ほとんど“裏切り”に等しい。しかし、土門翔の死は、その信頼を根本から揺さぶった。布施正義という象徴の存在が、皮肉にも組織の崩壊を引き起こす。

このセクションは、個人の罪ではなく、組織という共同体の歪みを描くものだ。神と呼ばれた上司の影がどれほど部下たちを支配していたのか、そしてどれだけの「声」が沈黙の中に埋もれていたのか——。

羽谷勝太が演じる土門翔——英雄の影に葬られた声

土門翔(羽谷勝太)は、若さと情熱の象徴だ。彼は山を恐れず、誰よりも真っすぐに救助活動に向き合う。そんな彼の死が「事故」ではなく「事件」だと分かった瞬間、視聴者の心は強く揺さぶられる。

羽谷の演技は、死後も物語に息を吹き込む。回想シーンで見せる笑顔、隊員仲間と交わした短い会話。それらが後半の布施の沈黙をより残酷に見せる。彼の“信じる力”が、布施の“守る嘘”によって葬られたのだ。

土門は、理想を信じすぎた青年だったのかもしれない。純粋さは時に、組織の中で最も危うい。なぜなら、純粋な人間ほど、嘘を許せないからだ。彼の死は、正義を掲げる共同体が“真実から目を背けた”代償そのものだった。

羽谷の姿を通して描かれるのは、単なる若者の悲劇ではない。彼の死が布施を“神”から“人間”へと引きずり下ろす引き金となり、同時にキントリにとっても“救えなかった誰か”の象徴となっている。

梶山と監物の山行が示す“もうひとつの救助”

一方で、取り調べの外で動くのが梶山勝利(田中哲司)と監物大二郎(鈴木浩介)のコンビだ。二人が山へ向かうシーンは、取調室とは対照的に、風と静寂が支配する世界。そこにあるのは“真実の捜索”ではなく、“信頼の再生”だ。

梶山は過去のシリーズでも、山で命の危機に直面している。その経験が、今回の行動に重なる。彼は布施の供述を疑いながらも、同じ山岳部出身として、完全には彼を切り捨てられない。人間として、彼を理解したいと願ってしまう。

監物の存在がこのバランスを保つ。彼は常に現場主義で、感情よりも証拠を重んじるタイプだ。しかし、そんな監物でさえ、山という“神聖な場所”に立つとき、人間の小ささを感じてしまう。吹き荒れる風、崩れる足場、見つからない証拠。彼らが捜索を続ける姿は、まるで“救助”という言葉そのものを問うようだ。

「救うとは、誰を助けることなのか?」。その問いが、山と取調室を繋いでいる。布施が守ったのは仲間か、自分か、あるいは信仰そのものか。梶山と監物の山行は、“正義の残響”を拾い上げる旅として、静かな感動を残す。

彼らが山頂で見つけたのは、真実の証拠ではなく、土門が残した「仲間への信頼」だった。それを手に戻る梶山の背中には、取り調べ室とは違う種類の“正義”が宿っている。山で見つけた答えを、有希子の取り調べに託す。そのリレーが、この第3話に深い呼吸を与えている。

山岳救助隊という共同体は、信頼によって成り立ち、同時に信頼によって壊れる。第3話が美しいのは、その崩壊を悲劇として描かず、人間が信頼を取り戻していく“過程”として描いているからだ。信じることは危うく、しかし、それでも信じたい——。そんな人間の本能に、作品はそっと寄り添っている。

緊急取調室が描く“信じるとは何か”という問い

この第3話を貫くテーマは、「信じるとは何か」という問いだ。

山を登る者たちは、仲間を信じなければ命を預けられない。取り調べを行う者たちは、言葉を信じなければ真実に辿り着けない。そして視聴者もまた、画面の向こうの人物を信じることで物語に没入する。だが、信じるという行為はいつも危うい。そこには、疑う勇気と同じくらいの覚悟が必要だ。

第3話で描かれるのは、その“信じる”が崩れ落ちる瞬間と、再び拾い上げようとする人間の姿だ。取調室で、有希子は布施に問う。「あなたは部下を信じていたんですか?」。その声には怒りも悲しみも混じっていない。あるのはただ、真実を掴もうとする人間の静かな誠意だけだ。

人を救う者が、人を殺めるかもしれないという皮肉

布施正義という男の悲劇は、信仰と信頼の境界を見失ったことにある。彼は誰よりも多くの命を救い、その功績によって「山の神」と呼ばれるまでになった。だが、人を救うことが「自分が神である」という幻想を育ててしまった

その幻想が崩れたとき、彼の中に生まれたのは「守るための嘘」だった。隊員を救えなかった現実を隠すため、彼は自らの正義を偽装した。彼の罪は殺意ではなく、信仰の暴走だったのかもしれない。

