兄の恋人を奪えなかった弟が、その喪失を暴力に変えた――。
『最後の鑑定人』第7話は、科学鑑定の限界と、感情という名の闇を描いた物語だ。歩容解析が真実を暴き、DNA鑑定が揺らぎ、最後に人間の「告白」が法廷を揺らす。
この記事では、加害者家族の崩壊と再生というテーマに焦点を当てつつ、弟の動機、兄の選択、そして科学と感情の狭間で揺れ動いた“真実”を読み解く。
- 『最後の鑑定人』第7話の真犯人と犯行の動機
- 歩容解析とDNA鑑定の限界とすれ違いの構造
- 家族の絆では覆いきれない罪と赦しの現実
『最後の鑑定人』第7話の真犯人は弟・憲幸!兄への嫉妬が殺意に変わる
正義はいつも、加害者の中にいるとは限らない。
本当に怖いのは、「ただの感情」が、誰かの命を奪う引き金になることだ。
『最後の鑑定人』第7話で明かされた真犯人は、兄・洋介の弟である憲幸。恋と嫉妬、そして孤独が彼を狂気へと追いやった。
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兄の恋人への想いが暴走した告白シーン
正義はいつも、加害者の中にいるとは限らない。
本当に怖いのは、「ただの感情」が、誰かの命を奪う引き金になることだ。
『最後の鑑定人』第7話で明かされた真犯人は、兄・洋介の弟である憲幸。恋と嫉妬、そして孤独が彼を狂気へと追いやった。
真相が明かされた面会室のシーンは、まるで人間の欲望と後悔の標本だった。
「好きだったんです。紘奈さんのことが…」
憲幸は、兄・洋介の恋人だった紘奈に好意を抱き続けていた。
それだけなら、よくある“片想い”の話だ。
だが彼の感情は、兄の存在が目障りになるほど肥大化していた。
ある日、憲幸は兄の部屋で紘奈に想いを告げる。
「僕じゃダメですか?」
彼女の返答は明確ではなかった。
だがその直後、兄が現れたことで、紘奈は「ごめん」と言い残して部屋を出て行く。
――その瞬間、憲幸の中で“断絶”が起きた。
兄を奪われた、恋も失った。
彼の世界には、もう何も残されていなかった。
彼は紘奈の家を訪ね、想いを伝え、強引にキスをする。
拒絶され、逃げようとする彼女を――殺してしまう。
「感情の行き場を見失った若者が、暴発した」ただそれだけの話かもしれない。
だが、その“ただそれだけ”が、一人の命を奪った。
そして、家族をも破壊した。
「ずっと好きだったんです」──殺人に至るまでの心理描写
憲幸の動機は、決して計画的なものではなかった。
だが、彼の中にあった“劣等感”と“羨望”が、静かに時間をかけて毒になっていった。
彼は兄・洋介の背中をずっと見ていた。
優秀で、恋人がいて、信頼もされていた兄。
一方の自分は、影のような存在。
家庭の中で誰にも気づかれず、理解されず、生きてきた。
それが「好きな人まで兄のものだった」と知った瞬間、感情が破綻するのは自然だった。
だが、その“自然な衝動”は、社会では「殺人」という罪に変わる。
ドラマでは、憲幸が「僕とはもう縁を切ってください」と語るシーンが印象的だった。
すべてを背負う覚悟はある。だが、それを兄・洋介は拒む。
「そんなことできるわけないだろう。お前一人に全部背負わせたりしない」
ここで描かれるのは、血の絆に甘えた“家族の責任”ではない。
愛していたから、見捨てられなかったという、兄としての選択だ。
だけど視聴者としては、どこかで思ってしまう。
「それ、本当に正しかったのか?」と。
紘奈を殺した弟、黙っていた兄。
彼らの沈黙は、加害者家族の自己完結であり、被害者遺族の“声なき怒り”が完全に抜け落ちていた。
ここに感動なんて、あるわけがない。
この回で重要だったのは、「誰が正しかったのか」ではなく、「何が壊れたのか」を見つめ直すことだ。
人間の心は、科学よりもずっと不安定で、ずっと危うい。
だからこそ、この第7話は、“罪と赦しのリアル”を真正面から突きつけてくる。
歩容解析とY-STR法が突きつけた「科学の限界」
真実を暴くはずの「科学鑑定」が、むしろ“誤解”を生んでいたらどうする?
