「年を取るのも、悪くないかもね」。
この一言がただのセリフに聞こえなかったのは、人生の折り返しを過ぎた者たちが見せる“ぶざまで愛おしい感情”が画面から滲み出ていたからだ。
『続・続・最後から二番目の恋』第5話は、笑いながら泣いてしまう。誤解と後悔の積み木でできた人間関係が、ふとした瞬間に“和解”という名の風を受ける。しかも、酔って全裸で。
- 親子のわだかまりが涙でほどける瞬間
- 恋と友情が“やり直せる関係”として描かれる理由
- 中年の恋愛が刺さる“聞く力”と余白の魅力
「お父さん、人として好き」——娘の告白が、父を泣かせた夜
父と娘の関係って、いつから修復できるのか。
思春期の距離と、父の不器用さを乗り越えて、ようやく届いた言葉があった。
「人として好きだなぁって思う。それじゃダメですか? お父さん」——この一言が、第5話のすべてを包み込んでいた。
えりなの本音:「悲しませたくなかった」からこそ遠ざけた距離
えりなは語った。「お父さんが一番つらいこと、わかってたから…」
自分の感情をぶつけることが、父を傷つけることになる。だから、当たってしまう自分に苦しみながらも、距離を置いていた。
思春期特有のトゲは、反抗心じゃなくて、未熟な優しさの裏返しだった。
「一人でためこんで当たってた。ごめん。」その謝罪に、“あの頃の未完成な愛情”が、ちゃんと形になって戻ってきた。
涙のテーブル:3人で交わした“遅すぎる和解”が、温かかった
和平が流した涙は、「許された」という安堵の涙でもある。
ずっと正しかったかどうかなんて、親にはわからない。ただ、懸命にやってきた結果が、ようやく認められた瞬間だった。
その場にいた千明も、涙をこぼしながら頭を撫でた。
家族の形が変わっても、情が途切れるわけじゃない。
血のつながりと共に生きた時間が、こうして言葉に変わったとき、人はようやく過去と和解できる。
そして和平は、空を見上げてつぶやく。
「大人になったよ。素敵な。君にそっくりだ。」
それは亡き妻への報告でもあり、父としてようやく胸を張れた瞬間だった。
全裸と防犯ベルの向こうにあった、“まだ恋してる”という事実
愛って、どこからが恋で、どこからが情なんだろう。
第5話のラスト、酔っ払った千明の全裸シーンが、なぜこんなに刺さるのか。
それは、笑いの奥に、ずっと消えなかった気持ちの“残り香”があるからだ。
猫が押した非常ボタン:酔った女と、駆けつけた男
誰もが寝静まった夜。
野良猫を抱いて帰った千明は、服を脱ぎ散らかして眠りにつく。
そして猫が、あの防犯ボタンを押す。
和平はすぐさま飛び出してくる。それだけで、彼の“もしも”の気持ちが伝わってくる。
たとえ何もなかったとしても、「千明に何かあったら困る」という想いが行動になった。
見られた全裸、それでも笑える関係性が、たまらなく良い
ベッドに全裸で眠る千明。
見てしまった和平は、絶句して階段を降りる。
「くっせ、酒くせ…」とつぶやく表情が最高だった。
恋というより、“長年付き合ってきた女”への脱力と愛着がにじむ。
この2人の距離感は、近すぎず、離れすぎない。
だからこそ、偶発的に踏み越える境界線が、ドラマになる。
笑えるけど、どこか切ない。
彼女の全裸を見て、彼が思ったのは「エロ」じゃなく、「この人、弱ってるな」だった。
そして静かに帰る。
好きだから手を出すんじゃない。好きだから、何もしない夜がある。
それこそが、“まだ恋してる”って証拠なのだ。
「私をめちゃくちゃにしてください」——早田律子が語る、喪失と復讐の共犯関係
あの静かな食堂で、人生の壊れたピースが語られた。
律子が語ったのは、「家族になれなかった時間」と「信じていた人の裏切り」だった。
「私を、めちゃくちゃにしてください」——このセリフの裏にある感情を、何と名付ければいいのだろう。
亡き夫の裏切り:不妊治療の戦友が、4人の子持ちだった現実
律子は言った。「子どもがいない人生にシフトしよう」と、夫と決めた。
でもその夫には、愛人と4人の子どもがいた。
夫婦の“覚悟”が、相手には“隠蔽”でしかなかった。
律子の中に残ったのは、悲しみじゃない。怒りでもない。
「これまでちゃんと生きてきた自分って、何だったの?」という、虚無だった。
だからこそ彼女は、“めちゃくちゃな人間になりたい”と願う。
そう口にしたときの表情が、どこか無邪気にすら見えたのが、なおさら切なかった。
和平の聞き方:受け止めるでもなく、拒絶するでもなく、ただ“そばにいる”力
和平は、「わかるような気がします」とだけ返した。
過剰に共感するわけでもなく、突き放すわけでもない。
“人としてそばにいる”という、絶妙な距離感。
律子の「初めて人に話した」という告白は、彼を“共犯者”にした。
でも和平は、自分の立ち位置を曖昧に保ち続ける。
それが、今の彼にできる最大の優しさなのだ。
誰かの弱さに寄り添うとき、答えなんていらない。
「その気持ち、聞いたよ」とだけ言える大人が、このドラマにはちゃんといる。
過去と今が交差する、温泉宿の湯けむり事件
人は、忘れたふりをしながら、忘れられない。
温泉宿での再会劇は、時間が癒すどころか、逆に火照らせてしまった過去を浮き彫りにした。
湯気の向こうに立っていたのは、元・夫。
水谷典子と夫の再会:笑えるほど気まずい再会が、過去を和らげる
温泉グラビアの撮影現場に、突然現れた“男優”。
