『こんばんは、朝山家です。』第5話ネタバレ──この家族、誰が悪いわけでもないのに、みんながしんどい理由

こんばんは、朝山家です。
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「誰も悪くないのに、なぜこんなにしんどいのか?」──『こんばんは、朝山家です。』第5話は、そんな問いが胸に残る回だった。

カウンセリングを受けてもなお、蝶子の苛立ちは消えない。転校を口にする晴太、修学旅行を推す母、野球に固執する父。それぞれが「正しさ」を持ちながらも、心がすれ違っていく。

この記事では、“家族という名の迷路”に迷い込んだ朝山家を、感情と構造で分解しながら、「しんどさ」の正体を読み解いていく。

この記事を読むとわかること

  • 『こんばんは、朝山家です。』第5話の本質的なテーマ
  • 家族内での“聞いているふり”がもたらす孤独の連鎖
  • 感情の副流煙が家族をじわじわ壊していく構造
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  1. 「家族みんなしんどい」の正体は、“誰も話を聞いていない”からだった
    1. 蝶子が見せた「カウンセリング後の笑顔」は、本物じゃなかった
    2. 晴太の「転校したい」発言は、孤独のSOSだった
  2. それぞれの「正しさ」が、家族をバラバラにしていく構図
    1. 賢太の「野球へのこだわり」は、父親としてのアイデンティティ
    2. 朝子の「修学旅行への執着」は、母親の焦りと責任感
  3. “自分の人生”を生きはじめた蝶子が、初めて口にした「やめたい」
    1. 「野球をやめる」という決断にこめられた本音とは?
    2. イライラの原因は「やらされてきた人生」の蓄積だった
  4. 晴太が見つけた“居場所”は、オンラインの中にあった
    1. 「ゲームの中の友達」がリアルよりも安心できる理由
    2. 学校も、親も、カウンセラーも届かない場所に彼はいる
  5. この家族が“壊れる前に”必要だったこと
    1. 「共感」ではなく「理解」がほしかった
    2. “聞くふり”ではなく、“本当に聞く”ことの意味
  6. “感情の副流煙”にさらされていたのは、実は親たちのほうだった
    1. 誰かが泣けば、誰かが我慢する──この家のルールは“沈黙”だった
    2. カウンセリングじゃ解けない、“役割の呪い”がある
  7. 『こんばんは、朝山家です。』第5話の感想と考察まとめ
    1. この家族の問題は、“誰もが孤独”なことにある
    2. 誰かひとりでも、「お前の気持ち、わかるよ」と言えていたら──

「家族みんなしんどい」の正体は、“誰も話を聞いていない”からだった

第5話を観て、最初に思ったのは「この家族、全員が正しい。でも、全員が孤独だ」ということだった。

朝山家の面々は、それぞれが“良かれと思って”行動している。

でも、その結果は、どんどん誰の声も届かない「無音の家庭」に向かっていく。

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蝶子が見せた「カウンセリング後の笑顔」は、本物じゃなかった

