『ザ・ロイヤルファミリー』ロケ地完全ガイド|新潟競馬場から日高牧場まで、物語が息づく聖地

ザ・ロイヤルファミリー
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TBS日曜劇場『ザ・ロイヤルファミリー』。壮大な競馬の世界と、父と子の絆を描いた人間ドラマだ。

そのスケールを支えているのが、実在する競馬場や牧場での撮影。CGではなく、本物の風と土の匂いを映し込んだ。

この記事では、新潟競馬場をはじめ、北海道・日高地方などで撮影されたロケ地を、物語との関係性から読み解く。

この記事を読むとわかること

  • 『ザ・ロイヤルファミリー』の主要ロケ地の全貌
  • 土地と人が織り成す“命と夢の継承”の真実
  • 俳優と風景が呼吸を合わせた映像のリアル!

新潟競馬場──“スタート地点”のリアルが物語を動かす

『ザ・ロイヤルファミリー』の開幕を飾るのは、静寂と轟音が同居するあの場所──新潟競馬場だ。

画面に映る青空の下、風に揺れるターフ。そこに立つ妻夫木聡と佐藤浩市。

このシーンがなぜ観る者の心を掴むのか。それは、単なる舞台のリアルさではなく、“生の競馬”をフィクションの中で呼吸させたからだ。

実際のレースを再現、武豊・丸田恭介ら現役騎手も登場

新潟競馬場の撮影では、JRAの全面協力のもと、実際のレースさながらのシーンが収録された。

第1話のクライマックスに登場する直線1000mのレースは、武豊、丸田恭介、今村聖奈ら現役騎手がゲスト出演し、リアルタイムで走りを披露している。

それもただ“友情出演”ではなく、レースそのものを再現した撮影。カメラは馬の呼吸とともに走り、汗の粒まで映した

早見和真の原作でも、「レースは人生の縮図」と語られていた。
負けても終わりではない。何度でもゲートを開ける──その思想を最も象徴する場所が、新潟競馬場の広い直線なのだ。

