警視庁SSBC強行犯係が追う最後の事件は、22年前の銃殺事件へと繋がっていた——。
ドラマ『大追跡』最終回では、詐欺グループのリーダー・坂崎龍と天才ハッカーの弟・蘭、そして警察内部の“漏洩”をめぐる重すぎる過去が明かされました。
この記事では、公式サイトや配信情報をもとに最終話のあらすじを丁寧に要約し、そこに潜んだ“構造的な闇”を読み解きます。物語を“心”で味わい、“構造”で紐解く──。あのラストの意味を、もう一度。
- ドラマ『大追跡』最終回の真相と事件の全貌
- 坂崎兄弟の過去と“情報犯罪”がもたらした悲劇
- 登場人物たちの内面に潜む正義と罪のゆらぎ
坂崎兄弟が背負った22年前の罪──その正体は「少年による国家ハッキング」だった
静かに開いた“過去”という名のパンドラの箱。
ドラマ『大追跡』最終回で明らかになったのは、「ただの年金詐欺」や「警察官殺し」の枠では収まらない、国家機構と少年による犯罪の“接触点”だった。
それは、22年前。ネット黎明期の日本で、14歳の少年が偶然か意図か、“権力の心臓部”に触れてしまった瞬間の物語でもある。
ハッカー・坂崎蘭が14歳で侵入した先は「警察官のPC」だった
物語の核心にいたのは、坂崎蘭(渡邊圭祐)──年金詐欺グループのリーダー・坂崎龍(板橋駿谷)の実弟。
最終話では、SSBCによる家宅捜索の結果、25年前の古いパソコンが発見され、その中に残されたデータにより、22年前のある“電子的痕跡”が明らかになる。
それは「警視庁の石沢」という警察官のパソコンに対して、14歳の蘭がハッキングを仕掛けていたという記録だ。
石沢はすでに亡くなっており、事件の真相を語ることは叶わない。だが残されたメールデータやアクセス記録が、“一人の少年が国家機関に踏み込んだ”という事実を裏付けている。
この出来事は、SSBCの中でも当初は「都市伝説」のように扱われていた。
だが名波凛太郎(相葉雅紀)は、久世官房長官(佐藤浩市)との非公開の対話から、この事件にまつわる政治的タブーの存在を知る。
彼が言い残した言葉は、ドラマのトーンを根底から変えた。
「権力を持つ人間は、常に自信に満ち溢れながら、同時に怯えている」
その情報は兄・龍に渡され、1億円強奪と殺人計画が動き出す
では、なぜ少年のいたずらが「殺人」へと繋がったのか。
SSBCの捜査で浮上したのは、兄・坂崎龍の存在だった。
蘭のハッキングにより得られた“極秘情報”──それは、ある日の覚醒剤取引の情報であり、捜査員がホームレスに扮して現場に潜入していたという詳細な内容を含んでいた。
情報は龍の手に渡り、「警官に扮したホームレスを襲撃し、金を奪う」という凶行が実行される。
これはもはや詐欺や強盗ではない。
情報テロによって誘発された「権力転覆に近い暴力」だった。
加えて、坂崎兄弟のメール記録には、次のような文言があったことも確認されている。
「ぶっ殺すぞ。俺はまだあのピストルを持っているんだ。」
これは5年前の兄から弟へのメッセージだが、その中に22年前の拳銃を“保持している”という示唆が含まれていた。
最終回で登場する防犯カメラ映像(大崎駅)や乗降記録などからも、実際に兄がその拳銃を移動中に携帯していた可能性が高いことが示唆される。
蘭は、取り調べの中で泣き崩れながらもこう告白する。
「いやだ! 震えて生きてきた。あのマンションで、誰とも会わず…」
遊び半分だったのかもしれない。少年はただ、ネットの世界で“覗いた”だけだったのかもしれない。
だが、それが兄という“火薬”に渡った瞬間、引き金が引かれた。
この物語が語ろうとしたのは、「悪意」の話ではない。
**情報がどれほど“人間を狂わせるか”という、現代的寓話だったのだ。**
最終回の中で、伊垣修二(大森南朋)が吐いた言葉が、視聴者の心を突き刺す。
「22年間、まともな人間になる時間は十分にあった。裁判でどんな判決が出ようが、お前に誰も同情しない。それは、お前自身が自分に下した罰だからだ。」
この兄弟は、それぞれ別の“檻”に入っていたのかもしれない。
兄は過去に、弟は沈黙に。
そして私たちは──その二人の背中に、どこか自分自身の弱さを見てしまうのだ。
誘拐事件の真相と、加茂銃撃の犯人は誰だったのか
事件はただ“終わり”へ向かっていたわけじゃない。
むしろ最終回は、過去が現在へと手を伸ばし、未解決の感情と罪が生々しく立ち上がってきた瞬間だった。
青柳遥(松下奈緒)の誘拐と、元警察官・加茂雄作(螢雪次朗)銃撃事件。この二つは“別の事件”のようでいて、実は一本の線で繋がっている。
青柳遥を拉致した理由は「証言者消し」か「警察への挑発」か
最終回の冒頭、青柳は単独行動の末、特殊詐欺グループのアジトに足を踏み入れる。
その直後、彼女は何者かにナイフを突き付けられ、頑丈な木箱に閉じ込められたままトラックで運ばれ、そのまま室温60度の密室に監禁される。
──これは「証人潰し」なのか?
