「人を殺したのに、悲しそうな顔をしていた。」
Huluで独占配信された『恋は闇』オリジナルストーリー第2話は、そんな矛盾だらけの人間・唯月(望月歩)を深くえぐる法廷劇だ。
暴かれたのは、母に笑ってほしかっただけの少年の“歪んだ祈り”と、その果てにある「愛」の壊れたかたち。
そして、万琴(岸井ゆきの)と浩暉(志尊淳)の恋は、あの桜の木の下で、何を語りかけてくるのか──
- Hulu版『恋は闇』で描かれる唯月の過去と殺人の動機
- 万琴と浩暉の再会に込められた“沈黙の意味”
- 暴力と愛が交差する家族の崩壊と感情の行方
殺人鬼・唯月の“歪んだ愛”──動機は母への祈りだった
「お母さんが笑ってるだけでよかったんだ。」
それが、殺人鬼・唯月の根底にあった“願い”だと知ったとき、私は画面の前で動けなくなった。
Huluで配信されたオリジナルストーリー第2話は、法廷という舞台で、唯月という少年の心の奥に封じ込められていた“愛のかたち”を白日の下にさらけ出していく。
暴かれた過去:DVとトラウマが彼を作った
唯月は母・晶子とふたりきりで暮らしていた。
母はいつも笑っていたし、唯月もそれを守るために生きていた。
しかし、それは彼の記憶が作り上げた“物語”でしかなかった。
法廷で明かされたのは、暴力の記憶だった。
唯月が4歳の頃、彼の父親は家族に手をあげるようになった。
「お前のせいでキャリアが潰れた」と罵りながら、幼い息子にも暴力を振るったという。
その言葉が、唯月の中に「自分が母を不幸にしている」という原罪の意識を根付かせる。
この幼少期のトラウマが、彼の“生きる目的”を母の笑顔に集中させた。
「お母さんが笑っていれば、すべては正しい」。
その一心で、唯月は人生の舵を取り続けていた。
でも、そうした純粋さが、一歩間違えば凶器に変わることを、彼は知らなかった。
理想の母を創造し、守るために手を汚した
唯月の犯行は、「狂っていた」と一言で片づけられるものではない。
そこには、母を理想化しすぎた末の崩壊があった。
14歳のとき、母が再婚を考えていることを知った。
それは、彼にとって「唯一無二の笑顔の女神」が“他の人生”を選ぼうとしていることを意味していた。
さらに、キャリアウーマンである設楽久美子に母をバカにされたことで、「母の敵」=「キャリア女性」という構図が彼の中に芽生えた。
唯月は、自分の中で「母を守る」という目的に正当性を与えるため、敵を作った。
それが、「社会の中で強く輝く女性たち」だった。
ここで重要なのは、彼が社会的な階層や性別に対して直接的な憎悪を持っていたというよりも、「母を否定するもの」を無意識に分類し、排除しようとしたことだ。
つまり、殺人は彼なりの“母への忠誠”だった。
それがいかに歪んでいようとも、彼はそれを愛と信じて疑わなかった。
そして、最終的に母自身が自分を拒絶したと知ったとき──
彼の“理想の母”は崩れ、現実の母の首を自らの手で絞めた。
それは殺意ではなく、夢を守るための最後のあがきだったのかもしれない。
現実を受け入れられないまま、心の中で“物語”だけを信じ続けた少年の、哀しい終焉だった。
「母が笑っていてくれたら、それだけでよかった。」
彼のこの言葉は、狂気の叫びではない。
歪んだ愛が導いた、最も人間的な叫びなのかもしれない。
法廷で崩れた「親子の真実」──なぜ唯月は母の首を絞めたのか
唯月が母の首に手をかけた瞬間、私は直感的にこう思った。
ああ、これは“殺意”じゃない。
もっと恐ろしい感情、たとえば「愛が崩れた瞬間の絶望」が彼を突き動かしたのだと。
母の証言が突きつけた“現実”との決別
法廷は、物語の終わりではなかった。
それは、唯月が現実と向き合わされる“現場”だった。
母・晶子の証言は、どこか静かで、淡々としていた。
でもその中には、唯月が目を背けていた現実が詰まっていた。
晶子は、自分と息子が暴力を受けていたことを語り、「全部私の責任」と涙ながらに謝罪した。
そして、かつて息子の部屋で血のついたレインコートとナイフを見つけながらも、通報しなかったことも明かした。
母は、見て見ぬふりをしていた。
母は、唯月を信じていなかった。
唯月にとって、それは世界の崩壊だった。
彼は“母はすべてを受け入れてくれる存在”だと信じていた。
でも、晶子の言葉から浮かび上がってきたのは、弱くて、恐怖に支配された“ただの一人の女性”だった。
その瞬間、唯月の“母”は死んだ。
いや、“理想の母”が、壊れてしまった。
母を守りたかった少年の心が壊れた瞬間
なぜ、唯月はあの場で晶子の首を絞めたのか。
それは、怒りでも憎しみでもなく、「守り続けてきた夢を否定された」衝動だったと思う。