通常、ドラマで競馬場を使う際はCGや別カットでの代替が多い。だが本作では、スタンド・パドック・ゲート前すべてをフル使用

JRAの厳しい安全基準のもと、馬の負担を最小限にするスケジュールで撮影が進められた。

実際にスタートゲートの横でスタッフが構えるとき、現場の空気は“ドラマ”ではなく“レース”そのものだったという。

武豊が放った一言が印象的だ。

「カメラの前でも、やっぱり勝ちたいんですよ」

──その瞬間、演技と現実の境界線は消えた。

日曜劇場が初めて競馬場を全面使用した理由

日曜劇場という枠は、もともと“人間ドラマ”の聖域だ。
家族、友情、仕事、そして夢──。だが今回は、競馬=命を懸けた仕事を軸に据えた。

つまり、「馬が登場する」のではなく、「馬が主役と同じ次元で生きている」構成。

新潟競馬場を選んだのは、その構図を成立させるためだった。

他の競馬場に比べて、新潟のコースは“直線の長さ”が異質だ。
658.7メートル。国内最長の直線は、“希望と絶望の距離”として描かれる。

山王耕造(佐藤浩市)が「この直線で人生を試す」と呟く場面は、脚本の核でもある。

そこに吹く風の冷たさ、砂の粒子、観客の歓声──どれもCGでは再現できない。
だからこそ、新潟という“本物の土”が必要だった

現場では、馬優先のスケジュールが徹底された。
朝の光が馬の目に入る角度を測り、走行距離を短く区切り、1回の全力疾走は1頭につき1テイクのみ。

つまり、撮影現場にも“勝負の緊張感”が宿っていた。

妻夫木聡はインタビューでこう語っている。

「カメラの後ろに観客がいなくても、風が本物だから、勝負の空気になる」

その一言に、すべてが詰まっている。

新潟競馬場は単なるロケ地ではない。
それは、登場人物たちの人生が初めて“走り出す”場所であり、物語そのもののスタートゲートだった。

──レースが始まる。
音も、風も、芝の匂いも、すべてが“本物”のまま。

それが、この作品の息づかいだ。

北海道・日高地方──“命が生まれる場所”を描くための選択

『ザ・ロイヤルファミリー』の中で、もっとも静かで、もっとも深い場所。

それが北海道・日高地方だ。

新潟競馬場が“走る場所”なら、日高は“生まれる場所”。

物語の始まりも、登場人物の原点も、すべてこの土地から流れ出している。

サラブレッドのふるさとで見せた、育成と別れのリアリティ

日高は、日本の競走馬生産の聖地。

新冠、浦河、静内──この一帯で日本のサラブレッドの約8割が誕生する

ドラマのロケでは、この“馬のふるさと”にある実在の牧場が使用された。

そこには、作りもののセットでは出せない湿度と静けさがある。

朝霧の中で、母馬が子馬に寄り添う。

馬房の木の軋み。鼻息の白さ。土の匂い。

スタッフが音を立てることを恐れるほどの“静寂”の中で撮影は行われた。

撮影を担当したのは、HBC(北海道放送)のローカルクルー。

彼らは日高の空気を知り尽くしている。

だからこそ、「馬が何を怖がるか」「どんな距離なら落ち着くか」を肌で理解していた。

監督・塚原あゆ子が何よりもこだわったのは、“生き物の時間”に合わせること

俳優が立つのではなく、馬が先にその場にいる。

馬が動いた方向にカメラが追い、役者がその動きを受け取る。

この“逆順の撮影”は、通常のドラマ制作ではあり得ない。

しかしその異常さが、映像にリアリティを宿した。

目黒蓮が牧場を歩くシーン──風が頬を撫で、髪が乱れ、何も話さないまま涙が落ちる。

あの瞬間、演技ではなく、“馬と同じ時間を生きる人間”がそこにいた。

HBCスタッフ撮影による地元密着、目黒蓮の“風のシーン”裏話

目黒蓮が登場する第1話の日高ロケは、実は撮影期間の中でも最も過酷なスケジュールだった。

4月下旬、雪解けの冷気が残る早朝4時。馬の調教開始に合わせてカメラを設置。

「馬の呼吸に間に合わない光はいらない」と監督が言った。

夜明けの光が牧場の柵を照らす一瞬、そのシーンを撮るために、スタッフは5日間も待ち続けた。

目黒蓮が一人、馬房の外で風を受けるシーン。

あの風は演出ではなく、日高特有の“東風(こち)”だった。

俳優の立つ位置、馬の首の向き、風の方向──

そのすべてが偶然ではなく、土地の呼吸とシンクロしていた。

監督は撮影後にこう語った。

「この土地に立って、初めて“命の物語”が撮れると思った」

日高地方は、命が生まれる場所であり、夢が始まる場所。

だが同時に、命が尽きる場所でもある。

『ザ・ロイヤルファミリー』のカメラがそこを捉えたとき、ドラマは“競馬”を超え、“生きる”を描いていた。

この土地の冷たい空気、柔らかい土、そして馬の瞳に映る朝日。

それらすべてが、物語の裏側で「生まれることの痛み」を語っている。

──日高で撮った映像は、美しい。

けれどその美しさは、優しさじゃない。

そこにあるのは、命の現場の真実。

その冷たさが、『ザ・ロイヤルファミリー』という物語に“生の温度”を与えた。

千葉トレーニングセンター&美浦トレセン──“走る身体”の聖域

『ザ・ロイヤルファミリー』の中で、最も張りつめた空気を放つのが、美浦トレーニングセンターのシーンだ。

そこは、華やかな競馬の裏側──静かで、冷たい、「準備しかない世界」

勝利はまだ遠い。ここでは“負け方”を学ぶしかない。

調教助手やJRA職員が現場指導、馬優先の撮影スタイル

