相棒9 第10話 元日SP『聖戦』ネタバレ感想 狂気は“母性”を纏う──「復讐の限界点」

相棒
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それは、もはや推理ドラマではなかった。

『相棒season9』正月スペシャル第10話「聖戦」は、南果歩演じる一人の母親の“静かなる復讐劇”を描く異色作。視聴者に突きつけられるのは、正義の境界線でも、トリックの妙でもなく、「喪失を抱えた人間が、どこまで壊れてしまうのか?」という命題だった。

視聴後に残るのは、事件の全容よりも、母・寿子と妻・夏実、そして母を亡くす江上の姿を通して描かれる“女たちの戦い”の記憶。そのすべてが、胸をえぐる。

今回は、『相棒』という枠を超えて「母と復讐」について問いかける本作を、感情の導火線に火をつけるキンタの思考で解剖していく。

この記事を読むとわかること

  • 『聖戦』が描いた母の執念と復讐の全貌
  • 善悪で語れない人間ドラマの構造
  • 右京が敗北を認めた理由とその重み

  1. 「ただの主婦」に寒気がした――復讐を選んだ母の“計画”は完璧だった
    1. 息子を奪われた母・寿子が抱えた「13年分の喪失」
    2. 爆破、偽装、尾行、鍵複製…“狂気の母”が積み上げた完全犯罪
  2. 復讐相手の妻・夏実の「もうひとつの怒り」──その刃はどこを向くのか
    1. 夫を殺された女は“殺す側”に回った──夏実の憎悪と妊娠の告白
    2. 「私と娘を幸せにした」──夫を“加害者”としか見なかった寿子への反撃
  3. “もう一人の母”が抱えた、救いのない死──江上の母の絶望
    1. 無実を信じることすらできなかった母が迎えた、あまりにも静かな最期
    2. 神戸の「優しい嘘」は届かず…“嘘も優しさも届かない現実”
  4. 右京が負けた日──“推理”では追いつけなかった人間の業
    1. 証拠はすべて読まれていた──野球帽トリックの敗北
    2. 右京の「ゲーム」発言が突き刺す、正義という名の傲慢
  5. 全てを終える場所“蓼科の別荘”──寿子が選んだ“ゴール”の意味
    1. 爆破を手に自決か、それとも“許されざる者”として生きるか
    2. 「これが私の復讐よ」──夏実が手錠で繋ぎ止めた“終わり”
  6. 「理解しあえないからこそ、人間は愛おしい」──たまきの一言がすべてを包む
    1. 右京「寿子を理解できなかった」神戸「夏実が理解できない」
    2. たまき「それが、人間」──理屈を超えた“感情の余韻”
  7. 「ただの正義」はいらない──“信じたかったのに信じられなかった人たち”
    1. 母性という名の「孤独な信仰」
    2. “信じる”ことに敗れた者たちの群像劇
  8. 『相棒 season9 聖戦』で描かれた“母性と復讐”という名の地雷原まとめ
    1. 誰が悪かったのか、ではなく「誰の悲しみが深かったのか」を問う物語
    2. 正月スペシャルという枠を忘れさせる“痛みの傑作”
  9. 右京さんのコメント