天海祐希演じる有希子は、その矛盾を見抜く。「あなたは彼を救いたかった。でも、あなた自身を守ったんですね」。その一言が、取り調べ室の空気を変える。神の仮面を剥がされた布施の表情に、人間の痛みが戻る。それは罪の告白ではなく、ようやく“自分に戻れた瞬間”だ。

このシーンが胸を打つのは、布施が責められて泣くからではない。責める側の有希子が、涙をこらえるからだ。人を裁くという行為の中で、彼女もまた「信じることの痛み」を背負っている。

有希子の「誘導尋問」が暴く、信仰の崩壊

第3話の終盤、有希子は布施の供述の中にわずかな“辻褄のずれ”を見つける。そのズレを利用して、彼女は誘導尋問を仕掛ける。表向きは冷静だが、その声の奥には祈りにも似た願いがある。

「どうして携帯を隠したんですか?」という質問に、布施は一瞬目を逸らす。その目の揺れを、有希子は見逃さない。その1秒の沈黙に、彼が守ろうとしたもののすべてが詰まっている。それは組織か、仲間か、あるいは“神でありたい自分”か。

有希子の誘導尋問は、言葉で相手を追い詰めるものではない。むしろ、相手の沈黙を聞くための装置だ。沈黙が生まれた瞬間、彼女はそこにある“人間の苦しみ”を掴みにいく。その静かな戦い方が、シリーズを通して一貫している。

やがて布施は、口を開く。「俺は……救えなかった」。その言葉は懺悔であり、同時に祈りでもある。信仰の崩壊は、同時に人間の再生でもある。有希子は神を堕としたのではなく、人を取り戻したのだ

このエピソードが示すのは、「信じることは誰かを許すこと」という真理だ。誰かの嘘の裏にある痛みを見抜けるかどうか。その痛みに寄り添えるかどうか。取調べ室は裁きの場ではなく、赦しの場になっていく。

だからこそ、ラストの有希子の言葉が深く響く。「あなたの正義は、間違っていた。でも、その願いは本物だった」。この一言に、キントリというドラマの根底がある。嘘を暴くことではなく、人の心を“理解しようとする”こと。それこそが、彼女たちの“取調べ”の本質なのだ。

信じるとは、真実を盲信することではない。疑いながら、それでも手を離さないこと。その痛みと温度が、この第3話をただの事件ドラマではなく、人間の信仰と赦しを描いた物語にしている。

沈黙の裏で交わされた“信頼のバトン”——キントリが映す現代のリアル

第3話を見終えて、静かな余韻が残った。誰かを疑うこと、誰かを信じること。そのどちらもが、こんなにも苦しくて、こんなにも人間的な行為だったなんて。

布施正義の沈黙を見ていて、ふと思った。あの沈黙って、会社の会議室にもある。上司が間違いを認められず、部下が何も言えずに飲み込むあの空気。「正しい」と信じてきた人ほど、沈黙の中で崩れていく

山岳救助隊は命を預け合うチームだ。だけど、会社も、家庭も、同じような“共同体”の中で息をしている。信頼を積み上げるのは時間がかかるのに、壊れるのは一瞬。誰かのひと言、誰かの沈黙。それだけで空気は変わる。

「信じること」が誰かを縛るとき

布施が土門を信じていたように、上司は部下を信じ、親は子を信じ、恋人は相手を信じる。でも、その信じるという行為が、相手を追い詰めることもある。「信じているから裏切らないで」と言われると、人は逃げ場を失う。それは信頼じゃなく、期待の圧力だ。

キントリが布施の“完璧な供述”を崩していく過程を見ていると、まるで「信頼の重さ」に潰れていく人間の姿を見ているようだった。信じるという美しい言葉が、時に人を壊す。その皮肉を、このドラマは真正面から描いている。

有希子の「信じたいけど、疑う」という姿勢は、冷たく見えて実は一番優しい。人を盲信せず、でも切り捨てない。そのバランスを取るのがどれほど難しいか、現実を生きる私たちはよく知っている。

沈黙が教えてくれた、“言葉にならない勇気”

布施の沈黙には、言い訳も弁明もなかった。ただ、誰かを守りたいという本能が詰まっていた。沈黙は卑怯にも見えるけど、沈黙することでしか言えない想いもある。社会の中で、言葉にできない苦しみを抱えて働いている人なら、きっとあの沈黙の重みが分かる。

言葉で説明できることだけが“正義”じゃない。うまく話せない人の中にも、確かな誠意や後悔がある。それを見抜こうとするキントリの姿勢が、このドラマを単なる刑事ものから、人間ドラマへと昇華させている。