冒頭、蝶子がカウンセリングから戻ってきた場面。

彼女は明らかに“頑張って作った笑顔”をしていた。

その笑顔は、感情の回復ではなく、「私、大丈夫だから。もう心配しないで」のサインに見えた。

だけど、その「大丈夫」は本心ではない

むしろ、“この家で何を言っても無駄”という諦めが生んだ、感情の仮面だったのではないか。

賢太も朝子も「どうだった?」「スッキリした?」と聞く。

けれど、それは「話を聞く」ではなく「良くなっててほしい」という大人の願望の押しつけだ。

このシーンに漂う違和感は、「会話は成立しているようで、実は誰も相手の心を読もうとしていない」という点にある。

つまり、“会話しているのに孤独”という、家族崩壊の入口がもうそこまで来ているのだ。

晴太の「転校したい」発言は、孤独のSOSだった

一方、弟の晴太が「転校したい」と言ったとき。

家族の誰もが一瞬、凍りついた。

だが、本当に注目すべきはその理由──「僕がいることで、みんながギクシャクする」というセリフだった。

小学生が言うには重すぎる。

それは、晴太なりの“身を引く”提案だったのだ。

家族の不和の原因が自分にあるのでは?と感じた彼は、たったひとつの“解決策”を出した。

それが「転校=この場から自分が消えること」だった。

まるで物語の外に退場するキャラクターのように。

この一言には、自分の声が届かない世界で生きる子どもの苦しさがすべて詰まっている。

親は気づかない。

親が子どもにかける「気を遣ってる」「心配してる」という言葉は、ときにプレッシャーにしかならない。

そして、この家族の特徴は、誰かが「つらい」と言っても、その言葉をすぐに“対処”しようとしてしまうことだ。

対処じゃなくて、まずは受け止めてほしい

晴太は「転校したい」と言うことで、「僕の気持ち、誰か聞いて」と叫んだのだ。

蝶子も、晴太も、そしてたぶん親も。

誰かに「あなたの気持ち、ちゃんと聞いてるよ」と言ってもらいたかった

それがひとつもない家の中では、“言葉が増えるほど孤独になる”という逆説が起きる。

そして、それが“全員がしんどい”という空気をつくっていく。

この第5話は、「会話があるのに、心が通わない」という現象の痛烈な写し鏡だった。

誰も悪くない。でも、誰も本当に“聞いて”はいない。

このズレが埋まらないまま、朝山家は次の崩壊フェーズに進んでいく──。

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それぞれの「正しさ」が、家族をバラバラにしていく構図

家族の中で最も危険なのは、「間違ってないのに、噛み合わない関係性」だ。

この第5話で描かれた朝山家の崩壊は、まさにその構図にピタリと当てはまる。

全員が“善意”で動いているのに、どんどん壊れていく。

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賢太の「野球へのこだわり」は、父親としてのアイデンティティ

父・賢太は、今回もまた野球をめぐって蝶子と衝突する。

一見すると「古い父親像」「体育会系の押しつけ」と映るかもしれない。

だが、その奥には彼なりの“喪失”と“孤独”が見え隠れしている。

彼にとっての野球は、娘との唯一の接点だった。

一緒にキャッチボールし、応援し、試合で泣き笑いしてきた。

だからこそ、蝶子の「やめたい」は、単なる部活の話ではなく、“父としての存在意義の喪失”を意味する。

それが彼を意固地にさせていた。

怒っているようで、内側では「もう俺は必要ないのか?」という不安に揺れている。

そしてもうひとつ重要なのは、彼が“自分の感情を言葉にできない”タイプであること。

「辞めたいって何だ」「やるって決めたんじゃねぇのか」と怒鳴る。

でもその声の底には、「一緒にいた時間を否定されたようで怖い」という、悲しみに似た感情が沈んでいたのかもしれない。

朝子の「修学旅行への執着」は、母親の焦りと責任感

一方、母・朝子は「修学旅行に行かせたい」と強く願う。

その理由は一見、子どもの思い出を大切にしてあげたいという愛情に思える。

だが、キンタ的に言えば、それは“焦り”と“正しさへの呪縛”の産物だ。

修学旅行=普通の中学生としての象徴。

だからこそ、行かせたい。

「娘はもう大丈夫、回復に向かっている」という事実がほしい。

朝子もまた、母親として自分を信じられていない。

「何かしてあげなきゃ」「母として役に立っていなきゃ」という強迫観念が、娘への“押しつけ”になってしまう。

だから、蝶子の「行きたくない」に耳を傾ける余裕がない。

それを聞いてしまうと、「私は母親としてまた失敗したのか?」という答えにたどり着いてしまうから。

結局、朝子の“優しさ”もまた、自分を守るための言葉になっていた。

この2人──賢太と朝子。

どちらも「家族のため」「子どものため」に動いている。

だが、その正しさは、子どもの“本音”を否定してしまう形で表れてしまう。

皮肉なことに、それが家族の中で一番、蝶子の心を押し潰していた。

親が「良かれと思ってやったこと」で、子どもは息ができなくなる。

この第5話は、善意がどれだけ強くても、それが「相手の声を消すもの」になってしまう危険性を描いている。

正しさが積み重なるほど、会話が“戦場”になっていく。

そして、誰も悪くないはずのこの家族が、誰よりも痛ましい状況に陥っていく。

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“自分の人生”を生きはじめた蝶子が、初めて口にした「やめたい」

この回で最も衝撃的だったセリフは、蝶子の「やめたい」という一言だった。

それは、単なる“部活を辞めたい”ではない。

「私は私の人生を生きたい」という宣言だった。

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「野球をやめる」という決断にこめられた本音とは?

