良いこと悪いこと「森のくまさん」は呪いのメロディか──替え歌が告げる“罪の順番”をキンタが読む

良いこと悪いこと
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「ある〜ひんちゃん、森のなカンタロー……」

あの無邪気な童謡が、血の順番を告げる“死のメッセージ”に変わる瞬間。ドラマ『良いこと悪いこと』に登場する「森のくまさん」の替え歌は、ただの遊びではない。22年前、笑って歌っていた子どもたちの声が、今は“過去に葬った罪”を暴く呪文のように響いている。

この記事では、この替え歌の意味を深掘りする。そこに隠された“いじめの記憶”と“連続殺人の設計図”を、感情の裏側から読み解いていこう。

この記事を読むとわかること

  • 『良いこと悪いこと』に登場する「森のくまさん」替え歌の意味と構造
  • 替え歌が示す“殺される順番”と登場人物たちの罪の繋がり
  • 善と悪の境界を描く、人間のリアルな心理と矛盾の本質
  1. 「森のくまさん」替え歌が示す“殺される順番”──メロディが導く罪の地図
    1. ひんちゃん、カンタロー、ニコちゃん──音節が指し示す死のリズム
    2. 童謡が“復讐の設計図”に変わる瞬間
  2. いじめの過去がつくる“罪と罰のループ”──22年前のタイムカプセルが開く傷
    1. 黒く塗りつぶされた卒業アルバム──消せなかった罪の象徴
    2. 「悪い子になりたくない」と言った園子の祈り
  3. 犯人は誰か──優等生の裏に潜む“見えない怒り”
    1. 委員長・紗季が抱える静かな復讐心
    2. タイムカプセルを掘り返したのは、過去ではなく“罰”だったのか
  4. 替え歌が告げる次の犠牲者──ニコちゃん、そして“キング”へ
    1. 「出会っターボー」「くまさんに出会っ高木」──終わりを歌う童謡
    2. 笑顔の裏で震える“ニコちゃん”のスポットライト
  5. 良いこと悪いことが問いかける、“良いことと悪いこと”の境界とは
    1. 復讐は悪なのか、それとも正義の形か
    2. “良いこと悪いこと”のタイトルが照らす、人間のグラデーション
  6. 「罪の森」で息をする──“いい人”でいられない僕らのリアル
    1. 「良いことしよう」と思った瞬間、人は少しだけ嘘をつく
    2. “悪いこと”を避けようとするほど、人は“悪いこと”に近づいていく
  7. 「良いこと悪いこと」考察まとめ──罪は音に変わり、音は物語になる
    1. 替え歌はただの予告ではなく、“心の懺悔録”
    2. キンタが見た真実──「悪い子になりたくない」と願う全ての大人たちへ

「森のくまさん」替え歌が示す“殺される順番”──メロディが導く罪の地図

童謡「森のくまさん」。誰もが一度は口ずさんだはずの無邪気なメロディが、ある夜、ドラマ『良いこと悪いこと』の中で姿を変えた。

「ある〜ひんちゃん、森のなカンタロー……」。

その瞬間、懐かしさの奥に潜む“恐怖の影”が、視聴者の胸を撫でた。あの歌が、22年前の罪を暴くトリガーになっているなんて、誰が想像しただろう。

ひんちゃん、カンタロー、ニコちゃん──音節が指し示す死のリズム

替え歌に登場する名前――ひんちゃん(武田敏生)、カンタロー(桜井幹太)、ニコちゃん(中島笑美)、ターボー(小山隆弘)……。その響きは、まるで古びたオルゴールのように、不気味な順番を刻む。

第1話で転落死したのはひんちゃん。次に火災に巻き込まれたのはカンタロー。そして替え歌の中で次に名を呼ばれるのが、“ニコちゃん”。まるで、歌が“死のリスト”を歌い上げているようだ。

この仕掛けが秀逸なのは、視聴者の記憶に染みついた“童謡”という安心感を逆手に取っている点だ。歌声は明るいのに、意味は暗い。笑顔で口ずさむたびに、誰かの命が消えていく。これは、子どもの頃の“遊び歌”が、成長した彼らにとっての“罰歌”へと変わった構図なのだ。