『最後の鑑定人』第7話では、DNA鑑定という“絶対的証拠”が揺らぐ瞬間が描かれた。科学は決して万能ではない。その限界を浮かび上がらせたのが、歩容解析とY染色体によるDNA検査(Y-STR法)だ。
裁判の場で問われたのは、証拠の正確さではない。証拠をどう「読むか」だった。
土門が証言台に立ち、DNA鑑定と歩容解析の“矛盾”を語る場面は、まるで真実そのものが裁かれているようだった。
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/“証拠”とは何かがひっくり返る\
DNA鑑定が示した“偽りの真実”と歩容解析の逆転劇
まず検察が提示したのは、「唾液のDNAが被告人・洋介と一致した」という事実。
これだけ聞けば、もう反論の余地はないように思える。
だが、ここで土門が持ち出したのが、歩容解析だった。
「映像に映っていた犯人と思われる人物と、洋介の歩き方は明らかに違う」
この時点で、“科学同士の食い違い”が発生している。
DNAが「YES」と言い、歩容解析が「NO」と言う。
視聴者はこの板挟みに、奇妙な居心地の悪さを感じる。
どちらも証拠であり、どちらも科学的である――
ならば、何を信じればいいのか?
ここでドラマは、「科学は全てを語らない」という当たり前のことを、極限までエモーショナルに描いてくる。
Y染色体の罠──なぜ父子で一致してしまうのか?
さらに物語は、DNA鑑定の“落とし穴”を暴く。
被害現場に残された唾液のDNA型は、たしかに洋介と一致していた。
だが、それは「Y-STR法」による結果。
この鑑定法には決定的な弱点がある。
父親や兄弟といった直系の男性親族と、DNA型が完全に一致してしまうのだ。
つまり、そのDNAは“洋介のもの”とは断定できない。
犯人が父親であっても、弟であっても、同じ結果になる可能性がある。
ここで重要になるのが、歩容解析だった。
洋介と父は歩き方が違う。だが、弟・憲幸とは――?
科学が出した“曖昧なYES”に対して、土門の証言は鋭く切り込んでいく。
「DNAと歩容解析、両方が完全に一致する人物は、他に一人しかいない」
――その瞬間、弟・憲幸が立ち上がり、すべてを告白する。
これが第7話の核心であり、同時に“科学の限界”を描いた最大の見せ場だった。
科学は証拠を与えるが、それをどう解釈し、どう繋げるかは人間の役目だ。
「科学に答えを委ねすぎると、見えなくなるものがある」というメッセージは、視聴者の胸にも突き刺さる。
今回のエピソードは、サスペンスというより法廷心理劇の域に踏み込んでいた。
証拠の正しさよりも、証言の重みが問われる。
『最後の鑑定人』は、科学と感情の間にある“歪み”を、まっすぐに描いている。
弟を庇う兄の沈黙|家族の絆か、共犯の黙認か?
「家族だから守る」――その言葉の裏に、何人の“真実”が押しつぶされてきただろう。
『最後の鑑定人』第7話で最も苦しかったのは、犯人が弟・憲幸だと知っていた兄・洋介が、最後まで黙っていたという事実だった。
それは家族の絆なのか? それとも共犯の沈黙なのか?
このセクションでは、「兄としての責任」と「人としての良心」の間で揺れた男の葛藤を見ていく。
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/その“庇い”は正義か、共犯か\
「俺たちは家族なんだ」兄・洋介が語る“家族の責任”
法廷で全てが暴かれたあと、拘置所での面会室。
弟・憲幸は、自らすべての罪を告白し、「兄に迷惑をかけたくなかった」「縁を切ってほしい」と語る。
それに対する兄・洋介の返答は、「そんなことできるわけないだろう」だった。
彼は、すべてを知った上で、沈黙を選んだ。
なぜか?