それとも、警察への強烈なメッセージ=“俺たちはどこにでも潜んでいる”という挑発だったのか。
この問いに、SSBCの伊垣(大森南朋)や名波(相葉雅紀)は即座に反応する。
「馬鹿野郎、死ぬところだったんだぞ」
救出ののち、青柳は言う。「またあなたに助けられるとはね」と。
これは単なる皮肉ではない。SSBCという新しい警察組織が、“旧来のルール”に挑む覚悟を背負っていることを、彼女自身が理解した瞬間でもある。
拳銃の出どころ、大崎駅の3分間、そして監視カメラの映像
そして、加茂雄作銃撃事件。
この事件の真相は、「22年前に使用された拳銃」が今も使われたということに集約される。
その拳銃は、22年前に未成年の龍が警察官を撃った時に使ったものとされており、未だ処分されていなかった。
ここで浮上するのが、大崎駅の防犯カメラ映像。
加茂銃撃が起きた五反田からの移動経路上にあたる大崎駅で、坂崎龍の姿が約3分間滞在していた記録が残っていた。
3分。
人間がコインロッカーに何かを出し入れするには、十分すぎる時間だ。
この点について、SSBCの捜査資料は明確にこう示唆している。
「事件後、大崎駅のロッカーに拳銃を隠した可能性が高い」
この時点で、龍が加茂を撃った拳銃を“保持していた”という状況証拠は揃った。
さらには、弟・蘭との間でやり取りされたLINE──
「まだあのピストルを持っているんだ」
この発言は、法的には“脅迫”かもしれないが、物語的には“沈んだ真実の浮上”だった。
22年間、どこにも吐き出せなかった罪悪感。
使われなかった拳銃。
──それは兄弟それぞれの中に、時間が止まったまま残っていた。
加茂を撃ったのは、衝動ではない。
それは22年間封印されていた“過去の続きを描こうとした”一発だった。
最終的に、SSBCが押収した拳銃の鑑定によって、事件との関与が立証されることになる。
だが物語として重要なのは、そこではない。
青柳が、蘭に問いかけたあの言葉こそが、このセクションの核心だ。
「ずっと震えて生きてきたでしょ?あのタワマンで、たった一人で」
犯人とは、法で裁かれるもの。
でも“罪”とは、心が裁くものだ。
そう、『大追跡』が最終回で描いたのは、ただの逮捕劇ではなかった。
この国で、「過去の罪」と「未来への贖罪」がどう共存できるか。
それを問いかける、“社会派の皮をかぶった心理劇”だったのだ。
なぜ久世官房長官はこの事件に固執したのか──「政治の正義」と「甥への託し」
正義とは、どこまでが「清く」、どこからが「汚い」ものなのか。
『大追跡』最終回の最大の問いは、坂崎兄弟や拳銃ではなく、久世俊介官房長官(佐藤浩市)がなぜ22年前の事件にこだわり続けたのか──そこにあった。
それは“警察の不正”でもなければ、“兄弟の闇”でもない。
国家という“巨大な仕組み”のなかで、人がどう振る舞うべきか、その矛盾と信念の狭間だった。
ホームレスに扮した警察官の死、それは捨て駒か偶然か
物語の発端となった22年前の事件──。
表向きには、ホームレスが暴力団関係者により射殺されたという、単なる“過去の未解決事件”だった。
だが、そのホームレスは「捜査員」であり、久世の部下だった。
しかも、その殺害には、内部情報を得た犯罪者が事前に現場を把握していたという疑惑がある。
その情報は、14歳の坂崎蘭が石沢という警察官のパソコンをハッキングして得たもの。
名波が久世に問いただす。
「なぜこの事件だけ、ずっと掘り返していたんですか?」
久世は答える。
「22年前、警察の情報が少年に抜き取られたんだぞ。
このことが世に出れば、私の首も飛ぶ。
警察も、国家も終わる。だから埋めるしかなかった」
これは、“権力者の自己保身”なのか?