これまで蝶子は、野球を続けてきた。

努力してきたし、試合にも出たし、家族もそれを応援してきた。

でも彼女は、ずっとどこかで「自分が望んで始めたことじゃない」と感じていたのかもしれない。

そして今回、彼女ははじめて、「もうやめたい」と自分の気持ちに正直になった。

それは、自分の感情に主導権を取り戻した瞬間だ。

親の期待も、空気も、気遣いも、一切無視して出てきた“心の声”だった。

しかもそれを言った相手は、カウンセラーでも親でもない。

ただの同級生であり、なんでもない存在。

つまり、「利害関係のない人にだけ、本音が言える」という、現代の子どもたちの現実も浮き彫りになっていた。

蝶子の「やめたい」は、失敗ではない。

むしろ、自分を守るための“初めての選択”だった。

あの一言の中には、「やっと言えた…」という静かな覚悟と解放感があった。

イライラの原因は「やらされてきた人生」の蓄積だった

第5話までの蝶子を振り返ると、彼女の感情はずっと「怒り」に包まれていた。

親に対して、弟に対して、カウンセラーに対して。

でも、その怒りの源は何だったのか?

それはきっと、“やらされてきた”という感覚の蓄積だ。

野球も、学校も、進路も、全部「こうした方がいい」「頑張ったら報われる」と言われてきた。

そのたびに彼女は、「そうか」と飲み込んできた。

でも、それが自分の意思だったか?と問われれば、答えはNOだ。

だからこそ、コントロールできない怒りがあふれていた。

「何が嫌なのか」「何に怒ってるのか」自分でもよくわからない。

だけど、とにかくこの感情を誰かにぶつけないと生きていけない──それが、今までの蝶子だった。

そしてついに、「やめたい」と言えた。

これはつまり、「やらされてきた人生を、やめたい」のだ。

“人生のハンドル”を他人に預けたまま進むことに、終止符を打つ

同時に、この言葉は親にとっても「あなたたちの生き方には従わない」という無言の反抗になった。

だからこそ、父も母もあんなに動揺した。

親は子どもに「自分の人生を歩んでほしい」と願う。

でも実際は、「自分が安心できるルートを歩んでほしい」だったりする。

蝶子の「やめたい」は、その期待を真正面から拒否した第一声だった。

ここから蝶子は、“自分の感情”を起点に人生を組み立て直すだろう。

たとえそれが遠回りに見えても、傷つきながらでも、彼女にとっては初めての“自由な一歩”になる。

この第5話のクライマックスは、派手な演出も、大きな事件もなかった。

でも、その静けさの中で、“声にならなかった思い”が、ついに言葉になった

それだけで、この回には深い価値がある。

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晴太が見つけた“居場所”は、オンラインの中にあった

第5話の中で静かに描かれたもう一つの大きなテーマ、それが“晴太の逃げ場”の物語だった。

彼は何も叫ばないし、怒りもしない。

でもその沈黙の中に、誰よりも深い孤独があった。

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「ゲームの中の友達」がリアルよりも安心できる理由

リビングで姉と両親がぶつかり合う中、晴太は静かにオンラインゲームをしていた。

無言のその姿に、現実に対する“諦め”が滲んでいた。

彼は知っているのだろう。

この家では何を言っても「子ども扱い」され、深刻に受け止めてもらえないことを。

だから現実では言葉を閉ざし、ネットの中でだけ生きようとしている。

オンラインの中では、誰かの弟でもない。問題児の兄妹を持つ弟でもない。

ただの「自分」として存在できる。

そこでは、実力やスキルで認められる。

チャットの相手は、過去も家庭環境も知らない。

だからこそ、ありのままの自分でいられる居場所になっている。

この構造は、今の子どもたちの多くが感じていることとリンクする。

現実世界の人間関係は、役割と期待でがんじがらめ

でもネットの中は、一時的でも自由になれる逃げ場だ。

学校も、親も、カウンセラーも届かない場所に彼はいる

物語の中盤、晴太が「転校したい」と口にするシーンがある。

その一言には、誰にも見えない場所に“避難”したいという本音がにじんでいた。

晴太にとって、学校はもはや安心できる場所ではない。

家は、蝶子と親の対立に飲み込まれる“戦場”。

じゃあ、どこなら自分を守れるのか?

