「名馬の最期」と題された『アストリッドとラファエル』第7話は、レースを駆ける馬の姿に、過去の罪と記憶が重なる痛みを映し出します。
競走馬フィボナッチ2世の死から始まるこの事件は、ただの殺人事件ではありません。そこには、父の執念、娘の葛藤、名馬の運命が複雑に絡み合い、静かに悲劇のゴールラインへと走っていきます。
そしてこの回は、アストリッド自身の“失われた記憶”に深く触れ始める、シリーズのターニングポイントでもあるのです。
- 名馬フィボナッチ2世が殺された理由とその真相
- 父の夢と過去の因縁が生んだ悲劇の連鎖
- アストリッドが取り戻し始めた“封印された記憶”の一端
名馬フィボナッチ2世が殺された理由とは?事件の全貌と真犯人
それは、”優勝を夢見た父”と”罪を背負わされた息子”の物語だった。
第7話の事件現場にいたアストリッドは、馬の死体を見た瞬間、何かが引っかかった。
殺されたのは人間ではない──競走馬だった。
最初に殺されたのは人ではなく馬だった──“名馬の最期”が意味するもの
フィボナッチ2世。28年前の優勝馬の血を継ぎ、「パリ大障害」の本命と目されていた名馬が殺された。
しかもその殺害方法があまりに人間じみていた──刃物で喉を切られるという残酷な手口。
アストリッドとラファエルは、“これは警告だ”と考える。
馬を殺すという行為には、単なる物理的な暴力だけでなく、夢や名誉を潰すという心理的テロの意味合いが含まれていた。
つまり、ターゲットは馬ではなくその背後にいる人間──イヴ・ド・テルシだった。
犯行に使われたヤタガンと、過去のレースの因縁
馬を殺すのに使われたのは、トルコの伝統的な刀剣「ヤタガン」。
この特殊な凶器を見て、アストリッドの脳裏にある記録がよみがえる。
“ヤタガンの登録者の中に、10年前に競馬界から追放されたイルマズという男がいた”。
彼こそが、この事件の過去へと繋がる鍵となる存在だった。
イルマズは、自分の馬メルヴィルに興奮剤を投与し、その馬に乗っていた騎手を死亡させてしまう。
その騎手の名はアラン・リエラック。
驚くべきことに、殺された騎手ファニーは、そのアランの隠し子だったことが後に判明する。
つまり──今回の事件は、競馬界に埋もれた「二つの家族の物語」が交錯した末の悲劇だった。
ファニーの死、そしてフィボナッチ2世の殺害は、ただの脅しではなく、過去の清算だったのだ。
フィボナッチ1世で勝ち、2世でも再び勝とうとした父イヴ・ド・テルシ。
だがその夢は、他者の人生を踏みにじった過去のうえに成り立っていた幻想だった。
そう、この事件の本質は「因果」だ。
因果を乗せて走った馬は、勝つことなく最期を迎えた。
残された人間たちは、その名馬の死を通して、自分の罪と夢の儚さに直面させられる。
殺された騎手・ファニーの正体と、血に縛られた運命
名馬の死に続いて、もう一人の命が奪われた。
フィボナッチ2世の専属騎手だったファニーが、事件の翌日、何者かに射殺される。
現場に残されたのは、彼女が“誰かの秘密”を知ってしまったことを示す、沈黙の証拠だった。
ファニーが“隠し子”だったことが暴くレースの真実
ラファエルたちの捜査が進む中、驚愕の事実が浮かび上がる。
ファニーは、2010年に死亡した騎手アラン・リエラックの“隠し子”だった。
アランは、競馬界の事故死の中でも特に痛ましい事件で命を落とした人物。
彼の死を招いたのは、父イスマエル・イルマズが仕掛けたドーピングの罪だった。
皮肉にも、娘ファニーは父アランを殺した張本人の息子──アドリアン・イルマズと共に牧場で働いていた。
そしてファニーは、父の死の真相と、アドリアンの“運命”の正体に気づいていた。
その沈黙を破ろうとした瞬間、彼女は「過去の継承者」たちに消された。
そう、彼女の死は、正義でも復讐でもない。
過去を守ろうとする人間たちの“本能”が引き起こした結果だった。
“再び優勝を”という夢が悲劇を生んだ父の野望
イヴ・ド・テルシにとって、フィボナッチ2世は夢だった。
それはただの優勝ではない。
28年前に成し遂げた栄光の“再現”──人生を取り戻すための象徴だった。
だが、父イヴが見ていたのは、“馬”ではなかった。
過去の栄光と、罪の記憶から目をそらすための幻想だった。
彼はすでに、夢の中でしか生きていなかった。
その歪みの中で、アドリアンという“因果の息子”を雇い、ファニーという“記憶の証人”を乗せて、フィボナッチ2世を走らせていた。
そこにあるのは、勝つことへの執念ではなく、過去を無かったことにしたいという願いだった。
しかし、それこそが悲劇の火種だった。
