『最後の鑑定人』第9話ネタバレ “入れ替わりトリック”は浅はかか?それとも狂気か?感情の真相を抉る鑑定録

最後の鑑定人
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ドラマ『最後の鑑定人』第9話で暴かれたのは、殺人そのものよりも“なりすまし”という背徳の構図だった。

最終回直前にして描かれたのは、借金・恋愛・過去の因縁が絡み合う中での「死体入れ替わりトリック」──この狂気に、主人公たちはどう対峙したのか?

この記事では、ドラマ第9話の核心と視聴者の感情の動線を精密に読み解き、最終回への“伏線と余韻”を探る。

この記事を読むとわかること

  • 『最後の鑑定人』第9話の入れ替わりトリックの構造と破綻
  • 佳南絵と相田が抱える感情と“赦し”のドラマ性
  • 科学と感情の狭間で描かれる“本当の鑑定人”の意味
  1. 日野と寺井の“入れ替わりトリック”は破綻していたのか?
    1. 犯人・寺井の浅はかな計画と、その矛盾点を解剖する
    2. 相田と土門が突きつけた“電球の指紋”という鑑定の一撃
  2. 佳南絵は被害者か?共犯者か?揺れる女性心理のリアル
    1. 「好きだったから信じた」──恋愛感情に支配された決断
    2. 証言シーンに込められた、涙の奥の“後悔”と“赦し”の構図
  3. 相田弁護士の覚悟と“最後まで味方でいる”という選択
    1. 相田の保釈請求に込められた“正義のグラデーション”
    2. 弁護士としての役割と、彼が人間として選んだ立場
  4. 土門刑事との“名コンビ”成立?無愛想な信頼の裏側
    1. 表情に出さないリスペクト──土門の本音と葛藤
    2. 「嘘は通用しない」鑑定と論理が導いた人間ドラマ
  5. 最終話へ──“科学と感情の狭間”で鑑定人たちは何を見るのか
    1. これまでの伏線と人間関係はどう回収される?
    2. 視聴者が最終回に持つべき“問い”と“視点”とは
  6. 「嘘がつけない人間」の、嘘より苦しい選択
    1. 黙っていれば共犯にならなかったかもしれないのに
    2. 言葉より、語らざるを得なかった“沈黙の限界”
  7. 『最後の鑑定人』第9話の感情構造と物語の核心をまとめて解説
    1. 第9話は「愛と錯覚と証明」の物語だった
    2. 物語の軸は“誰が本当の自分として生きたか”である

日野と寺井の“入れ替わりトリック”は破綻していたのか?

ドラマ『最後の鑑定人』第9話で明かされたのは、死体の身元が入れ替わっていたという衝撃の真実だった。「遺体は寺井ではなかった」「あなたが日野卓郎だ」と告げられる瞬間は、今作最大の“逆転”ともいえる場面だった。

だがこの大胆な入れ替わり劇、果たして成立していたのか?結論から言えば、この計画は“論理”ではなく“感情”によって支えられた、極めて脆い幻想だった。以下では、この入れ替わりトリックの構造と破綻点を検証していく。

犯人・寺井の浅はかな計画と、その矛盾点を解剖する

事件の全貌はこうだ。佳南絵の元恋人である寺井が、現在の婚約者である日野を殺害。その遺体を“寺井のもの”に偽装し、自らは日野として生き延びようとした。佳南絵には「寺井に襲われた」「正当防衛で殺してしまった」と証言させ、彼女を守るという名目で自らの計画を完成させようとする──まさに一人二役のトリック劇場だった。

しかし、この入れ替わり計画には致命的な“ズレ”がいくつもある。第一に、遺体を完全に燃やしたところで、身元が永久に判別不能になるわけではない。指紋、骨の特徴、DNA鑑定など、現代の科学捜査では回避不能な鑑定方法がいくらでもある。寺井はそれを知らなかったのか、あるいは“甘く見ていた”のか。

第二に、動機の浅さだ。寺井は借金を理由に佳南絵との将来を悲観し、人生を“乗り換える”手段として日野の存在を消そうとする。しかし、その発想自体が短絡的で、彼自身が「逃げたい現実」から目を背けるための言い訳に過ぎない。

そして第三に、社会的接点の軽視である。日野には友人もいるし、職場関係者もいる。過去の写真やSNS、学歴、声、癖、仕草、メールの文体──バレる要素は山ほどあった。にもかかわらず、寺井は「燃やせば済む」と考えた。つまりこの計画は、そもそも“なりすまし”として成立するレベルに達していなかった