「あの映像を見せられたとき、すぐにわかった。憲幸だって。言わなかった。俺たちは家族なんだ」
このセリフは、胸に来る。
家族という存在の、無償の優しさと、恐ろしいまでの同調圧力が同時に詰まっている。
「見捨てない」――それは美徳であると同時に、“加担”でもある。
弟が人を殺した。その事実を知っていた。
それでも守ろうとした。
――兄は、正しかったのか?
ここで問われるのは倫理でも道徳でもない。
“人間らしさ”とは何かという、もっと根源的な問いだ。
「守ること」が正義ではなく、「共に背負うこと」が家族なのだとしたら、被害者遺族はどこに居場所があるのだろう。
赦すという苦しみ──家族愛という名の暴力
視聴者として、憲幸の犯行動機には共感できない。だが、洋介の選択にも、完全には肯定できない。
なぜなら、その“優しさ”は、加害者家族の内輪だけで完結しているからだ。
兄は「赦す」ことを選んだ。
弟も「償う」と言った。
だが、殺された紘奈は戻ってこない。
彼女の家族が、どんな思いでこのやり取りを聞いていたか――ドラマはそこを描かない。
だが、それこそが最大の“違和感”であり、“闇”だ。
「兄弟の絆が深まった」なんて言葉では、到底くくれない。
“家族の愛”という言葉は、時に誰かを殺す。
本作はそこに真正面から踏み込んできた。
「家族だから庇う」「兄弟だから黙っていた」
それは人間らしい感情かもしれない。
でも、だからと言ってそれが「正義」になるわけではない。
赦しは、加害者が勝手に持ってはいけない。
『最後の鑑定人』は、そうした倫理と感情のすれ違いを、視聴者の胸にそっと投げかけてくる。
ラストシーンの沈黙――あれは“感動”ではなく、“問い”だった。
「あなたなら、家族を守りますか?」
法廷という舞台で“感情”と“証拠”がぶつかり合う
証拠か、信念か。
『最後の鑑定人』第7話が描いた法廷シーンは、単なる推理劇ではない。科学が揺らぎ、人間がむき出しになる空間だった。
検察側が「DNA鑑定がすべてだ」と押し切る一方で、弁護側は「歩容解析」「Y染色体の特性」「他の可能性」に言及する。
ここでは証拠そのものよりも、“どう語られるか”が裁かれていた。
土門の証言、弁護士・相田の問いかけ、そして暴走する被告人。
この一連の流れは、ただの論理合戦ではなく、“真実を暴くための感情の戦い”だった。
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/読みながら裁かれるのは、読者だ\
科学鑑定が通用しないとき、何を信じればいいのか?
「DNA鑑定は絶対だ」
そう信じていた視聴者に、第7話は真っ向から反論する。
Y-STR法の“穴”が指摘され、「完全一致」という言葉がどれほど脆いものかが暴かれる。
歩容解析は、DNAでは覆せない“人間らしさ”を映し出す。
土門の言葉が法廷に響く。
「歩容はその人固有のものです。DNAとは違い、訓練や癖で個性が出る」
この一言が、“科学にできない領域”を突きつける。
それはつまり、人間の「生き方」が証拠になるということだ。
科学は証明をくれる。
でも、感情や過去、行動の癖――そういった「人間そのもの」までは写し出せない。
だから土門は言う。
「Y染色体は一致しても、歩き方は一致しない。だから、彼は犯人じゃない」
このとき法廷が静まり返ったのは、論理に感情が乗ったからだ。
真実に触れた人間の声が、全員の“嘘”を押しのけて、突き抜けたからだ。
検察の圧力と、弁護側の葛藤──それでも真実を叫ぶために
この裁判で、もうひとつ注目すべきは検察の川原(吉田ウーロン太)の姿勢だ。
彼は一貫して「DNAがすべて」というスタンスを崩さない。
その論理は正しい。だが、“正しすぎて冷たい”。
一方の弁護士・相田は、すでに“答え”を知っている。
憲幸が犯人だと知っていても、それを証明する術がない。
だから、土門に賭けた。
このあたりの心理戦も見どころだ。
証拠は揃わない。
感情も不安定。
それでも、彼らは「真実」にたどり着こうと足掻いた。
この姿勢こそが、科学を扱う人間の“倫理”であり、“矜持”だ。
やがて暴かれる真実。