彼の中には、崇拝する母の像があった。
その像が、晶子の証言で粉々に砕け散った。
「お母さんは笑ってくれてるはずだった」
「僕を守ってくれていたはずだった」
──そうじゃなかった。
だから、彼は壊れた。
それは、殺人衝動ではない。
「もう一度、夢の中の母に戻ってほしい」という願いだったのかもしれない。
だが現実は容赦ない。
法廷警備員に止められた唯月の目には、怒りではなく、絶望しか映っていなかった。
裁判官が死刑を言い渡したとき、彼はすでに「人」として終わっていたのかもしれない。
法廷という現実の中で、「母の幻影」を守るために生きてきた少年は、ようやく現実と対峙した。
──そして、その瞬間に壊れた。
「なぜ彼は母の首を絞めたのか?」
答えは、彼が守りたかったのが“母の命”ではなく、“母の笑顔”だったからだ。
それが壊れた瞬間、彼にはもう何も残っていなかった。
万琴と浩暉の再会──桜の下で語られなかった「許し」
春、桜が満開の公園。
あの穏やかな光景の中に、静かに佇むふたり──万琴と浩暉。
けれどその背後には、罪と後悔、そしてまだ癒えていない傷が重なっていた。
仮釈放という現実と、交差する2人の視線
浩暉が戻ってきたのは、きっと5年ぶりくらいだったのだろう。
刑期の3分の1を終えたタイミングでの仮釈放──数字だけを見れば制度上の話だが、その裏には彼の更生と後悔の深さがある。
再会の場に選ばれたのが「桜の木の下」だったのは、偶然じゃない。
それは、過去の記憶と未来の希望が交差する場所だった。
万琴は最初、微笑むような目をしていた。
でもその目の奥には、“この人を本当に許せるのか”という迷いがあった。
浩暉もまた、過去に対して誠実だった。
語られなかったけれど、その沈黙の中に、「もう一度信じてもらいたい」という必死の叫びがあった。
ふたりの視線が交わる。
でもその間にあったのは、“愛”ではなく“赦し”という名の崖だった。
「もう普通には戻れない」恋の続き
『恋は闇』というタイトルが示すように、この物語には明るい恋愛は存在しない。
そこにあるのは、過ちを背負った人間同士が、互いの“罪”をどう扱うかの問いだ。
万琴にとって浩暉は、かつて信じた人であり、同時に“裏切られた過去”でもある。
浩暉にとって万琴は、“許されたい存在”であり、“もう一度繋がりたい希望”だった。
でも、あの桜の下で交わされた「目線」以上の言葉は、最後まで語られなかった。
たぶんそれが、この物語の“答え”なんだと思う。
すべてを言葉にすれば楽になれるかもしれない。
でも、過ちや傷には、言葉にならない部分が必ずある。
だからこそ、ふたりはただそこに“居た”。
ただ同じ風景の中で、同じ空気を吸い、同じ桜を見ていた。
それが、「許す」でも「忘れる」でもない、新しい“恋の形”なのかもしれない。
私たちも、誰かに傷つけられた記憶や、裏切られた過去を抱えたまま生きている。
それでも、“隣にいてくれる誰か”と同じ桜を見上げられる日が来たなら──
それはきっと、許しではなく、共に歩き出すという選択なのだ。
唯月の犯行に見え隠れする“父の影”──キャリア女性への憎悪の理由
殺人鬼・唯月の犯行動機を“母への愛”だけで語ることはできない。
そこにはもうひとつの決定的な影──父親の存在があった。
そしてその影は、彼の中で「社会」と「女性」を憎む構造へとすり替えられていく。
学歴コンプレックスと暴力の遺伝
唯月の父は、自分のキャリアが潰れた原因を、家族──つまり妻と息子に転嫁した。
「お前たちのせいで、俺は何も成し遂げられなかった」
そう言って暴力を振るい続けた。
この言葉が、どれだけ幼い唯月の心を支配したか。
「お母さんを苦しめたのは自分のせい」
その感覚が、自責と罪悪感という名の“重し”になっていく。
そしてもうひとつ──唯月はその父親の暴力性を、無意識のうちに“継承”していた。
彼は、父のようにはなりたくないと強く願っていた。
でも、心の奥に埋め込まれた“暴力”の回路は、皮肉にもそっくりだった。
これはいわば、「望んだ未来の裏側で起きていた、感情の遺伝」だったのかもしれない。
社会への怒りを母の“敵”にぶつけたロジック
唯月が殺したのは、“社会的に成功した女性”たちだった。
その選定には、感情よりも、論理的な理由が存在している。
──成功したキャリア女性を見ると、父親の怒りを思い出す。
──その怒りは、母に向かっていた。
──だから、自分は“母の敵”であるキャリア女性を排除する。
このロジックは、狂っているようで、ある種の“整合性”がある。
彼の中では「社会の理不尽」が、母の苦しみと結びついていたのだ。