浅はかな発想、安易な動機、計画性の欠如。どれを取っても、緻密さより“衝動”が勝っている。寺井は計画犯ではなく、“感情に突き動かされた犯人”だった。

相田と土門が突きつけた“電球の指紋”という鑑定の一撃

この“穴だらけ”のトリックに決定打を放ったのが、相田と土門だ。

彼らが注目したのは、現場に残された“電球の指紋”だった。土門は、被害現場を訪れた際に寺井(=日野)が触れた電球から指紋を採取。その後、相田が寺井の過去の接点から指紋サンプルを収集し、照合したところ、遺体・電球・コップ──この三者の指紋が一致した。

これは何を意味するか。日野として振る舞っていた男こそが、かつて寺井だった人物。つまり、「日野を殺した寺井が、日野に成りすましていた」という決定的な論理の証明だった。

ここに科学鑑定の真価が光る。感情に支配された犯人の嘘も、指紋という無機質な“証拠”は黙って真実を突きつける。相田と土門、まさに“感情と論理”を武器にした名コンビの勝利だった。

特に土門は、今回の事件を通じて一貫して「余計な感情を排除する」スタンスを貫いた。一方の相田は、佳南絵の葛藤や迷いをすくい取り、彼女の証言を導いた。この「異なる視点」の共闘が、入れ替わりという複雑な事件を崩す大きな力になったのだ。

最終的に寺井は「佳南絵が殺した」と責任を押しつけようとするが、佳南絵は涙ながらに真実を告白し、完全な破綻に至る。

『最後の鑑定人』というタイトルが指すように、“最後に真実を導くのは誰か”というテーマは、トリック以上に“人間の内面”を描いていた。第9話は、論理と証拠の勝利であると同時に、人の弱さと罪がどれだけ“浅はかな希望”を生むかを描いたエピソードでもあった。

佳南絵は被害者か?共犯者か?揺れる女性心理のリアル

第9話の核心にいたのは、佳南絵(川島海荷)だった。

入れ替わりトリックの構造が暴かれても、視聴者が本当に知りたかったのは、彼女の「本音」だったはずだ。

果たして彼女は、騙された被害者なのか。それとも、すべてを知っていた共犯者なのか。

その答えを握っていたのが、彼女自身による“涙の証言シーン”だった。

「好きだったから信じた」──恋愛感情に支配された決断

佳南絵の口から飛び出したのは、こんな言葉だった。

「私、寺井くんのこと…好きだったから……信じたかったんです」

視聴者の胸を締めつけたこの告白。

それは、ただの恋愛ではなかった。彼女が抱えていたのは、過去への未練と、“一度だけ信じたい”という切なる願望だった。

寺井は大学時代の元恋人で、すでに別れた存在。現在は、日野という別の男性と穏やかな時間を過ごしていたはずだった。

しかし、寺井が再び現れ、甘い言葉と未来の約束を囁いたとき──彼女の心は揺れた。

しかも、寺井の抱える借金、生活の不安定さ、過去の暴力的な一面など、信じてはいけない材料はそろっていた。

それでも彼女は信じてしまった。なぜか?

それは「信じた記憶にすがりたい」という感情の罠に、無自覚に飲み込まれてしまったからだ。

寺井の言葉は巧妙だった。

「僕が日野になる」「君は正当防衛を主張すればいい」「全部僕がなんとかする」──

これらのセリフは、彼女に「何もしなくていい」という安心感を与え、罪悪感から目を背けさせた。

だがそれは、まぎれもない支配だった

支配されていたのに、本人は“守られている”と錯覚していた。

この構図こそが、現代における感情的DVや心理的依存の典型でもある。

佳南絵は、知らぬ間に支配と罪に巻き込まれていた。

証言シーンに込められた、涙の奥の“後悔”と“赦し”の構図

では、彼女の証言はどんな意味を持っていたのか?