それとも、国家という仕組みを守るために必要な“嘘”だったのか。
ホームレスとして殺された捜査員は、何も知らされず、囮として使われた。
まるで“捨て駒”のように──。
だが久世は、それを「正義の犠牲」と言い換えた。
久世の本音:「国家とは常に怯えている存在」
ラスト、居酒屋「しず」で女将が語る。
「あの日、久世さんは黙って酒を飲んでて…
ぽつんと“死ぬなよ、加茂さん”ってつぶやいたの」
この一言に、久世という人間の本音が滲んでいた。
久世は、組織の中で「守るべきもの」があまりにも多すぎた。
それゆえに、誰かの死を見逃すことも、黙っていることも選んだ。
そのうえで、名波にこう言い残す。
「国家とは、自信に満ち溢れながらも、常に怯えている存在なんだ。
それが権力を持つ者の宿命だ」
正義を振りかざす側が、最も不安を抱えている。
この言葉は、名波だけでなく、視聴者にも強烈な“静かな衝撃”を与える。
彼は政治家であり、組織人であり、叔父であり──
そして、名波凛太郎という青年刑事の“未来”に最後のバトンを渡す者でもあった。
それが、「情報漏洩をした14歳の少年」と「1億円を奪った兄」の物語と交差したことで、ドラマは単なるサスペンスから、“人間の正義と怯え”を描いた詩へと昇華していく。
久世は、犯人でも救世主でもない。
ただ、誰よりもこの国を知っていた男だった。
──その事実だけが、彼の罪と赦しを同時に語っている。
兄弟の“5年ぶりの接触”と、壊れていたはずの絆の真相
人は、時間が経てば忘れる。
でも、本当に忘れるのは“他人のこと”だけだ。
自分の中の罪、傷、そして誰かとの繋がりだけは、どんなに年月を経てもどこかに残っている。
『大追跡』が描いた坂崎兄弟の物語は、まさにその“残ってしまった感情”の連なりだった。
LINEのやりとりに残る「ピストル」への執着
SSBCが追跡した坂崎龍と坂崎蘭の関係性には、予想外の「近さ」と「遠さ」があった。
表向きには5年間、兄弟は会っていないとされていた。
だが、デジタルの記録は嘘をつかない。
5年前に交わされたLINEメッセージ。
「ぶっ殺すぞ。俺はまだあのピストルを持ってるんだ」
──ピストル。
22年前に警察官を撃った、あの拳銃。
兄・龍はその存在に執着していた。いや、むしろその拳銃だけが“過去の自分”と繋がっている唯一の証明だったのかもしれない。
そのメッセージの先に、弟・蘭の返信はなかった。
でも、返信しないことで蘭は「縁を切った」のではない。
沈黙という名の、静かな“服従”だった。
兄の言葉が怖かった。
でも同時に、あの日、パソコンの向こうで彼に見せた警察情報が、自分のせいで誰かを殺したかもしれないという罪悪感が、蘭を縛っていた。
弟は震えていた。兄は壊れていた。そして、どちらも孤独だった
取り調べの中で、青柳遥が放った言葉が蘭の心を刺し貫く。
「あなたは震えて生きてきたんでしょ? あのタワーマンションで、誰とも会わずに。」
坂崎蘭は、それに「嫌だ」と繰り返し泣いた。
天才ハッカーと呼ばれた少年は、情報の海の中で自分の罪から逃げ回っていた。
人と会わず、感情を閉ざし、物理的なセキュリティだけを高めて。
それでも、罪だけはファイアウォールをすり抜けてくる。
一方の兄・龍。
彼は詐欺師として生きていた。
だが本当は、22年前のまま“少年犯罪者”として止まっていた。
拳銃を捨てられなかったのも、罪を認めなかったのも、
すべては「自分を今ここに繋ぎとめてくれる何か」を必要としていたからだ。
──それが、「弟」と「銃」だった。
ラストの取り調べで、青柳が問う。
「あなた、弟を裏切ったと思ってるの? それとも、弟に裏切られたと思ってるの?」
龍は答えない。
ただ、取り調べ室の机を強く叩き、掴みかかろうとする。
それは怒りではなく、“壊れた兄”が見せた最後のSOSだった。
この兄弟は、何が間違っていたのか。
何を許されるべきだったのか。
その答えは、視聴者ひとりひとりの心に託されたままだ。
ドラマ『大追跡』は、家族とはなにか、過去とはなにかを問いかけるサスペンスの皮をかぶった“贖罪の寓話”だった。