「楽しかった記憶」が「罪の証言」に変わる瞬間。 そこに、このドラマの狂気が宿っている。

童謡が“復讐の設計図”に変わる瞬間

「森のくまさん」は、もともと“出会い”を歌う歌だ。森の中で熊に出会い、逃げ出し、そしてお礼を言う――という、単純で平和な物語。しかしこのドラマでは、その“出会い”が死神との邂逅に置き換えられている。

つまり、「ある日、森の中、熊さんに出会った」は、「ある日、罪の森で、運命に出会った」という暗号なのだ。登場人物たちは知らず知らずのうちに、自らが“くまさん”=報復の対象になっている。

この替え歌を口ずさむターボーの表情が印象的だ。無邪気さと恐怖の狭間に浮かぶ微笑。まるで、彼自身が“呪文を解く鍵”であることを悟っているかのようだった。歌を通じて、犯人は“順番”を提示し、被害者たちはそれを知らずに“運命の旋律”をなぞっていく。

歌=メッセージ、音=罪の記録。
童謡という文化の中に潜む“記憶の連鎖”を、これほど鮮やかにドラマとして具現化した作品は少ない。

子どもの頃に無意識で歌っていた言葉が、22年後に自分たちを呪う。これは単なるサスペンスではなく、“記憶の逆襲劇”なのだ。

そして、視聴者の心にも問いが残る。
自分が笑って歌っていた歌詞の中に、誰かを傷つけた記憶はないか。

「森のくまさん」がもう単なる童謡ではなくなった瞬間。
それは、誰の心にも潜む“良いことと悪いこと”の境界が揺らぐ瞬間でもある。

いじめの過去がつくる“罪と罰のループ”──22年前のタイムカプセルが開く傷

タイムカプセルを掘り起こす――その行為は、本来「懐かしい時間を呼び戻す」ためのものだ。

だが、『良いこと悪いこと』の中でその行為は、封印してきた罪を呼び覚ます儀式に変わる。

22年前、笑いながら未来を描いた子どもたち。その笑顔の裏には、1人の少女を泣かせた“いじめ”という影が潜んでいた。そして今、彼らが再び集まった時、タイムカプセルの中から現れたのは“夢”ではなく“呪い”だった。

黒く塗りつぶされた卒業アルバム──消せなかった罪の象徴

掘り起こされた卒業アルバム。そのページにあったのは、6人の顔が真っ黒に塗りつぶされた写真だった。

まるで誰かが「お前たちの存在はもう消した」と言わんばかりの強烈なメッセージ。インクの黒は、22年間、誰にも触れられなかった“怨念の色”だ。

かつて“キング”と呼ばれた高木(間宮祥太朗)は、その瞬間に悟る。塗りつぶされた6人こそが、かつて園子(新木優子)をいじめていたメンバーだったことを。

そして胸の奥で、ひとつの恐怖が膨らむ――“これは偶然ではない”。
あの頃、笑って見過ごした誰かの涙が、今、彼らを狙っている。

黒く塗られたページは、過去の懺悔録。
誰もが「なかったこと」にしてきた記憶を、タイムカプセルが強引に掘り返したのだ。

この構図が痛いほどリアルなのは、“時間がすべてを癒す”という幻想を壊してくるからだ。時間は罪を癒さない。むしろ、記憶の奥底で形を変えながら、再び牙を剥く。

「悪い子になりたくない」と言った園子の祈り

1話のラストで園子が呟いた言葉が、胸に突き刺さる。

「復讐したら、あの子たちと同じ“悪い子”になってしまう。」

それは、彼女が抱え続けた22年分の痛みの重さだ。彼女の中の少女は、今もいじめられていた日の廊下で震えている。怒りと悲しみの間で、立ち止まったままなのだ。

園子は加害者たちのように“悪い子”にはなりたくない。だが、心の底では叫んでいる。
「なぜ、あの時、誰も助けてくれなかったの?」

その声が“替え歌”という形で、ドラマ全体を覆っている。歌うのはターボーかもしれない。でも、その旋律を操っているのは――彼女の記憶そのものなのだ。

園子が犯人ではないと訴えるシーンは、彼女の心の「二重構造」を見せている。

一方では許したい。だがもう一方では、誰かに代わりに復讐してほしい。
“被害者であり、加害者である”という矛盾が、彼女の表情の奥でせめぎ合う。

これは単なるサスペンスではない。
このドラマが描いているのは、誰もが持っている“心の中の加害者”との対話だ。

タイムカプセルを掘り起こしたのは、過去ではなく人間の原罪だ。
そしてその“箱”の中には、まだ誰も開けていない心の真実が眠っている。

私たちは、誰の森の中で、誰の「くまさん」になっているのだろうか。

犯人は誰か──優等生の裏に潜む“見えない怒り”