弟・憲幸が叫ぶ。
「僕がやりました!」
――この告白が生まれたのは、科学の力じゃない。
“信じた人の声”が、心に届いたからだ。
このエピソードが訴えていたのは明白だ。
証拠だけじゃ、人は動かない。
「伝えようとする覚悟」があって、はじめて真実が揺らぐ。
つまり――
正しさを決めるのは、知識ではなく、“人の意志”なんだ。
家族という幻想が崩れたとき、残るのは「罪」と「痛み」だけ
第7話のラストは、ある種の“カタルシス”として映った人もいるかもしれない。
だが、あの場面を見て「家族っていいね」とは、とてもじゃないが言えなかった。
むしろ胸に残るのは、取り返しのつかない喪失と、誰にも癒やされない痛みだ。
加害者家族がどれだけ抱き合おうと、どれだけ「もういい」と言おうと、殺された紘奈は戻ってこない。
本セクションでは、“加害者家族の感動劇”の裏側に、置き去りにされた被害者遺族の視点を照らしていく。
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/その絆、本当に美しいか?\
被害者遺族への視線の欠如と、加害者家族の自己完結
洋介と憲幸の兄弟が、面会室で涙を流し合う。
洋介は「俺も悪かった」と自責し、憲幸は「縁を切ってください」とすがる。
確かに、彼らのやりとりには情がある。
けれども、そこには“誰かが殺された”という現実が、ほとんど感じられない。
ドラマがそこに視線を向けないこと自体が、無意識の加害ではないだろうか。
紘奈の家族は、法廷のどこにいたのか。
事件後、何を思い、どんな日々を過ごしていたのか。
作中では描かれなかった。だからこそ、なおさら想像してしまう。
加害者家族が「ひとつになれた」とき、被害者家族は、何を失い、どこへ取り残されるのか。
“家族の絆”を美化することで、事件の輪郭がぼやけてしまってはならない。
人を殺した事実は、誰かの時間を永久に止める。
それを美談に変えてしまう構成には、強い危機感すら覚える。
この結末に「感動」は要らない──真実だけが残った
本作は最終的に、弟の自白によって真犯人が明らかになる。
しかし、そこに“スッキリした感覚”はほとんどなかった。
なぜなら、これは「罪の終わり」ではなく、「始まり」だからだ。
憲幸が償うのは、これから。
洋介が背負うのも、これから。
そして、紘奈の死を真正面から受け止めて生きる者たちの物語は、まだ始まってさえいない。
“家族の再生”という形でまとめられた結末に、違和感を持った視聴者も多いはずだ。
だが、そのモヤモヤこそが正しい。
本来、命が奪われた事件に「納得の着地点」などない。
それでも描きたかったのは、きっと“人は間違える”という現実だ。
それでもなお、繋がろうとする者たちの葛藤だった。
感動が欲しいなら、もっと他の物語を観たほうがいい。
でも、“罪と痛みのリアル”が知りたいなら――
この第7話は、まさにその答えを突きつけてきた。
「悪気はなかった」が人を殺す|すれ違いの連鎖が引き起こす静かな悲劇
この第7話の真犯人・憲幸の動機は、ドラマの中では突飛に見えるかもしれない。
でも少し目線を変えると、日常の中にもよく似た構図は転がっている。
想いを寄せていた人に拒まれる。
親切にしたのに、返ってこない。
ちゃんと伝えたつもりなのに、伝わっていない。
こういう“すれ違い”が積もって、関係が崩れたり、信頼を失ったり、最悪の場合、誰かを傷つける。
憲幸は、兄の彼女である紘奈に気持ちを告げた。
でも彼女の反応はあいまいで、そのあと兄が現れて「ごめん」と言われた。
――その瞬間、彼の中で「裏切られた」と感じるスイッチが入った。
だが実際は、誰も彼を裏切っていない。
紘奈ははっきり断っていないが、拒絶もしていない。
兄は何も知らない。
憲幸は「被害者」ではなかった。
でも彼の主観では、「全部奪われた」「自分は否定された」と思い込んでいた。
これが、すれ違いの怖さだ。
意図的じゃない。悪意もない。ただ、理解がズレただけ。
それが、命を奪う動機になってしまうことがある。
\“わかってもらえない”地獄がここにある/