それは単なる事実の吐露ではない。

自分の愚かさを認める勇気であり、赦されたいという願いの発露でもあった。

彼女はこう続けた。

「私が日野くんを呼び出して、別れ話をした。まさか…まさか殺すなんて思ってなくて…」

これは明らかに“自分が加担していたこと”の告白である。

たとえ明確な殺意や共謀がなくとも、結果として人の命を奪う計画に“巻き込まれた”ことは事実。

しかし、彼女は逃げなかった。

泣きながらも、真実を語った。

それが意味するのは──「罪を受け入れる覚悟」だった。

ここで大きな意味を持つのが、相田弁護士(迫田孝也)の存在だ。

彼は、佳南絵が語る全てを受け止めた上で、こう言った。

「水原さん、泣いて許されることではありません。でも、償う方法を一緒に考えましょう。私は最後まであなたの味方です。」

これはもはや、法廷戦術でも職業倫理でもない。

一人の人間が、もう一人の人間を“見捨てなかった”という瞬間だった。

このシーンは、法律では裁けない“感情の罪”と、“赦しの可能性”を描いた名場面だ。

視聴者は、佳南絵を「被害者」だとも「共犯者」だとも言い切れない。

だからこそ、この曖昧さに向き合うことこそが、この物語における本質的な“鑑定”だったのではないか。

彼女は確かに過ちを犯した。

だがそれは、誰かを愛し、信じてしまった結果だった。

そしてその代償は、彼女自身の心が一番よく分かっている。

だから私たちもまた、彼女を一方的に裁くことはできない。

罪とは何か。赦しとは何か。──この第9話は、そうした“答えのない問い”を、私たちに静かに突きつけてくる。

相田弁護士の覚悟と“最後まで味方でいる”という選択

『最後の鑑定人』第9話は、入れ替わりトリックや涙の証言シーンが話題をさらったが、静かに、しかし確かに物語の芯を貫いていた人物がいた。

それが相田直樹(迫田孝也)である。

彼は刑事でも科学者でもない。「弁護士」という立場でありながら、最も“人の感情”と“罪の意味”に向き合った人物だった。

今回は、そんな相田が見せた覚悟、そして「味方でいる」という言葉の重さについて掘り下げていく。

相田の保釈請求に込められた“正義のグラデーション”