だからこそ、取り調べ室の沈黙が、どのアクションシーンよりも心を打つ。あの空間は、誰かが自分を許す場所でもある。布施の沈黙、有希子のまなざし、そして視聴者のため息。それらが一つの“赦し”として繋がる。

第3話の余韻を抱えたまま、ふと自分の日常を振り返る。あの上司の沈黙、あの友人のため息、あの人の笑顔の裏。もしかしたら、そこにも誰かの「信じる勇気」と「疑う優しさ」が隠れていたのかもしれない。

キントリが描いているのは、特別な人間の心理じゃない。ごく普通の私たちが、毎日小さな取調べをしながら生きているという現実だ。真実を暴くことよりも、誰かの沈黙を理解すること。それがこのドラマの、そしてこの時代の“信頼のかたち”なんだと思う。

緊急取調室 第3話 キャストと物語の余韻まとめ

第3話は、“山の神”と呼ばれた男が人間に戻るまでの物語だった。完璧な正義が崩れる瞬間、そこには罪や後悔よりも先に「赦し」があった。人は嘘をつく生き物だが、嘘の奥にある“守りたいもの”にこそ真実が宿る。それを見抜ける者だけが、他人を裁く資格を持つのだと、このドラマは語りかけている。

この回を通して、キントリという作品の核心がより鮮明になった。それは“取り調べ”ではなく、“心の対話”であるということ。有希子が布施に投げかけた言葉は、彼を追い詰めるためではなく、彼を“人として解放する”ためのものだった。

そして何より、この第3話はキャスト陣の演技が作り出す静かな熱量に支えられている。戸次重幸が演じる布施正義は、正義と傲慢の境界に立つ男の繊細な揺らぎを体現した。沈黙ひとつで心情を語り、わずかな呼吸の乱れで“神の崩壊”を演じ切った。

沈黙が語る“正義の代償”

布施の沈黙は、罪悪感ではなく祈りのように響く。彼が守ろうとしたのは仲間か、それとも自分の信仰か。どちらにしても、その沈黙の代償は重すぎた。だが、有希子が差し出した言葉が、その沈黙を赦しに変える。

「あなたの正義は壊れた。でも、人としての誠実さは残っている」。この台詞が示すのは、“正義”が完全でなくても、人間は誰かを救えるということだ。取り調べ室という密室で、人の心の温度が確かに動いた瞬間だった。

沈黙の中にある感情の波、その余白を感じ取れるのは、俳優と視聴者の信頼関係が築かれているからこそ。キントリが長年愛されてきた理由は、まさにその“静けさの深さ”にある。

戸次重幸×天海祐希が織りなす、シリーズ最終章の緊張美

戸次重幸と天海祐希——二人の芝居は、まるで対話という名の決闘だった。互いの沈黙を読み合い、間の取り方で感情をぶつける。そこにあるのは、芝居というより“生き方”の衝突だ。

天海の有希子は、言葉で相手を追い詰めるのではなく、心で引き戻す。布施を“犯人”としてではなく、“信じることに迷った人間”として見る。その姿勢こそ、シリーズを通して一貫したキントリの美学である。

戸次は、そんな有希子に向き合う中で、神ではなく“父”や“人”としての布施を浮かび上がらせる。正義を演じることをやめた瞬間、彼は最も人間らしくなった。そのラストシーンの表情には、言葉では届かない重さと美しさが共存していた。

取調べ室を出た有希子の背中には、どこか安堵と哀しみが同居していた。真実を掴んでも、誰かが救われるとは限らない。それでも人を信じることをやめない——その強さが、シリーズの根幹を支えている。

第3話は、ドラマとしての緊張感と、人間としての優しさが完璧に融合した回だった。“真実を暴く”ではなく、“心を解く”。それが、この物語が到達した最終地点だ。

次回、キントリはどんな“嘘の奥の真実”と出会うのか。だが一つだけ確かなのは、彼女たちの取調べがこれからも、誰かの心を静かに救い続けるということだ。

この記事のまとめ

  • “山の神”と呼ばれた男の沈黙が崩れる瞬間を描く
  • 布施正義の完璧な正義の裏に潜む、人間の弱さ
  • 取調室で交わされる天海祐希と戸次重幸の無音の対話
  • 若い配信カップルが象徴する、現代の承認欲求の罠
  • 山岳救助隊という信頼の共同体が崩れる過程を描写
  • 「信じる」と「疑う」の狭間にある人間の痛み
  • 沈黙が語る“赦し”の瞬間が物語の核心
  • 現代社会にも通じる、信頼と沈黙のリアルな構図
  • キントリが提示するのは、嘘を暴くのではなく“心を解く”という救い

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