「ただの主婦」に寒気がした――復讐を選んだ母の“計画”は完璧だった

物語は冒頭から、静かなる“殺意の視線”で始まる。

公園のベンチに座り、双眼鏡を覗く女の目には、狙った獲物が確かに映っていた。

そして、リモコンのスイッチを押すと同時に起きる爆破――正月の朝に視聴者が見せられたのは、推理ではなく「母が狂うまでの13年間の時間」の始まりだった。

息子を奪われた母・寿子が抱えた「13年分の喪失」

南果歩演じる富田寿子は、ごく普通のウェイトレスだ。

地味で、物静かで、誰もがすれ違っても気づかないような存在。

だが彼女は、12年前に息子・広人を事故で奪われている

しかも加害者は、薬物を摂取しながらバイクを運転していた男だった。

心臓病を患い、人生をやっと歩み出した青年の未来は、無慈悲に刈り取られた。

回想で描かれる広人の姿はあまりに純粋で、まっすぐで、胸に来る。

息子を失った寿子は、精神をゆっくりと、しかし確実に壊していく。

最初は夫と支え合って生きようとしていた。

だが夫も病で亡くなり、寿子は完全に「生きる理由」を失う

そんな中で、加害者・折原が家族を連れて来店する。

笑い、幸せそうに食事をする姿を見た瞬間、寿子の中で何かが音を立てて壊れる。

爆破、偽装、尾行、鍵複製…“狂気の母”が積み上げた完全犯罪

この回の恐ろしさは、“犯人が最初から分かっている”にもかかわらず、特命係が全く証拠を掴めないところにある。

寿子の犯行は、ただの復讐ではない。

13年分の執念を緻密に練り上げた計画だった。

折原の行動を監視し、尾行し、鍵を複製し、家に盗聴器を仕掛ける。

盗聴器越しに生活音を聞きながら爆弾のスイッチを押す、その慎重さ。

証拠になりそうなもの(帽子、工具、基盤)は全て処分し、爆薬実験のために映画業界の人間すら脅して協力させた

それらをやり遂げたのは、専門家でもテロリストでもない。

スーパーで買い物をし、静かに働く「ただの主婦」だった。

神戸の言葉が重く響く。「初めてですよ、ただのおばさんに寒気がしたのは。」

この言葉は、本作の核を突いている。

本当に怖いのは、表面に出ない“日常に紛れた狂気”なのだ。

物語が進むにつれ、右京は“野球帽のトリック”で一矢報いようとするが、寿子にはすべて読まれていた。

爆弾も処分済み、証拠もない、証言も残さない

完全犯罪が達成されたその瞬間、視聴者は「これはもう誰にも止められなかった」と感じる。

寿子が選んだ“戦い方”は、世間的には許されるものではない。

だが、母として、人としての感情をすべて込めた“聖戦”だった。

この回のラストで、右京が「理解できなかった」と言うのは、その戦いが、正義や理屈を超えていたからだ。

復讐の物語は数あれど、ここまで静かで、徹底した執念の女を描いた作品は稀だ。

南果歩の表情一つひとつが、愛と憎しみの境界を破壊し続けていた

復讐相手の妻・夏実の「もうひとつの怒り」──その刃はどこを向くのか

この物語には、もうひとりの“復讐者”がいる。

それが、夫を爆殺された妻・折原夏実だ。

彼女は、事件の加害者家族として、完全に“蚊帳の外”にいた。

だが、爆発で夫を失った瞬間から、彼女の中でも何かが狂い始める

そして後半、夏実は明確な殺意を持って、もう一度“命のやり取り”に踏み込む。

その怒りと痛みは、寿子とは違う意味で恐ろしく、そして美しかった。

夫を殺された女は“殺す側”に回った──夏実の憎悪と妊娠の告白

折原夏実は、元風俗嬢であり、過去にドラッグにも手を出していた女性だ。

娘はいるが、折原の実子ではない。

そんな“グレーな過去”を持った女が、爆破で夫を失う。

事件後、彼女の態度は静かだ。

しかし、静かだからこそ、そこに張り詰めた怒りがある

神戸に協力し、録音機を仕込み、寿子に接触する。

ファミレスの席で、寿子は夏実を抱きしめる。

その時、寿子の目にあったのは“勝利の実感”だった。

しかし──夏実はその夜、包丁を握りしめて寿子を殺そうとしていた

そして、衝撃の事実が明かされる。

夏実は、夫との子どもを妊娠していたのだ。

つまり、彼女の中には「夫を殺した女を、胎児ごと許せない」という、二重の怒りがあった。

だが夏実は、ただ刃を振るわなかった。

彼女が選んだのは――寿子と自分を“手錠で繋ぐ”という選択だった。

もし寿子がもう一度爆弾を使えば、夏実もろとも死ぬ。

それは、「一緒に地獄に行こう」という叫びであり、“命を懸けた交渉”だった。

「私と娘を幸せにした」──夫を“加害者”としか見なかった寿子への反撃

寿子は言う。「幸せそうに生きているのが許せなかった」と。

それはきっと本心だった。

だが夏実は、寿子のその言葉に別の意味を返す

「折原は、自分が幸せになったんじゃない。私と娘を幸せにしてくれたの。

それは、加害者と被害者の立場を、初めて“人間”として繋いだセリフだった。

寿子にとって、折原は「息子を殺した最低の人間」でしかなかった。