第9話で佳南絵が警察に連行された後、相田は彼女のために保釈請求を行った。

一見、ただの手続きに見えるかもしれないが、これは相田が「彼女は真実を語る」と確信していたからこそ踏み切れた行動だった。

相田が見ていたのは、“法律の外側”にあるものだった。

彼女が事件にどう関与していたのかという「構造」だけでなく、なぜ関わってしまったのかという「心の内」を見ていたのだ。

それが、弁護士という職業に対する一般的なイメージ──「勝つための駒として依頼人を使う」──とは真逆のスタンスだった。

彼は「勝つこと」ではなく、「真実に向かうこと」を選んだ。

それは正義という言葉では括れない、“グラデーションのある誠実さ”だった。

そしてその結果、佳南絵は保釈された状態で、堂々と証言台に立ち、真実を語った。

この流れが生まれたのは、相田の“信じる力”と“寄り添う姿勢”があったからだ。

弁護士としての役割と、彼が人間として選んだ立場

相田の姿勢は、法律家としてはやや“甘い”と言われるかもしれない。

だが、その甘さは「人間であろうとする強さ」だった。

彼は言う。

「水原さん、泣いて許されることではありません。ですが、償う方法を一緒に考えましょう。私は最後まであなたの味方です。」

このセリフは、弁護士の域を超えていた。

誰かの過ちに目を背けず、責めるでもなく、共に背負おうとする覚悟があった。

“味方でいる”という言葉の重さを、相田は知っている。

過去の事件で、正義の名のもとに誰かを切り捨てた経験があるのかもしれない。

だからこそ彼は、今回だけは「誰かの罪に寄り添う側」でいたかった。

その姿勢は、科学的証拠と論理だけを信じる土門とは対照的だった。

土門は徹底して“感情”を排除し、事実だけを見ている。

だが相田は、“人は間違える”ことを前提に、その間違いにどう向き合うかを問い続ける。

そして、そこにこそ「鑑定人」の真の役割があると彼は信じている。

この作品は『最後の鑑定人』というタイトルを持つが、法医学者だけが鑑定人ではない。

人の言葉、人の選択、人の罪を見つめ、判断し、支える者──それもまた鑑定人だ。

そういう意味で、相田は今作における“もう一人の主役”と言える。

誰かの味方でいるには、理由がいらない。

その人がどんな過ちを犯していようと、過去がどれほど歪んでいようと、「今ここで、あなたを信じる」という決断がすべてだ。

第9話の相田は、まさにその決断をした。

それは、鑑定でも判決でも導けない“人間の真実”を、彼自身の在り方で証明した瞬間だった。

最終話に向けて、事件の真相よりも、「誰が、誰の味方でいるのか?」というテーマが色濃く立ち上がっている。

そしてその問いに、相田はすでに答えを出していた。

「私は最後まで、あなたの味方です」──その言葉に偽りは、ひと欠片もなかった。

土門刑事との“名コンビ”成立?無愛想な信頼の裏側

『最後の鑑定人』第9話で、事件解決の最前線に立っていたのは、土門刑事(藤木直人)と相田弁護士(迫田孝也)のふたりだった。

公式にチームを組んでいるわけではない。

肩書きも立場も、捜査手法もまったく違う。

だが視聴者は、この回を見て気づいたはずだ。

「この二人、すでにコンビになってるじゃないか」と。

相田が事件の裏にある“人間の感情”に寄り添い、土門がその“事実”を掴んで締める。

まるでパズルの最後の一片をはめるように、互いの役割が絶妙に噛み合った瞬間が、いくつもあった。

表情に出さないリスペクト──土門の本音と葛藤

土門誠という男は、とにかく不器用だ。

正義感はあるが、それを感情で語ることはない。口数は少なく、いつも仏頂面。

だが彼の行動は、常に「真実」に向かっていた。

第9話で注目すべきは、寺井=日野が訪れた際に触った“電球の指紋”を決定的証拠として突きつけた場面。

土門は証拠が揃うまで一切感情を見せず、冷静にその事実だけを積み上げていく。

そこに私情はない。だが、そこにはプロとしての誇りがある。

そんな土門が、相田と事件の帰結を迎える際、無愛想に一言。

「名コンビになったつもりはない」

だが、その言葉の裏に含まれた“照れ”と“認める気持ち”は、視聴者にしっかり届いていた。

無口な男の、小さなリスペクト。

それこそが、土門というキャラクターが最も魅力的に映る瞬間だった。

「嘘は通用しない」鑑定と論理が導いた人間ドラマ

「名コンビにそんな嘘は通用しませんよ」

そう軽口を叩いたのは相田だった。

科学と法律、事実と感情──正反対のフィールドを歩んできたふたりが、ここで一つの事件を解き明かした。

特に印象的だったのは、相田が佳南絵の心情を理解しながらも、寺井の論理を否定したシーン。

彼は「彼女は共犯ではない」と、法律的にだけでなく“人間として”断言した。

一方、土門はその証拠を静かに積み上げ、決して声を荒げることなく、犯人を追い詰めていく。

二人のやり方は違うが、「嘘を許さない」という信念は共通だった。

この“静かなる共鳴”こそが、名コンビの証明だ。

鑑定とは、真実を証明するだけでなく、その背後にある「人間」をあぶり出す作業でもある。

相田は感情の鑑定士、土門は事実の鑑定士。

役割は違えど、ふたりとも“鑑定人”として真実を導いた。

そして、それは偶然ではない。

過去の事件でも、たびたびぶつかってきたこのふたりが、ようやく“言葉を超えた理解”に辿り着いた回でもあったのだ。

言葉ではなく、行動で信頼を積み上げていく──

この関係性は、最終話以降にも大きな余韻を残すだろう。

そして視聴者は願っているはずだ。

もう一度、いや何度でも、この“異色バディ”が事件に挑む姿を見たいと。

相田と土門は、互いに「名コンビとは認めない」と言い続けるだろう。

だがその背中は、誰よりも自然に並んでいた。

無愛想でも、不器用でも、“信頼”だけは確かにそこにあった。

最終話へ──“科学と感情の狭間”で鑑定人たちは何を見るのか

入れ替わりという大胆なトリック、崩壊していく偽りの愛、そして静かに交差する正義──。

『最後の鑑定人』第9話は、そのすべてを盛り込みながらも、どこか静かだった。

なぜなら、視聴者が受け取ったのは“結末”ではなく、“問い”だったからだ。

そしてこの問いこそが、最終話へと我々を突き動かす。

これまでの伏線と人間関係はどう回収される?