この兄弟に、“和解”なんて言葉は用意されていない。
だが、取り調べ室の沈黙だけが、確かにその距離を測っていた。
SSBCが掴んだのは「事件の真相」か、それとも「未来の芽」か
事件は解決した。
拳銃も、兄弟も、22年前の真実も、すべてが白日の下に晒された。
でも──それで「終わった」と言えるのか。
『大追跡』というドラマが最後に投げかけてきたのは、“正義のその先に何があるか”という問いだった。
名波凛太郎が背負う「正義」と「失望」の二律背反
名波凛太郎(相葉雅紀)は、物語の中で“成長”したわけではない。
彼は変わらなかった。
ただ、世界の「不確かさ」と「汚れ」を、ほんの少し知ってしまっただけだ。
久世官房長官(佐藤浩市)から語られる22年前の事件。
その裏にあったのは、少年が犯したハッキングという罪と、それを“握り潰す”ことで守ろうとした国家の姿。
名波は、それを理解しながらも黙って立ち去る。
感情では納得できない。
でも、立場上は飲み込まなければいけない。
正義を信じる者が、正義によって傷つく──それが彼の背負った矛盾だ。
葛原(光石研)はそんな名波に言う。
「失望してしまったとしても、名波くんは変わりませんよ」
それは、“信じること”が持つ唯一の美しさを、ギリギリの言葉で支える優しさだった。
SSBCという組織も、名波という人間も、完全ではない。
だが、完全でないからこそ、歩き続けるしかない。
シリーズ化の可能性と、視聴者が望む“次なる一手”
最終回を終えて、多くの視聴者が感じたのは「このメンバーで、また見たい」という想いだろう。
伊垣(大森南朋)と名波(相葉雅紀)の緊張感あるバディ。
青柳(松下奈緒)の孤独と信念。
脇を固める小山田(高木雄也)や光本(足立梨花)、八重樫(遠藤憲一)のクセ強キャラ。
そして、“事件の裏にある社会構造”へ切り込むドラマ構成。
『大追跡』という作品は、単なる刑事ドラマとして終わるには惜しすぎる。
むしろ、ここからこそが“スタート”でもある。
シリーズ化に関して、現時点で公式発表はない。
だが、SNSやドラマレビューサイトでは、「これは単発で終わらせるべきじゃない」「スピンオフでも見たい」などの声が多く見られる。
そしてそれは、事件よりもキャラクターに惹かれたという、ドラマとしての“強さ”の証明でもある。
『大追跡』が次に描くとしたら、それはもう「事件解決」ではないだろう。
情報社会における正義、家族の再生、個人と国家の距離。
この世界をどう生きていくか、を問う新たな章になるはずだ。
そして、名波はそこでも変わらず正義を信じて、また失望して、また歩き出すだろう。
それこそが、“今の日本”で正義を語る者の唯一のかたちなのだから。
青柳遥という名の“静かな加害者”──罪を追う女が抱えていたもの
『大追跡』の最終回、あるいはシリーズ全体を振り返ったとき、どうしても引っかかってしまう登場人物がいる。
それが、青柳遥(松下奈緒)だった。
誘拐され、命の危機に晒されながらも職場に復帰し、冷静に犯人と向き合い、事件を解決へと導いていく。
その姿は「優秀な女性刑事」そのものだった。
でも、そこに違和感がある。
あまりにも感情を見せなさすぎる。
そして、あまりにも“他人の罪”ばかりをまっすぐ見つめていた。
それはつまり、自分の罪から目を逸らしていたんじゃないか?
罪を裁く側にいる人間は、いつだって“無罪のフリ”がうまい
青柳が劇中で何度も口にするのは、犯人たちへの問いかけだ。
「本当に知らなかったの?」
「あなた、震えて生きてきたんでしょ?」
「そのままでいいと思ってるの?」
どれも的確だし、鋭い。正論だ。
でもその言葉の裏に、妙な“跳ね返りのなさ”を感じていた。
まるで、青柳自身が感情を使わずに会話をしているような、不自然な硬さがある。
誘拐された直後のシーン、命を救われた直後にも関わらず、感謝も怒りも涙も、どこにもない。
ただ淡々と「またあなたに助けられるとはね」と皮肉のような言葉を残すだけ。
それは、強さか?