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/日常と地続きの“崩壊”を読む\
感情の“誤読”が生む地獄──理解されないと、人は壊れる
職場でも、プライベートでも、よくある。
「ちゃんと伝えたのに、わかってもらえない」
「感謝されると思ってたのに、スルーされた」
「正直に話したのに、拒絶された」
こうした経験の積み重ねが、人をゆっくりと壊していく。
それでも、ほとんどの人は“なんとか耐えて”生きていく。
でも、憲幸のように、耐えきれずに暴発する人もいる。
そして暴発する人間の多くが、自分のことを「被害者」だと思ってる。
実際は加害者なのに、そう思い込んでる。
なぜなら、「わかってもらえない」という体験は、それだけ強烈だから。
わかってもらえない。無視された。軽んじられた。
その積み重ねが、誰かにとっては「殺意」となる。
“伝わらない”を放置した結果が、最悪の選択につながる
洋介も、ある意味では“被害者”だった。
弟がどれだけ苦しんでいたかを知らなかった。
それは、弟が何も言わなかったから、でもある。
ただし、兄としてできることはなかったか? と問われたら、ゼロではなかったはずだ。
人の孤独は、周囲の「気づかなさ」によって、より深くなる。
そして、それを見ないまま関係を続けることが、“放置”という形の加担になる。
たとえば、職場で。
毎日黙々と仕事をしていた部下が、ある日突然辞表を出す。
理由は「人間関係」としか書いてない。
でもその裏では、「何度も助けを求めていたのに気づかれなかった」「努力が見てもらえなかった」という蓄積がある。
これは、誰にでも起こり得る“静かな崩壊”だ。
憲幸のように、感情が狂気に変わる前に。
その兆しを、誰かがキャッチできていれば。
紘奈は死なずに済んだかもしれない。
だからこそ、この回は他人事じゃない。
「わかってもらえない苦しさ」と、「伝えようとしない危うさ」が噛み合ったときに、人は壊れる。
悪気がない、が一番怖い。
それを改めて教えてくれた回だった。
『最後の鑑定人 第7話』に見る、科学と家族、そして「赦されない罪」のまとめ
『最後の鑑定人』第7話は、単なる“真犯人の暴き”では終わらなかった。
歩容解析とDNA鑑定という科学のぶつかり合い。
兄弟という「近さ」が生んだ殺意。
そして、そのすべてを包み込もうとした、家族という幻想の崩壊。
このエピソードが問うたのは、「誰が悪いのか」ではなく、「人はなぜ嘘をつき、なぜ赦しを求めるのか」という根源的な問いだった。
兄は弟を庇い、弟は兄に嫉妬し、両親は信じるしかなかった。
だけどその間に、ひとりの命が踏みにじられた。
その命は、愛されていた。未来もあった。
しかし、その人の声は、物語の中でほとんど語られなかった。
だからこそ、このドラマのラストに“感動”は似合わない。
似合うのは、胸の中に残る「違和感」と「痛み」だ。
科学の限界が見えたとき、証拠ではなく「人」が語る真実にこそ意味が生まれる。
そして、“赦す”という行為の重さが、観る者に鋭く問いかけてくる。
「あなたは、本当にそれを赦せますか?」と。
家族という構造は、時に人を守り、時に人を壊す。
だからこそ、物語に描かれるべきは“再生”ではなく、“歪み”だ。
第7話はその「歪み」こそが人間のリアルだと、最後までぶれずに描き切った。
そしてそれこそが、『最後の鑑定人』という作品が提示した、唯一の“救いのない救い”だった。
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/感動じゃない、“痛み”が残る読書を\
- 『最後の鑑定人』第7話の真犯人は弟・憲幸
- 歩容解析とDNA鑑定が真実のズレを暴く
- 家族の絆が“赦し”として描かれる構造
- 被害者遺族の視点が抜け落ちた違和感
- 法廷で問われたのは証拠ではなく人間性
- 「悪気はなかった」が起こす日常の悲劇
- 感情の誤読が連鎖して生まれる崩壊
- 再生よりも“歪み”を描いた異色の回
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