第9話までで描かれてきたのは、「事件」と「鑑定」だけではない。

むしろ本作は、“人間の関係性”という伏線を丁寧に重ねてきた。

たとえば、土門と相田の距離感。

正反対の立場ながら、ぶつかり合い、認め合い、今では互いの存在が捜査に不可欠なピースとなっている。

高倉(白石麻衣)も忘れてはならない。

科捜研のエースとして登場した彼女は、冷静な分析だけでなく、時には“感情”の側に立つ選択をしてきた。

特に中盤以降は、過去のトラウマや被害者との関係性が描かれ、「科学者である前に人間である」ことを象徴する存在として描かれている。

そして佳南絵。

彼女が犯した罪とその背景、相田の寄り添い、土門の無言の許し──。

この構図の行き着く先は、単なる裁きではなく、“赦し”や“再生”であるべきだ。

最終話では、これらの人物関係がどのように決着を迎えるのかが大きな見どころとなる。

視聴者が最終回に持つべき“問い”と“視点”とは

『最後の鑑定人』というタイトルには、重要な意味がある。

それは“最後の事件”を指すのではない。

「最後に真実を導く者は誰なのか?」というテーマが隠されている。

科学か、法律か、人の言葉か。

第9話までを経て、視聴者が気づいたことがあるはずだ。

──それは、「鑑定」だけでは真実に辿り着けないということ。

指紋が一致した。それは確かに証拠だ。

だが、佳南絵が泣きながら語った言葉、相田が手を差し伸べた姿勢、それらもまた、“人間を証明する鑑定”ではなかったか?

最終話を迎えるにあたって、視聴者が持つべき問いは明確だ。

  • 誰が「正しい」とされるのか?
  • 正しさは、誰の視点で決まるのか?
  • 人は“過ちを認めた瞬間”に、再び“正しさ”を取り戻せるのか?

そして、最も根源的な問い。

──あなたにとっての“最後の鑑定人”は誰か?

それは土門かもしれない。事実を積み上げた者。

相田かもしれない。感情を背負った者。

あるいは、佳南絵自身なのかもしれない。

自らの罪と向き合い、真実を語ったその行為が、“自己鑑定”だったのだから。

ここまで視聴してきた人なら気づいているはずだ。

この物語は「誰が犯人か」ではなく、「誰が真実と向き合えるか」を問う物語だ。

だからこそ、最終話は“事件の結末”では終わらない。

視聴者一人ひとりが、誰の言葉を信じるか、誰の姿勢を肯定するか──「真実の受け取り方」そのものが、鑑定行為になる。

最後の事件。最後の選択。そして、最後の鑑定。

真実は、画面の向こうだけでなく、あなた自身の中にも宿っている。

「嘘がつけない人間」の、嘘より苦しい選択

第9話でいちばん心がザワついたのは、入れ替わりでも殺人でもない。
それよりもずっと静かで、地味で、けれど“現実にいちばん近い感情”だった。

それは──佳南絵が「嘘をつけない人間だった」ということ

これ、ただの“誠実”とは違う。

佳南絵は、嘘をつくくらいなら自分を壊す人間だった。

だから寺井に利用されたし、だから日野を守れなかったし、だから最後に泣きながら全部をぶちまけた。

黙っていれば共犯にならなかったかもしれないのに

佳南絵が事件の全貌を語るタイミングは、ちょっとでもズレてたら結果が変わってた。

黙ってれば共犯として裁かれなかったかもしれないし、逆にもっと深く追及された可能性もある。

でも彼女は、そういう損得じゃ動いてない。

完全に「感情」で動いてる。

寺井に騙された自分が悔しくて、
信じた自分が許せなくて、
それでも何かを取り戻したくて、

だから“語ること”しか選べなかった。

この選択って、実はめちゃくちゃしんどい。

だって“嘘をつかない”って、誰かを守ることも、自分を守ることも、どっちも放棄するってことだから。

バレなきゃ逃げられる。知らなかったふりもできる。

でも彼女は、それを選ばなかった。

その正直さが、痛い。

そして、多くの人が「そんな選択、自分ならできない」と思ってしまうところに、このドラマのエグさがある。

言葉より、語らざるを得なかった“沈黙の限界”