『良いこと悪いこと』の世界では、誰もが“正義”を口にしながら、同時に“悪意”を隠して生きている。

復讐の連鎖を止めるために奔走する高木と園子。その背後で、ひそやかに“別の怒り”が息を潜めていることに、彼らはまだ気づいていない。

この物語の面白さは、犯人が誰かという単純なミステリーではなく、“誰の中に怒りが潜んでいるか”という心理の迷路にある。

委員長・紗季が抱える静かな復讐心

ネット上で多くの視聴者が注目しているのが、小林紗季(藤間爽子)だ。あだ名は“委員長”。

かつての学級委員長であり、現在は区民事務所の職員。地味で真面目。いわゆる「良い子」の象徴のような存在。だが、その完璧な仮面こそが、彼女の最大の伏線に見える。

22年前、教室の隅で園子がいじめられていたとき、彼女は何をしていたのか? きっと止められたはずだ。それでも止めなかった。それは加害でもなく、被害でもなく――“傍観という罪”だ。

そして大人になった今、紗季の中でその“罪悪感”が形を変えたのだろう。
表向きは正義感のある職員。だが心の奥では、「あの時、自分もいじめに加担していたのではないか」という自己否定が渦巻いている。

もし彼女が犯人なら、それは“怒り”ではなく“償い”の形。
他人の命を奪うことで、過去の自分をも罰しているのかもしれない。

彼女の正義は、歪んだ贖罪(しょくざい)だ。
その静けさこそが、いちばん危険な狂気だ。

タイムカプセルを掘り返したのは、過去ではなく“罰”だったのか

タイムカプセルの中に隠されていたのは“夢”ではなく“怒り”だった。
それを掘り返した瞬間、6人はそれぞれの罪を引きずり出される。

ひんちゃん(貧ちゃん)は、自分の弱さを笑い飛ばした“強がりの罪”。

カンタローは、人の痛みを笑いに変えた“無神経の罪”。

ニコちゃんは、いつも笑って誤魔化した“無関心の罪”。

ターボーは、誰よりも仲間思いだったが、黙って見過ごした“沈黙の罪”。

そしてキング・高木は、リーダーという名のもとに全てを許した“支配の罪”。

それぞれの罪が、替え歌のリズムで順番に暴かれていく。
まるで“神様が作った脚本”のように。

そして、そこに浮かび上がるのはひとつの真理。

「誰もが、誰かを傷つけた。」

このドラマは、犯人探しではなく“人間の中の悪意の座標”を探している。
それは、誰か一人に罪を押し付けて終わる物語ではない。

タイムカプセルを掘り返した瞬間、彼ら全員がもう罰を受けていた。
それがこの物語の最も皮肉な真実だ。

過去は埋めても、罪は腐らない。
土の中で熟成し、やがて“復讐”という形で芽を出す。

そして、森のくまさんの替え歌が、その芽に水をやる。

音が鳴るたびに、ひとつずつ命が枯れていく。
それは誰のせいでもなく、みんなのせいだ。

――だからこそ、この物語の真の犯人は、“人間”そのものなのかもしれない。

替え歌が告げる次の犠牲者──ニコちゃん、そして“キング”へ

「ある〜ひんちゃん 森のなカンタロー……」

あの替え歌の続きを、私たちは無意識のうちに待っている。次に呼ばれる名前は誰なのか。誰が次に“森”へと消えていくのか。童謡が、未来の予言書のように響き始めている。

第2話の予告で、歌を口ずさむのはターボー。彼の口から洩れるリズムは軽やかだが、その背後に漂うのは、まるで死神が拍子を取るような不気味な静けさだった。

「出会っターボー」「くまさんに出会っ高木」──終わりを歌う童謡

替え歌の順番を追うと、“ひんちゃん”“カンタロー”に続くのは“ニコちゃん”。そしてその先にいるのが“ターボー”、最後に待つのが“キング”高木だ。

ひんちゃんは「空を飛ぶ」という夢を描き、転落死。カンタローは「消防士」の夢のように炎に包まれた。ならば、“スポットライトを浴びるアイドル”を夢見たニコちゃんの未来は……。