なんと、典子の夫・水谷広行だった。
「なにやってんだ、こんなところで!」——そのセリフ、まんま視聴者の心の声。
気まずさと可笑しみが混ざった表情に、積み重ねた年月の“澱”がにじんだ。
でも、笑えるってことは、もう大丈夫ってことだ。
どれだけ過去にしようとしても、一緒に風呂入った日々の記憶は、湯気の中で蘇る。
偶然の再会が生む、「まだ終わってない」感情たち
ドラマはよく、“偶然”を装って“必然”を見せてくる。
今回の再会も、まさにそうだった。
典子が笑っていたのは、懐かしさと安心感の入り混じった「終わった恋の後始末」のようだった。
だけど、終わったはずの人が、ふいに視界に入る。
そして、何もなかったように立っている。
その瞬間、心のどこかがまだ動いてしまう。
過去は、整理されたと思った瞬間に崩れる。
それでも、笑える距離まで来ていた2人の表情に、ほっとさせられた。
騙されたくなかった千明が、それでも信じたかったもの
「あの人、私のこと見ててくれた」
そう思いたかった。
それがたとえ、詐欺の入口だったとしても。
旧友の裏切りと投資詐欺:仕事に理解を示すふりをした搾取
久しぶりに再会した旧友は、笑顔で近づいてきた。
「頑張ってるね」「ちゃんと見てたよ」
その言葉のひとつひとつが、千明の“疲れた心”に染み込んだ。
でもその先に待っていたのは、退職金詐欺の匂いだった。
まるで、弱った人間を嗅ぎつけるように、寄ってくる“やさしさ”。
そのやさしさが、計算されたものだったとき、人は深く傷つく。
千明は昔もストッキングを買わされた。
それでも今回、また信じたかった。
「自分の仕事をちゃんと見てくれる人が、ここにいる」と思いたかった。
「見てくれてた」と思いたい——千明の中年女子としての矜持
千明が悔しかったのは、騙されたことじゃない。
「信じた自分がバカだった」と、思いたくなかったから。
彼女は、恋愛でも仕事でも、ちゃんと前を向いて生きている。
だからこそ、誰かの理解や共感が欲しかった。
けれどそれが、仕組まれた“演技”だったと気づいたとき、その矜持が静かに崩れた。
飲み屋でその話をしたときの、あの笑い混じりの涙。
千明は、強い女じゃない。
でも、弱さを隠しながら進み続ける“かっこいい女”なんだと思う。
黙って、受け止める。それが和平の「聞く力」だった
この物語の中で、一番セリフが少ないのは、たぶん和平だ。
でも、いちばん“心に残る返し”をするのも、彼だと思う。
「受け入れたつもりはないんだけど」とか、「いや…全然もう…それで充分」とか。
どれも、会話の最後を“安心”で包んでくれる。
語らない優しさ=「否定しない」技術
早田律子のぶっちゃけ告白、「めちゃくちゃにしてください」。
普通の男なら、焦ってごまかすか、つい正論を言ってしまう。
でも和平は、ただ「わかるような気がします」とだけ返した。
この“そっと受け止める”間合いが、実はとんでもなく高度だ。
押しつけもせず、突き放しもせず、ただ相手の気持ちを「ここに置いていいよ」と言える空気。
“わかってもらえた”が、どれだけ人を救うか
えりなの「人として好き」発言も、典子の再会も、千明の愚痴も。
和平がそばにいることで、みんなちょっとだけ「言っていい気がした」んじゃないだろうか。
言葉って、発する前に“聞いてくれる人”を探してる。
このドラマの安心感は、和平という“感情のセーフティネット”が支えてるからこそ、生まれてる。
恋愛ドラマって、気持ちをぶつけ合うのが醍醐味だと思ってた。
でも『続・続・最後から二番目の恋』は違う。
黙って「わかるよ」って言ってくれる人が、恋より強い。
年を重ねた私たちの、恋と痛みの“間”を描いた第5話のまとめ
人生の折り返しを過ぎて、ようやく気づく。
泣いて、笑って、怒って、失敗して、それでも。
人は、まだ“未完成”で生きてるんだなって。
全裸も、涙も、苦笑も、すべて“まだ生きてる”証だった
酔って全裸になった千明も。
「人として好き」と言ったえりなも。
「めちゃくちゃにして」と願った律子も。
そのすべてが、“まだ誰かとつながりたい”という生の証だった。
ドラマの世界なのに、リアルすぎる。
リアルすぎるのに、どこか救いがある。
それはたぶん、「大人でも間違えるし、泣いてもいい」って教えてくれるからだ。
恋も家族も友情も、何歳からでもやり直せるというメッセージ
この第5話に詰まっていたのは、“やり直すことの許可”だった。
親子も、恋人も、旧友も。
時間がズレたとしても、再び繋ぎ直すことはできる。
50代も、60代も、こんなに可笑しくて愛しい。
このドラマが描いているのは、“中年の恋”じゃない。“人生のリハビリ”だ。
そして、そこに“ちゃんとした未来”は約束されていない。
でも、今夜がちょっとだけ救われたら、それでいい。
そう思わせてくれるドラマって、なかなかない。
- 娘の「人として好き」が父に届いた涙の夜
- 酔った千明の全裸が描く、“まだ恋してる”感情
- 律子の「壊れたい」に和平が寄り添った静かな夜
- 温泉宿での元夫婦再会に笑いと未練が滲む
- 千明が直面した、信頼を利用する投資詐欺
- 和平の「聞く力」が人を救う安心の土台に
- 登場人物たちは皆、“まだ間に合う”を信じている
- 涙も苦笑も、年齢を重ねた証であり、誇り
- 恋も和解も、いまこの瞬間から始められる
コメント