それが極端なかたちで表出したのが、殺人だった。
唯月は殺人を“正義”だと思っていた。
「母の笑顔を奪うものを排除する」
それが、彼なりの世界の整え方だった。
ただ、その“正義”は、彼が抱える怒りの対象を誤っていた。
本当の怒りの矛先は、家庭を破壊し、自分に暴力を刻みつけた父親に向けられるべきだった。
しかし、彼は父を憎むことができなかった。
だからこそ、「父の代わりに社会を、そして女性たちを殺した」。
唯月の犯行は、“暴力の連鎖”が個人の心をどう侵食していくのか、その象徴だった。
そして同時に、社会構造の中で取り残されたひとりの少年の、歪んだ反撃でもあった。
彼は父に、母に、社会に、そして自分自身に、復讐したのだ。
──すべてを終わらせるために。
傍聴席の万琴が見ていたのは“事件”じゃない、“愛の遺体”だった
法廷で語られたのは、唯月という少年がどれだけ壊れていたか、そしてどうしてそこまで歪んでしまったか。
でも一番リアルだったのは、実はその横で傍聴していた万琴のまなざしだった。
彼女は事件を“見に来た”わけじゃない。たぶん、人の心が壊れていく“その瞬間”を、この目で確かめに来たんだと思う。
愛に“居場所”がなかった世界で、誰もが孤独だった
唯月の母・晶子は、息子を守りたかった。でも同時に、その息子の目から逃げた。
浩暉は、万琴を信じたかった。でも傷つけることでしか、自分の存在を示せなかった。
そして万琴は、ずっと誰かの愛の“副作用”ばかり受け取ってきた。
たぶんこの物語の登場人物たちは、誰も「愛されることに慣れていなかった」。
愛されるって、思っているよりずっと怖い。期待されて、見られて、応えなきゃいけない。
でも本当は──誰だってただ「一緒にいてほしい」だけだったのかもしれない。
傍観することでしか“感情”に近づけない人もいる
万琴が唯月の裁判を見に来たのは、好奇心でも正義感でもない。
あの静かな傍聴席に座る彼女は、感情の残骸を拾うようにして、人の心のかけらを探していた。
自分の中にまだ何か残っているのか。
人の“壊れた愛”を見て、自分の“壊れた恋”にどんな答えが出せるのか。
たぶんそれを、確かめたかっただけなんだと思う。
感情って、真正面から受け止めるよりも、他人の姿を通して遠回りしたほうが、ちゃんと響くことがある。
万琴のまなざしがそれを教えてくれた。
『恋は闇 Hulu版』で描かれた“壊れた愛”と“救われなかった心”のまとめ
『恋は闇』という物語は、最初から最後まで“愛”の話だった。
それは決して、幸せな愛や、誰かと手を取り合うような恋の物語ではない。
ねじれた感情、ゆがんだ正義、そして壊れたまま放置された心の物語だった。
唯月は、母を守ろうとした。
浩暉は、万琴を裏切りながらも、もう一度向き合おうとした。
万琴は、傷を抱えたまま、それでも目の前の人を受け止めようとした。
でも、誰ひとりとして「救われた」とは言えない。
ただ、そこに“人間”がいた。
不器用で、壊れやすくて、それでも誰かを想い続けていた人たちがいた。
Huluオリジナルストーリー第2話が突きつけたのは、「愛が人を救う」とは限らないという冷酷な現実だった。
むしろ、愛が人を壊すことすらあるという事実だった。
でも私は、そこにこそ“人間らしさ”があると思った。
きれいに救われる物語ではなく、傷を抱えたままでも前を向く人たちの姿に、胸を打たれた。
ラストシーン、桜の下で再会した万琴と浩暉は、何も語らなかった。
でも、その沈黙の中に、「もう一度信じてみようか」という小さな願いが確かに存在していた。
『恋は闇』は、その名のとおり闇の物語だ。
でもその奥には、光になれなかった感情たちが確かにあった。
そしてそれは、私たちが日常で飲み込んでしまった無数の感情──
言葉にならなかった後悔や、誰にも言えなかった思い──とどこかで重なっている気がする。
救われなかった心がそこにあるからこそ、私たちはこの物語に引き寄せられたのだろう。
そして、物語を見終えたあと。
もう一度、自分の中の“壊れた愛”に、そっと目を向けたくなる。
- Hulu版『恋は闇』第2話の徹底考察
- 殺人鬼・唯月の動機と過去の暴力の連鎖
- 母への歪んだ愛と理想像の崩壊
- 法廷で明かされた“現実”との断絶
- 万琴と浩暉の再会に込められた沈黙の意味
- キャリア女性への憎悪と父親の影の継承
- 傍聴席の万琴が見ていた“感情の遺体”
- 愛に居場所のない人間たちの孤独
- 救われない心にこそ宿る人間らしさ
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