レースはまだ始まってもいないのに、馬も、騎手も、すでに命を落としていた。
父の夢のために、他人の命が消えていく。
その瞬間こそが、この物語の核心だ。
「誰の夢のために、誰が代償を払うのか」
フィクションにしておくには、あまりに現実的な問いだった。
アストリッドが取り戻し始めた“乗馬センターの記憶”とは何か
名馬の死体に近づいた瞬間、アストリッドの表情がわずかに変わった。
普段ならデータと証拠を冷静に積み上げる彼女が、その場に留まった。
何かが、記憶の底から這い上がってきたように。
馬と過ごす時間が呼び覚ました“消された記憶”の断片
捜査の合間に、アストリッドは何気なく馬に触れていた。
馬の呼吸、毛並み、視線、足音──それらが奇妙に懐かしく、彼女の中の「欠けていたピース」を刺激した。
そしてふと浮かんできた。
──“乗馬センター”という単語。
第6話で登場した旧友サミとの再会でも浮かび上がっていた“2004年の記憶”。
だがその記憶は、まるで誰かに消しゴムでこすられたかのように、継ぎ接ぎで、肝心な部分が消えている。
その断片が、名馬の死というきっかけで、少しずつ繋がり始める。
アストリッドが目を閉じると、馬房の匂いと、冷たいムチの感触が蘇る。
それは“懐かしさ”ではなかった。
痛みの記憶だった。
アストリッドの心に巣食うトラウマ──サミの幻影と繋がる点
シリーズを通して描かれてきた、アストリッドの“複雑部分発作”。
その発作が強く現れるとき、彼女の前に必ず現れるのがサミの幻影だった。
ではなぜ、サミが“幻”として彼女に現れるのか?
その鍵が、「乗馬センター」にあると考えられる。
アストリッドは以前こう語っていた。「なぜ彼が現れるのか、わからない」と。
だが今ならわかる。
アストリッドの心の奥に埋められたトラウマが、彼の姿を借りて浮上しているのだ。
おそらく2004年、アストリッドは乗馬センターで何か重大な事件に巻き込まれた。
暴力、あるいは精神的な抑圧。
その記憶はあまりにも深く、彼女の脳は防衛本能として“封印”した。
けれども今、馬という存在を通して、その封印がほころび始めている。
これは、アストリッドにとって“事件”ではなく、“自分の人生を解き明かす捜査”なのだ。
物語が進むたびに彼女は、自分という迷宮のなかで一歩ずつ歩みを進めている。
それは時に苦しく、時に美しい。
そして観ている我々もまた、自分自身の“忘れていた記憶”に触れる感覚を味わっている。
ラファエルの妊娠、そして失われたもの──もう一つの喪失
事件の裏で、もう一つの“命”が静かに去っていった。
それはラファエルが、誰にも言えずに抱えていた小さな命だった。
誰も気づかないうちに芽生え、誰にも祝福されることなく消えていった。
「平気なふりは、もうやめたい」──この言葉に、彼女のすべてが詰まっていた。
「平気なふりは、もうやめたい」──ニコラとの関係の変化
これまでのラファエルは、強かった。
どんな事件にも臆せず飛び込み、アストリッドを支える“姉のような存在”でもあった。
だが妊娠が発覚したことで、彼女の中にある“母性”と“恐れ”が同時に芽吹いた。
そして流産──。
命を宿したことと、失ったこと。
その両方に気づいていながら、何も言えないという現実が、彼女の心を沈ませた。
ニコラとの会話の中で、ラファエルはついに口にする。
「強がってるけど、平気じゃないの」
それは、彼女がようやく“弱さ”を認めた瞬間だった。
ニコラはただ黙ってその言葉を受け止める。
そしてそっと寄り添う。
この場面は特別な演出がなくても、静かな愛の証明として胸に響く。
ラファエルは、強さの仮面を脱ぎ捨てたことで、初めて誰かに支えられる存在になった。
命が去った後に残された“選択”と“祈り”
このエピソードで描かれたのは、誕生ではない。
「喪失」だった。
だが不思議なことに、その喪失は絶望ではなかった。
それは“選択肢の始まり”でもあった。
命を失ったことで、ラファエルは「母になる」という選択肢の重みを、あらためて感じる。
人は失ってから、本当にそれを望んでいたと気づく。
ラファエルの中には、確かに新しい祈りが芽生えていた。
「もう一度、ちゃんと迎える準備をしたい」。
それは命のリセットではなく、自分自身を見つめなおす時間だった。
また、彼女の姿はアストリッドにも影響を与えていた。
自分の感情に鈍感だったアストリッドが、“大切なものを守りたい”という意思を持つようになったのは、このラファエルの変化を、そばで見ていたからに他ならない。
名馬の最期の回は、誰かが生き残る物語ではなく、誰かが「何かを取り戻す」物語だった。
ラファエルが取り戻したのは、“自分自身を許す気持ち”。