だが夏実にとっては、彼女の人生を救ってくれた“恩人”だった

同じ人間が、誰かの加害者であり、誰かの希望になる。

その矛盾を突きつけられた寿子は、初めて泣く。

その涙は、“計画を終えた安堵”でも、“後悔の涙”でもない

ただ、敗北の涙だった。

「これが私の復讐よ」

そう囁く夏実の顔には、怒りでも憎しみでもない、静かな哀しみが浮かんでいた。

このラストに、銃も爆弾も要らない。

女の言葉と手錠だけで、すべてを終わらせた“もうひとつの戦い”が、そこにはあった。

そしてこの“復讐の対話”こそが、本作『聖戦』の核心だったのかもしれない。

“もう一人の母”が抱えた、救いのない死──江上の母の絶望

『聖戦』にはもうひとり、静かに壊れていく“母”が登場する。

それが、江上建造の母だ。

事件の裏で静かに進行するこのサイドストーリーが、本作に“後味の苦さ”と“現実の残酷さ”を植え付けている。

爆破事件の容疑者として浮上した江上。

彼は、薬物を折原に流した過去があり、爆弾に使われた薬品の入手ルートを持っていた。

一見、“怪しい前科者”だが、その裏にはもう一つの顔があった。

余命いくばくもない母を抱える、一人の息子だった。

無実を信じることすらできなかった母が迎えた、あまりにも静かな最期

江上の母は、病室の中でただ祈っていた。

「うちの子がすみませんでした…」

犯人かどうかもわからない。

息子が何をしたのかも、本当は知らない。

それでも彼女は、“謝ることでしか母親でいられない”という姿を見せた。

そんな姿に、神戸が動く。

「彼は無実なんです」と伝えるべきか――

それは、証拠のないままの“優しい嘘”だった。

かつて、亀山が同じような状況で「嘘をついてでも救う」という選択をしたことがあった。

だが今回、右京は断固として拒絶する。

「証明できないことを語るのは、矜持に反する」

理屈としては正しい。

だが、病床で小さくなった母親の姿を見た視聴者には、それが“正しすぎる”ことが、逆に胸を突く

神戸の「優しい嘘」は届かず…“嘘も優しさも届かない現実”

母親に真実を伝えようと、病院に駆け込む神戸。

だが間に合わない。

母は、息子の潔白を知らないまま、静かに亡くなった

このシーンは、あまりにもリアルだった。

事件の“中心”ではない。

爆破もない。

ただ、無実の人間が疑われ、母がひとりで死んでいく。

江上は取り調べの中でも沈黙を貫く。

「自分が犯人じゃないと母親に伝えたい」

その言葉すら、刑事たちには届かない。

物語終盤、江上は母の墓前で涙を流す

その姿は、表面的な“罪と罰”のテーマを超えていた。

ここにはもう、復讐も正義も存在しない。

ただ、“誰にも報われなかった母親”がいたという、ひとつの現実があった。

本作の中で、この江上母のエピソードは、寿子や夏実の“激情”とは正反対にある。

声も張り上げず、復讐も企てない。

ただ、子を信じたかったのに、信じられなかった

そして、許されぬまま、死んでいった。

人間の感情の“逃げ場のなさ”が、この母の死で極まる。

ここには救いが一切ない

だからこそ、観終わったあとも、この母の影だけが、どこかにずっと残る。

右京が負けた日──“推理”では追いつけなかった人間の業

この回で、もっとも驚かされた瞬間がある。

それは、杉下右京が“完全に敗北する”という展開だ。

数々の事件で真実を暴き、論理の力で人の嘘を切り裂いてきた男が、初めて“人間の感情”に置き去りにされる

彼の目に狂いはなかった。

計画を見抜き、犯人を特定し、犯行に使われた小道具まで推理で炙り出す。

だがそれでも、一歩先を寿子に読まれていた

このエピソードが、いつもの“相棒らしさ”を裏切りながらも、強烈な余韻を残す理由は、そこにある。

証拠はすべて読まれていた──野球帽トリックの敗北

右京が仕掛けたのは、“爆弾の痕跡が付着している野球帽”をめぐるトリックだった。

寿子が息子の部屋に入り、帽子を触ったことで証拠が付着。

それを処分したと判断し、古着屋から購入者を探すよう動き出す。

しかし、それすらも寿子には読まれていた

寿子は、ゴミを拾う人物の存在に気づき、自ら帽子を買い戻して焼却していたのだ。

右京の推理は、犯人の理性に届いたが、執念には届かなかった

それは、論理では解けない“母の覚悟”に屈した瞬間だった。

この敗北が痛烈なのは、右京がそれを真正面から受け止めたからだ。

犯人の口を割らせることもできず、物的証拠もなく、感情的揺さぶりも効果がない

捜査は、完全に詰んだ。

右京が残した「私たちの負けです」という言葉は、彼自身のプライドを引き裂く告白だった。

右京の「ゲーム」発言が突き刺す、正義という名の傲慢

この回でもうひとつ印象的だったのが、右京の「これはゲームではありません」という一言。

寿子が「これは戦争、聖なる戦い」と言い放った直後、右京はそれを否定する。

だが本当にそうだろうか?