眩い光に照らされる彼女の笑顔は、今度は“炎上”という闇に呑まれるのかもしれない。
夢が死のモチーフに変わるという構造は、このドラマの残酷な美学だ。

ターボーが歌う替え歌のリズムは、まるで自分の順番を受け入れているかのよう。笑いながら歌うその表情には、「もう逃げられない」という諦めの色が差していた。

歌は軽く、意味は重い。
彼が歌うたびに、死のカウントダウンがひとつ進む。
そして最後の歌詞、「くまさんに出会っ高木」で、旋律は静かに幕を閉じる。

もしこの構図が“見立て殺人”として成立しているなら、犯人は確実に“替え歌の構造”を知る人物だ。
つまり、タイムカプセルを開けた6人の中にいる。

そしてもう一つ、気づくべきことがある。
替え歌のリズムは、“森のくまさん”本来の拍に忠実だ。誰かが過去にこの替え歌を作っていた。つまり、犯人は当時のクラスメイトの誰か、しかも当時この歌を笑っていた側の人間だ。

笑顔の裏で震える“ニコちゃん”のスポットライト

ニコちゃん(松井玲奈)は、名前の通りいつも笑顔を絶やさないキャラクターだ。だが、その笑顔は長年の防御反応でもある。

子どもの頃に園子をからかい、周囲の空気に合わせて笑っていた。
本気でいじめているつもりはなかった。けれどその“軽さ”こそが、彼女の罪だった。

人を傷つける言葉に悪意はいらない。
笑いながら放った言葉ほど、深く人をえぐる。

大人になった今も、彼女は夜の街で“笑顔”を仕事にしている。
六本木のクラブでホステスとして働き、光を浴び続ける。けれどその光の裏には、常に影がある。
彼女の笑顔は、あの日の教室で泣く園子を見ないための仮面なのだ。

だから、次の犠牲者が彼女であるという構図は、物語の中で必然とも言える。

笑顔は彼女の武器であり、同時に罰。

スポットライトの下で微笑むニコちゃん。
その瞬間、照明の熱で燃える衣装のシルエットが映る――そんな象徴的な映像が、すでに私の脳裏で再生されている。

光は罪を照らす。そして、影は過去を暴く。

最後に歌われる「くまさんに出会っ高木」は、リーダー・高木への宣告だろう。
彼は全てをまとめようとした“善人”であり、同時に“悪を見逃した男”でもある。
つまり、「キングが最後に殺される」という構図は、物語として最も美しい終点なのだ。

森のくまさんは、最初から“キング”に出会うための歌だった。
すべての罪の輪が、そこで閉じる。

良いこと悪いことが問いかける、“良いことと悪いこと”の境界とは

『良いこと悪いこと』というタイトルは、まるで子どもが黒板にチョークで書いたような単純な言葉だ。

けれどその響きの中には、人間が永遠に抱える問いが埋まっている。“良いこと”と“悪いこと”の境界は、どこにあるのか?