そしてその柔らかさが、アストリッドの固い記憶の扉を、少しだけ緩めることになる。
この物語が映すのは、私たちの日常にある“引き継ぎたくなかったもの”
名馬の死や過去の騎手の事故死、消された記憶──ここまでくると、ただの“事件解決ドラマ”じゃない。
第7話は、むしろこう問いかけてくるように思える。
「君は、どんな過去を引き継いで生きてる?」
“夢”ってほんとは、自分だけのものじゃなかった
父イヴの「再び優勝を」という夢。あれは一見、美しくて真っ直ぐだった。
でも実際には、その夢のために、名馬が命を落とし、他人の人生が巻き込まれた。
しかもその夢の根っこには、“罪から逃れたい”という気持ちが絡みついていた。
これって、けっこう身近な話じゃないか。
たとえば家族の期待とか、「あんたのためを思って」っていうアレ。
良かれと思って引き継がされるものの中には、実は親自身が清算しきれなかった過去が混じってること、ある。
気づかないうちに「それを引き継ぐこと=愛」みたいに思って、同じレールを走ってしまう。
だけど、そのレースにゴールなんてない。
フィボナッチ2世の死は、それを教えてくれた。
記憶って、守るものじゃなくて、解放するものかもしれない
アストリッドが思い出し始めた乗馬センターの記憶。
あれは“思い出したくなかったこと”のはずなのに、馬との触れ合いで少しずつほどけていく。
それって、きっと“安心できる何か”がそばにあったから。
記憶って、無理に取り戻すもんじゃない。
心が「今なら大丈夫」と判断したときだけ、そっと姿を見せる。
アストリッドにとってそれが馬であり、ラファエルであり、テツオとの時間だった。
これもまた現実と重なる。
誰にだって、ふと“なかったことにしてた自分”が出てくる瞬間がある。
過去の自分を「封印」して進んできたけど、それがいまの生きづらさにつながってたりする。
記憶は守るんじゃなくて、解き放つことで自分自身を軽くするんだと思う。
アストリッドがその最初の一歩を踏み出したように、俺たちも「ほんとの自分」と、もう一度出会いなおせるかもしれない。
『アストリッドとラファエル5 第7話 名馬の最期』の物語に込められた真のテーマとは?まとめ
名馬が殺され、騎手が撃たれ、記憶が蘇り、命が去る。
第7話「名馬の最期」は、これまでのエピソード以上に多層的で、“命の意味”と“継承の重さ”を問う物語だった。
それは単なるミステリーじゃなく、過去に向き合う物語であり、自分の生き方に問い直すための鏡だった。
駆ける命、止まる記憶、問い直される“家族”の意味
フィボナッチ2世が象徴したのは、「誰かの夢を背負って走らされる命」だった。
それは血でつながった父娘にも、過去に縛られた家族にも、同じことが言える。
ファニーもアドリアンも、それぞれの“父”の記憶に縛られていた。
そしてアストリッドは、“記憶そのもの”を消された子供だった。
家族とは何か?引き継ぐべきものとは?
そんな問いが、殺人事件の合間に静かに流れていた。
このエピソードを見終えたとき、心の中にずっと走り続けていた誰かの声が、ふと立ち止まる。
「最後に勝つ者」ではなく「最後まで走った者」が語るもの
優勝なんて、実は大した問題じゃなかった。
ゴールに立った瞬間より、そこまでの過程にこそ、“人生”が詰まっている。
最後に勝つことより、誰の夢も殺さずに、最後まで走りきること。
それが、この回で命を落とした馬と人が教えてくれたことだった。
ラファエルも、アストリッドも、それぞれの痛みを抱えながら走っている。
その姿は、誰かの期待を裏切りながらでも、自分の人生を生きようとする姿だった。
それでいい。
負けても、傷ついても、走りきった者だけが語れる物語がある。
そしてこの回は、まさにそういう人間たちの、“静かな勝利”を讃えるエピソードだった。
ラストでアストリッドが馬の前に立ったあのシーン──あれは事件の終わりじゃない。
彼女の再スタートの合図だった。
この回を観たあと、自分の“走ってきた道”を少しだけ優しく振り返りたくなった。
- 名馬の殺害事件が語る父の夢と過去の罪
- 騎手ファニーの正体が明かす二つの家族の因縁
- アストリッドが向き合う“封印された記憶”の扉
- ラファエルの流産が示す命と選択の重み
- 夢を引き継ぐことの危うさと暴力性を描く
- 記憶は守るものではなく、解き放つもの
- 「勝ち」より「走りきること」の尊さを描写
- 静かに浮かび上がる“家族とは何か”という問い
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