事件を論理で切り刻み、人間の感情すら計算に入れて操作する右京

それはある種、“知的なゲーム”のように見える。

だが寿子の側にあるのは、喪失、怒り、執着、そして祈り

彼女にとっては、命を懸けた“戦い”だった。

右京の論理は、寿子の「命を削る覚悟」には届かなかった

そしてそこに、この物語のもう一つの敗北がある。

神戸との対立も、このズレが生んだ。

“優しい嘘”で母を救おうとする神戸に、右京は「証拠がなければ口にすべきでない」と突き放す。

それは確かに正しい。

だが、“正しさ”が人を救わないこともある。

そのことに、右京はこの回でようやく直面する

「私は彼女を理解できなかった」

その言葉は、理性の敗北宣言だ。

正月スペシャルの主役は、右京ではなかった。

彼はこの物語で、“脇に退く側の人間”として描かれた

なぜなら、この物語は、人間の“業”そのものが主人公だったからだ。

全てを終える場所“蓼科の別荘”──寿子が選んだ“ゴール”の意味

事件は蓼科の山奥で、ひっそりと“終焉”を迎える。

そこは、寿子がかつて息子・広人と共に過ごした場所

そして彼女が“最後の場所”として選んだ、誰にも邪魔されない孤独の聖域だった。

復讐を果たし、完璧な証拠隠滅も成し遂げた寿子は、もはや追われる立場ではなかった。

だからこそ、次に彼女が考えたのは「どのように終わるか」だった

自首するのでもなく、逃げ続けるのでもない。

寿子が選んだのは、息子と過ごした記憶の中で“爆破によって自らを終わらせる”ことだった。

爆破を手に自決か、それとも“許されざる者”として生きるか

別荘の中で、爆弾を手に立つ寿子。

右京と神戸が追いついたその場には、爆破装置のスイッチがあり、彼女の静かな“決意”が漂っていた。

「証拠がなければ、あなたたちは私を裁けない」

まるで試すように、右京たちを見つめる寿子。

だが彼女は、もう“裁き”など望んでいなかった。

欲しかったのは、復讐を完遂したことへの静かな幕引きだけ。

右京は彼女の自殺を読み、口紅にGPSを仕込んでまで見張っていた。

それでも寿子は驚かない。

すべてを理解していた。

爆破ボタンに指をかけた寿子の手を止めたのは、意外な人物だった。

折原の妻・夏実。

彼女は寿子と手錠で自らを繋ぐという、強烈な“生きた証拠”となった。

「これが私の復讐よ」──夏実が手錠で繋ぎ止めた“終わり”