その答えが、「ネット」だった。

ただ、ここで忘れてはいけないのは、オンラインの居場所も万能ではないということだ。

一時的な回避にはなるが、問題の本質とは向き合えていない

むしろ、“誰にも気づかれずに孤立する”というリスクがある。

この描写が鋭いのは、誰も彼の心に「今、どう思ってるの?」と本気で尋ねていないという点だ。

親も、カウンセラーも、姉のことで手いっぱい。

誰も、彼の内側に潜ってきてくれない。

だから晴太は、言葉の外へ、視線の外へ、自分を逃がしていく。

この描写に、僕はとても胸が痛くなった。

彼のような“静かに消えていく子ども”の存在は、現実にもきっと数え切れないほどいる。

ゲームの世界は、救いでもある。

でも、それしか居場所がないという状況は、本当は誰かが気づいて止めなきゃいけないことだ。

この第5話は、蝶子の葛藤が中心に描かれていたけれど、もうひとつの見逃せない“静かな叫び”があった

それが、晴太のオンライン逃避という選択。

彼が本当に欲しかったのは、ネットの仲間じゃない。

きっと、「君のことをちゃんと見てるよ」というリアルな存在だったはずだ。

この家族が“壊れる前に”必要だったこと

第5話を見終えたとき、心の奥に残ったのは「もう少し早く、誰かが本音を聞いていれば…」というやるせなさだった。

朝山家に必要だったのは、誰かを励ますことでも、解決策を出すことでもない。

ただ“心から理解しようとする姿勢”だった。

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「共感」ではなく「理解」がほしかった

共感は、言葉のうえでは簡単にできる。

「大変だね」「わかるよ」――それらは、優しさのように見える。

でも本当に求めていたのは、その裏にある“背景”や“痛みの質”にまで踏み込む理解だった。

蝶子が「やめたい」と言ったとき、賢太は怒り、朝子は焦った。

それはどちらも、彼女の“背景”を理解していなかったからだ。

今まで頑張ってきたのに、もう無理になった。

その挫折感や自己否定の渦を、誰も「わかろう」とはしなかった。

「やめたい」=甘え、逃げというフレームで見てしまった瞬間、言葉は届かなくなる。

そこには、「信じてあげたい」よりも「失望したくない」が勝っていた。

晴太にしても同じだ。

誰も「君はどう思ってる?」と真剣に向き合ってくれない。

ゲームをしていても怒られない。

それは放任ではなく、“見てないことの証明”だ。

家族の中で起こっていたのは、「表面上の共感」と「中身のない理解」のすれ違いだった。

そしてそれが、言葉のキャッチボールを“すれ違いの連続”に変えていった。

“聞くふり”ではなく、“本当に聞く”ことの意味

親がよく言う「ちゃんと話聞いてるよ」という言葉。

でも、本当に“聞く”とは、自分の価値観を一度横に置いて、相手の気持ちの奥まで潜ることだ。

それは、とても難しい。

自分の経験や「普通はこうだよね」という感覚が邪魔をするから。

でも、そこでいったん「この子の世界では、何が起きているんだろう?」と問い直すことができれば、関係は変わる。

蝶子の「やめたい」には、過去の苦しみも、未来への恐怖も混ざっていた。

晴太の「転校したい」には、「もう僕がいない方が楽になるよね」という自己否定があった。

それを“真正面から聞く”勇気が、この家族には足りなかった。

会話はしていた。

でも、耳ではなく、心で聞いてはいなかった。

そして“心で聞かれない言葉”は、届かない。

届かない言葉は、怒りか沈黙に変わっていく。

その繰り返しが、朝山家のような「見えない崩壊」を招いていく。

この第5話は、“耳を傾ける”とは何かを、視聴者に問いかけてくる物語だった。

何をすればよかったのか、答えはきっとシンプルだ。

「それ、どういう気持ち?」と、たった一言、聞いてあげること。

その問いかけがあれば、蝶子も晴太も、少しずつ心を開いたかもしれない。

それがなかったから、この家族は「誰も悪くないのに、みんながつらい」という迷路に入り込んでしまった。

“感情の副流煙”にさらされていたのは、実は親たちのほうだった

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誰かが泣けば、誰かが我慢する──この家のルールは“沈黙”だった