撮影が行われたのは、千葉県富里市にある美浦トレーニングセンター

ここは全国から選ばれた調教師と騎手が集う、いわば競馬界の大学だ。

朝4時半、まだ夜が明けきらぬうちにゲートが開く。

調教用コースを、十数頭のサラブレッドが音もなく駆け抜けていく。

その現場にカメラが入るのは極めて異例。
JRAがドラマ撮影を正式に許可したのは、今回が初めてだった。

現場では、調教助手と職員が撮影班に付きっきりで指導を行う。

馬が走り出す角度、カメラの位置、レールの高さ、音の反射。

そのすべてを、「馬が嫌がらない」ことを最優先に決めた。

監督・塚原あゆ子はこう言っている。

「人間を撮るよりも、馬の表情を撮る方が緊張する」

馬の首が少し傾くだけで、「今日はもう終わり」と判断される。

撮影の“主役”は、あくまで馬だった。

俳優たちもその空気を理解していた。

高杉真宙(中条耕一役)は、ジョッキー経験者・川島信二から騎乗姿勢の指導を受けた。

「鐙(あぶみ)の角度ひとつで、“勝ちに行く騎手”か“怖がってる素人”かが分かる」と言われ、徹底的に姿勢を叩き込まれた。

馬の背に跨った彼の体幹がブレないのは、その訓練の賜物だ。

「一回限りの疾走」にかけた現場の緊張感

調教シーンの撮影は、一見地味に見える。

だがその裏には、命を削るような集中力がある。

馬は繊細だ。汗をかきすぎると体温が上がり、翌日のトレーニングに影響が出る。

だから撮影は「一回走らせたら終わり」というルールの中で行われた。

1テイク、つまり1レース。

その瞬間を逃せば、もう二度と同じ走りは撮れない。

カメラは、スタートゲートから並走車で追いかける。

砂塵がレンズに当たる。音声は風でかき消される。

だが、それがいい。「本物の空気」を撮るには、それしかない

撮影後、馬の手入れをするスタッフの姿を見た妻夫木聡が呟いた。

「競馬って、走ってる時間より“支えてる時間”の方が長いんだな」

この言葉こそ、美浦の現場で全員が感じたリアルだった。

勝負の華やかさの裏にある、果てしない日常の積み重ね。

それを見せるために、“走る身体”の真実を撮ったのだ。

馬が疾走するシーンに、涙が滲むのはなぜか。

それは、走りそのものに「努力」や「孤独」が刻まれているからだ。

このトレセンで撮られたシーンは、ただの背景じゃない。

それは、人間が立ち止まらずに生きるための“証明”なんだ。

──この場所で流した汗と息づかいが、『ザ・ロイヤルファミリー』の筋肉になった。

都内・セリ会場シーンの撮影地──馬主たちの“欲望の交差点”

競馬は、レースで勝つ前にすでに戦いが始まっている。

その戦場が、セリ会場だ。

馬が走る前に、人間が値段を叫ぶ。

ここでは情熱も、理性も、プライドも、一瞬で数字に変わる。

北海道市場を再現した特設セットとリアルな競りの音

『ザ・ロイヤルファミリー』のセリ会場シーンは、東京都内のスタジオに再現された「北海道市場セット」で撮影された。

モデルとなったのは、セレクトセール(北海道苫小牧)

毎年7月、億単位の取引が飛び交う日本最大の馬のオークションだ。

美術チームは、実際のセリ会場の木目、照明、観客席の段差、さらにはアナウンスのエコーまで再現した。

会場の空気を出すため、競馬関係者100人をエキストラとして招集

実際のセリを経験している馬主や牧場関係者が、当日のリアクションを演じた。

特筆すべきは、音。

本物のセリ人(せりびと)が立ち、実際のリズムで競り上げていく。

「ハン、ハン、サンジュウマン、ハンッ!」──その声は録音ではなく、“生”

カメラはその振動ごと拾い上げ、俳優の表情にぶつけた。

観ている側は、セリのスピード感に息を呑むが、演じている俳優も実際に心拍が上がっていた。

塚原監督は「心臓が速くなっていく顔が撮りたかった」と語る。

だから撮影では、テイクを重ねず、1回限りの本番勝負

俳優たちは、台詞の裏で本当に“落札できるかどうか”を演じていた。

山王耕造と椎名善弘、二人の馬主の“運命の分岐点”

このセリ会場シーンには、物語全体の重心が隠されている。

それは、山王耕造(佐藤浩市)と椎名善弘(安田顕)という二人の馬主の対峙だ。

彼らは金の使い方も、夢の見方もまるで違う。

耕造は、自分の馬を“家族”として見る男。
椎名は、馬を“商品”として捉える男。

同じ馬を競り合うその瞬間、二人の人生が交差する。

画面越しに伝わる緊張感は、競馬というビジネスの中に潜む「人間の欲」そのものだ。

声を張る。額を光らせる。目の奥は笑っていない。

「勝ちたい」という言葉の裏に、「負けられない」という恐怖がある。

このシーンで監督が狙ったのは、“血統ではなく血の気を描く”こと。

競馬の世界では、血統表がすべてだと言われる。

だが、早見和真が描きたかったのは、「人間の血の濃さ」だった。

セリ場という場所は、夢を買う場所であり、誰かの夢を奪う場所でもある。

笑い声と涙が同じ音量で響く空間。

それが、『ザ・ロイヤルファミリー』の根底に流れる現実だ。

カメラが最後に映したのは、誰の手でもない。

落札のハンマーが下りる直前、耕造が一瞬見せた沈黙だった。

それは「勝った」ではなく、「また背負ってしまった」という表情。

──欲望の交差点は、今日も静かに拍手で終わる。

けれどその音の中に、誰も気づかない敗北の音が混ざっていた。

風を受ける人間たち──ロケ地が引き出した“心のフォーム”