このドラマが突きつけるのは、その線がいかに曖昧で、そしてどれほど簡単に越えてしまえるかという現実だ。

復讐は悪なのか、それとも正義の形か

猿橋園子(新木優子)は22年前に傷ついた少女だ。だが、彼女が復讐を望めば、それは“悪”と呼ばれる。

では、いじめた側を罰することは“正義”ではないのか?
その問いの前で、視聴者の多くは一瞬、息を止める。

人は、自分が被害者であるときは正義を語り、加害者であるときは理由を語る。
その二つの顔を、私たちは誰もが持っている。

「悪い子になりたくない」と言う園子の台詞は、まさにその揺らぎの象徴だ。
彼女は人を憎みながらも、憎むこと自体に罪悪感を覚えている。

この矛盾こそが“人間”であり、“良いことと悪いこと”の境界をあいまいにしている。
そこにこそ、この作品の深い人間描写がある。

復讐をしないことが本当に善なのか。
悪を憎むことが悪なのか。
このドラマは、視聴者自身にその判断を委ねている。

そして、見終えた後もその問いは消えない。
なぜなら、誰もが自分の中に“復讐したい誰か”を抱えて生きているからだ。

“良いこと悪いこと”のタイトルが照らす、人間のグラデーション

このタイトルを見た瞬間、私の中で最初に浮かんだのは「道徳の授業」だった。
でも、ドラマが描いているのはそんな単純な世界ではない。

善と悪の境界は、黒と白ではなく、無数のグラデーションで構成されている。
そしてその曖昧さこそが、私たちが“人間”である証だ。

たとえば――
園子が涙を流すとき、彼女は確かに“良い人”に見える。
だが、誰かを心の中で責めた瞬間、彼女の瞳の奥に“悪”が生まれる。
その入れ替わりはほんの一瞬で、誰も気づかない。

人間は、良いことをしながら悪いことを考える生き物だ。

このドラマが美しいのは、登場人物の誰もが“間違っているのに、どこか正しい”ところにある。
犯人も被害者も、全員が“自分なりの正義”を信じている。

だからこそ、私たちは誰にも石を投げられない。
なぜなら、視聴者である私たちもまた“誰かを裁いている”からだ。

『良いこと悪いこと』は、そんな人間の不完全さを、静かで、残酷で、そして美しく映す鏡だ。

「良い人間になりたい」と願うたびに、心のどこかで“悪い自分”が目を覚ます。
その瞬間こそが、生きている証だ。

だから私は、このタイトルにこう答えたい。

良いことも悪いことも、同じ人間の中にある。

それを受け入れる勇気こそが、本当の“良いこと”なのだと思う。

「罪の森」で息をする──“いい人”でいられない僕らのリアル

このドラマを観ていると、どこか息苦しくなる瞬間がある。
登場人物たちが「良い人」を演じようとするたびに、逆にその“良さ”が嘘っぽく見えてしまうからだ。

職場でも、友人関係でも、僕たちは無意識に「良いことを言う」「悪い感情を隠す」ことを学んできた。
でもその“いい人フィルター”が、いつの間にか自分の本音を窒息させている。

『良いこと悪いこと』の世界では、全員が“いい人の仮面”をかぶっている。
それが少しずつ剥がれ落ちるたびに、彼らの心の奥から生々しい欲望や嫉妬が顔を出す。
その瞬間こそが、人間らしくてたまらない。

「良いことしよう」と思った瞬間、人は少しだけ嘘をつく

高木が園子を助けようとするのも、どこか自己防衛のように見える。
“助ける側”に回ることで、“加害者だった自分”を消したいのかもしれない。
その優しさには、ほんの少しの打算が混じっている。
でも、それが人間だ。

「良いことをしよう」と思った瞬間、人は少しだけ嘘をつく。
完全な善意なんて、実際には存在しない。
誰かを助けることで、自分を守りたい。
誰かを許すことで、自分の罪を薄めたい。
その“裏の動機”があってこそ、人はようやく“本物の優しさ”を持てるんだと思う。

このドラマの人物たちは、全員その矛盾を抱えて動いている。
だからこそ、彼らの言葉が妙にリアルに響く。
綺麗じゃない、でも本気で生きている人間たちの群像。

“悪いこと”を避けようとするほど、人は“悪いこと”に近づいていく

園子が「悪い子になりたくない」と言うたびに、僕は思う。
彼女はもう十分“良い人”だ。だけど、その“良さ”が彼女を苦しめている。

怒ってもいいのに、怒れない。
泣いてもいいのに、笑ってしまう。
その優しさが、彼女の中で毒に変わっていく。
まるで、笑顔の裏で静かに呼吸する“森の影”みたいに。

人間って、悪いことを避けようとすると、なぜか逆に“悪いこと”に引き寄せられてしまう。
それは、悪意が人の中にあるからじゃない。
むしろ“正しさに囚われすぎること”が、人を狂わせていくんだ。

「良いこと悪いこと」というタイトルは、実は“どちらかを選べない人間の告白”なんだと思う。
どんなに気をつけても、心は常に揺れる。
その揺れの中に、人間の温度がある。