寿子にとって、折原を殺したことは“戦果”だった。

息子の命を奪った男に対し、計画的に報復し、自らの手で裁きを下した。

だがその完遂の先で、心の空白が埋まることはなかった

そこへ現れたのが夏実だった。

寿子の目的地を知っていた理由は、折原がかつて彼女に“この別荘”のことを話していたから。

つまり、折原もまた、広人のことを忘れてはいなかったということ。

この事実は、寿子にとって、あまりにも重い。

彼女の「幸せそうに生きていた」という前提を揺るがしたからだ。

そしてもう一つ。

夏実が妊娠していること。

その命もまた、折原の“罪”と“贖罪”の延長線上にある。

「これが私の復讐よ」

夏実のこのセリフは、寿子に突きつける“もうひとつの終わらせ方”だった。

爆破によって幕を下ろすのではない。

罪を背負ったまま、他者の言葉に傷つきながら生き続ける。

それこそが、真の報いなのではないかと。

その瞬間、寿子の“戦争”は終わった。

そして右京の予想もまた、崩れた。

爆弾のスイッチを握るその手に、命の選択を迫ったのは論理ではなく、他者の感情だった。

『聖戦』とは名ばかりで、誰も救われず、誰も勝たない戦いだった。

だが、この蓼科の別荘という場所が、すべてを受け止めた。

雪のように冷たく、静かに、罪と感情を封じ込めたのだ。

「理解しあえないからこそ、人間は愛おしい」──たまきの一言がすべてを包む

『聖戦』という物語の幕が静かに下りた後。

視聴者は、勝者も敗者もいない“戦場跡”を見つめるような気持ちになる。

そして、その余韻を丁寧に言語化してくれるのが、たまきの言葉だった。

右京がふと漏らす。

「私は彼女(寿子)を理解できなかった。」

神戸も続けて言う。

「私も夏実が、理解できませんでした。」

ここに至って初めて、この物語が“理解されない人間たち”で構成されていたことに気づく。

右京「寿子を理解できなかった」神戸「夏実が理解できない」

推理という名の道具を持つ右京は、いつだって人の心の奥底に踏み込んできた。

だが今回、寿子という女性の“選択”だけは、論理で分解できなかった

なぜならそれは、「母として生きられなくなった女の本能」だったから。

同じく神戸も、夏実という女を捉えきれなかった。

怒り、悲しみ、そして愛情を同時に孕んだ彼女の行動は、感情という名の迷宮だった。

どちらも“正しくなかった”。

しかし、どちらも“間違ってもいなかった”。

それが、この物語の答えのなさだ。

たまき「それが、人間」──理屈を超えた“感情の余韻”

そんなふたりに、たまきが微笑みながら言葉を添える。

「人は、理解し合えない生き物よ。」

この台詞は、『相棒』という作品が時折見せる“哲学の刃”だ。

理解し合えない。

だから争うし、だから傷つく。

だけど──

「そこが愛おしいんですよね」

このたまきの言葉があるからこそ、寿子の怒りも、夏実の涙も、江上の母の諦念も、全てが許される気がした

人間とは、理屈では割り切れない。

どれだけ冷静を装っても、過去に囚われ、愛に縋り、怒りに溺れてしまう生き物だ。

右京や神戸といった“論理の人間”ですら、その限界を思い知った回。

そして、それを受け入れたことで、彼らもまた、少しだけ人間らしくなれたのかもしれない。

『聖戦』というタイトルは、あまりに皮肉だ。

何も聖なるものなどなかった。

あるのは、愛にすがる人間たちの、泥だらけの戦いだった。

でも、それでいい。

それが人間なのだから。

「ただの正義」はいらない──“信じたかったのに信じられなかった人たち”

この『聖戦』って話、最後まで見たあとに思った。

これは「正義 VS 悪」じゃない。

でも「愛 VS 憎しみ」でもない。

もっと地味で、もっとしんどいテーマがあった。

それは、“信じたかったのに、信じられなかった人たち”の物語だったってこと。

事件の登場人物たちは、誰もが誰かに手を伸ばしてた。

でもその手は、届きそうで届かない

いや、むしろ届いたフリをして、するっとすり抜けていく。

それが一番キツい。

母性という名の「孤独な信仰」

寿子は、息子・広人をずっと信じていた。

病弱でも頑張る子だった。

「この子の未来を自分が守るんだ」と、本気で思ってた。

でも、その未来を一瞬で奪われたとき、寿子は自分の人生ごと信仰を失った

そしてそこから彼女が頼ったのが、“復讐”という宗教だった。

証拠を残さず、顔を伏せて、すべてを水面下で仕留める。

それは、彼女なりの「祈り」だったと思う。

爆破なんて派手なことしてるのに、本人の中ではずっと無言。

声も荒げないし、誰かを責め立てもしない。

静かに、自分の信じた正しさを貫く。

怖いよ、こんなに孤独な信仰。

“信じる”ことに敗れた者たちの群像劇

江上の母親もそう。

息子が何か悪いことをしたんじゃないか、そう思ってる。

でも本当は、信じていたかったはずなんだ。

でも信じる強さが持てなかった。

だから謝ることしかできなかった。

そして死んでいった。

折原も、信じられてなかった。

寿子からは「息子を殺した悪魔」としてしか見られなかった。

でも実際は、妻と娘には本当に必要とされてた。

人は立場によって、こんなにも別の人物になってしまう

じゃあ、右京は?