ロケ地の話をしていると、どうしても“風景”ばかりを語りがちだ。

でも『ザ・ロイヤルファミリー』を見ていて感じるのは、風景の中で、人間が変わっていくということだ。

カメラの外で何が起きていたか──それを想像すると、ぐっとリアルになる。

場所が変わると、感情の角度も変わる

俳優って、スタジオではどこか「守られて」いる。
照明、カメラ、スタッフの配置。すべてが整っているから、感情も“演出”で済む。

けれど現場が日高や新潟、美浦のような“本物の空”になると、
守られていた殻が割れて、人間の素手の感情が出てくる。

たとえば目黒蓮が日高で風を受けるシーン。
風が強すぎてセリフが聞こえず、何度もカットがかかった。
でも監督は止めなかった。

「風がセリフを奪っても、表情が語ってる」

そうして撮られたテイクが、そのまま本編に使われた。

その瞬間、演技じゃなくなった。
人間がそのまま“自然とぶつかる時間”になった。

新潟競馬場では、妻夫木聡が芝を踏みしめながら「音が違う」と呟いた。
その一言が脚本に追加されたという話もある。

ロケ地が、脚本を書き換える。
それこそ、“本物の場所”が作品の共同脚本家になる瞬間だ。

“本物の風”が俳優を演技から解放した瞬間

日曜劇場の現場では、普通、芝居の精度を上げるために何度もテイクを重ねる。

でも『ザ・ロイヤルファミリー』では、自然の気配が変わったら、それで終わりだった。

光の角度、風の強さ、馬の呼吸。そのどれかがズレたら、もう同じ空気は撮れない。

だから俳優たちは、「次がある」って考えをやめた
一発勝負。走るように演じる。

佐藤浩市が新潟で見せた背中。
セリの熱気の中で、微かに震えた妻夫木の指先。
どれも、現場の“空気圧”が引き出した動きだ。

それが作品全体に、言葉にできない“肉体の真実”を流し込んでいる。

観る側は、それを感覚で知っている。
「この芝の音、スタジオじゃ出ないな」って無意識に気づく。
そこに生きた空気があるから、ドラマが“演技の外”に出てくる。

ロケ地は、風景じゃない。
それは、俳優を演技から解放する“現場の神様”だ。

そして、『ザ・ロイヤルファミリー』という作品は、その神様にちゃんと耳を傾けていた。

──だから、土の匂いが画面から漂ってくる。
あれはロケ地の力じゃなく、人間が“本物の風”を受けた証拠なんだ。

『ザ・ロイヤルファミリー ロケ地』まとめ──土地が物語を語る

『ザ・ロイヤルファミリー』という作品は、フィクションでありながら、ロケ地そのものが「実在の登場人物」として機能している。

新潟競馬場、日高の牧場、美浦トレセン、そしてセリ会場。

どの場所も、“人間の感情”を映すための鏡だった。

本物の土と風が、登場人物の“生身の感情”を映した

新潟の風は、走り出す勇気を象徴していた。

日高の霧は、命が生まれる痛みを映していた。

美浦の朝日は、努力という孤独を照らしていた。

そしてセリ会場の照明は、欲と愛が交差する瞬間を暴き出した。

それぞれの土地が、ストーリーの「感情」を背負っていたのだ。

つまり、ロケ地とは“背景”ではなく、“心理描写”そのもの。

妻夫木聡が走り、佐藤浩市が黙り、目黒蓮が風に立つ。

それぞれの姿は、その土地の呼吸の中でしか成立しなかった。

監督・塚原あゆ子が狙ったのは、「場所が人を語る」構造。

台詞で説明しなくても、光と風と音が感情を代弁する

それが、この作品が“日曜劇場らしくないリアルさ”を獲得した理由だ。

ロケ地はただの背景じゃない、物語そのものの一部だ

『ザ・ロイヤルファミリー』において、ロケ地は「装飾」ではない。

それは、登場人物たちが生きる場所=感情の器だった。

新潟で始まり、日高で命を見つめ、美浦で努力を重ね、セリで運命が交錯する。

この“土地の流れ”そのものが、物語の構造と重なっている。

土地が語り、風が動かし、土が記憶する。

その上で人間は、ただ懸命に生きているだけだ。

──CGでは届かないリアルがある。

それは、風の温度、砂の匂い、そして馬の呼吸。

『ザ・ロイヤルファミリー』がここまで人の心を動かしたのは、

“土地の記憶”が画面の中で語っていたからだ。

ロケ地とは、ただの場所ではない。

そこには、人間の生き方を写す「現実の声」がある。

『ザ・ロイヤルファミリー』は、それを聞き逃さなかった。

この記事のまとめ

  • 新潟競馬場で本物のレース映像を撮影
  • 北海道・日高地方では命の誕生と別れを描写
  • 美浦トレセンで“走る身体”のリアルを表現
  • 都内の特設セットでセリ会場の熱気を再現
  • JRA全面協力により、史上最もリアルな競馬描写
  • ロケ地が人物の感情を映し出す構成が秀逸
  • 自然光と風が俳優の素の表情を引き出した
  • 土地そのものが語る“命と夢の継承”の物語
  • 風・土・光が物語のもう一人の登場人物に

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