森の中を歩くように、僕たちは今日も自分の中の“くまさん”に出会う。
それが怖くても、目を逸らさずに見つめるしかない。
きっとそれが、このドラマが本当に伝えたかった“良いこと”なんだと思う。

「良いこと悪いこと」考察まとめ──罪は音に変わり、音は物語になる

童謡「森のくまさん」は、私たちが子どものころに覚えた“最初の歌”かもしれない。

それはやさしく、温かく、無垢な時間を象徴する旋律だ。けれど『良いこと悪いこと』の世界では、その無垢さが真逆の意味を帯びる。「森のくまさん」は、過去の罪を呼び覚ます音楽になった。

このドラマが描くのは、過去と現在、被害者と加害者、善と悪――そのすべてが音のように重なり、ひとつの不協和音を奏でている姿だ。

替え歌はただの予告ではなく、“心の懺悔録”

森のくまさんの替え歌が恐ろしいのは、それが単なる“殺害の順番”ではなく、登場人物それぞれの心の奥に刻まれた“罪の記譜”であることだ。

ひんちゃん、カンタロー、ニコちゃん、ターボー、そして高木。
その一人ひとりのあだ名には、あの日の笑い声が詰まっている。
それは“いじめる側”が付けた呼び名であり、“いじめられる側”が決して呼べなかった名でもある。

替え歌とは、加害者の記憶を音にしたもの。
笑って歌っていたあの瞬間、彼らは誰かの心を傷つけ、その罪を旋律の中に埋め込んだ。

そして今、その音が再生される。
罪が音に変わり、音が物語を動かしていく。

音楽は、心を慰めもするが、真実も暴く。
それは懺悔のリズムであり、逃れられない記録でもある。

このドラマの中で歌が流れるたび、視聴者はその“音の罪”を一緒に聞かされているのだ。

キンタが見た真実──「悪い子になりたくない」と願う全ての大人たちへ

この作品を観ながら、私は思った。

大人になっても、人はずっと「良い子」でいようとする。
でもその裏で、誰もが少しずつ“悪い子”の自分を抱えている。

誰かを羨んだり、恨んだり、許せなかったり――。
そういう気持ちを見ないふりをして、私たちは「正しい人間」であろうとする。

けれど本当は、その矛盾の中でしか人は生きられない。
「悪い子になりたくない」と願うこと自体が、すでに“善と悪の間”に立っている証拠なのだ。

園子の涙は、誰かの懺悔でもあり、私たち自身の涙でもある。
タイムカプセルに埋めた夢は、もう掘り返せない。
だが、その夢を汚した罪を、今こそ見つめる時が来た。

『良いこと悪いこと』は、“考察ミステリー”という枠を超えた作品だ。
それは、私たちの心に潜む“いじめの記憶”と“赦しの可能性”を描いた心理のドキュメンタリーでもある。

森のくまさんの替え歌が流れるたびに、視聴者は問われる。

あなたの中の“悪い子”は、今も眠っていますか?

この問いにどう答えるかで、その人の“物語の結末”が変わる。
それが、この作品が放つ最も深いメッセージだ。

罪は音に変わり、音は物語になる。
そしてその物語は、誰かの心でまた静かに再生されていく。

それが『良いこと悪いこと』というドラマが奏でる、人間という名の交響曲だ。

この記事のまとめ

  • 『良いこと悪いこと』は、童謡「森のくまさん」の替え歌を通して罪と記憶を暴く物語
  • 替え歌は“殺される順番”を示すだけでなく、登場人物の罪を音に変える装置
  • タイムカプセルと黒塗りのアルバムが、22年前のいじめの罪を再び呼び覚ます
  • 園子の「悪い子になりたくない」という言葉が、善と悪の境界を浮かび上がらせる
  • 犯人探しよりも、“誰の中に怒りが潜んでいるか”という人間心理を描く構成
  • ニコちゃんやキングの運命は、替え歌のリズムに導かれる“罪の旋律”
  • 善と悪の曖昧さ、人間の矛盾を映すタイトル『良いこと悪いこと』の本質
  • 「良い人でいよう」とする裏で嘘をつく人間のリアルを描き出す
  • 罪は音に変わり、音は物語になり、やがて人間そのものを映す鏡となる

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