いや、これはむしろ“鈍さ”だ。
自分の痛みに鈍感な人間は、他人の痛みにも鈍くなる。
つまり──
青柳遥は、「他人の罪を追うことで、自分を保っていた」んじゃないか。
“娘の母”として、“元妻”としての罪には、誰も触れない
このドラマで唯一、青柳のプライベートに触れる描写がある。
それは、彼女の娘・美里が、伊垣に「お母さんと連絡が取れない」と伝えるシーンだ。
つまり、美里は、母の居場所を知らない。
そして、青柳は「誘拐されていたのに」、娘に自ら連絡する描写がない。
なぜだ。
命の危機に晒された直後、最初に連絡すべきは娘ではなかったか?
なぜ彼女は、母としての顔を、最後まで見せなかったのか。
誘拐された。
死にかけた。
でも、それは「他人からの暴力」だった。
では、青柳が自分の娘に、あるいは元夫にしてきた“心の距離”は、暴力ではなかったのか。
ずっと独りでいた。
仕事に逃げた。
正義という肩書きの中で、感情を殺して生きていた。
それって、他人の命を奪うのとは違うかもしれないけれど、“心を置き去りにする罪”だよなと。
劇中、誰もそのことを咎めない。
でも、視聴者の一部には、確かにモヤモヤとして残ったはずだ。
正義の側に立つ人間も、聖人じゃない。
いやむしろ、正義を強く語る者ほど、「自分に目を向けられない脆さ」を抱えている。
坂崎兄弟の罪が大きければ大きいほど、それを追った青柳の“透明な罪”が、静かに浮かび上がってくる。
正義を執行する手は、ときに冷たい。
それは罪人に向けられた手かもしれないし、
家族の手を、握り返せなかった手かもしれない。
どちらも、きっと、同じ罪だ。
『大追跡 最終回』と検索したあなたへ贈る、希望と問いのまとめ
あなたが今、「大追跡 最終回」と検索した理由は何だろう。
犯人が誰だったのか知りたかった?
ラストシーンの意味を確かめたかった?
それとも、何か自分の中に引っかかった感情を、誰かに言葉にしてほしかったのか。
このページにたどり着いたあなたに、私はひとつだけ伝えたい。
『大追跡』が描いたのは、事件の解決じゃない。
それぞれの“正義”が、誰かの“罪”や“過去”や“生きづらさ”とどう交差していくのか──その道のりを見せてくれた作品だった。
坂崎蘭という少年が、遊び半分で起こしたハッキング。
坂崎龍という兄が、それを武器に変えた日。
青柳が、死の淵から戻ってきたことで見つけた強さ。
伊垣が、信念という言葉を背負ったままぶれなかったこと。
そして、名波凛太郎という青年が、正義と失望を両手で抱えながら、歩くことをやめなかったということ。
──それらすべてが、最終回に凝縮されていた。
だから私は思う。
『大追跡』は、“終わった物語”じゃない。
私たちの日常に、“問い”を残していった物語なんだ。
- 正義とは、誰のためにあるのか?
- 罪とは、何によって赦されるのか?
- 国家とは、個人の未来を奪う存在なのか、それとも守る存在なのか?
たとえシリーズがここで一区切りになったとしても、私たちの中の“続きを考える力”は失われない。
ドラマが終わっても、問いは終わらない。
それこそが、良質な物語が持つ“後味”の力だ。
名波凛太郎のように、あなたもまた、自分の中の“正義”に向き合っている最中なのかもしれない。
そしてもし、今日という日がちょっとだけ生きづらい日だったなら──
このドラマが、あなたの“追跡”にそっと寄り添ってくれますように。
それが、この記事を書いた私のひとつの願いです。
- 22年前の警察官銃殺事件と現在の事件が繋がる展開
- 天才ハッカーの少年が国家機関をハッキングしていた事実
- 兄弟の絆と罪が22年越しに再起動するドラマ構造
- SSBCの捜査が暴く“情報”と“正義”の危うい関係性
- 名波凛太郎が背負った「正義」と「国家の嘘」の対立
- 久世官房長官の沈黙が語る“権力の怯え”と宿命
- 弟・蘭の内面にある“震えていた時間”の重み
- 女性刑事・青柳遥が抱える見えない“心の加害性”
- 視聴後に“続きを考えたくなる”問いを残すラスト
- シリーズ化への期待と、キャラクターの余白の深さ
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