彼も、寿子を“理屈でわかるはずの存在”として信じてた。

でも最後には「理解できなかった」って敗北宣言してた。

つまり、全員が、誰かを信じようとして、信じきれなかったってことなんだよね。

信じるって、綺麗ごとじゃない。

信じたいけど、傷つくのが怖い。

信じた先に裏切りがあるかもしれない。

それでも「信じる」って行為にしがみつく。

それが人間なんじゃないかって、思わされた

この物語に“正義の味方”なんていない。

いたのは、信じることに失敗し続けた、ただの人間たち

でも、だからこそ、胸をえぐる。

綺麗にまとまる必要なんて、なかった。

この地雷原みたいな感情の中に、「それでも生きるしかない」っていう真実があった。

そしてそれこそが、この『聖戦』って物語が本当に伝えたかったことだったのかもしれない。

『相棒 season9 聖戦』で描かれた“母性と復讐”という名の地雷原まとめ

『相棒 season9 聖戦』が残したものは、“事件の真相”ではなかった。

それはむしろ、視聴者に突きつける「感情の処理の仕方」そのものだった。

誰かを許すとは何か。誰かを憎むとはどこまでか。正義とは、報いとは、そして母性とは――。

この作品は、その全てに対して、答えを出さない。

ただ、一人ひとりの“痛み”だけを、徹底的に描く

誰が悪かったのか、ではなく「誰の悲しみが深かったのか」を問う物語

物語を通して、誰も“完全な悪”ではなかった。

息子を失った寿子。

夫を殺された夏実。

息子を信じたかった江上の母。

薬物に溺れた過去を持つ折原ですら、その後の人生で誰かを救おうとしていた。

この物語が問いかけるのは、「誰が悪いのか?」ではなく、「誰の悲しみがいちばん深かったのか?」だ。

そしてその問いに、視聴者は誰も明確に答えられない。

それこそがこの回の持つ“毒”であり、“リアル”だ。

誰も裁かれず、誰も救われず、そして誰も責められない。

私たちは、ただ痛みの残響だけを聴いて終わる

正月スペシャルという枠を忘れさせる“痛みの傑作”

毎年恒例の正月SP。

派手な事件、豪華ゲスト、特命係の大活躍。

そんな“お祭り感”を期待して再生した視聴者は、完全に裏切られたはずだ。

華やかさは一切ない。

代わりにあるのは、13年分の悲しみと、冷たく計算された復讐だった。

正月から、泣かされた。

正月から、苦しくなった。

でも、“心を抉られる体験”こそが、このドラマの真骨頂だ。

南果歩の静かな狂気。

白石美帆の剥き出しの怒り。

中野英雄の沈黙。

そして、右京と神戸の敗北。

それらすべてが、“人間の感情”という地雷原の上で静かに爆発していた。

だからこそ、この回は語り継がれる。

娯楽ではなく、“記憶に残る体験”として。

『聖戦』は、誰にも勝者のいない、感情の戦争だった。

だからこそ、その“敗北”の美しさが、心に残り続ける。

右京さんのコメント

おやおや…復讐と母性が交差する、実に厄介な事件でしたねぇ。

一つ、宜しいでしょうか?

この事件の最大の問題は、罪そのものよりも、誰もが“信じる”ことに失敗していた点にあります。

被害者の母・寿子さんは、息子の無念を信じすぎるがあまり、自らの手で“正義”を実行してしまいました。

一方、加害者の妻・夏実さんは、夫の過去を受け入れたうえで、未来に向かって歩こうとしていた。

そして江上さんの母親は、息子を信じきれず、謝罪の言葉と共に静かに命を閉じました。

つまり、この事件に関わった人々は皆、“信じる”という行為の脆さと重さに押しつぶされていたのです。

ですが、事実は一つしかありません。

どれほど感情が正義を装っても、法の枠を越えて良い理由にはなりませんねぇ。

いい加減にしなさい!

復讐を“聖戦”と称し、自らを神のごとく位置づける行為は、極めて危険です。

感情に背中を押されるままに、人が人を裁くことを許せば、社会はすぐに崩壊してしまいます。

それでは最後に。

紅茶を一杯いただきながら思案しておりましたが…

人は“理解できない相手”と、どう向き合うか。

その葛藤の中にこそ、人間の尊厳があるのではないでしょうか。

この記事のまとめ

  • 正月SP『聖戦』は“母の復讐”を描いた衝撃回
  • 南果歩演じる犯人の計画が緻密かつ狂気的
  • 爆破の裏に13年の喪失と怒りが隠れていた
  • 妻・夏実の復讐が新たな“聖戦”を生んだ
  • 右京と神戸、推理で感情に敗れた回でもある
  • 江上母の絶望が、静かに胸を抉ってくる
  • たまきの「理解し合えないのが人間」発言が核心
  • 善悪で語れない感情と選択が交錯する群像劇
  • “誰が悪い”より“誰が苦しい”を問う物語
  • 心に爪痕を残す“痛みの傑作”として記憶される

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