朝山家を見ていてずっと感じていたのは、感情がちゃんと処理されずに、空気中に溜まり続けてるってこと。

怒鳴り声も涙も、直接的な衝突もほとんどないのに、この家には“重い”が漂ってる。

それってきっと、誰かが飲み込んだ悲しみや不安が、言葉にならないまま家族に充満してるからだ。

たとえば、蝶子が「野球やめたい」って言ったとき。

泣いたのは本人じゃなかった。父・賢太だった。

本当は応援したかった。でも、何かが耐えきれなくて涙になった。

あの涙、感情の“副流煙”だった。

誰かが決断したとき、その代わりに泣くのは他の誰か。

誰かが口を閉ざしたとき、代わりに説明しようとするのも他の誰か。

この家では“感情のオーナーシップ”が曖昧なんだよ。

だから、蝶子の怒りが母を追い詰め、晴太の不安が父を黙らせる。

そんなふうに、感情がババ抜きみたいに回ってる

カウンセリングじゃ解けない、“役割の呪い”がある

この回で登場したカウンセラーのシーン、悪くなかった。

でも、どうしても限界がある。

それは、この家には「役割」という目に見えない“台本”が存在してるから。

父は「支える人」、母は「まとめる人」、蝶子は「頑張る人」、晴太は「空気読む人」。

誰が決めたわけでもない。でも、気づいたら配役されていて、そこから抜けられない。

この“役割”がしんどいのは、その人らしさを上書きしてしまうこと。

賢太は「父親だからこうあるべき」に縛られて、蝶子の涙に「一緒に泣くこと」ができなかった。

朝子は「母親としてちゃんとしてなきゃ」が強すぎて、蝶子の“壊れかけ”を認められなかった。

家族の中での「キャラ」が固定されると、本音が出しづらくなる。

だって、“役”じゃないことを言ったら、物語が破綻するから。

でも実際、人生って本番だから。

一度きりの舞台で、ずっとセリフ通りに生きるなんて無理がある。

“私はこういう人間であるべき”という無言のプレッシャーが、この家の“正しさの鎖”を生んでた。

この第5話を見て思った。

家族がしんどいのは、誰かの涙や怒りが「ちゃんとその人に返されない」ときなんだ。

誰かの感情を誰かが背負って、“誰のものかわからないモヤモヤ”が部屋中に溜まっていく。

それが、朝山家の空気を重たくしていた。

感情って、持ち主にちゃんと返さないといけない。

「泣いていいよ」「怒っていいよ」って言われるよりも、「それ、あなたの気持ちだよね」って受け止めること。

それがあれば、この家の“副流煙”も、少しずつ晴れていったのかもしれない。

『こんばんは、朝山家です。』第5話の感想と考察まとめ

観終わって、静かに心が沈んだ。

怒鳴り声も、暴力も、激しい演出もなかった。

それなのに、こんなにも胸が苦しくなるのはなぜか?

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この家族の問題は、“誰もが孤独”なことにある

第5話は、表面的には「蝶子が野球をやめる」と「晴太が転校を希望する」話だ。

だが、その裏にあるテーマはひとつ――“家族というシステムの中で、誰もが孤立している”という現実だった。

父・賢太は、野球というツールでしか娘と関われないという限界に苦しんでいる。

母・朝子は、「母親として機能しなければ」という呪いに縛られている。

蝶子は、「ちゃんとしていなければ愛されない」と思い込んでいた。

晴太は、自分が家族を壊していると思い込み、静かに姿を消そうとしている。

全員が、自分の正しさと期待と役割に押しつぶされていた。

でも、それぞれが本当に欲しかったのは、きっともっとシンプルなことだ。

「自分のままで、ここにいていい」という実感。

それがたったひとことでも、誰かから届いていたら──

誰かひとりでも、「お前の気持ち、わかるよ」と言えていたら──

あの修学旅行の話をしていたとき。

あのリビングで蝶子が言葉を詰まらせたとき。

晴太が「転校したい」と呟いたとき。

そのどこかで、誰かひとりでもこう言えていたら、きっと何かは変わったはずだ。

「お前の気持ち、わかるよ」

その一言には、何かを解決する力はないかもしれない。

でも、それだけで人は「わかってもらえた」と感じる。

それだけで、心の孤独がほんの少しだけ和らぐ。

この家族には、それが決定的に足りなかった。

誰も悪くない。

むしろ、全員が「相手のために」と思っていた。

だけど、言葉がすれ違い、沈黙が積み重なり、理解のない優しさだけが残った。

僕はこの第5話を見て、改めて思った。

家族って、うまくいってるときほど“対話の準備”を怠るものだ。

でも、うまくいかなくなったときには、もう遅い。

この物語は、「壊れかけた家族」がテーマではなく、“気づかないうちに壊れていた家族”の話だ。

それが一番リアルで、一番こわい。

たった一言が、誰かの孤独を止められるかもしれない。

そんな気づきをくれた第5話だった。

ラストシーンの静けさは、絶望ではなく「まだ間に合うかもしれない」という小さな希望だったと、僕は信じたい。

この記事のまとめ

  • 家族全員が孤独なまま正しさを武器にしていた
  • 蝶子の「やめたい」は人生の主導権を取り戻す叫び
  • 晴太はネットにしか居場所を持てなかった
  • 親の善意が子どもの心を追い詰める構造
  • この家族に足りなかったのは“共感”ではなく“理解”
  • 感情の副流煙が家族内で蔓延していた
  • 役割を演じることが本音を遠ざけていた
  • 「誰の気持ちか」を明確に返すことが対話の第一歩

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