佳南絵って、これまでずっと“口数が少ない人”だった。

でもそれは「冷静」だからじゃない。言葉にしてしまうと、自分が壊れてしまうからだったんだと思う。

人に頼るのが下手。誰かに説明するのが苦手。
だから、目の前のことを「大丈夫なふり」で受け止めるしかなかった。

でも、事件をきっかけに限界がきた。

沈黙は“武器”にならなかった。逆に、自分を追い込んだ。

そしてようやく、最後の最後に口を開いた。

それがあの証言だった。

土門や相田がどれだけ証拠を揃えても、彼女自身の言葉じゃなきゃ救えないものがあった。

科学でも、法律でもなく、“自分の声”だけが持つ重さ

あの瞬間、彼女はようやく「鑑定された側」から「自分を鑑定する側」になった。

つまり、佳南絵はこのドラマで初めて“自分自身の最後の鑑定人”になった

この構造に気づいたとき、ゾッとした。

だってこの作品は、ただ事件を解決するドラマじゃない。

人が、自分の人生にどう“向き合うか”を描いた物語だったんだ。

最終話、きっとまた誰かが沈黙を破る。

そのとき、それをちゃんと受け止められる自分でいたいと思う。

『最後の鑑定人』第9話の感情構造と物語の核心をまとめて解説

入れ替わりというトリックに始まり、恋と裏切り、信頼と赦し、そして沈黙の絆──。

『最後の鑑定人』第9話は、サスペンスとしての完成度だけでなく、“人の心の奥底”に触れる深い感情ドラマでもあった。

科学と感情、証拠と証言、そして真実と信念。

これらが複雑に絡み合い、視聴者に問いかける構成こそが、このエピソードの真骨頂だった。

第9話は「愛と錯覚と証明」の物語だった

トリックとしては、寺井が日野を殺し、自らが“日野”として生きる計画。

そして佳南絵を巻き込んだ“入れ替わり劇”は、科学鑑定により崩壊した。

だが、この物語の真の主題は「入れ替わったのは誰か」ではない。

なぜ、彼らは“入れ替わろうとしたのか”。そして、それを誰が“止められなかったのか”。

そこには、愛があり、錯覚があり、自己犠牲の幻想があった。

佳南絵は「信じたかった」だけだった。

相田は「守りたかった」だけだった。

そして寺井は、「人生をやり直したかった」だけだった。

それぞれの感情が重なり合い、誤解が誤解を呼び、真実から遠ざかっていった。

そこに冷徹に線を引いたのが、土門と高倉の“証拠”と“鑑定”だった。

しかし、決して感情を否定しない形で、それらを包み込んだのが相田だった。

この構造こそが、第9話をただの推理劇に終わらせない最大の要素である。

物語の軸は“誰が本当の自分として生きたか”である

寺井は、借金まみれの人生から逃れるために、他人の名をかぶった。

佳南絵は、自分の気持ちに嘘をつき続けた。

だが、ふたりともそれによって“自分自身”を見失っていった。

それに対して、相田や土門は「誰かになる」のではなく、「自分として、誰かを信じる」選択をした。

つまり、第9話の物語は──

“誰かになる”ことで逃げた者と、
“自分のまま”で立ち向かった者たちの対比だった。

最後に寺井がすべての嘘を暴かれたとき、そこに残ったのは計画の失敗ではなく、“人間としての空虚さ”だった。

逆に、佳南絵は「私は間違えた」と泣きながら認め、相田は「私は味方でいます」と答えた。

このやり取りは、罪が償いに変わる瞬間であり、人が“他人ではなく、自分として生きる”覚悟を持つ瞬間だった。

そして我々視聴者もまた問われていた。

誰を信じるか。何を信じるか。
自分は、自分として何を選ぶのか。

それが、この回の最も根源的なテーマだったのだ。

科学が嘘をつかなくても、人間は簡単に嘘をつく。

けれど、人間だけが「その嘘を悔いて、真実を語る」こともできる。

それを見抜ける力こそが、“最後の鑑定人”に必要な視点なのかもしれない。

次回、ついに最終回。

すべての伏線が回収されるのか、それともまた新たな問いが投げかけられるのか──

その時、真実を見抜く「鑑定人」としての目を持つのは、きっと私たち自身だ。

この記事のまとめ

  • 第9話は死体の入れ替わりによるトリックの破綻を描く
  • 佳南絵の告白は被害者と共犯の境界を揺るがす
  • 相田弁護士は「最後まで味方でいる」覚悟を示す
  • 土門との信頼関係は沈黙の中で築かれた
  • “鑑定”とは証拠だけでなく、人間の感情にも及ぶ
  • 最終話に向けての核心は「誰が本当の鑑定人か」
  • 独自視点では佳南絵の“嘘をつけなさ”に焦点を当てた
  • 本作は自分の人生に向き合う者を描く感情のドラマ

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